華語り

心に華を!!

バラ便り  今日までに開花した花

2009-05-27 23:08:55 | 造園日記2009

先週あたりからぼちぼち開花を始めた我が家のバラ。
こうして写真にして並べてみるととても豪華なように見えるかもしれませんが、一つ一つの木にたわわに咲いているわけではないので、庭全体からしたら、それほど華やかな感じはしません。

一部の木は、ウドンコ病にやられてしまい、目下格闘中。
特にひどいのが、プロスペリティ。
それでもけなげに花を咲かせてくれました。

HTのブルームーンは先週真っ先に開花しましたが、CLのほうも少し遅れて開花しました。これもとてもいい香りがします。
レーヌドビオレッツ(「紫の女王」という意味だそうです。)もようやく開花。ですが、あまり姿形がきれいではありません。
HTの香澄は香りがいいといわれて買ったのですが、言われるほど香りはしない気がします。たおやかなピンク色ですが、大輪の花のせいか、どっしりとした印象です。

 

こちらの写真右上はクライミングローズの新雪。
去年新苗で買ったもので、去年は花を一度も咲かせなかったのですが、とても旺盛に伸びています。根元からは立派なシュートも出てきています。
名前のとおり、純白の姿形は、越後のあのお方を彷彿とさせます。

スイートジュリエットは、本当に香りがいい。
玄関先に置いているのですが、玄関を開けるたびにすっきりとした甘い香が漂ってきます。

ゴールデンボーダーは、あまり日当たりのよくないところに植えているのですが、結構元気です。これも、ほんのりとフルーティーな香りがします。

バレリーナは、去年の秋、結構黒点病にやられて、葉っぱもほとんど無くなってしまった状態だったのですが、今年の春はとても元気です。病気をして免疫がついたのでしょうか。一昨日あたりからつぼみが開き始め、小さなつぼみを結構持っていますので、しばらく楽しめそうです。

 

一重咲きの淡雪。小花でとてもかわいらしい花ですが、黒点病がちょっと心配。

涼も去年の秋は黒点病で元気がなかったですが、見事に復活しました。

ザ・ピルグリムは、まだ開きかけです。
写真に撮ったら白っぽくなっていますが、実際はもう少し黄色いです。黄色好きの夫が、こっそり(でもないけど)買ってきた花。

場所が開いたので、クレマチスを一輪置いてみました。
夫が最近クレマチスに凝っていて、これも、つい先達て、買ってきたもの。
つるバラと一緒に這わせているものもありますが、こちらのは、単独でフェンスに這わせています。

 

 

 


庭の花 5月

2009-05-25 21:46:33 | 造園日記2009

ここのところ、週末になるとお天気が崩れて、せっかく庭仕事をしたいと思っても、なかなか休みのときにできなかったりすることが多いです。
昨日もあまり天気はよくありませんでしたが、晴れ間を見ながら庭仕事に暮れました。

バラの花もぼちぼち咲き始めてきましたが、それ以外の花たちも、すくすくと育っています。我が家の庭を彩っている花たちです。中にはすでに花の時期が終わってしまったものもありますが・・・

我が家の花壇を今最も占領しているのは、写真右下のパンジー。ちょっと小ぶりなので、ビオラと見まがうのですが、一応パンジーです。ピンク系の混色で、種から育てたもの。
昨年9月に種をまいたのですが、なかなか大きくならず、今年は暖冬で比較的暖かかったのにもかかわらず、なかなか花も咲かせませんでした。花をつけずに終わってしまうのか、と4月も半ば近くになったころ、あきらめかけていたところ、1稟、また1輪と、次々につぼみをつけはじめて、あっという間に増殖しました。
庭のあちこちに植えていて、そろそろ時期も終わりなのでしょうが、元気に咲いています。この花壇にはパンジーの前面に、小花のロベリアを植えています。

(写真1段目左から)

ケマンソウ
GWに行った蓼科のバラクラで買ってきたもの。今は花も終わってしまいましたが、釣鐘のように垂れた花がユニークです。「華鬘(けまん)」というのは仏殿の飾りのことだそうです。

