華語り

心に華を!!

秋のしつらい

2007-10-19 11:58:38 | 日々の風景

昨日庭の種々を紹介しましたが、ホトトギスと藤袴を活けてみました。もとより生け花の心得などありませんので、それこそ、いい加減な我流ですが…

花器は夫が作ったもの。会社関係の催しで作ったものですが、小さな剣山もついていて、私にはお誂え向きかも。

 

 前々から見に行こうと思っていた歴博と本多蔵品館の企画展に行ってきました。

歴博の企画展は「石川のお宝展」。

何度かお目にかかった品もありましたが、なかでも印象的だったのは、3月の能登地震で被災した仏様。手足がとれるなど、痛々しいお姿でした。祀っていたお堂が壊れて、歴博に一時避難している仏様もおわしました。件の地震では、被災された人たちの生活がもと通りになることはもちろんですが、被災した物たち(仏様を「物」というのは抵抗がありますが)も、もとの場所に収まることを願ってやみません。


秋の種々

2007-10-18 11:31:11 | 造園日記2007年

朝夕ずいぶん寒さが感じられるようになりました。何日か前から、時々暖房のお世話になっています。

 

今年も庭の秋の花たちが少しずつほころび始めました。

ホトトギスは、夏の間、虫に葉を食べられてしまい、茎と花だけの状態。

花芽まで食べられずにすんでよかったのですが、ちょっと痛々しい気がします。

フジバカマは、今年の春、場所を移動させて植え替えましたが、生育力は旺盛。夏の間たくましく成長し、薄紫の可憐な花をつけ始めました。今年は去年より、花をつけるのが少々早いかな、という気がします。

近くへ行くとほんのりと香りが漂ってきます。

ハナミズキの実も、紅色に色づいて・・・

 

先日地植えしたウコギの兼続君たち(と勝手に命名)。コンクリートの境界の左側(石がゴロゴロしている方)は他所様の土地。

我が家では比較的(というか一番)日当たりのよい場所でもあります。

こちらも元気に育ってくれることを祈って・・・

 

 

 


鷹山うこぎ

2007-10-12 11:02:57 | 造園日記2007年

うこぎの町米沢うこぎかき根の会」に注文していたうこぎが届きました。

その名も「鷹山うこぎ」。

1鉢に2本植えられていて、2鉢購入しました。(自分的には「鷹山うこぎ」というより「兼続1号、2号」「重光1号、2号」とでも呼びたい)

 

米沢藩9代藩主上杉鷹山がウコギ垣を奨励したことからのネーミングのようですが、鷹山の時代より以前から米沢にはウコギが植えられていたそう。兼続が食用にもなるウコギの栽培を奨励したとも言われています。

ウコギ垣は戦国時代には一般的だったようで、前田利家夫人のおまつが、うこぎの垣根越しに云々、といった記述が資料に出てくる、ということを司馬遼太郎が書いていました。(資料名などは不明。前田家関係の資料にあるのかしら?と思いながら、未確認。)

 

五月に米沢に行ったとき、かつて原方衆と呼ばれる人々が住んでいた南原地区では特に青々としたうこぎ垣が印象的でした。
林泉寺の駐車場脇にも、ウコギの垣根がありました。

その時宿泊した旅館の入口にもプランター植えのうこぎが、ちょっとした垣根のように仕立てられていて、旅館のおかみさんに、お土産に脇芽をもらってきたのでした。

ところが帰ってから鉢に植えたところ、見る見る弱ってきてしまって、一時新芽も出てきてよみがえったかに見えたのですが、とうとう枯れてしまいました。

夫もそれが残念だったらしく、通販でうこぎが手に入ることを知って、早速注文した次第。

購入した苗は40センチほどに成長しているし、ウコギは結構頑強だと聞いていますので、今度こそしっかりと根付いてくれることを期待して。

米沢とは気候が違うので、心配なところはありますが、ウコギ君の生命力を信じたいと思います。


これからの季節のために

2007-10-03 15:19:03 | 造園日記2007年

本日も快晴につき、土いじりをしました。

空芯菜は今年何度か収穫しましたが、そろそろ伸び方も緩慢になってきました。

あと一度か二度、収穫できるでしょうか。

これからの季節の必需品、というわけで、春菊を植えました。

去年も冬の食卓を彩ってくれましたが、今年も活躍してくれることを願って。

 

