華語り

心に華を!!

秋深まる

2011-10-29 22:35:26 | 造園日記2011

ブログを更新しないまま10月も終わろうとしています。天気のいい日は昼間はそこそこ暖かいものの、朝晩はめっきり冷え込んできました。

朝、5時半ごろ、バイトに出かけるのですが、半月くらい前までは薄暮のなか、きっとこういうのを「彼は誰時」というのだろうな、と思いつつ車を走らせたものですが、最近はまだ夜の帳が薄ぼんやりと残っている状態。
夕方は夕方で、6時ともなると真っ暗です。これから冬至に向けて、日はどんどん短くなっていきます。自然の摂理ではあるのだけれど、どこかうら悲しい感じでもあります。

我家の庭に、ちらほらと咲く秋の花たち。少し前まではシュウメイギクも咲いていたのですが、写真を撮り損ねました。

藤袴は今が盛り。地植えのものを抜き取ったつもりだったのですが、株が少し残っていたのでしょう。鉢植えの方は水をやったりやらなかったりしたせいか、あまり生長が芳しくないのですが、地植えの方は元気に花を咲かせました。なんともたくましい花であります。

こちらは千日小坊。ブルーの色が美しいコバルトセージやパンジーたちと寄せ植えにしてあります。
小粒の花が、秋にはなんともふさわしい感じ。

お手入れが行き届かなかったせいか、この秋はバラが期待できません。唯一手まりが咲いているだけ。ルージュピエールは蕾を虫にやられてしまったし・・・

生活が、せせこましすぎるのですね。8月ほどではないにしても時間に追われて生活しているといった調子なので。気持ちの上でも、なんとなく身の置き所がないというか、一応先の見通しはついてはきたというものの、やはりどこかに不安がないわけではない。身辺の問題が片付くまでは、こんな状態が続くのかもしれません。


保科さんの書状

2011-10-02 18:46:57 | 日々の風景

2,3日前から、道を歩いていると、金木犀の甘い香りがどこからともなく漂い始めています。
昨日あたりから再び寒さがやってきました。
昨晩は手足が冷たくてどうしても眠ることができず、湯たんぽを引っ張り出して、ついに湯たんぽのお世話になってしまいました。暖房は既に使い始めています。(世の中は「節電」を訴えているのに、これからの季節、我家の電気量はうなぎのぼり・・・)

今日は本多蔵品館主宰の講演会が行われたので、参加してきました。
蔵品館では今、「徳川の世と本多政重の奔走」という特別展が行われています。蔵品館のホームページを見たら、保科正之の書状が展示されているとのことでしたので、これは見に行かねば、と思っていたところでもありました。

講演会は2部構成で、最初は長谷川孝徳先生による大坂の陣の話。「加賀藩史料」の誤記から、大変な失敗をしてしまったというお話や、以前勤めていらした歴博での企画展の裏話やら、いつもながらのさわやかな弁舌に引き込まれながらお話をうかがいました。

後半は本多家の若殿、本多俊彦先生の「加賀本多家の対幕府交渉」と題したお話。
政重が前田家に登用されたのは、「公儀の権威を背景にし、また公儀の意思を代弁するもの(原昭午氏)」、すなわち幕府側の人間として、前田家の監視役的な意味合いを含んだ付家老として登用された、というのが、これまでの通説のようです。
本多氏は、これに異を唱える形で、お話を進めていかれました。まず、秀忠の乳母子を殺害したという事実が、抜け落ちている点、政重と幕府の折衝を見ると、どちらかというと表立ってというよりは、父正信や兄正純といった身内を介しての折衝であった点などを指摘しておられました。本多氏の言うことの方が説得力があるなあと思ったのは、私だけではないはず。今後の研究が楽しみな所です。

保科正之との関係は、2代目の政長とのやり取り。保科さんの書状は現在、10通ほどしか残っていないらしく、そのうち3点を本多家が所蔵しているそうです。
現在2点、会津の方に貸しているそうで、展示されていたのは1点のみ。前後関係はよくわかりませんでしたが、とにかく何事も油断なきよう、といった文面でした。保科さんの書状はもちろん始めて拝見しました。几帳面というのとは違いますが、生真面目そうな筆遣いでした。

今年は政重が、上杉家を離れて加賀にやってきて、400年目にあたるとか。そして、保科正之生誕400年の年でもあります。今年はなんだか「400年」が重なった年ですね。米沢に行ったとき、会津経由で行けばよかったかなあと、今更ながら思います。が、あの時は、申し訳ないけど、保科さんのこと、すっかり抜け落ちていました・・・。

保科さんの残り2通の書状は、会津から戻ってきたら展示されるとのこと。それを楽しみにしたいと思います。

そういえば、兼続の書状も、展示されていました。以前にも、展示されたことのあるものですが、政重を養子に迎えるにあたって、歓迎して待っているという内容のもの。政重の来歴を紹介する上での展示だったのだと思いますが、再び「直江状」(違う意味で)にお目にかかれたことは嬉しかったです。しばし書状の前で立ち尽くしていたのは言うまでもありません。