平成29(2017)年5月3日(水祝)
前編でお話ししましたこの3連休の伊勢・伊賀行き。
やっぱり嵐の中へ突っ込むのは無謀すぎるとして、無難に10月の3連休にずらしました。
偶然ですが、同じく連休中に伊勢・紀伊半島に行く予定の知り合いがいまして・・・。
大荒れになる予報が出ていながらも絶対に止めないようで、その理由を聞くとナント「俺は晴れ男だから何とかなると思っている」とのたまわった!イヤミか・・・。
その知り合い、今回はどう転ぶか分かりませんが、羨ましすぎ「晴れ男」。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
↓日南駅前に像がありましたが、日本人としては「記録上」初めて欧州諸国に行った天正遣欧少年使節団の伊東マンショの誕生地、西都市へ。
わざわざ「記録上」としているのは、日本名は不明だけど「ベルナルド」なる洗礼名の日本人が既にいたから。
知らなかったなあ。てっきり天正遣欧少年使節団の彼らが最初だと思っていたので。
それと、埴輪があるので察しがつくと思いますが、国の特別史跡・西都原(さいとばる)古墳群のある都市でもあります。
市街地に入る前に鹿野田(かのだ)神社へ→
見た目フツーの神社。
ですが、海から10数km離れたこの地に、何故か海水が湧いている井戸があるというのを聞きつけてやってきた次第。
↓「潮満玉(しおみつたま)の泉」がそれ(上の写真の鳥居左の小屋の中)。
潮の干満に合わせて水位も上がったり下がったりする井戸。
自然というのは本当に摩訶不思議な事をやってのけるものです。
¥100払って飲んでみました。
が、しょっぱっ(当然ですが)、しかもうまくない・・・。
ただ、飲んでも風呂にしてもいろいろな効能があるのいうありがたいお水だそうな。
手羽先の小骨で調子悪くなった腹にちょうどいいかも(笑)。
(662)宮崎県西都市役所→
市役所庁舎は奥の建物。
人口3万人ほどで、農林業以外にこれといった産業はないようで、あとは観光業くらいか。
ただ、古墳群があるとおり歴史は古く、かつては日向国の国府があった地。
↓市役所が置かれている西都市の中心地区は、こういう地名。
愛妻家が多い?、それとも上州のような「かかあ天下」の土地柄?
かと思いきやそうではなく、由来については後程。
Wikipediaを見ていたら西都市出身者に、そう言えばそういう歌手がいたなあと懐かしく思った「0930(おくさま)」という二人組がいました。
てっきり妻が由来かと思ったら、意表を突いた「女性用カツラの問い合わせフリーダイヤル末尾4桁」。
↓妻の市街地。
↓昭和59(1984)年に廃止された国鉄妻線の妻駅があった場所。
妻線は「廃止時の協定により、将来の復活に備えて、ほぼ全線にわたり路盤が撤去されずに残され、自転車歩行者専用道路として利用されていた(Wikipedia)」路線。
その自転車歩行者専用道路→
今となっては復活の可能性ゼロもないでしょうな。
都萬(つま)神社→
邇邇芸命(ににぎのみこと)の妻である木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀っていて、まさに妻の由来になり、続日本後記には承和4(837)年に既に登場しているという由緒ある神様。
ここで邇邇芸命と木花開耶姫命は、日本で最初に月下氷人を立てた結婚式を挙げたとされているので、縁結びの神様とされているようです。
↓「千年楠の洞洞木(どうどうぼく)」と「日本清酒発祥の地」の木碑。
願い事を唱えながら丸い輪っかを潜ると、その願いを通してくれるという。
私は特に願い事がなかったので潜りませんでした。
↓寧ろ、縁結びの願掛けに来たらしき女性2人組を前に、恥ずかしかったというのが正しい・・・。
「日本清酒発祥の地」というのは、木花開耶姫命が3人の皇子を育てるのにお乳の代わりに甘酒を与えたという伝承から。
「清酒発祥」って事は、つまりは息子に酒粕の甘酒で育てたというのかい?
