平成29(2017)年5月3日(水祝)
随分前からこの週末3連休は伊勢・伊賀方面に出掛ける気マンマンでいました。
ところが突如台風が発生、一瞬マズイな思ったけど、大陸に行きそうだったので安心しきっていたのですが・・・。
なんなんだこの曲がりの鋭い変化球は!
私の神通力はもはや神を超えたような気がする(苦笑)。
見る見るうちに気が萎えてきました。
まだ本決まりではないですけど、恐らく止めます。
止めた途端、また大陸に戻っていった、なんて事になったら怒るだけじゃ済みませんよ!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
5月の大型連休も後半戦。そして私の旅も後半戦。
この日から私の神通力がいよいよ稼働し始め?、お昼からアレに見舞われる予報となってます。
なして九州南部だけ?
全国的には夏日のような晴天か、せいぜい曇りなんだけどね・・・。
それそろ疲れも溜まり始めたのもあり、気分も今一つ晴れぬまま国富町へ。
↓(660)宮崎県東諸県(ひがしもろかた)郡国富町(ちょう)役場
昭和31(1956)年に1町1村が合併し発足し、その翌年には1村を編入。
主な産業は農業で、特に野菜の促成栽培が発達。約19,000人が暮らす町。
私が役場に来るとほぼ同時に、何かの取材班も役場に来たのですが、以来彼らはしばしば私をチラ見する。
もちろん私は有名人ではないし、あまり言いたくないですが色男でもない。
あたかも因縁を付けられているようで、気分はあまりよろしくない。
↓どうやら「街歩きツアー」らしきがあるようで、それの取材らしい。
私がいかにも緊張感のない散策向きの恰好でしたので、参加者と思ったんでしょう、きっと。
役場前→
スゴイね、町のド真ん中にお城ですよ→
白玉まんじゅう屋さん→
売れ切れ続出、国富町名物の超人気お菓子だそうな。
街中あちこちで古墳が見られます→
私の前にある古墳(上の看板★現在地)がコレ→
上に小屋のようなものがありますが、これは金刀比羅神社の祠→。
海上の安全を守ってくれる神様が、ナゼこのような海から遠い場所に?
↓市街地の南を流れる本庄川では、かつて水運が盛んだったからみたいです。
曇っていてちっともキレイに見えませんが、この川は九州でも上位を争うほどの清流なんだとか。
この清流を遡ると綾町(あやちょう)。
↓役場の隣で、町の物産品などを売っている「綾手づくりほんものセンター」がある交差点。
たくさん掲げられている赤い幟が、周りの木々の緑はもちろん、沿道の建物にもうまく溶け込んでいて、とても調和のとれた綺麗な市街地。
↓観光案内所もある「綾手づくりほんものセンター」ですが、ここで売られているありとあらゆる物は全て綾で生産されたもの。
多くの人が詰めかけ、賑やか。
折しもお祭り開催中→
男女同権、というワケで3月には「綾ひな山祭り」というのもあるようです。
町HPによると、「男山は、男児の健やかな成長を願い、岩や苔などを使って雄大な奥山の風景を再現し、5月人形やかぶとを飾りつけています。すべて住民による手作りで、勇ましい人形や趣向を凝らした飾り付けが見どころ」だそうです。
(661)宮崎県東諸県郡綾町役場→
観光を前面に押し出した町。
その主流は照葉樹林を起用した町おこしで、見事にハマりました。
興味がなかったので写真には収めていませんが、工芸品工房が多く、それも染織、木工、陶芸など種類様々。
「綾城・綾国際クラフトの城(入場料¥350)」へ。
綾国際クラフトの城→
織物・陶芸など地元工芸品を紹介する施設。
なのに何で「国際」なのかよう分からん。
綾城→
鎌倉後期~室町初期に足利尊氏の家臣が築いたとされ、その城址に綾町の木を使って建てられました。
ただ当時の復元ものではないので、適当に想像して造ったお城。
模擬天守より→
ひときわ大きい建物(真ん中やや右上)は「綾てるはドーム」といい、国内でも最大級の木造屋内施設。
お城近くにある吊り橋→
できればここも綾産の木や植物のツルで造るくらいの徹底ぶりが欲しかったところ。
この吊り橋は、言ってみれば序の口というか前座。
綾町に来たならば行かねば、というワケで真打に向かうべく、本庄川に沿ってさらに山奥へ。
↓やって来ましたるは、綾町一番の名所「綾の照葉(てるは)大吊橋」。
↓入場料¥300を払って、高所のスリルを体感すべく中へ。
碑文が虚しく見えます→
というのも、高さ日本一を大分県の九重夢大吊橋に譲ってしまったから。
↓それでもやっぱり怖いんだわ。
美味そうだったのでついつい買ってしまった大きな手羽先→
小さい骨までも噛み砕いて呑み込んでしまったせいか、後々ハラ具合がよろしくなくなる。
町のキャッチフレーズは「照葉樹林都市・自然生態系農業の町・手づくりの里」。
それを肌で感じられた綾町でした。
カッコしてあるのはこれまで行った所→
随分前からこの週末3連休は伊勢・伊賀方面に出掛ける気マンマンでいました。
ところが突如台風が発生、一瞬マズイな思ったけど、大陸に行きそうだったので安心しきっていたのですが・・・。
なんなんだこの曲がりの鋭い変化球は!
