華語り

心に華を!!

高岡万葉だより

2005-09-19 10:09:22 | 道々之記

高岡古城公園の堀

高岡は加賀藩2代藩主前田利長が隠居所として高岡城を築いたことに始まる城下町です。
高岡城は築城の名手とも言われた高山右近によって縄張りされ、平城としてはかなり堅固なつくりでした。大坂の陣の後廃城となりましたが、水濠や土塁は残され、現在は古城公園として市民の憩いの場になっています。

利長がこの地に築城する以前、約900年前、この地には越中の国府が置かれ、大伴家持が国守として赴任していました。
高岡は城下町であると同時に万葉の町でもあります。 (2004年10月3日撮影)

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◆越中国守館跡

碑だけしか残っていませんが・・・

 

◆勝興寺

この寺は、上の「越中国守館址」の碑から数十メートル先にあります。
かつてこの寺の境内に越中の国庁があったといわれています。

戦国時代には一向一揆の拠点ともなったお寺。土塁の跡が残っています。

 

◆二上山

山の西側から撮影したもの。
二上山といって思い出すのは、悲劇の皇子、大津皇子が葬られているといわれている大和の二上山。「二上山を弟背(いろせ)と我が見ん」と歌った大伯皇女の歌は有名です。

この山を見て、家持は故郷大和を思い出していたのでしょうか。

この山には前田利長が居城した守山城跡もあります。 (2003年撮影)

 

【二上山に立つ大伴家持像】

大伴家持は越中国守として5年間、国府の置かれていた現高岡市伏木に滞在しました。
その間詠んだ歌の多くは『万葉集』に載録されています。
二上山には万葉ラインというドライブルートがあり、その途中にこの像は立っています。

 

◆おまけ

高岡といえば、やっぱりこの人を載せないわけにはいきません。(^_^;)
というわけで、高岡古城公園内にある前田利長の像です。


苔玉

2005-09-18 13:43:33 | 造園日記2005年

森林組合センターという、花や苗木を販売しているところで苔玉作りの講習があったので、行ってきました。朝10時から先着10名ということで、ウチからは車で5分くらいのところにあって、市街地からも少し外れているし、そんなに人も来ないだろうとは思いましたが、それでも30分ほど前に行って予約。
私が予約したのは2番手でしたが、私より前のご夫婦は、白山市からはるばる来ていらっしゃいました。

(1)まず、植木鉢の底に敷くようなネット(約4~5センチ四方くらいの)に対角線に細い針金を通します。
(2)その上に粘土状の土(ケト土とかっていってたかな?)を平らに敷いて土台にします。
(3)土の上に観葉植物を載せ、ネットに通した針金で、植物の根を固定します。
(4)さらに先ほど土台にした土を根の回りにかぶせ、形を整えます。
(5)土からはみ出たネットを切り、土の回りを苔で覆って出来上がり。

10~15分くらいで完成。観葉植物は1本だけでもいいのですが、2本組み合わせて作ってみました。
意外に簡単に作れます。


初夏の信濃路(渋温泉)

2005-09-18 13:27:37 | 道々之記

2003年GW、信州渋温泉に行ってきました。(2003年5月撮影)

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【温泉寺】

屋根に「武田菱」が掲げられています。

 

温泉寺に対し、寺領を安堵するという信玄の安堵状。
後ろは信玄竈風呂。蒸し風呂らしいですが、休みで入れませんでした。

 

【渋温泉】

温泉巡り

ここ、渋温泉の楽しみ方の一つに一番湯から結願湯までの9つの浴場(外湯)を廻る浴場めぐりがあります。
9つの浴場を巡ることで九(苦)労を流し、薬師如来のご利益にあやかろうということで、いつのころからか浴場めぐりが行われるようになったそうです。
右の手ぬぐいは、入った浴場で授印するためのもので、温泉街のお土産やさんで売っています。

 

こんな旅館も・・・

渋温泉の旅館の一つ
宿泊した旅館ではありませんが、「千と千尋」の世界を思わせるようなノスタルジックな温泉旅館 です。

今気がついたのですが、春なのに紅葉したもみじ?でしょうか。
もともと紅い楓なのでしょうか・・・?

