10月19日 天気快晴
旅館をチェックアウトしたあと、東京組は駅へ、長野・金沢組は私の思惑と母の希望もあって、兼続・景勝ゆかりの地めぐりへ。
来た道を再び戻り、南魚沼の龍澤寺へ。
龍澤寺の門前は、車が一台通れるくらいの道ですが、「樺沢城跡」の碑が建ち、一角が駐車スペースになっています。樺沢城は上杉景勝が生まれたとされるお城です。城跡めぐりは今回は割愛。
こじんまりとしたお寺ですが、どっしりとした山門からは歴史の深さが感じられます。
入口には「仙桃院お花畑跡」の碑が建っています。かつて、色とりどりの花で飾られていたのでしょう。
臨済宗のこのお寺には、上杉家ゆかりの品々が残されています。
このお寺のご本尊は智慧の仏である文殊菩薩。文殊菩薩は卯年生まれの守護仏ということで、卯年生まれの景勝のために、母仙桃院が奉納したという文殊菩薩(あやの文殊)が安置されています。小型の厨子に入った菩薩様ですが、母の温かい愛情が伝わってくるような仏様でした。
(これ、『風林火山』で紹介されたらしいですが、ちょっと覚えていません。来年再登場するでしょうか・・・)
このほかにも、謙信がこのお寺に送った朱印状(朱印が使われていることから、このお寺が重要な拠点であったということでしょうね)や、景勝の正室菊姫の薙刀、長尾政景夫妻の画像など、ちょっと嬉しいお宝を拝見することができました。
庭の片隅に「上杉景勝公生誕の地」の碑が建っています。
さて、再び六日町方面へ向かう。
景勝・兼続が幼少期を過ごしたとされる雲洞庵へ。
駐車場も結構広く、大型バスも何台か止まっていました。
杉木立に囲まれた境内は、禅寺らしい荘厳な雰囲気が漂っています。
赤門(下の中央の写真)は、勅許で建てられたもので、かつては特別な時以外は開けられなかったそうですが、ありがたいことに現在は普通に通ることができます。
この赤門から本堂へ続く参道に敷き詰められた石畳には法華経が一石一字ずつ刻まれていて、それを踏んで歩くことで法華経のご利益があるといわれています。昔から越後では「雲洞庵の土踏んだか」といわれ、大変信仰されたそうです。
ここの宝物殿はかなり見ごたえがありました。
兼続関係はそう多くはありませんが、兼続が「山城守」を叙任した後にこの寺の門前に掲げられられたという禁制の制札が残されています。本物は、字が消えてしまってかすかにその字の跡を辿ることができるくらいですが、写しが展示されていました。筆跡はもちろん兼続のものではありませんが、彼の息吹きを感じるに十分でした。
本堂の裏手に宇佐美定満のお墓があるらしいのですが、そちらへは行かれないようになっていました。
途中のお土産やさんで、こんな自販機も↓
雲洞庵を出たあと、近くのお食事処で昼食。田んぼの中の一軒家というロケーションのお食事処で岩魚定食をいただきました。岩魚を焼くのに時間がかかったらしく、ずいぶん待たされましたが、いいお味でした。
特にご飯は絶品。さすが南魚沼ですね。
お昼を食べたあと、山道を十日町へ向かう。
十日町で長野組はR117へ、私たちはR253で上越へ。
途中山中に「天地人」の旗を発見。兼続の父樋口兼豊がいた直峰城でした。
こちらも車の窓から見ただけで素通り。かつて上杉軍道が通っていたのはあのあたりだったのでしょうか。
時間がもう少し早かったら、春日山城によりたかったのですが、日没も近く、今回はあきらめ、おとなしく上越ICから高速に乗り帰路につきました。