華語り

心に華を!!

戦国時代から古代へ

2008-09-30 23:42:31 | 道々之記

今日は急に仕事がオフになりました。
昨日までの雨も上がって天気もそこそこ。家の中でくすぶっているのもなんだかもったいない。そうだ。七尾へ行こう!

七尾美術館で『能登畠山氏と能登の美術』という企画展が今月26日まで開催されているのですが、どうも土・日は見に行かれそうにない。そこで急遽、本日行くことにしました。
行きは無難に能登有料道路を通って。料金所が細切れにあるのが気に入らない。せめてETCが使えるようになって欲しいといつも思う。

約1時間半で七尾に到着。
駐車場に車を止めて、数十メートルほどの小道を通って美術館へ行くのですが、両脇に植えられた木々、うっすらと紅葉していました。

能登畠山氏は、室町幕府の管領職に就いていた畠山氏の庶流で、1408年に能登守護となって以来、能登国を統治してきた一族です。今年能登畠山氏が創立されてちょうど600年になるのだとか。その記念事業で、畠山氏に関する文書や、能登の美術では長谷川等伯を中心とした絵画が展示されていました。

長齢寺所蔵の前田一族の画像(前田利春、安勝、利家、利政の画像)、これらは以前、長齢寺で見ましたが、一堂に展示されており、今、長齢寺の宝物館は空っぽな状態ですね(笑)

畠山氏関係では、第7代当主の畠山義総が主催した百韻連歌が目を引きました。

ひとしきり美術館を見たあと、「第二会場」である七尾城史資料館へ。
七尾城の城山の麓にある資料館です。こちらは畠山氏の文芸関係と七尾城や城下の遺跡からの出土品を中心とした展示。

「畠山義総関係文書」10通は紙背文書(一度使用された紙の裏を再び利用した場合の、もとの表側に記されたもの)として伝来したものだそうで、「伊勢物語」などの借用の依頼などを記した書状などです。

また、畠山氏滅亡後、重臣だった遊佐氏は上杉謙信のもとに身を寄せますが、能登に残った十松が、天正六年の正月に年賀の品として海鼠腸を謙信に贈ります。それに対する謙信の礼状も展示されていました。
こちらは以前、歴博でも見たものですが、二月八日付の書状で、この約1ヶ月後には、謙信は帰らぬ人となるのですね。
本当に普通にお礼状なだけに、その後の謙信の死を思うと、人の命の儚さのようなものが切なく感じられもします。

この資料館は七尾城跡の麓にあるのですが、七尾城、行こうかどうか迷いましたが、一人で山城を歩くのは、あまり楽しくないので、今回はパス。七尾城は好きなお城の一つなんですが・・・

 

帰りはR159を走ることにして、途中にある能登国分寺跡を訪ねました。
ここも前に一度訪れたことがあるところ。
能登国分寺は、国分寺建立の詔が出てから約100年後にできたもの。それまであった大興寺というお寺を格上げして国分寺にしたということです。
能登の国分寺がなぜ100年もあとになってできたかというと、もともと加賀・能登は越中・越前(能登は越中)に属していて、その後分離して能登国、加賀国が出来上がった経緯があるからなのです。
ちなみに国分寺は正確には「金光明四天王護国之寺」というのだそうです。

田んぼの中にあったおかげで、発掘も比較的スムーズに行なわれ、昭和49年に国の史跡指定を受けたのだそうです。
発掘のきっかけになったのは、写真下の通称「エボ石」。実は塔の礎石だったものなのですが、かつて、この中にたまった水をできものにつけるとよくなるという言い伝えがあったといいます。また、近くの小川から和同開珎が見つかるなどして、発掘の機運が高まったという経緯もあったそうです。

現在南門が復原されて当時を偲ぶよすがとなっています。

出土品などを展示した展示館もあるのですが、客は私一人。
私一人のために、館長さんがビデオをつけてくれ、また、簡単に展示品の解説もしてくださいました。
ビデオの中で、大きな古墳が出てきて、とても気になったので尋ねたところ、近くにあるというので、帰り道、そこに寄って帰ることにしました。