 

【地獄谷野猿公苑】

渋温泉より車で10分ほどのところにある地獄谷野猿公苑
こちらはサルの専用温泉の遠景。2,3匹のサルが温泉に入っているのがおわかりいただけるでしょうか。

 

こざる

 

温泉に入っているサル


川中島・松代

2005-09-18 12:57:07 | 道々之記

2004年8月26日、長野市は松代の真田宝物館、及び川中島の市立博物館で開催されていた企画展「川中島合戦~いくさ・こころえ・祈り~」を見に、プチオフを行ないました。その時についでに(?)寄ってきた場所です。            (2004年8月26日撮影)

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◆海津城(松代城)跡(長野市松代町)

海津城は武田信玄と上杉謙信との川中島合戦のおり、武田方の城として山本勘助が縄張りをした城。

その後、城の主は変わり、江戸時代に真田信之が上田城から転封され、江戸期を通じて真田氏の居城となった。名称もそれに伴って「松代城」と変わった。

写真は2004年に復元されたばかりの海津城の本丸の門。

 

◆長国寺(長野市松代)

松代城下の東にある長国寺は真田氏の菩提寺。
本堂の屋根に堂々と鎮座している鯱は、かつて松代城の屋根にあったものだそうです。

【真田信之の御廟】

真田信之は松代藩の初代で、真田昌幸の長男。関ヶ原の戦いの時、真田家は父昌幸と弟信繁(幸村)が西軍に、信之は東軍について戦った。

万治元年(1658)信之は93歳の天寿を全うすると、その徳を偲んで写真の御霊屋(みたまや)が造られた。

【御廟の彫刻】

 

【真田信之墓所】

御廟の奥を行くと歴代藩主の墓所がある。一番奥に初代信之の墓所がある。

【真田幸村・大助供養塔】

幸村(信繁)大阪の陣では豊臣方について奮戦したが、夏の陣で子大助とともに壮絶な死を遂げた。

 

◆川中島古戦場

川中島古戦場跡にある、上杉謙信と武田信玄の一騎打ちの像です。


紫小町

2005-09-15 10:51:11 | 造園日記2005年

昨日までの陽射しとは一転して、今日はずいぶんと秋らしいやわらかな陽射しになりました。
真夏の生暖かい風もどこかへ行き、心地よい風が吹いています。

9月も中旬。次第に過ごしやすい季節になります。
これで長雨さえなければ最高なんですが・・・

写真はセローシア紫小町というケイトウの仲間です。
猫のしっぽのような花がなんとも愛らしく、これからの季節、どこか温もってきそうな雰囲気を持った花です。

 


近江・若狭路

2005-09-15 10:33:37 | 道々之記

2004年のGWには、近江、若狭方面に行ってきました。
相変わらずマニアックな史跡めぐりです(^_^;)
賤ヶ岳→小谷城跡→姉川・・・と進んでいって、ふと時間を逆行していることに気付く(笑)
                               (2004年5月撮影)

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◆賤ヶ岳古戦場跡(頂上)

賤ヶ岳頂上に建つ碑。
頂上までは遊歩道が整備されていますが、リフトで登ることもできます。(もちろんリフトで登りました(^^;))

 

リフトの降り場から頂上に向かう途中にある、賤ヶ岳合戦戦没者を祀った祠

 

◆余呉湖

賤ヶ岳頂上から余呉湖を望む。
頂上からはとても眺めがよかったです。お天気もよかったせいか、お弁当持参でハイキングに来ている人が大勢いました 。

当たり一帯がかつて戦場になったとは思えないような静かな湖のたたずまいでした。

 

◆小谷城跡

読み取りにくいですが「小谷城址」の碑。
この碑の少し先に本丸跡があります。
小谷城は浅井長政の居城。天正元年(1573)、織田信長の軍によって攻められ、城は落城しました。