サラダバーネット
ハーブです。きゅうりの香りがします。吾亦紅の巨大化したみたいな一風変わった花をつけました。

都忘れ
ピンク系のも一緒に植えたのですが、そちらはいつの間にか消えてしまい、白いのだけが残りました。
花もかわいらしいのですが、なんといってもGLAYの楽曲に「都忘れ」というのがあるので、どうしても庭に咲かせたかった花でした。

アジュガ
日陰の定番みたいな宿根草です。日陰がちな我が家の庭にはもってこいの花の一つ。

(2段目左から)
インパチェンス
これも意外に日陰OKな花の一つです。
一重のも、別の場所に植えていますが、八重咲きはミニバラの風情で華やかな感じです。

ヒメフウロ
山野草の一種。濃いピンクの小花です。

ツリージャーマンダー
用途はよくわかりませんが、ハーブです。
結構背丈が伸びて、薄紫の花もかわいらしい。

ラミウム
これも日陰でも大丈夫、というのを本で知って、ずっと欲しかったのですが、ネットで捜しても売り切ればかりで・・・。先月富山のナーセリーで見つけました。
「ピンクパール」という品種です。葉っぱの真ん中に斑がはいっていて、花が終わっても、楽しめそうです。

(3段目左から)
ティアレラ
これも日陰の定番。薄紅の刷毛で描いたような花をつけています。

蚊蓮草
蚊よけに、と思って購入したものですが、効果のほどは・・・
ピンクの花が思いのほか、かわいらしい。

(4段目左から)
イワチドリ
先日、近所でやっていた山野草の展示即売会へ行って、あまりのかわいらしさに買ってきてしまいました。育て方、なんだか面倒なことをおじさんが言っていましたが、ちゃんと育てられるかしら・・・

ドウダンツツジ
ドウダンツツジというと白花を思い浮かべますが、あえて赤花を植えました。赤とはいっても、薄紅色ですけど。


寄り道~謙信ロードを通って

2009-05-18 23:35:19 | 道々之記

今日は昨日とは打って変わって、雲ひとつないすっきりとした青空が広がりました。

夫の家で適当に家事を終え、昼から仕事があるので家路に着く。
来た時と同じ、R359、個人的に「謙信ロード」と呼んでいる道路を通って。
この道は信号も少なく、砺波の街中を若干通りはするのですが、概ね山の中を走るので、ことに晴れた日はとても気持ちのよいドライブが楽しめます。
私がこの道を「謙信ロード」と呼ぶ所以は、前にも書いたことがありますが、この道沿いに、謙信関係のゆかりの場所が点在するからなのです。

今日は天気も上々、ちょっと寄り道をして帰ることにしました。

先ず訪れたのは、砺波市芹谷の千光寺。富山から金沢に向けて走っていると、左手に大きく「千光寺」と書かれた看板がいやでも眼に入ってきます。

このお寺の存在を知ったのは、数年前、新湊の歴史博物館で行なわれていた企画展でのこと。謙信が寄進したと伝えられる刀が展示されていて、その所蔵が砺波市の千光寺とあったことによります。以来、「千光寺」の名前は頭の中にインプットされ続け、たまたまR359を通った時に、このお寺を発見したのでした。以来、何度か横目に見ながら素通りを続け、今日思い立って訪れることにしたのです。

広い駐車場には、私のほかに1台車があるばかり。車を降りた瞬間、時間を忘れてしまいそうな、のどやかな空間に包まれました。

千光寺は真言宗のお寺で、創建は703年といわれ、北陸最古の寺院です。
このあたりは、戦国時代、一向宗との争いなど戦渦激しく、千光寺もすべての堂宇を兵火で焼失したそうです。その後、秀吉が再建に尽力し、藩政期には加賀藩の祈願所となり、現在に至っているそうです。

山門に続く階段を昇る。それほど長い階段ではありませんが、屹立した杉木立の中を歩いていると、「褻(け)」の世界とは別の空間に迷い込んでしまったような錯覚に陥ります。「恐い」というのではない「畏怖」の念とでも言ったらいいのか、大地に、木々に、自然に抱かれているというそんな思いがふつふつと湧き上がってきます。
これまでも同じような杉木立の中を歩いたことは何度もありました。上杉家の御廟所、戸隠の奥社に続く道・・・。静謐な感覚はそれらの場所にも確かにありましたが、こんな不思議な感覚に出会ったのは初めてです。家族といっしょだったり、周りが賑やかだったりで、本来あるべき空気が、感じ取れないでいたのかもしれません。
山門の前に来てなぜかほっとする。山門の向こうに明るい空間が見えたからでしょうか。