私の神通力はもはや神を超えたような気がする(苦笑)。
見る見るうちに気が萎えてきました。
まだ本決まりではないですけど、恐らく止めます。
止めた途端、また大陸に戻っていった、なんて事になったら怒るだけじゃ済みませんよ!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
5月の大型連休も後半戦。そして私の旅も後半戦。
この日から私の神通力がいよいよ稼働し始め?、お昼からアレに見舞われる予報となってます。
なして九州南部だけ?
全国的には夏日のような晴天か、せいぜい曇りなんだけどね・・・。
それそろ疲れも溜まり始めたのもあり、気分も今一つ晴れぬまま国富町へ。
↓(660)宮崎県東諸県(ひがしもろかた)郡国富町(ちょう)役場
昭和31(1956)年に1町1村が合併し発足し、その翌年には1村を編入。
主な産業は農業で、特に野菜の促成栽培が発達。約19,000人が暮らす町。
私が役場に来るとほぼ同時に、何かの取材班も役場に来たのですが、以来彼らはしばしば私をチラ見する。
もちろん私は有名人ではないし、あまり言いたくないですが色男でもない。
あたかも因縁を付けられているようで、気分はあまりよろしくない。
↓どうやら「街歩きツアー」らしきがあるようで、それの取材らしい。
私がいかにも緊張感のない散策向きの恰好でしたので、参加者と思ったんでしょう、きっと。
役場前→
スゴイね、町のド真ん中にお城ですよ→
白玉まんじゅう屋さん→
売れ切れ続出、国富町名物の超人気お菓子だそうな。
街中あちこちで古墳が見られます→
私の前にある古墳(上の看板★現在地)がコレ→
上に小屋のようなものがありますが、これは金刀比羅神社の祠→。
海上の安全を守ってくれる神様が、ナゼこのような海から遠い場所に?
↓市街地の南を流れる本庄川では、かつて水運が盛んだったからみたいです。
曇っていてちっともキレイに見えませんが、この川は九州でも上位を争うほどの清流なんだとか。
この清流を遡ると綾町(あやちょう)。
↓役場の隣で、町の物産品などを売っている「綾手づくりほんものセンター」がある交差点。
たくさん掲げられている赤い幟が、周りの木々の緑はもちろん、沿道の建物にもうまく溶け込んでいて、とても調和のとれた綺麗な市街地。
↓観光案内所もある「綾手づくりほんものセンター」ですが、ここで売られているありとあらゆる物は全て綾で生産されたもの。
多くの人が詰めかけ、賑やか。
折しもお祭り開催中→
男女同権、というワケで3月には「綾ひな山祭り」というのもあるようです。
町HPによると、「男山は、男児の健やかな成長を願い、岩や苔などを使って雄大な奥山の風景を再現し、5月人形やかぶとを飾りつけています。すべて住民による手作りで、勇ましい人形や趣向を凝らした飾り付けが見どころ」だそうです。
(661)宮崎県東諸県郡綾町役場→
観光を前面に押し出した町。
その主流は照葉樹林を起用した町おこしで、見事にハマりました。
興味がなかったので写真には収めていませんが、工芸品工房が多く、それも染織、木工、陶芸など種類様々。
「綾城・綾国際クラフトの城(入場料¥350)」へ。
綾国際クラフトの城→
織物・陶芸など地元工芸品を紹介する施設。
なのに何で「国際」なのかよう分からん。
綾城→
鎌倉後期~室町初期に足利尊氏の家臣が築いたとされ、その城址に綾町の木を使って建てられました。
ただ当時の復元ものではないので、
模擬天守より→
ひときわ大きい建物(真ん中やや右上)は「綾てるはドーム」といい、国内でも最大級の木造屋内施設。
お城近くにある吊り橋→
できればここも綾産の木や植物のツルで造るくらいの徹底ぶりが欲しかったところ。
この吊り橋は、言ってみれば序の口というか前座。
綾町に来たならば行かねば、というワケで真打に向かうべく、本庄川に沿ってさらに山奥へ。
↓やって来ましたるは、綾町一番の名所「綾の照葉(てるは)大吊橋」。
↓入場料¥300を払って、高所のスリルを体感すべく中へ。
碑文が虚しく見えます→
というのも、高さ日本一を大分県の九重夢大吊橋に譲ってしまったから。
↓それでもやっぱり怖いんだわ。
美味そうだったのでついつい買ってしまった大きな手羽先→
小さい骨までも噛み砕いて呑み込んでしまったせいか、後々ハラ具合がよろしくなくなる。
町のキャッチフレーズは「照葉樹林都市・自然生態系農業の町・手づくりの里」。
それを肌で感じられた綾町でした。
カッコしてあるのはこれまで行った所→