 

浅井長政が自刃した赤尾屋敷(を示す標識)
信長の軍に攻められた長政は、赤尾屋敷で自刃。29歳でした。信長の妹で長政に嫁いでいたお市の方は3人の娘とともに信長の下へ行きました。

 

◆小谷寺

小谷城址のふもとにある小谷寺。
浅井家の祈願寺であったが、小谷城落城とともに滅亡、後に秀吉が再興したそうです。
本尊は如意輪観音ですが、そのお姿は太秦広隆寺や斑鳩中宮寺の弥勒菩薩を思わせるような優美な半伽思惟像です。(この像は寺宝のため、撮影させてもらええませんでした。)
茶々が、父長政の供養のために奉納したという長政の木像や、お市の念持仏であった愛染明王<なども安置されています。

 

小谷寺に安置されているお市の方の持念仏と伝えられる愛染明王像

 

◆姉川古戦場跡

「古戦場」の碑が建つ場所から姉川を望む。
元亀元年(1570)織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が姉川を挟んで対峙しました。激闘の末、浅井・朝倉軍は敗走し、織田軍の勝利に終わりました。
手前に浅井・朝倉軍が、川の向こうに織田軍が、それぞれ布陣したそうです。

川の水が紅く染まるほどの激戦地だったようですが、川は過去の戦のことなど微塵も感じさせずに、穏やかに流れていました。

 

◆石田三成出生地(滋賀県長浜市石田町)

八幡神社裏手にある三成および一族の供養塔
八幡神社は石田氏の氏神だったということです。

かつて土で覆われていたあたり一帯を掘り起こしてみると、これらの供養塔が出てきたそうです。

 

三成出生地(屋敷跡)にある三成の像。現在「石田会館」があり、三成関係の資料が展示されています。

 

◆関ヶ原

【笹尾山 石田三成陣跡】

 

笹尾山は石田三成が陣を敷いたところ。
「大一大万大吉」の軍旗がはためいていました。

 

【桃配山 徳川家康陣跡から笹尾山を望む】

桃配山は関が原の合戦の時、徳川家康が陣を敷いたところ。
その昔、壬申の乱の折、この山で、大海人皇子が自ら兵士たちに桃を配って士気を高めたという故事があります。 その大海人皇子の故事にあやかって、家康もこの地に布陣したのでしょう。

三成が陣を敷く笹尾山は目と鼻の先(矢印で示したあたり)。お互いに丸見えだったんですね。

 

そして、このような看板を発見↓

家康、リムジンか何かで乗りつけるのだろうか(爆)

 

◆野上行宮跡推定地

関ヶ原に行ったら1600年の古戦場とは別に、是非行きたいと思っていたところ。

壬申の乱(672年)における大海人皇子の野上行宮跡(推定地)。桃配山から1キロ弱大垣方面よりにあります。(斑女観音堂裏手)
関ヶ原は2度にわたって天下分け目の戦いの舞台ともなったところです。

 

◆城山公園(福井県高浜町)

高浜城は若狭守護武田氏の臣逸見氏の居城であったが、現在は公園になっています。
海岸浸食によってできた奇岩(八穴の奇勝)が有名。写真はそのひとつ、明鏡洞(めいきょうどう)。ぽっかりと丸く開いた穴が確認できるでしょうか。季節柄、こいのぼりが泳いでいました。

 

◆天橋立

天橋立の海岸の様子

羽衣伝説で、天女が羽衣をかけたと伝えられる松。枝振りが見事でした。

 

【桜山の由来】

「桜山」の麓で偶然見つけた由来書。天正8年宮津に移った細川藤孝が、吉野山の桜を植えたことで「桜山」と呼ばれるようになったのだそうです。

そのかみに契りそめつる神代まで
かけてぞ思ふ天の橋立

という彼のの歌が記されています。

 