その古墳がこちら。
「院内勅使塚古墳」という7世紀初め頃の古墳。だれのものかは不明ですが、当時この地を支配していた能登臣のものといわれています。
1辺が約23メートル、高さ約4メートルの方墳で、周囲に周豪(堀)を巡らせていたらしいことがわかります。
石室内部は盗掘されてしまっていて、石棺や副葬品などは残っていないとのこと。
ただし、石室はかなり立派で、飛鳥の石舞台を髣髴させるものがあります。
石室内部をのぞいてみましたが、中はひんやりとした異空間といった趣で、奥まで入るのははばかられ、入口近くで内部を撮影。

 

古墳をあとにして、帰路につく。
途中あちこちにコスモスの群生が風に揺れていました。
信号待ちの車窓から一枚。


あなたはだ~れ?

2008-09-29 10:24:52 | 造園日記2008

お彼岸が過ぎると同時にずいぶん気温も下がってきました。
天気も悪いせいか、「涼しい」を通り越して「寒い」。
早くも時折暖房のお世話になっています。

先日近所の園芸店で可愛いバラを見つけ、結構立派な苗にもかかわらず、お値段がかなり安かったので、迷わず購入してしまいました。
品種名が記されてなかったので、お店の人に聞いたところ、名前は忘れたが、イングリッシュローズの一種とのこと。
一重咲きのイングリッシュローズは珍しいので、検索すればすぐに品種がわかるだろう、とたかをくくっていましたが、いろいろ見ても、似た花が見つかりません。
もはやイングリッシュローズであることもおぼつかない・・・

貴方は一体だ~れ?

 

9月の初めに秋の花が咲くように、剪定をしましたが、香澄ちゃんが咲き始めました。
相変わらずあまり香りません。

涼とラルクのバラは、黒点病にやられた上に虫にやられ、葉っぱがすっかりなくなってしまいました。
新しい芽が出てきそうな気配は多少あるのですが、まだ動き出していません。
今秋の花は期待できないかもしれません。


我が家の住人

2008-09-26 11:17:17 | 日々の風景

庭で水遣りなどをしていると必ずチョロチョロ出てくる。
ヤモリ?と思っていましたが、カナヘビのようです。うちの実家の方では「カゲチョロ」といっていました。

何匹か棲息しているようで、その時によって大きかったり小さかったり。
我が家では「ヒトカゲくん」と呼んでいます。

サマースノーの枝でくつろいでいる図。


ふくろうの赤いワイン

2008-09-25 00:26:22 | 日々の風景

とあるモニターに応募して、ワインがあたりました。

サッポロが出している「ラ・キュベ・ミティーク」~「神秘」という名のワインです。
試飲モニターということだったので、ハーフボトルの小さいのが送られてくるかと思いきや、たっぷりのフルボトル。なんだか得した気分です。

一人で飲むのも虚しいので、先週末夫の帰りを待って開けました。

 

 

 普段私はもっぱらビール派。(家で飲むときは殆ど第三のビールですが)
ワインはあまり飲みません。ワインもさっぱり系の白の方が好みなので、赤は少々苦手だったりします。
反対に夫は赤ワインが好み。だからワインを飲むときは、いつももめる(笑)。夫の方がたくさん飲むので、大抵はあちらの好みに合わせることが多いですが・・・

 

ところがこのワイン、とても飲みやすいんです。
グラスに注いだ時に果汁の芳香が広がり、口に含んだ時の酸味も甘みもいい具合に調和が取れています。

南仏のラングドック・ルーション地方というところの生産者達が、その土地でできる最高のワインを目指して出来上がったのがこの「ラ・キュベ・ミティーク」とか。
はるかかなたの異国の地で、熱意を傾けた結果生まれたうちの1本が手に届く、そう思うと壮大なドラマを感じずに入られません。


ラベルに施されたフクロウは、真理と知恵の女神ミネルヴァの象徴であり、生産者達の情熱と努力の象徴でもあるそうです。
コルクにもこのフクロウが施されていて、意匠もなかなか凝っています。