なんという鳥なのかわかりませんが、とてもいい声で泣いているのが聞こえます。
山門の正面には観音堂が建っています。(写真右下。上の写真は山門)
その観音堂へ昇る階段の脇に、真っ赤な石楠花が咲いていました。
境内には、原種系っぽいバラも咲いていて、(実におおらかに咲いていました。)「ブーン、ブーン」と何処からか低い音が聞こえたので見てみると、花の中に虫がもぐりこんで、蜜をむさぼっているところでした。

あの、謙信の奉納刀は、残念ながら公開していないとのこと。
同寺には、謙信の父長尾為景の位牌も現存しているそうです。

さて、次に向かったのは、頼成(らんじょう)にある為景塚。
謙信の父である長尾為景の塚です。
千光寺から少し車を走らせた先の田んぼの中にあります。
国道から存在は見えるのですが、そこまで、どうやったらたどり着くことができるのか・・・遠くからは田んぼの中の浮島のように見えるのです。
国道から横道に入ってみるのですが、どうも塚に車を横付けできるような場所はなさそう。田舎道は、ちょっと方向を間違うと、とんでもないところへ行ってしまうというのが定石なので、塚の位置を確認しながら車を走らせます。塚の近くに車を止めて、田んぼのあぜ道を通って塚に何とかたどり着くことができました。


為景は、春日山城で亡くなったというのが定説ですが、一方で、一向宗との戦いで討死した、ということも伝わっていて、(謙信のおじいさんの能景は、確かに栴檀野の戦いで落命したということですが・・・)能景の事績とどこかに混乱があるような気がしないではないですが、塚が伝わっていますので、ひとまずゆかりの場所、ということにして・・・

そういえば、千光寺のパンフレットにも、「長尾能景、為景父子もここで戦死している。」とあり、謙信が天文15年5月に千光寺を訪れ、父を供養している、ともありました。以前、新湊の歴博で見た奉納刀は、祖父能景供養のもの、と解説にあったように記憶しているのですが、持ち主によると父の供養、ということになっていて・・・
何が正しいのかしら・・・

塚の上には建っているのは供養塔ではなく、「為景塚供養」と題して俳句が彫られていました。昭和44年とありましたので、そう古い句碑ではなさそうです。

実は為景塚の近くに、能景塚もあるのです。
個人宅の敷地内にあるとかで、ちょっと確認はできませんでした。

もう少し横路をそれると、先ごろ国史跡に指定された増山城跡などもあるのですが、こちらはいずれ別の日に・・・

事の真偽はともかく、こうして現在まで史跡が残っているというのは、何かしらその土地に生きる人々の思いがあったからだと思います。黒部の景勝桜にしろ、この塚にしろ、実際の「史実」とは大きく食い違っているかもしれませんが、それを「史実でないから」と切り捨ててしまうのではなく、一つの真実として、後々まで大切にしたいものです。

 

 


雨の中本多の森へ

2009-05-17 14:27:42 | 日々の風景

今日は朝から雨。雨の日は何かするのが億劫ですが、今日は午前中、本多蔵品館主宰の講演会があったので、出かけてきました。
会場は本多の森の一画にある広坂休憩館。美術館の隣にあります。建物は陸軍第9師団の師団長官舎として大正時代に建てられたものですが、森の中にたたずむ洋館の趣です。ちなみにここは無料休憩所なので、兼六園や金沢城の散策の折の休憩所としても利用できます。

 

蔵品館では「前田利長と本多政重」という企画展が催されていますが、同じ演題での講演。講師は先日の町めぐりでも講師をなさった長谷川先生です。

政重と利長の接点は時間的にもとても短く、史料も少ないので、という前置きがあってのお話でした。
利長の後半生は、病に侵された上に、徳川と豊臣との狭間で苦悶した生涯だったとう印象を持ちました。異母弟でもあり、年若い藩主利常の治世が滞らぬよう、心を砕き、政重の登用はその過程で非常に重要な意味を持ちました。
前田家の状況を考えたとき、あの時期に政重が直江家を辞し、前田家に仕えることになったのはまったくの偶然だったのでしょうか。

