華語り

心に華を!!

何ということのないシルバーウィーク

2009-09-24 11:02:38 | 日々の風景

シルバーウィークが終わりました。

連休とはいえ、いまだ夏休み中の息子たちは帰って来ず(長男は博物館実習)、私はといえば、後半3日間は朝から仕事。中学生のお相手をしていました。
国語のセンセイなのに、数学、理科を聞いてくる生徒たち。理科はちんぷんかんぷんなところも無きにしも非ずですが、数学を答えられる自分ってすごいと、内心、自画自賛したりもして・・・

生徒たちの小テストの採点などをしていると、時々ユニークな解答にお目にかかります。藤原頼朝とか、誰よ?みたいな解答は朝飯前。「北里柴三郎」と答えるべきところ「北島三郎」とあって、おちゃらけるタイプの子の答案ではなかったので、たぶんまじめに書いたんだろうな、と思うと、それはそれでほほえましくなってしまいます。
「守護大名」の説明を書かせる問題で、「守護の進化したもの」と書いてあったのには、内心ふふふ・・・と。では、戦国大名は最終進化形ということになりますね。まさにポケモンの世界です(^^;

そんなこんなで連休は普通に過ぎていきました。
その間、夫はお留守番。私に代わって花たちの見回りをしてくれたようです。
黒点病の予防のために、バラの根元にチャイブを植えたりなどしてくれました。
普段家にいられないので、ゆっくり病気がちな娘たちと会話ができたのでは、と思います。

一昨日帰ってみると、チョコレートコスモスを買ったから、と言って、テラコッタの鉢に植えてありました。チョコレートコスモスは好きな花の一つですが、以前庭に植えておいたものを枯らしてしまったことがあって、それ以来鬼門的な存在。園芸店で見るたびに、枯らしちゃったことを夫にいつも言われて、欲しいけれど、連れて帰れない状態でした。鉢植えにして日が当たる場所に置いておいたらいいかも、と、ちょっとした夫の心遣いです。


 


青空があまりに美しかったので

2009-09-17 22:57:38 | 日々の風景

あまりに美しい青空だったので、今日は自転車にも乗らず、車にも乗らず、歩いて犀川向こうのスーパーへ買い物に行ってきました。買い物とはいえ、本格的に買い物をするわけではなく、(本格的に買い物をしようと思ったら、荷物の重さに帰る途中でくじけてしまいそうですから)スーパーの中にある花屋さんで先日見かけたミニガーベラがあまりにかわいかったので、もしまだ残っていたら、連れて帰ろうと思った次第。

行きは下る一方なので、ぐんぐん歩が進みます。
坂の脇の斜面には、今頃の時期、曼珠沙華が咲いているのですが、今年はその姿がありません。
犀川では、釣り人が糸を垂れ、川原の土手には露草が青紫の顔をそっと出して風に揺らめいていました。

さて、目的のものはまだ売れずにいて、クリーム色とピンクの濃いのと薄いのと、3鉢もとめました。

帰りは行きとは別の橋を渡りましたが、川原の崖一面に赤い萩の花が咲いているのに遭遇しました。
こんなところに萩の花が、とちょっとびっくり。花が咲いていなければ、それと知れることもなかったでしょうから。携帯で写しましたが、なんだかよくわからない写真になっていますね。

さて、お持ち帰りのミニガーベラたち、写真に撮るのを忘れたので、そちらは又明日にでも・・・


400余年の時を経て

2009-09-15 09:43:12 | 道々之記

日曜日は夫が会社関係の旅行に出かけてしまったので、久しぶりの一人の休日。
オンでもオフでもお世話になっている方の講演が、長浜(米原)であると聞いていたので、本当はそちらに行きたかったのですが、夕方富山に行かねばならず、時間的に無理があったのでそちらは遠慮させていただきました。

で、何処へ行こうか・・・
高岡もいいけど、日曜日は開町400年のイベントが行われていて混んでいそうだし、上越の聚楽第屏風を見に行こうかとも思いましたが、結局魚津に行くことに。
魚津歴史民族博物館で行われている企画展「戦国武将 上杉家と魚津」。
11月半ばまで開催しているとのことでしたので、いつでも行かれると思っているうちに時機を逸してしまいそうだったので、思い切って行くことにしました。


天正10年織田方と戦う味方の軍の救援のため、我が実城上杉景勝が拠ったのが天神山城。魚津城の壮絶な攻防戦は、佐々成政抜きの奇妙な展開で、3週にわたって大河ドラマで放映されたのは、記憶に新しいところですが、その天神山の中腹に、博物館はあります。今回の企画展は、場所的にも絶好の地であります。

企画展は書状などのパネルが中心でしたが、魚津城の攻防をわかりやすく配置、説明してありました。
中でも中条景泰ら魚津城将12名が窮状を訴えた直江兼続宛の書状の文面はいつ読んでも胸が衝かれるし、景勝が城将ら一人一人の名前を挙げて、何とか持ちこたえて欲しいと書き綴った書状は、景勝の心の叫びが聞こえるようで、胸が締め付けられます。

