泥酔

2005年09月18日 | 健康・病気

昨日は久しぶりに沢山飲みました。
気がつくとパソコンつけっぱなしで床に寝ていた。
今日、仕事なので、
これからきちんと布団の中に寝直します。

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十五夜は満月?

2005年09月18日 | 健康・病気

今夜は十五夜です。
「ここ何年かは、いい天気のことが少なく、
 満月でないときもあったから、
 今日は貴重な十五夜です。」
とラジオでいっていた。
私は、十五夜の月は満月だと当たり前に思っていた。
それが違うんですね。

こんなサイトを見つけました。
なるほど、と納得した。
あらためて自分の無知を知りました。

子どもの頃、「ぼうじぼ」ということをした。
雨が降るとがっかりした。
お金が稼げないからです。
それにしても満月だとばかり思っていたのに、
十五夜の月がそうじゃなかったなんて…。

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親子の別れ

2005年09月18日 | 健康・病気

このところパソコンをいじっていたので、
時間がなくていつも通うサイトに行けなかった。
さっき、「増殖する俳句歳時記
を見て、これはいい句だなと思ったのがあった。

9/17   掛稲のむかうがはから戻らぬ子   満田春日

でも、最初にこの句を読んだときは感じるものが少なかった。
清水さんの文章を読んであらためて句を鑑賞したら、
心の底からしみじみいい俳句だなと思った。

> 作者の本意に適うかどうかは別にして、
> 句には「永遠に戻らない子」が含意されているように思われた。
> すなわち、たいがいの親子の別れというものは、
> 親の側に立てば,このようにやってくるのが普通だろうと……。
> さっきまでそこらへんで遊んでいたようなものである子が、
> たとえば進学や就職、結婚などのために親元を離れていく。
> 親としては、はじめは稲架の向こう側に行ったくらいの
> 軽い気持ちでいるのだけれど、
> 以後はついに共に暮らすこともなく終わるケースは多い。
(清水さん、勝手な改行お許し下さい)

私は子どもの頃、両親が稲刈りのあと“おだあし”に
稲を掛けている田んぼで遊んでいたことよくがあった。
“おだ”とは、私の生まれた茨城あたりの
「稲架(はざ)」の方言です。
このことは以前「『はざ』と『おだ』」という九想話に書いた。
この情景を俳句に詠んだ作者も素晴らしいが、
その句から「親子の別れ」を感じとる清水さんがすごい。
これが詩人の感性かと、感心した。

5月に家を出たKとはほとんどつながりがない。
Uは家にはいるが、まったく口をきくことはない。
これは自然なことなのだとは理解しているが寂しい。
清水さん、いい句を紹介してくださってありがとうございます。

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