 

 


お彼岸なので

2008-09-19 23:39:22 | 道々之記

・・・というわけではありませんが、大乗寺の本多家の墓所と野田山の前田家墓所へお墓参り。実はSさんとプチオフ。

 

真ん中が政重さんのお墓。向かって左が西洞院時直女のお墓。向かって右がたぶん阿虎さんのもの。

 

メインはこちら↓

本多蔵品館で今日から開催されている特別展「直江兼続と本多家」。
蔵品館の入口には「天地人」の旗がはためいていました。もっと大々的に旗を掲げたらいいのに、と思ってしまった次第・・・。
ですが知らない人が見たら、「何ゆえ金沢で直江兼続?」と思うかもしれません。

1Fはいつもの常設展・・・のはずが、いつも入口近くに飾られている政重さんの画像がない。息子さん方の画像は飾られていましたが。と思ったら、2Fの特別展コーナーの方に展示されていました。

展示のメインは先日新聞で紹介されていた、兼続から結納の返礼に、政重サイドの使者に送られたという「勝兜」。使者から後に本多家に献上されたものということでした。
写真で見た感じほど派手ではなく、こじんまりとした印象でした。
解説によると、本庄繁長が最上戦のときに使った縁起物の兜で、繁長から兼続に献上されたもの、とありました。あれ?それって「本庄兜」のこと?本庄兜も兼続から政重に贈られたという逸話がありますが、この「勝兜」とは違うのでは?この勝兜はとてもきれいだし、おそらくは、この「勝兜」は贈答用に作ったもので、縁起物ということで「本庄兜」の伝承が混同して伝えられたものなのでしょう。
Sさんに指摘されたのですが、兜をよく見ると前と横に、何かを引っ掛ける用の突起がついています。前立てと、真横に飾りがついていたものと思われます。
一体どんな前立てが・・・?「愛」ではダメですかね(笑)

特別展とはいえ、人の入りが少ない。それでも外国人のカップルと、男性のお客さんが約1名来ていたので、普段に比べたらお客さんは入っていたのかも。普段行くと、殆ど一人で独占状態ですので。

受付のところに、かねたんのパンフレット(米沢のパンフ)が置いてありました。住んでいる所で米沢に触れられるとは思いもよらず、ちょっぴり嬉しかったです。

台風が来ているということで、天気が心配でしたが、日本の南岸沿いを進行しているおかげか大きく崩れることもなく、幸いでした。
明日まで天気がもってくれるといいのですが・・・


コノハナサクヤヒメ

2008-09-18 23:45:08 | 造園日記2008

コノハナサクヤヒメは、「日本書紀」や「古事記」に登場する女神です。
それはそれは美しい姫で、天孫のニニギノミコトは一目見て恋に落ちました。
ニニギは早速彼女に求婚します。コノハナサクヤヒメの父オオヤマツミ神は大変喜んで、サクヤヒメと姉のイワナガヒメの二人をニニギに差し出しました。
ところが姉のイワナガヒメは妹と違って器量が悪い。
「僕は美しいサクヤちゃんとだけ、一緒に仲良く暮らしたかったのに・・・」
ニ二ギがはたしてそう言ったかどうかは定かではありませんが、イワナガヒメは気に入らなかったのでしょう。彼はイワナガヒメをオオヤマツミの元に返してしまいました。
父のオオヤマツミはそれを恥じて、イワナガ姫とサクヤ姫二人をニニギに差し出したわけを語ります。

「あんた、よくも儂の可愛い娘を一人、つき返してくれたね。
儂が何で大事な娘を二人もあんたに差し出したか、そのわけを教えてやろう。
イワナガ姫を差し出したのは、あんた方天つ神の命がいついつまでも末永く続くようにと、そして木の花が美しく咲き誇るように、あんた方が栄えてくれることを願ってサクヤ姫を差し出したのだ。それなのに、あんたはイワナガ姫を突き返してきた。
儂の気持ちを踏みにじったからには、あんた方天つ神の命が、木の花のようにもろく儚いものになってもしらんからな。」

