さよなら谷啓さん

2010年11月12日 | 健康・病気
谷啓さん演奏の曲流れ800人が別れ(日刊スポーツ) - goo ニュース


谷啓のお別れ会があったそうです。
谷啓が死んだとき、いつか九想話に書きたいと書いた。
あれからずいぶんたちました。
今夜書きます。
といっても、そんなに書くことはありません。

私は、中学生になって吹奏楽部に入ったときに、
なぜか顧問の先生にトロンボーンを吹くようにいわれた。
そのへんのいきさつはよく憶えていない。
気がついたらトロンボーンを吹いていた。
なんで私がトロンボーンなんだろう?とは思った。
1年のときは自分の楽器がなかった。
先輩が吹くのを脇にいて見ていた。
私の先輩は第2トロンボーンだった。
全体練習が終わってから、1年生を先輩が教えてくれた。
ですから、私は少ししか吹けなかった。
2年生になってから、先輩の楽器が自分のものになり、
毎日全体練習に参加できるようになった。
そんな環境なので私がまともにトロンボーンを吹けるようになったのは、
中学2年になってからだと思う。
私は3年になってから第3トロンボーンになった。
それまでその吹奏楽部に第1と第2トロンボーンしかなかったのです。
第2トロンボーンでさえリズムばかりでメロディなんてなかった。
第1トロンボーンなら、少し主旋律があった。
第3トロンボーンなんて、チューバと同じようなベース音ばかりになった。
私は哀しかった。

その頃、テレビでは日曜日の午後6時半、「シャボン玉ホリデー」をやっていた。
その番組に出る谷啓が好きだった。
トロンボーンを吹くからということがその理由だった。
谷啓のトロンボーンは好きだった。
とうぜん、谷啓の“お笑い”も好きでした。
私は、全体練習が終わってから、自分の好きなメロディを吹いていた。
谷啓の真似というわけではないが、“ふり”をして吹いた。

私は高校の吹奏楽部に入って第1トロンボーンになった。
3年生のときの定期演奏会で、私がひとり前に出て、
ブラスバンドをバックにある曲を吹いた。
なんという曲か忘れました。
オープンリールのテープに録音されているものがあるんですが、
現在の私はそれを聴くことが出来ません。

私のトロンボーンは、うまくないです。
うまくなろうとはがんばりましたが、へたでしたね。
現在の女子高生のほうがうまいのではないか。
30歳の頃、埼玉で市民吹奏楽団にいたときに吹いていた
トロンボーンが今も部屋にある。
もう何年マウスピースに口づけしていないだろう。
吹く場所がないんですよね。
吹いてみたいとは思う。
こんど谷啓を想ってトロンボーンを吹いてみたいです。
湯川ふるさと公園では吹けませんね。
やっぱり、ケーナを吹いているほうがめんどくさくないですね。


キングス・オブ・スウィング「76本のトロンボーン」


コメント (2)
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