また、魚津城落城後、佐々成政が落城の報告を記した書状のパネルがありました。
6月5日付の書状には敵方(上杉方)の城将12名をことごとく討ち果たしたということが(得意満面に・・・もちろん行間から勝手に読み取ったものなのですが)記されており、唇を噛む思いで読んだのはいうまでもありません。この書状、魚津城落城直後の様子を知らせる資料としては貴重だと思うのですが、現物は散逸してしまっているそうです。唯一マイクロフィルムに収めたものが残っているだけだそうで、現物が見つかれば貴重な発見ということになるのでしょう。

魚津城の攻防とは直接かかわりはないのですが、唐人又太郎が死亡したのでその知行の一部を与えるという豊野助次郎という人物に宛てた泉沢久秀の書状(こちらは現物も展示)が展示されていました。唐人氏に関しては、先日、出自にかかわる話を聞いたばかりなので、少々興味をそそられました。又太郎という人、唐人親広の親類縁者なのでしょうか。

ひとしきり展示を見た後外に出ると、海が太陽の光を受けてきらきらと輝いている様子がとても美しく・・・

博物館の駐車場に車を置いて、天神山城を目指します。以前は山頂まで車でいかれましたが、博物館から先は車止めがされてあって通行禁止になっていました。
博物館から歩いても2,3分で頂上に到着です。うちの近所の崖を上るみたいな感覚です。

魚津城の戦いは、御館の乱を経て家督を継いだばかりの景勝にとって大きな試練でした。(あるいは生涯のうちでももっとも大きな試練の一つだったといっていいかもしれません。)結果として城将を見殺しにすることになってしまった背景には、上杉家の存亡もかかっていたわけですから。

見上げると、初秋の空は透明な青さを帯びて広がっていました。

 

博物館を出たところに、2基のお墓があります。
これは魚津城の攻防戦とは関係ありませんが、前田家の家臣の青山吉次・長正父子のもの。魚津が前田家支配となったときに城代として魚津を治めた人たちです。(この画像のみ拙サイトから転載)


緑のカーテン

2009-09-07 22:45:22 | 造園日記2009

金沢に来た当初、市立図書館の窓辺が夏になると一面に朝顔で覆われて、それはそれは見事な景観で、うちの窓辺もあんなふうに飾りたいとずっと思っていました。
近年は地球温暖化対策の一環という意味合いもあり、今ではとてもポピュラーになって、あちこちで見かける「緑のカーテン」。「趣味園」でも、今年はいろいろな緑のカーテンを取り上げていました。


我が家も緑のカーテン作ろう!と一念発起し、今年は早々に朝顔の種を蒔きました。ところが根ぐされしてしまったのか、いっこうに芽が出てこない。西日の当たる家の西側に緑のカーテンを作ろうと思っていましたが、肝心の朝顔が発芽してくれないので、今年はあきらめていました。
そうこうしているうちに、家の西側には、バラやらクレマチスやらを植えてしまったおかげで、朝顔を植えるべきスペースも無くなってしまったのでした。

 

夏が終わって西側のトレリスは・・・
つるバラの新雪やピエール・ド・ロンサール、クレマチス、羽衣ジャスミンなどがトレリスを覆い、すっかり緑のカーテンと化してしまっています。
(建てたばかりのころのトレリスの様子はこちら

 

2年目のウコギ君は生育旺盛で、昨年作った垣根も、ようやく垣根らしくなりました。


秋音

2009-09-05 21:27:54 | 日々の風景
夕方、久しぶりに自転車で、犀川向こうのスーパーへ買い物に行きました。
ちょうどいい具合に風もあって、車でさっと行ってしまうにはなんだかもったいないような黄昏時だったので。

いつもは車で通り過ぎてしまう風景も、ゆっくり過ぎると、違う風景の中にいるような気がします。

犀川の川沿いをいくと、秋の音であふれていて…。
河原は豊かな緑で覆われていますが、草むらの中はすっかり秋が支配しているようです。

西の空は優しい茜色に染まっていました。

結局今年の夏は・・・

2009-09-02 18:53:15 | 日々の風景

北陸地方は梅雨明け特定せず、ということに変更されたようです。

http://blogs.yahoo.co.jp/wth_map/58434507.html

8月の立秋前にかろうじて「梅雨明け宣言」が出されましたが、その後もお天気は不順なまま。何処が梅雨明けなんだ?といいたくなるようなお天気続きでしたから、当然の結果に変更されたという気がします。今更どうでもいいことですが・・・

 

今日は久しぶりにお友達とランチをしました。
彼女とは、かつて社宅が一緒で、子供たちも同年齢だったこともあって、その昔は子供たちも交えて仲良くさせていただいていました。縁あってお互いに金沢に住むようになり、家も直線距離にすると100~200メートルほどしか離れていません。が、お互いの生活のすれ違いもあって、なかなか会うこともできないでいました。

ランチは雑誌などにもよく載っていて前々から行きたいと思っていたフレンチのお店。食事がおいしかったのはいうまでもありませんが、何より久しぶりに会って、最近のお互いの子供たちの様子やら、昔の話やらで時間はあっという間に過ぎてしまいました。
ご主人のお母さんのお世話に、毎週のようにご実家へ行っているという彼女。話を聞いて、いろいろ腹の立つこともあるのだろうなと思いながらも、明るく笑い飛ばす姿に、こちらも元気をもらえる気がします。

 

夏剪定前に、まだ花がきれいなうちにカットしたラバグルートと鷺草を仲良く活けてみました。