ダリアはついに花をつけることなく終わってしまいました。茎はかなり伸びたのですが、日当たりがいまいちだったせいでしょうか。球根を掘り起こして日当たりのいい場所に埋めておきました。来年どうなることか…

ダリアの後にチューリップの球根を植えました。今年の春、掘り起こしたもので、二、三種類混ぜこぜに袋にいれておいたので、どの花が咲くのか不明です。ムスカリも混じっているかもしれず、咲くのかどうかもさだかではありません。

 

ホームセンターや園芸店にいくと、ビオラやパンジーといった花たちが徐々に並ぶようになりました。ペチュニアの季節もそろそろ終わりそうですが、まだ頑張って咲いているので、もう少しそのままにしておこうと思います。


穏やかな日に

2007-10-02 17:52:03 | 日々の風景

今日は兼六園近くでちょっと集まりがあり、天気もよかったので、久しぶりに車をやめて自転車で出かけました。

この季節、暑くもなく寒くもなく、自転車を飛ばすには最高の季節です。うちから兼六園あたりまでは距離にして約4キロほど。アップダウンさえなければ、丁度いい感じのサイクリングコースではあります。

2時間ほどで用も済み、今日は仕事も休み。折角ここまで出てきたので、ちょっと近辺を散策してみようかな、と。

ちょうどいただいたチケットがあったので、本多町の中村記念美術館へ。

ここは、もと造り酒屋だった中村家のご当主が収集された美術品が、季節ごとに趣向を変えて展示されていて、今は「器の楽しみ」と題する企画展が行なわれています。

展示された作品に実際に料理を盛って撮影したパネルがなかなかユニークでした。

仁清作の器に盛られた料理など、ああ、なんて贅沢・・・

 

お抹茶券つきだったので、ひとしきり作品を見たあと、休憩室でお抹茶をいただきました。休憩室の正面にはお茶室があって、時々お茶会なども催されています。

この中村美術館のある辺りは、かつて本多家の下屋敷があったところ。
鬱蒼とした本多の森を借景に、一見山の中の庵といった趣きの茶室です。

お茶をいただいて外に出ると、お茶室の庭にムラサキシキブが可愛らしい紫の小粒の実をたわわにつけていました。

そういえば、うちもムラサキシキブを植えてありますが、いっこうに実がなりません。(実になるべき花も咲きませんでした。)

 

兼六園は平日だと料金がかかるのでパス。

兼六園の周囲をぐるりと廻るようにして、小将町の玉泉園へ行きました。

玉泉園はずっと気になっていた場所なのですが、なかなか行く機会もないままに過ごしてしまっておりました。

この庭園、「西田家庭園 玉泉園」というのですが、西田家って加賀藩士のなかで聞いたことのない名前だなあ、とずっと思っていました。奥村支家の上屋敷にも近く、居住区域としては中~上級武士の住んでいたところだと思われるのですが・・・

「玉泉園」という名称も、前田利長の正室玉泉院(信長の娘ですね)と何か関わりがあるのかなあ、と実は疑問符だらけの場所でもあったのです。

 

入園料を払い、パンフレットをもらってそれらの「謎」が解決。

作庭したのは脇田直賢という人で、晩年の知行は1500石。
この人はもと朝鮮の人で、秀吉の朝鮮出兵のときに、父親が宇喜田秀家の軍に破れてしまいました。孤児となった少年を哀れんだ秀家が日本に連れ帰り、関ヶ原で流刑となった後、夫人豪姫に伴われて加賀の地にやってきて帰化したということです。

その後利長夫人永姫(玉泉院)に育てられ、その縁で庭園の名称に彼女の法名を冠したのだそう。

西田家というのは明治期になってからの当園の所有者なのだそうです。

 

前置きが長くなりましたが・・・

この庭園は崖地を利用した作りになっていて、入口入ってすぐに西庭、写真の苔むした飛び石の向こうに本庭、東庭、さらに「崖」を上っていくと灑雪亭(さいせつてい)路地というお茶室を伴った庭園があります。池を巡る池泉回遊式の庭園です。崖の上からささやかな滝が流れており、季節が季節なら、とても心地よい空間だろうな、と思います。

しっとりとした雰囲気は、日本庭園特有のものですね。

こちらは本庭にある寒雲亭茶室の内部。(「写し」とパンフレットにはありました)

本庭の風景。水辺に植えられているのは杜若でしょうか。季節外れの花が二輪ほど咲いていました。また、この庭には水芭蕉の群生もあるそうで、今度は水芭蕉の時期に訪れたいものです。