平成29(2017)年5月2日(火)
ほぼ丸2日いた鹿児島県を抜け出し、お昼12時ごろ宮崎県は串間市入り。
さてさて、今年のGW前半は全国的に好天だったのですが(後半は覚えてない)、唯一この日から崩れ始める地域が、よりによって九州南部。
実際、志布志にいた時から既に怪しくなってきてはいたのですが、串間市に来た時にはどっぷり曇り。
そして次の日の予報は・・・、我が旅恒例のアレに取り憑かれてしまうのでした。
(658)宮崎県串間市役所→
昭和29(1954)年に1町と4村が合併してできた市。
由来は中世にここは島津荘櫛間院と呼ばれたらしく、今の「串間」はその当て字、市中心部一帯は合併前の福島町であって、それは「くしま」が転訛したとの事。
ただ、串間地名の由来のは他にも諸説あるようです。
「宮崎県の最南端 咲かせよう 希望と夢ある 串間の未来」とは串間市のキャッチフレーズですが、ここもご多分に漏れず人口はどんどん減っていって、今では18,000人ほど。
最近でも某新聞に「書店ゼロの自治体」として紹介されていましたし・・・。
産業は柑橘類、熱帯果樹、野菜の栽培や漁業で、中でも食用寿甘藷と完熟きんかんは日本一。
観光面はそれなりに見所はあるものの、日南海岸の観光地としては何となく存在感の薄い印象。
そんな中、一番の観光地は都井(とい)岬で馬が有名。
↓一応おサルさんも串間観光の一翼を担っていたりするのですが、それについては次回にて。
JR日南線・串間駅前→
↓閑散とした駅構内。
数分前に上り列車が行っちゃいましたからねえ。
↓観光案内所に使われているレトロな広島電鉄の路面電車。
街中に人を呼ぼうと譲り受けたもののようで、その甲斐あって(ちょうどお昼時のせいか、列車の発着があったせいかも分からんけど)、駅前にはそこそこ人の姿は見受けられたのですが・・・。
100mも離れると、→
寂しい商店街が軒を連ねています。
キャッチフレーズ通りの未来を迎えるにはかなり厳しそうな現状。
市街地には特段見るべきものもなさそうだったので、さっさと国道448号線を市街地から南東方向に走らせ都井岬へ。
ここ「駒止の門」で¥400取られます→
↓天然記念物・御崎馬はちらほら見ましたが、それは後回しにしてまずは岬にある灯台へ。
初点灯は昭和4(1929)12月22日、九州で唯一の中に入れる灯台。
中の上の方はこんな感じ→
↓海抜255mの崖断に聳える灯台。
曇っていて景色はよくないし風は強いしで、せっかく来たのにな、って感じ。
でも切符売り場(入場料¥200)のおばちゃんによれば、前日(5月1日)は風が強くて灯台は閉鎖されていたのだという。
晴れだったはずの前日、そういうこともあるんですな。
そういう意味では私はツイているんだろうか?
灯台を終えたらあとは見るのは馬。
ここにいる馬は御崎馬と呼ばれる日本在来馬で天然記念物。
江戸時代、高鍋藩は日向中の馬をかき集め、串間に7カ所の藩営牧場を作り、軍馬や農耕馬の生産に励んだのですが、その7カ所のうちの一つが都井岬の牧場。
しかも牧場と言ってもほとんど放し飼いにされていたので、野生の状態をよく残しているのだという。
駐車場にいた親子馬→
4~5月が出産のピークだそう。
灯台に行く途中、大勢の人がたむろしていた場所に向かう。
きっとそこには馬がいっぱい見られるんだろうと思って。
まだいてくれました→
↓体は130cm前後、体重は300kg前後と、サラブレッドよりは小さめですが、それ以外は見た目まさにサラブレッド。
観光客が連れてきたイヌも急遽飛び入り→
正直、馬は草を食んでばかりで面白くない。
何か見せ場はないか・・・。
↓と、思っていたらやおら一頭が道路を横断、崖を登る。
見守る他の馬たち。
が、すぐにそそくさと降りてくる→
上で何をしていたかと言うと、他の一頭と闘っていたのだ。
噛みついたり、後ろ脚で蹴りあったり。
御崎馬は(羨ましい事に)ハーレムを作って生活する種で、どうやらこの一頭はメスを奪いに殴り込みに行った模様。
が、しかし一瞬で轟沈。
メス達に慰められているかのご様子→
馬の世界でも優しいのお、女性は。
実は馬が崖に登っているところを動画で撮っていたのですが、上で果し合いをするなどと夢にも思わず、途中で動画撮影を止めてしまっていたのです。
せっかくの絶好の場面を・・・何たるこった_| ̄|○。