こうしてその子孫である天皇は、神々のように長く生きながらえることはできなくなったということです。
とはいえ、古事記に登場する初期の帝たちはどなたも長生きで、100歳を越える方はザラにいらっしゃいます。それでも神々の寿命に比べたら、短いということなのでしょう。

その話を聞いてニニギが何を感じたか、わかりません。サクヤちゃんといっしょなら、命なんて短くたって、とでも思ったのでしょうか。イワナガ姫を突き返したことをちょっぴり悔やんだりしたでしょうか・・・

その後、サクヤ姫は身籠ります。「天つ神の御子をこっそり産んではならないから」といって身籠ったことをニニギに告げました。
ところがニニギは「僕の子ではないかも」と疑います。
「一夜の契りで子ができるはずがないもん。まさか国つ神の子では・・・」

それを聞いたサクヤ姫はきっぱりと言い放ちました。

「おなかの子があなたの子でなかったとしたら、この子は無事には生まれないでしょう!」

そういって出入り口のない産屋を作り、中に入ったサクヤ姫は、いよいよ出産という時になると産屋に火をかけたのでした・・・

こうして生まれたのがホデリ命、ホスセリ命、ホヲリ命の三柱の神々でした。
ホデリ、ホヲリはそれぞれ海幸彦、山幸彦。彼らのその後のお話は、割愛いたします。

 

写真はなでしこですが、コノハナサクヤヒメというネーミング。
ただ美しいだけではない、凛とした筋の通ったサクヤ姫もまた、大和撫子の理想的な姿という気がします。

 

ああ、そして明日はいよいよ・・・(謎の独り言)


萩の寺へ

2008-09-14 21:03:02 | 道々之記

今日は夫が仕事がらみの旅行に出かけてしまい、天気もよかったので、思い立って大聖寺まで車を飛ばしてきました。

行った先は実性院。大聖寺藩主の菩提寺でもあるこのお寺は、境内に何百(何千本?)と植えられた萩の寺としても有名です。
実性院は2度ほど行ったことがありますが、いずれも萩の時期ではなかったので、一度この時期にいってみたいと思っていました。
実性院は駐車場も広くて車も駐車しやすいのですが、これまで行った時は観光客は殆どいなかったように記憶しています。
ところが皆さんよくご存知とあって、今日はかなり車が止まっていました。

お寺は萩の花にすっかり包み込まれていました。
本堂へ向かう石畳の両脇はもちろん、境内のあちこちに安置された石仏も、萩の白い花に包まれ、それはあたかも手向けの花のようでもありました。

たおやかに枝垂れた萩の下葉に風が通い、初秋の柔らかな日差しに花の白さが一段と映えて・・・良き秋の昼下がりであります。

本堂の裏手を登っていくと、大聖寺歴代藩主の墓所があります。
ここにも白萩が植えられていました。

大聖寺藩というと、初代利治、利治の弟で第二代の利明の正室は、ともに米沢の上杉家から迎えられています。ともに定勝の娘で、利治の正室に徳姫、利明の正室に亀姫が嫁いでいますが、本堂奥の御霊屋には、歴代藩主のお位牌に加えて、お二方のお位牌も安置されています。


 

さて、今日はお月見。旧暦の八月十五夜です。ただ、満月ではないそうですが、先ほど空を見たら、月影さやかに秋の夜を照らしていました。

「萩と月」というと、

  一つ家に遊女も寝たり萩と月

という芭蕉の句を思い出します。

 

実性院 公式サイト


スリムアル木

2008-09-11 12:35:30 | 日々の風景

スリムアル木」をご存知でしょうか。

毎日歩いた歩数(アルキ)を集めて、その歩数に応じて世界各地に木を植えていこう(アル木)というキャンペーンです。今年8月にウイングから販売された商品(「スリムアップパンツ」)と連動したキャンペーンなのだそうですが、第1回目はガーナへ苗木を届けようというもの。

ガーナというと何をおいても連想するのはチョコレート。
そのくらいしか頭にはなくて、何処にあってどんな国なのか、あまりに知らないことが多かったので、ネットで少々調べてみました。

