平成28(2016)年10月11日(火)
本宮市の次に向かいしは、北隣りにある二本松市。
残念ながら毎年10月4~6日に開催される「二本松提灯祭り」は終わったばかり。
さぞ祭りの後の虚しさで満ち溢れているものだと思いきや、そんなことでおとなしくなる二本松市ではありません。
↓間、髪を入れず前日より「第62回菊の祭典 二本松の菊人形」が絶賛開催されたばかり。
これは11月23日までのロングラン。この2ヶ月間でどれくらいのお金が落とされるんだろ?
さて、疲れているのもあってチャリを借りようと、ここに声をかける→
当然借りられるものと余裕をかましていたのですが、思いもよらぬ言葉にクラクラする。
「すみませ~~ん、全部出払っちゃいましてねえ・・・(汗)」
菊へ向かいそうな人はそれなりにいたけど、この日は普通に平日。たいした数ではない。
だけど、10時半頃にノコノコやってくるのはあまりにも舐めすぎか。
本宮ではなく最初にここに来るべきでしたが、仕方ない、かくなる上は極めて原始的移動手段を使わざるを得ません。
その代わり行くつもりだった「智恵子記念館」はバッサリ切る事に・・・。
駅前の文化ホール→
ここで密かに楽しみにしていたものがあったのですが・・・。
よくあるパターン→
とことんツキに見放されております。
気を取り直して、まずは線路越えて駅の南側へ。えっちらおっちら坂道を上ると市役所。
(630)福島県二本松市役所→
その名のとおり、「二本の松」に由来したと思われる地名ですが、日本辞典の中の「地名由来辞典」によると、『昔、山王寺山にあったとされる「鶴松」と「亀松」の二本の霊松に由来か』らしいです。
室町時代からの城下町と、意外にも歴史のある町で、戊辰戦争の際は町は焼けてしまう。
現在は約56,000人が住む市。
役所のある辺りはかなり縁起のいい地名→
でも市の財政力はぱっとせず、県内でも59市町村中第22位(平成23年度)。
さあ、これから坂を下りて市街地を通り抜けて菊会場である二本松城へ→
役場とお城の距離は直線にして1.2~1.3km程度なのだけど、途中、意地悪く山が立ちはだかっており、先行きが思いやられます。
とりあえず適当に歩いて行くと、やがて鮮やかな赤に映えるお寺さんに来る。
だけど、目の前は山が行く手を阻んでいて、あたかも通せんぼ。
横には山を上る階段があるのだけど、「そこからお城に行けるんかなあ」と困っていたら、実にナイスタイミングで寺主さんらしきが用事先から車で帰ってきたではないか!
しんどい思いをしていたのを神様、いやいや仏様は見ていてくれたようです、ツキを取り戻したか?
↓「階段を上って、ああ行って、こう行って・・・」と教えてもらったその階段を登る途中。
やれやれ、ようやくお城が見えてきました→
日本100名城の一つ、二本松城→
別名は霞々城(かすみがじょう)といい、応永21(1414)年に畠山満泰により築かれたお城。
戊辰戦争であえなく落城してしまう。
二本松少年隊群像→
「少年隊」だからと言って、ご当地アイドルグループではありませぬ。
戊辰戦争時、迫る新政府軍と相対すべく、出陣を志願した数え13~17歳までの少年達62名で構成され、うち14名が戦死してしまう。
一方で、同じ少年兵でも有名な会津の「白虎隊」に比べるとほとんど知られていないのが哀しい。
像は激戦地・大壇口での奮戦姿と、出陣服を仕立てる母の姿だそう。
お城の一部を間借りした会場でございますが・・・→
菊はちっとも咲いておりませぬ。
でもメインは祭り名にもあるように菊人形。
こんな感じでたくさんの人形が突っ立ております→
罰で立たされている感じのお偉い方。
↓八重さん人形よりも津田梅子さん人形の方が、大河ドラマ「八重の桜」で八重さんを演じた女優に似ている気がする。
真ん中のお人形さんはモノホンの人間かと見間違えるくらい→
私のお好みの顔立ちに仕立ててくれた本名はナゾの紫式部でございます。
首のない少年隊→
見れば見るほど不気味。
菊を羽織らせてくれなかった人形→
目をいきなりかっぴらいて怪光線を発するビックリ人形だったら面白いんだけどね。