カッコしてあるのはこれまで行った所→
ほぼ丸2日いた鹿児島県を抜け出し、お昼12時ごろ宮崎県は串間市入り。
さてさて、今年のGW前半は全国的に好天だったのですが(後半は覚えてない)、唯一この日から崩れ始める地域が、よりによって九州南部。
実際、志布志にいた時から既に怪しくなってきてはいたのですが、串間市に来た時にはどっぷり曇り。
そして次の日の予報は・・・、我が旅恒例のアレに取り憑かれてしまうのでした。
(658)宮崎県串間市役所→
昭和29(1954)年に1町と4村が合併してできた市。
由来は中世にここは島津荘櫛間院と呼ばれたらしく、今の「串間」はその当て字、市中心部一帯は合併前の福島町であって、それは「くしま」が転訛したとの事。
ただ、串間地名の由来のは他にも諸説あるようです。
「宮崎県の最南端 咲かせよう 希望と夢ある 串間の未来」とは串間市のキャッチフレーズですが、ここもご多分に漏れず人口はどんどん減っていって、今では18,000人ほど。
最近でも某新聞に「書店ゼロの自治体」として紹介されていましたし・・・。
産業は柑橘類、熱帯果樹、野菜の栽培や漁業で、中でも食用寿甘藷と完熟きんかんは日本一。
観光面はそれなりに見所はあるものの、日南海岸の観光地としては何となく存在感の薄い印象。
そんな中、一番の観光地は都井(とい)岬で馬が有名。
↓一応おサルさんも串間観光の一翼を担っていたりするのですが、それについては次回にて。
JR日南線・串間駅前→
↓閑散とした駅構内。
数分前に上り列車が行っちゃいましたからねえ。
↓観光案内所に使われているレトロな広島電鉄の路面電車。
街中に人を呼ぼうと譲り受けたもののようで、その甲斐あって(ちょうどお昼時のせいか、列車の発着があったせいかも分からんけど)、駅前にはそこそこ人の姿は見受けられたのですが・・・。
100mも離れると、→
寂しい商店街が軒を連ねています。
キャッチフレーズ通りの未来を迎えるにはかなり厳しそうな現状。
市街地には特段見るべきものもなさそうだったので、さっさと国道448号線を市街地から南東方向に走らせ都井岬へ。
ここ「駒止の門」で¥400取られます→
↓天然記念物・御崎馬はちらほら見ましたが、それは後回しにしてまずは岬にある灯台へ。
初点灯は昭和4(1929)12月22日、九州で唯一の中に入れる灯台。
中の上の方はこんな感じ→
↓海抜255mの崖断に聳える灯台。
曇っていて景色はよくないし風は強いしで、せっかく来たのにな、って感じ。
でも切符売り場(入場料¥200)のおばちゃんによれば、前日(5月1日)は風が強くて灯台は閉鎖されていたのだという。
晴れだったはずの前日、そういうこともあるんですな。
そういう意味では私はツイているんだろうか?
灯台を終えたらあとは見るのは馬。
ここにいる馬は御崎馬と呼ばれる日本在来馬で天然記念物。
江戸時代、高鍋藩は日向中の馬をかき集め、串間に7カ所の藩営牧場を作り、軍馬や農耕馬の生産に励んだのですが、その7カ所のうちの一つが都井岬の牧場。
しかも牧場と言ってもほとんど放し飼いにされていたので、野生の状態をよく残しているのだという。
駐車場にいた親子馬→
4~5月が出産のピークだそう。
灯台に行く途中、大勢の人がたむろしていた場所に向かう。
きっとそこには馬がいっぱい見られるんだろうと思って。
まだいてくれました→
↓体は130cm前後、体重は300kg前後と、サラブレッドよりは小さめですが、それ以外は見た目まさにサラブレッド。
観光客が連れてきたイヌも急遽飛び入り→
正直、馬は草を食んでばかりで面白くない。
何か見せ場はないか・・・。
↓と、思っていたらやおら一頭が道路を横断、崖を登る。
見守る他の馬たち。
が、すぐにそそくさと降りてくる→
上で何をしていたかと言うと、他の一頭と闘っていたのだ。
噛みついたり、後ろ脚で蹴りあったり。
御崎馬は(羨ましい事に)ハーレムを作って生活する種で、どうやらこの一頭はメスを奪いに殴り込みに行った模様。
が、しかし一瞬で轟沈。
メス達に慰められているかのご様子→
馬の世界でも優しいのお、女性は。
実は馬が崖に登っているところを動画で撮っていたのですが、上で果し合いをするなどと夢にも思わず、途中で動画撮影を止めてしまっていたのです。
せっかくの絶好の場面を・・・何たるこった_| ̄|○。
カッコしてあるのはこれまで行った所→