☆細川藤孝(1534~1610)
天正元年(1573)織田信長の家臣になった藤孝は天正8年、丹後を与えられ、宮津に城を構えた。
本能寺の変後、剃髪し「幽斎」と名乗る。
当代一流の文化人で、特に和歌をよくした。

 

◆三方五湖(福井県)

展望台から見た三方五湖。
夕刻で空も曇っていたので、写真写りがあまりよくありませんが・・・


コーヒーブレイク

2005-09-13 11:07:36 | 造園日記2005年

お引越しをしています。ブログの、です。
とりあえず、1年分の造園日記と花だより関係を引っ越したところで一般公開へとこぎつけました。いや、その前に、gooではすでに公開されていたんですけどね。

あと、旅行記の数々が手付かずのままで前のブログにおいてあるので、あれをどう整理しようか思案中。イベント関係だけ移して、力尽きました。(笑)

写真は我が家のペンタス。花の時期が長いので、本来ならもう少し早くから植えていたらよかったのかもしれませんが、イソトマとかの夏の花が頑張っていたので、8月の末に植えつけました。
寄せ植えに使うとよさそうです。


百万石まつり(2005年)

2005-09-13 10:45:27 | まつり・イベント

金沢百万石まつりは天正11年(1583)、前田利家が金沢城に入城したことを記念して毎年6月第2週の週末に行なわれています。(利家の金沢入城は旧暦の4月26日。現在の暦では6月14日にあたる。)こちらは、2005年の百万石まつりの様子です。

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【尾山神社神輿】

尾山神社は前田利家をお祭している神社。

 

【珠姫】

珠姫は2代将軍徳川秀忠の娘で、利常の妻になった方です。
2代藩主利長は、秀忠の娘を養嗣子の利常の妻に迎えることを条件に母芳春院(おまつ)を徳川の人質として差し出しました。
珠姫が輿入れしたのは彼女が3歳の時。夫の利常は9歳でした。徳川家と前田家の橋渡し役として、珠姫の果たした役割は大きなものがありました。
利常との間には、後に4代藩主となる光高はじめ、3男5女を儲けますが、25歳の若さで亡くなりました。

 

【おまつの方】

利家の妻のおまつの方の輿。

 

【前田利常】

前田利常は利家の4男で加賀藩の第3代藩主。

「鼻毛の殿様」の逸話は有名ですが、加賀藩の藩政の基礎を築いた人で、なかなかの名君でありました。

 

【前田利家】

今年の前田利家役は、赤井英和さん。

 

前田利家について「又左の槍」

 

 


越前時代行列(ふくい春まつり/2005年4月)

2005-09-13 10:22:21 | まつり・イベント

2005年4月に行なわれた「ふくい春まつり」から、メインイベントの時代行列です。

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実は今回福井に行ったのは、市内で行なわれていた「ふくい春まつり」のイベントのひとつ「越前時代行列」を見るのが目的だったりします。
新田義貞、朝倉義景、浅井長政、結城秀康、松平春嶽ら、越前に関わりのある人々に市民の人達が扮して市内を練り歩く、というイベント。これに、柴田勝家役で俳優の藤岡弘さんが参加。以前、金沢の百万石まつりでも、藤岡さんは前田利家役で参加されたことがありましたが、精悍で凛々しい武者ぶりでした。

(2005/04/11 記)


高岡万葉まつり(2004年10月)

2005-09-13 10:15:44 | まつり・イベント

10月1日から3日まで、富山県高岡市の高岡古城公園で「万葉まつり」が行なわれ、最終日の3日に行ってきました。このお祭りのメインイベントは、万葉集20巻4516首全ての歌を朗唱する「朗唱の会」。連続3昼夜に渡ってリレー方式で歌い継いでいくのだそうです。(2004年10月3日撮影)

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水上に浮かんだ特設の舞台で、華やかな万葉の衣装を身にまとった人たちが、朗々と歌を読み上げていきます。

私が行った時には、四千百番台の歌を読み上げていました。