華語り

心に華を!!

はじめに(管理人から)

2005-09-12 11:34:25 | はじめに(読んでね)


某所でブログをはじめて約1年。一身上の都合により(笑)、こちらにお引越しさせていただきました。

当ブログでは、自宅で育てている花や、近所で見つけた花、外出先で出会った花たちを中心にご紹介しています。

何か感じるところがございましたら、一筆コメントを残していただけると幸いです。

管理人:よーぜん

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歴史に興味のある方は、本宅にもお立ち寄り下さい。
戦国時代の武将・直江兼続のサイトです
春雁抄

 

 


北海道から帰還しました

2005-09-12 11:12:37 | 花だより

8月8日に新潟からフェリーに乗り、翌9日早朝、小樽に上陸。

小樽に住む夫と合流して北海道を廻ってきました。

今回は化石マニア(笑)の長男の好みに合わせて、夕張や三笠、足寄の博物館を巡ったり、先ごろ世界遺産に指定された知床や、野付半島、根室、十勝を廻って帰ってきました。
走行距離にして約1500~1600キロ。

 本州、特に北陸は梅雨のような天候が続いていたみたいですが、北海道はお天気もよく、とても快適でした。

 写真は知床五湖へ向かう途中に遭遇したキタキツネ。人なれしているのか、車が近づいても全く逃げる気配なし。

 写真の整理が追いつかなくて、とりあえず1枚だけアップしました。

(2005/08/16)

 


2005-09-12 11:09:25 | 花だより

 

暑中お見舞い申し上げます

毎日暑い日が続いています。暑い暑いといっても始まらないので、
涼しげな画像をアップしてみることにしました。
これは金沢市の本多の森公園内にある辰巳用水の滝。
県立図書館の裏手から県立美術館へ登る階段の脇を流れています。

(2005/07/28)

 


あやめ(兼六園)

2005-09-12 11:05:42 | 花だより

昨日は「百万石まつり」でした。

 天正11年(1583)、能登に加え、加賀の石川・河北2郡を加増された前田利家は金沢城に入城しますが、入城した日が旧暦の4月28日。現在の暦では、この時期にあたるというので、それにちなんで毎年この時期に開催されているお祭です。

メインのパレードの様子を「フォト」に掲載しましたので、ご覧下さい。

 朝から雨で開催が心配されましたが、パレードが行なわれる頃は少し小降りになり、振ったりやんだりのあいにくのお天気でした。

 写真は兼六園のあやめ。

(2005/06/12)


著莪(シャガ) (七尾市 山の寺寺院群瞑想の道)

2005-09-12 10:58:56 | 花だより

石川県七尾市の北方に「山の寺寺院群瞑想の道」というスポットがあります。

天正9年(1581)、能登一国を与えられた前田利家は七尾城に入りますが、翌年小丸山城を築城します。このときに奥能登からの防衛陣地として、真宗以外の29ヶ寺を城の西北に集めたのが、「山の寺寺院群」の始まりです。有事の時には城を出て、寺院に立てこもって防衛する機能を備えていました。

 現在は16ヶ寺が残されており、その寺々を結ぶ散策路として「瞑想の道」というのが整備されています。

晴れた日に木漏れ日の中を散策するのはとても気持ちがいいものです。

 その「瞑想の道」に、著莪の花がたくさん咲いていました。

アヤメ科の花なので、葉っぱはあやめに似ていますが、花は藤色で、ちょっとレースが入ったような形態が、華やかな印象です。

(2005/05/09)


八重桜(倶利伽羅峠)

2005-09-12 10:55:20 | 花だより
はなに花なびきかさねて八重桜しづえをわきてにほふ比かな(後花園院)

木曽義仲軍と平維盛率いる平家軍との戦いで有名な倶利伽羅峠の八重桜です。

連休中は倶利伽羅不動尊付近一帯で「八重桜まつり」が開催されていました。お天気にも恵まれ、狭い峠道、結構な人手でした。

源平の合戦では、平家方を中心に、たくさんの犠牲者が出ました。戦の習いで仕方のないことではありますが、せめて八重桜が、彼らの供養になりますことをそっと願わずにいられません。

 

【歌について】

後花園院(1419~1470)は、伏見宮貞成親王の第一皇子で、正長元年(1428)後小松天皇の猶子となり、10歳で践祚しました。後花園院御集』『後花園院御文庫類』などがあり、多くの歌を残しています。

花に花が靡き重なって、下の枝がとりわけ色鮮やかに美しく咲いている八重桜であるよ。

 八重の桜はとても華やかです。花の重みで枝がしなって、下の方が色が濃く見える、そんな風に咲いているさまを詠んだ歌です。こぼれんばかりの八重桜の咲き誇る様を見事にとらえて歌い上げています。

(2005/05/06)


山吹(石川県七尾市 七尾城址)

2005-09-12 10:51:33 | 花だより

山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく
                  
  (『万葉集』巻二)

石川県七尾市の七尾城址に咲いていた山吹。
新緑の中にあって、ひときわ鮮やかな色彩を放っていた山吹の花です。

 七尾城址は私のお気に入りのお城のひとつ。

お城というと、天守閣があって、それに付随する建物があって・・・ということを想像する方もいらっしゃるかもしれませんが、(たぶんそういう方の方が多いのでしょうが)多くの山城がそうであるように、七尾城址も建物はなにもありません。あるのは石垣と土塁。

その石垣が見事なんです。廃城となって400年以上たっていますが、石垣や土塁は当時の姿をとどめています。その姿に、惚れ惚れと見入ってしまう・・・(^_^;)

 ・・・話題は山吹でしたね。

山吹というと、私が真っ先に思い出すのは冒頭の歌。『万葉集』に載っている歌で、十市皇女が亡くなったときに、彼女を慕う高市皇子が作ったという歌です。 

十市皇女も高市皇子も共に天武天皇の子。ただし母親が違っていて、十市皇女の母は額田王。父方から見ると、二人は兄弟ですが、母が違えば他人同様だったので、たとえひかれ合ってもタブーではなかったのです。(同母兄弟の恋はご法度でしたが…)

十市皇女は、天智天皇の皇子である大友皇子に嫁ぎましたが、高市皇子は、彼女のことをずっと慕っていたといいます。

678年、十市皇女は「卒然(にわか)に」病を得て亡くなりました。

思い人の死に直面して、高市皇子の悲しみはいかばかりだったでしょう。

 山吹の咲き乱れている山の清水に行きたいと思うけれども、道がわからないことだ・・・

 山吹の「黄」色と清水=「泉」・・・おわかりでしょうか。高市は、単なる「山の清水」へ行こうとしているのではなく、愛しい皇女のいる黄泉の国への道を求めているのです。

その地へ行くこともできず、途方にくれて立ちすくんでいる高市の悲しみが、三十一文字に凝縮されて表現されているように思われます。

(2005/05/01)

 


兼六園熊谷桜

2005-09-12 10:43:17 | 花だより

兼六園のソメイヨシノは葉桜になりかかっていました。
こちらは「兼六園熊谷桜」というヤマザクラの栽培品種です。(「兼六園熊谷」というのが正しい、とも。)花びらがソメイヨシノなどに比べて一回りほど大きく、とても豪華な印象の桜です。

(2005/04/17)