昨日は久しぶりに沢山飲みました。
気がつくとパソコンつけっぱなしで床に寝ていた。
今日、仕事なので、
これからきちんと布団の中に寝直します。
このところパソコンをいじっていたので、
時間がなくていつも通うサイトに行けなかった。
さっき、「増殖する俳句歳時記」
を見て、これはいい句だなと思ったのがあった。
9/17 掛稲のむかうがはから戻らぬ子 満田春日
でも、最初にこの句を読んだときは感じるものが少なかった。
清水さんの文章を読んであらためて句を鑑賞したら、
心の底からしみじみいい俳句だなと思った。
> 作者の本意に適うかどうかは別にして、
> 句には「永遠に戻らない子」が含意されているように思われた。
> すなわち、たいがいの親子の別れというものは、
> 親の側に立てば,このようにやってくるのが普通だろうと……。
> さっきまでそこらへんで遊んでいたようなものである子が、
> たとえば進学や就職、結婚などのために親元を離れていく。
> 親としては、はじめは稲架の向こう側に行ったくらいの
> 軽い気持ちでいるのだけれど、
> 以後はついに共に暮らすこともなく終わるケースは多い。
(清水さん、勝手な改行お許し下さい)
私は子どもの頃、両親が稲刈りのあと“おだあし”に
稲を掛けている田んぼで遊んでいたことよくがあった。
“おだ”とは、私の生まれた茨城あたりの
「稲架(はざ)」の方言です。
このことは以前「『はざ』と『おだ』」という九想話に書いた。
この情景を俳句に詠んだ作者も素晴らしいが、
その句から「親子の別れ」を感じとる清水さんがすごい。
これが詩人の感性かと、感心した。
5月に家を出たKとはほとんどつながりがない。
Uは家にはいるが、まったく口をきくことはない。
これは自然なことなのだとは理解しているが寂しい。
清水さん、いい句を紹介してくださってありがとうございます。