それにしても、利長という人物、父利家や弟利常に比べて史料も少なく、軽く語られてしまいがちな人物です。利長が服毒自殺をしたというのは、ミステリーのごとく語られることが多いですが、唐瘡(梅毒)をわずらい、病の苦しみに耐えながらの執政は並大抵のことではなく、自分がいなくなることで利常が心おきなく徳川に臣従できることを思ったとき、自殺という選択肢は可能性として大いにありえた、ということです。
ちょっと興味をそそられる人物です。

利長は永禄5(1562)年生まれなので、永禄3年生まれの直江兼続とは同年代です。
上杉と前田が結託してことに当たったら、歴史はまた面白い方向に流れていたに違いありません。(両家は相容れあうような間柄ではありませんでしたが・・・)

講演の後、蔵品館を見学しました。
今年富山県高岡市は隠居した利長が入部して、開町400年を迎えます。
今回の企画展は、それに関連した特別展ということで、初公開の書状のほか、なんといっても目玉は利長所用の「銀鯰尾兜」。前田育徳会蔵(成巽閣で委託保存しているらしいです)のものですが、写真で見ることはあっても実物は初めて。富山市郷土博物館にある鯰尾の兜は120センチですが、今回展示されているのは90センチと若干小ぶり。「愛」の兜も目立つけど、これも負けずにかなり目立ちますね。(「前田利家と本多政重」展は6月25日まで開催されていますが、鯰尾の兜は5月22日までの限定展示です。)

蔵品館を出て外に出ましたが、相変わらずの雨。
晴れた日には公園の芝生で遊ぶ子供たちの姿が見られますが、さすがに今日は誰もいません。ベンチもひっそりと濡れそぼっています。

お隣の歴博で、「肖像画に見る加賀藩の人々」という展示が行われていたので、せっかくなので見てみることに。
入り口を入って右手の展示はずーっと利家さんの肖像画。本などで、何枚も肖像画があることは知っていましたが、10枚近くの利家さんの嵐にやられました(笑)

藩主や藩士だけでなく、町人らの肖像もあり、薄紙に描かれた下絵の段階のものも何点か展示されており、製作過程がわかって面白い面もありました。

本多蔵品館に展示されていた政重さんの肖像画、いつものと違っていたので、歴博にきているのかしら、と思っていましたが、歴博には息子の政長さんの肖像画でした。入れ替え展示をしていたものでしょうか。

 

 さて、今日はこれから富山へいってきます。

 

 

 

 

 

 

 

 


かおり

2009-05-16 21:39:14 | 造園日記2009

一人でぽつねんと咲いていたブルームーン、まだ花がらというわけではありませんが花を切りました。プランターに咲いている白いキンギョソウを少々摘んで、一緒に花瓶に挿してみました。

たった一輪だけですが、部屋に入るとほのかな香りが漂います。外はどんより曇りのお天気で、雨も少々降ったりしていますが、部屋の中は初夏のさわやかな空気に満たされているよう。ちょっぴり幸せな気分を味わっています。
今週末は、夫が家に帰らないので、この芳香を味わわせてあげられず、残念。
香りばかりは携帯に入れて送信することもかないませんから。

さて、我が家の2番槍はスイートチャリオット。 ミニバラですが、結構いい香りがします。
ある本に載っていて、モーヴ色の色彩と姿形のかわいらしさに惚れ込んで、ネットでいろいろ検索して、冬に我が家にやってきました。挿し木苗ですが、たわわに葉っぱを茂らせています。

 

 


一番槍をとったのは

2009-05-14 22:07:00 | 造園日記2009

GW中2,3日家を開けていたら、一部のバラがうどん粉病に・・・
移動できる鉢の物は我が家で一番日のあたる場所に大移動。葉っぱをむしったり消毒したりして、どうにかおさまっているかな、といったところ。これ以上ひどくならないことを祈るのみです。