ガーナは西アフリカに位置する共和制の国家で、面積約24万平方キロメートル(日本の面積が約38万平方キロなので、約3分の2の広さということになりますね)、トーゴ、ブルキナファソ、コートジボワール(これらの国も、あまりなじみのない国です・・・)と国境を接し、南は大西洋に面しています。

ちなみに漢字では「加納」(現地人による日本語表記は、「金菜」)と表記されるのだとか。

かつてイギリスの植民地だったが、独立を果たした後、何度かクーデターにより、政局もめまぐるしく変わっていったようですが、現在は安定しつつあるようです。

ガーナといって想起するのがチョコレート、と書きましたが、そのチョコレートの原料になるカカオを栽培するため、熱帯雨林の伐採が進んでいるという現実もあるようです。
日本の企業では、リコー(コピー機やプリンターなどを製造している)などがプロジェクトを立ち上げて、森林伐採によらないカカオの栽培を支援しているそうですが、チョコレートを消費する我々にしても、見過ごしてはいけない問題だと思います。

日本から約15,000km離れているガーナへ歩いて苗木を届ける。眩暈のしそうな壮大な企画ですが、たくさんの「一歩」が「1本」につながるとしたら、それは素敵なことだと思います。

参加はとても簡単。会員登録などの手続きは不要で、サイトにアクセスして、自分の歩いた歩数を入力するだけ。歩数計がなくても、自動的に歩数を計算してくれる機能も付いているので、わざわざ歩数計を用意する必要もありません。

意識してウォーキングをしなくてはならないわけではないので、その点でも取り組みやすいと思います。

みんなの「アルキ」がどの辺りに行ったのか、毎日チェックするのもまた楽しみです。

9月11日12時現在、みんなの「アルキ」は中国まで到達。苗木はまだ1本も届けられていません。先は長い・・・?

 


秋の寄せ植え

2008-09-08 10:51:59 | 造園日記2008

9月に入って1週間がたちました。
夏の雑踏は潮が引くように息を潜め、陽射しは穏やかな色で包み込んでくれるようになりました。
この季節は、ことに一年の中でも一つの区切りを感じます。
学生ではないので、新学期が始まるなどといった区切りはありませんが、どこかざわざわとした夏の気配が去って、静かなしじまの中に身を置ける季節とでも言ったらいいのでしょうか。実りの季節にはまだ間がある、次の季節へ向けてのエアーポケットのようなこの季節が好きだったりもします。

夏の間たわわに紅い実をつけてくれたミニトマトも終わりの時期になったので、先週、プランターから引き抜き、土に石灰をまいておきました。

寄せ植えにしていたガザニアも、元気がなくなり、こちらも抜いて新しい秋の花に植え替えました。
紫がかったアスターと千日小坊で秋をあしらってみました。

バラたちも元気旺盛。ですが、一部虫に食われたり、黒点病にやられたり・・・
涼しくなってまた元気な華を咲かせてくれることを願って・・・


なすの美味しい季節です

2008-09-06 00:48:48 | 日々の風景

なすというと煮たり焼いたり炒めたりと、いろいろな料理に使えます。
夏から秋にかけてのお料理の素材の万能選手の一つでもあります。

煮茄子は大好きなメニューの一つですが、煮物といえばおしょうゆ味が定番。
茄子を煮る時もいつもお醤油で味付けをしていました。

ご近所の奥様に教えていただいたのが、お味噌で味付けをするレシピ。
千石豆と一緒に煮付けます。

茄子のあく抜きをして、千石豆と一緒に沸騰したお湯にいれ、ひと煮立ちしたら一度お湯を捨て、おだしをいれて、味噌、砂糖等で好みに味付けて煮るだけ。
出来上がりに茗荷を入れます。一緒に煮るとくたっとしてしまうので、食べる時に薬味のように盛り付けてもいいかも。

おしょうゆ味もいいけれど、味噌味もなかなかです。
考えてみれば味噌いためやしぎ焼きなど、なすとお味噌は相性がいいですよね。