参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→
本宮市の次に向かいしは、北隣りにある二本松市。
残念ながら毎年10月4~6日に開催される「二本松提灯祭り」は終わったばかり。
さぞ祭りの後の虚しさで満ち溢れているものだと思いきや、そんなことでおとなしくなる二本松市ではありません。
↓間、髪を入れず前日より「第62回菊の祭典 二本松の菊人形」が絶賛開催されたばかり。
これは11月23日までのロングラン。
さて、疲れているのもあってチャリを借りようと、ここに声をかける→
当然借りられるものと余裕をかましていたのですが、思いもよらぬ言葉にクラクラする。
「すみませ~~ん、全部出払っちゃいましてねえ・・・(汗)」
菊へ向かいそうな人はそれなりにいたけど、この日は普通に平日。たいした数ではない。
だけど、10時半頃にノコノコやってくるのはあまりにも舐めすぎか。
本宮ではなく最初にここに来るべきでしたが、仕方ない、かくなる上は極めて原始的移動手段を使わざるを得ません。
その代わり行くつもりだった「智恵子記念館」はバッサリ切る事に・・・。
駅前の文化ホール→
ここで密かに楽しみにしていたものがあったのですが・・・。
よくあるパターン→
とことんツキに見放されております。
気を取り直して、まずは線路越えて駅の南側へ。えっちらおっちら坂道を上ると市役所。
(630)福島県二本松市役所→
その名のとおり、「二本の松」に由来したと思われる地名ですが、日本辞典の中の「地名由来辞典」によると、『昔、山王寺山にあったとされる「鶴松」と「亀松」の二本の霊松に由来か』らしいです。
室町時代からの城下町と、意外にも歴史のある町で、戊辰戦争の際は町は焼けてしまう。
現在は約56,000人が住む市。
役所のある辺りはかなり縁起のいい地名→
でも市の財政力はぱっとせず、県内でも59市町村中第22位(平成23年度)。
さあ、これから坂を下りて市街地を通り抜けて菊会場である二本松城へ→
役場とお城の距離は直線にして1.2~1.3km程度なのだけど、途中、意地悪く山が立ちはだかっており、先行きが思いやられます。
とりあえず適当に歩いて行くと、やがて鮮やかな赤に映えるお寺さんに来る。
だけど、目の前は山が行く手を阻んでいて、あたかも通せんぼ。
横には山を上る階段があるのだけど、「そこからお城に行けるんかなあ」と困っていたら、実にナイスタイミングで寺主さんらしきが用事先から車で帰ってきたではないか!
しんどい思いをしていたのを神様、いやいや仏様は見ていてくれたようです、ツキを取り戻したか?
↓「階段を上って、ああ行って、こう行って・・・」と教えてもらったその階段を登る途中。
やれやれ、ようやくお城が見えてきました→
日本100名城の一つ、二本松城→
別名は霞々城(かすみがじょう)といい、応永21(1414)年に畠山満泰により築かれたお城。
戊辰戦争であえなく落城してしまう。
二本松少年隊群像→
「少年隊」だからと言って、ご当地アイドルグループではありませぬ。
戊辰戦争時、迫る新政府軍と相対すべく、出陣を志願した数え13~17歳までの少年達62名で構成され、うち14名が戦死してしまう。
一方で、同じ少年兵でも有名な会津の「白虎隊」に比べるとほとんど知られていないのが哀しい。
像は激戦地・大壇口での奮戦姿と、出陣服を仕立てる母の姿だそう。
お城の一部を間借りした会場でございますが・・・→
菊はちっとも咲いておりませぬ。
でもメインは祭り名にもあるように菊人形。
こんな感じでたくさんの人形が突っ立ております→
罰で立たされている感じのお偉い方。
↓八重さん人形よりも津田梅子さん人形の方が、大河ドラマ「八重の桜」で八重さんを演じた女優に似ている気がする。
真ん中のお人形さんはモノホンの人間かと見間違えるくらい→
私のお好みの顔立ちに仕立ててくれた本名はナゾの紫式部でございます。
首のない少年隊→
見れば見るほど不気味。
菊を羽織らせてくれなかった人形→
目をいきなりかっぴらいて怪光線を発するビックリ人形だったら面白いんだけどね。
参考・カッコしてあるのはこれまで行った所→