さて、先月から我が家のバラたちも次第次第に蕾をつけはじめ、だれが一番初めに咲くか、楽しみにしていました。

レーヌ・ド・ビオレッツがたくさん蕾をつけて、随分赤く色づいていたので、彼女が最初かと思いきや、未だに開こうかどうしようか逡巡しているような状態。GW中は暖かかったものの、ここへ来て若干気温が下がったせいか、開くのをためらっている風です。

思いもかけずHTのブルームーンが一番槍を取りました。
ブルームーンは去年、新苗で買ったので、去年は一度も花をつけずに(というか、花をつけさせなかった)終わってしまったので、我が家に来て初めて花姿を披露してくれました。(去年咲いていたのはCLのブルームーン)
そばに行くと、すっきりとした甘い香りが漂います。
株がまだ小さいので、今年は一番花だけにして、株の養生に専念したいと思います。お楽しみはまた、来年以降に。


今頃になって

2009-05-11 23:23:13 | 道々之記

GWの総括です。

今年は7年に1度の善光寺のご開帳ということで、GWは長野へ行ってきました。

2日
午前中は庭弄りをして午後出発。
先週も通った北陸道をさらに長野へ向けて走る。
この日は某大河ドラマでちょうど魚津城の戦いの日。上杉景勝が拠った天神山城跡を車窓から眺める。
謙信トンネル(春日山トンネル)を抜けて長野道へ。高田あたりから、景虎トンネル(観音平トンネル)まで、ゆるゆると渋滞。今年は心なしか車の量が多いようでした。

 

3日
善光寺はいつでも行かれるので、この日は蓼科高原の「バラクラ・イングリッシュガーデン」へ。実はこの日の地元新聞に広告が載っていて、急遽行くことにしたのです。GW期間中は「ガーデンプランツショー」というイベントが行なわれていました。

入口を入って建物を抜けて、目に飛び込んできたのは優しい青葉の心地よい空間。広々とした回遊式の庭園のそこここに、チューリップやビオラ、ムスカリといった春の花たちが咲き乱れています。
色合いがとても優しくて、黄色いビオラにピンクのチューリップをあわせているなど、私の中にはない色彩の組み合わせがあったりもしましたが、決してイヤミな感じではなく、むしろ新鮮な気がして、色の組み合わせがとても参考になりました。

落葉樹の下の木漏れ日の中では、クリスマスローズが健在で、控えめではあるが凛とした強い芯を持っているお嬢さんのよう。

バラのアーチやガゼボがあって、バラたちが咲きそろう頃は見事だろうなと思います。

 

イングリッシュガーデンを堪能したあとは、趣をがらりと変えて諏訪大社へ。
下社、上社と訪ねました。
諏訪大社を訪ねるのは今回が初めて。
下社から参りましたが、神社の参道にはお店屋さんが軒を連ね、賑やかな雰囲気がありました。
一方上社の方は御神山を背後に抱き、どっしりとした古社の風格が漂っていました。

両神社とも、社の四方に御柱が建てられていました。この御柱も本物を見るのは初めて。姿のいい柱が天をさして立っている様子は実に圧巻。来年は諏訪の御柱のお祭りだそうです。


 4日。
善光寺へ。実家からは歩いて15分ほどのところなので、散歩がてら出かける。
善光寺の本尊は秘仏中の秘仏で、絶対に人目には触れさせないということで、前立本尊はその分身。7年に一度、前立本尊を開帳するのが、善光寺の御開帳です。

本堂前に立つ回向柱は、本堂内々陣に安置された前立本尊と綱でつながっていて、柱に触れることで前立本尊とご縁が結ばれるのだとか。この柱に触れるのに、それはそれは大変な長蛇の列ができています。後ろの方の人は、お日様があるうちに果たして柱に触れることができるのでしょうか。仏様とご縁を結ぶというのは、並大抵のことではないようです。

本堂から脇にそれたところにある釈迦堂にも、実は回向柱がたっているのです。釈迦堂には釈迦の涅槃像が安置されていて、こちらの回向柱から伸びた綱は、お釈迦様につながっています。
こちらは並ぶこともなく、容易に触れることができるので、私たちはこちらの回向柱に触れて、お釈迦様とのご縁をいただいてきました。


