世界最大級の地震

2011年03月11日 | 健康・病気

地震規模はM8.8、世界最大級 沿岸に大津波(朝日新聞) - goo ニュース

11日午後2時46分頃、あたりが揺れた。
私は、職場の事務所の自分の席に坐っていた。
地震だと思った。
揺れが大きく長かった。
怖くなった。
これが、〝世界最大級地震〟の始まりだった。

東京にいる女房に電話をする。
つながらない。
メールを送信すると、何度目かに発信できた。
しかし、返事が来ない。
息子たちにも電話をするがかからない。
メールを送るとなんとか送れたようだ。
茨城の兄に電話したがかからない。

私のいた佐久市は最初の揺れは大きかったが、そのあとはたいしたことはなかった。
今夜、私は午後10時までの勤務だった。
体育館で能楽の練習があるのでボイラーを焚いて暖房しなければならなかった。

夜7時過ぎ、女房と電話がつながった。
地下鉄が止まっているので今夜は会社に泊まるという。
女房の近くに住むお母さんに電話がつながらないから電話して、という。
お義母さんに電話したが、
「おかけになった方面の電話が混雑してかかりにくくなっています」
という録音された声が流れた。
息子たちから電話もメールも来なかった。

孫のことが心配だった。
息子のKが池袋の会社から帰れず、所沢に仕事に行っている嫁が家に帰れなかったら、
誰が保育所にいる孫を迎えに行くのだ。
Uからも連絡がなかった。

家に帰り、簡単な食事の用意をして、テレビの地震報道を観ていると、携帯電話が鳴った。
Kからのメールだった。
今日は休みで家にいたからよかった。明日のお遊戯会は延期になった。
孫も嫁も無事だということだった。
明日は、孫の保育園のお遊戯会だった。女房は楽しみにしていた。
そのメールを女房に転送した。
Uからもメールが来た。
「うちは**(嫁)が帰れなくて会社に泊まりになったけど、特に何もなくて無事です」
「婆ちゃんと連絡とれた」と女房からメールが来た。
茨城の兄とは連絡がとれないが、とにかく私の家族の無事の確認が出来た。

しかし、世間の大変な被害がだんだん分かってきた。
これからもっと被害の実態が分かってくるだろう。
明日からの報道が怖い。

 

コメント (6)
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