さぞかし乳児のうちから相当に鍛えられて、大きくなったらきっと飲みニケーション三昧だな・・・。
酷すぎる。
ここは米麹の甘酒で育てたと思いたい。
都萬神社の境内に流れる川の水が乳白色で見応えあり→
まさか木花開耶姫命は甘酒と称してこの水を与えていた、ってことはないよな。
↓市役所の西は小高い丘になっており、そこに「風土記の丘」第1号・西都原古墳群があります。
その丘が西都原と呼ばれ、東西2.6km、南北4.2kmにわたり3世紀~7世紀にかけて造ったとされる300基余りの古墳が点在してます。
↓鬼の窟(いわや)
周囲を土塁に囲まれた円墳としては国内唯一で、中にも入れます。
何もなかったけど・・・。
土塁の上から→
↓この奥には、邇邇芸命陵とされる「男挟穂塚(おさほづか)」と、木花開耶姫命陵の女挟穂塚(めさほづか)があります。
共に宮内庁によって管理されているので入れず、特別史跡「西都原古墳群」の指定範囲外。
因みに男挟穂塚は帆立貝型古墳としては国内最大だとか。
このはな館→
古墳群観光の拠点となる施設。無料でチャリが借りられます。
木城町(きじょうちょう)へ向かう途中→
それまで時折ポツポツ降ってはいたのですが、本格的な土砂降りに。
カッコしてあるのはこれまで行った所→
前編でお話ししましたこの3連休の伊勢・伊賀行き。
やっぱり嵐の中へ突っ込むのは無謀すぎるとして、無難に10月の3連休にずらしました。
偶然ですが、同じく連休中に伊勢・紀伊半島に行く予定の知り合いがいまして・・・。
大荒れになる予報が出ていながらも絶対に止めないようで、その理由を聞くとナント「俺は晴れ男だから何とかなると思っている」とのたまわった!イヤミか・・・。
その知り合い、今回はどう転ぶか分かりませんが、羨ましすぎ「晴れ男」。
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↓日南駅前に像がありましたが、日本人としては「記録上」初めて欧州諸国に行った天正遣欧少年使節団の伊東マンショの誕生地、西都市へ。
わざわざ「記録上」としているのは、日本名は不明だけど「ベルナルド」なる洗礼名の日本人が既にいたから。
知らなかったなあ。てっきり天正遣欧少年使節団の彼らが最初だと思っていたので。
それと、埴輪があるので察しがつくと思いますが、国の特別史跡・西都原(さいとばる)古墳群のある都市でもあります。
市街地に入る前に鹿野田(かのだ)神社へ→
見た目フツーの神社。
ですが、海から10数km離れたこの地に、何故か海水が湧いている井戸があるというのを聞きつけてやってきた次第。
↓「潮満玉(しおみつたま)の泉」がそれ(上の写真の鳥居左の小屋の中)。
潮の干満に合わせて水位も上がったり下がったりする井戸。
自然というのは本当に摩訶不思議な事をやってのけるものです。
¥100払って飲んでみました。
が、しょっぱっ(当然ですが)、しかもうまくない・・・。
ただ、飲んでも風呂にしてもいろいろな効能があるのいうありがたいお水だそうな。
手羽先の小骨で調子悪くなった腹にちょうどいいかも(笑)。
(662)宮崎県西都市役所→
市役所庁舎は奥の建物。
人口3万人ほどで、農林業以外にこれといった産業はないようで、あとは観光業くらいか。
ただ、古墳群があるとおり歴史は古く、かつては日向国の国府があった地。
↓市役所が置かれている西都市の中心地区は、こういう地名。
愛妻家が多い?、それとも上州のような「かかあ天下」の土地柄?
かと思いきやそうではなく、由来については後程。
Wikipediaを見ていたら西都市出身者に、そう言えばそういう歌手がいたなあと懐かしく思った「0930(おくさま)」という二人組がいました。
てっきり妻が由来かと思ったら、意表を突いた「女性用カツラの問い合わせフリーダイヤル末尾4桁」。
↓妻の市街地。
↓昭和59(1984)年に廃止された国鉄妻線の妻駅があった場所。
妻線は「廃止時の協定により、将来の復活に備えて、ほぼ全線にわたり路盤が撤去されずに残され、自転車歩行者専用道路として利用されていた(Wikipedia)」路線。
その自転車歩行者専用道路→
今となっては復活の可能性ゼロもないでしょうな。
都萬(つま)神社→
邇邇芸命(ににぎのみこと)の妻である木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀っていて、まさに妻の由来になり、続日本後記には承和4(837)年に既に登場しているという由緒ある神様。
ここで邇邇芸命と木花開耶姫命は、日本で最初に月下氷人を立てた結婚式を挙げたとされているので、縁結びの神様とされているようです。
↓「千年楠の洞洞木(どうどうぼく)」と「日本清酒発祥の地」の木碑。
願い事を唱えながら丸い輪っかを潜ると、その願いを通してくれるという。
私は特に願い事がなかったので潜りませんでした。
↓寧ろ、縁結びの願掛けに来たらしき女性2人組を前に、恥ずかしかったというのが正しい・・・。
「日本清酒発祥の地」というのは、木花開耶姫命が3人の皇子を育てるのにお乳の代わりに甘酒を与えたという伝承から。
「清酒発祥」って事は、つまりは息子に酒粕の甘酒で育てたというのかい?
さぞかし乳児のうちから相当に鍛えられて、大きくなったらきっと飲みニケーション三昧だな・・・。
酷すぎる。
ここは米麹の甘酒で育てたと思いたい。
都萬神社の境内に流れる川の水が乳白色で見応えあり→
↓市役所の西は小高い丘になっており、そこに「風土記の丘」第1号・西都原古墳群があります。
その丘が西都原と呼ばれ、東西2.6km、南北4.2kmにわたり3世紀~7世紀にかけて造ったとされる300基余りの古墳が点在してます。
↓鬼の窟(いわや)
周囲を土塁に囲まれた円墳としては国内唯一で、中にも入れます。
何もなかったけど・・・。
土塁の上から→
↓この奥には、邇邇芸命陵とされる「男挟穂塚(おさほづか)」と、木花開耶姫命陵の女挟穂塚(めさほづか)があります。
共に宮内庁によって管理されているので入れず、特別史跡「西都原古墳群」の指定範囲外。
因みに男挟穂塚は帆立貝型古墳としては国内最大だとか。
このはな館→
古墳群観光の拠点となる施設。無料でチャリが借りられます。
木城町(きじょうちょう)へ向かう途中→
それまで時折ポツポツ降ってはいたのですが、本格的な土砂降りに。
カッコしてあるのはこれまで行った所→