景虎供養

2009-05-01 00:39:50 | まつり・イベント

29日は、上杉三郎景虎の350年の年忌法要が行なわれるという情報をキャッチし、夫を誘って法要の行なわれる新潟県妙高市の勝福寺へ行ってきました。
週末の悪天候は高気圧がすっかり追い払い、朝からすっきりと晴れ渡ったドライブ日和。
一部の方々は連休が始まったからでしょうか、北陸道はいつもより交通量が多かったです。(とはいえ、順調に流れてはいましたが。)

法要は午後1時からのスタートで、12時前に現地に到着。
お寺の付近には、「上杉景虎終焉の地」と書かれた旗がいくつもはためいていました。
勝福寺は、景虎が自刃して果てた鮫ヶ尾城の麓にあるこじんまりとしたお寺です。
お寺のある付近一帯は、かつて城主の居館などがあった場所だということです。
三郎景虎の墓所は、記録には栃尾の常安寺にあるとされているようですが、実際、栃尾の常安寺にも、また、米沢の常安寺にも墓所は存在せず、鮫ヶ尾城下の勝福寺のみが唯一のゆかりの地です。
境内には景虎の供養塔、景虎の石像が静かにたたずんでいます。

某小説に端を発して、景虎さん、人気のようですが、ミラジェンヌらしきお嬢さんがたも何人も見受けられました。
私はといえば、景虎と敵対した側の景勝派ではありますが、歴史の深い闇に飲まれていった人々に対して、敬意の念を持ってこの法要に望みました。
歴史の箍がどこかで崩れていれば、あるいは景勝が景虎の立場になっていたかもしれません。滅びていった者たちを、悲劇だとか気の毒だとかで片つけてしまうことは容易ですが、その者たちがいたからこそ、景勝の政権が存在したわけで、それは御館の乱に限ったことではなく、数え切れない多くの人々の犠牲や努力の上にたって、今の世が存在していることを思わずにはいられません。
430年の時を経て法要を行なう意味を、私なりにかみ締めながら、読経の声を聞いていました。景勝派の自分が、景虎の法要に来ていることの単なる言い訳に過ぎないかもしれませんが・・・

昨今発見されたという、景虎の従者が持っていたと伝えられている景虎ゆかりの脇差の供養もあわせて行なわれました。

本堂には、例の、炭化したおにぎりも展示されていました。


 法要のあと、上越市文化財調査審議会委員長の植木宏先生による講演が行なわれました。景虎の法要は、30数年前から行なわれているそうですが、植木先生は、お寺のご住職とともに法要の開催や供養塔の建立などに尽力されたのだそうです。

講演は春日山城の縄張りと、御館の乱の終焉に関してのお話でした。
上越地方には約160の城館跡が存在するようですが、これらはすべて春日山城を守る(越後を守る)形で配置されているのだそうです。謙信がそれほどまでに守ろうとした越後という国に対して、改めて興味を抱かずにいられません。

御館の乱に関するお話では、景勝が、非常に迅速なタイミングで恩賞を与え、そのことが勝利につながったことを上野九兵衛尉という人物を取り上げて解説くださいました。間延びした某ドラマの演出とは、やはり全く違っていた「戦い」であったことを再認識しました。

このあと、脇差の解説、妙高市の職員の方の説明つきの鮫ヶ尾城登山が行なわれたようでしたが、帰宅時間が遅くなりそうだったので、植木先生の講演終了後に退出し、鮫ヶ尾城を目指しました。

総合案内所の横を通って、北登山道から登頂。
道はきれいに整備されており、スミレがそこここに咲いていました。
頂上付近には、カタクリが植えられていますが、花の時期はすでに過ぎていたのは残念です。
もちろん、彼岸花は咲いていません(笑)
20分ほどで本丸跡に到着。山頂には八重桜が枝もたわわに花をつけ、風に揺らぐ姿は実に見事で。

春日山城から鮫ヶ尾城まではおよそ10キロくらい。そう遠く離れているわけではありません。
春日山と思しき方向を望んでみましたが、ここに来た景虎も、春日山城を眺めてみたのでしょうか。
自分がかつて主に准じる立場で過ごした春日山城を、どんな思いで眺めたでしょうか。