今日は兼六園近くでちょっと集まりがあり、天気もよかったので、久しぶりに車をやめて自転車で出かけました。
この季節、暑くもなく寒くもなく、自転車を飛ばすには最高の季節です。うちから兼六園あたりまでは距離にして約4キロほど。アップダウンさえなければ、丁度いい感じのサイクリングコースではあります。
2時間ほどで用も済み、今日は仕事も休み。折角ここまで出てきたので、ちょっと近辺を散策してみようかな、と。
ちょうどいただいたチケットがあったので、本多町の中村記念美術館へ。
ここは、もと造り酒屋だった中村家のご当主が収集された美術品が、季節ごとに趣向を変えて展示されていて、今は「器の楽しみ」と題する企画展が行なわれています。
展示された作品に実際に料理を盛って撮影したパネルがなかなかユニークでした。
仁清作の器に盛られた料理など、ああ、なんて贅沢・・・
お抹茶券つきだったので、ひとしきり作品を見たあと、休憩室でお抹茶をいただきました。休憩室の正面にはお茶室があって、時々お茶会なども催されています。
この中村美術館のある辺りは、かつて本多家の下屋敷があったところ。
鬱蒼とした本多の森を借景に、一見山の中の庵といった趣きの茶室です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/d6/0cdcfc22fac03123dfc3afa968f78d0b.jpg)
お茶をいただいて外に出ると、お茶室の庭にムラサキシキブが可愛らしい紫の小粒の実をたわわにつけていました。
そういえば、うちもムラサキシキブを植えてありますが、いっこうに実がなりません。(実になるべき花も咲きませんでした。)
兼六園は平日だと料金がかかるのでパス。
兼六園の周囲をぐるりと廻るようにして、小将町の玉泉園へ行きました。
玉泉園はずっと気になっていた場所なのですが、なかなか行く機会もないままに過ごしてしまっておりました。
この庭園、「西田家庭園 玉泉園」というのですが、西田家って加賀藩士のなかで聞いたことのない名前だなあ、とずっと思っていました。奥村支家の上屋敷にも近く、居住区域としては中~上級武士の住んでいたところだと思われるのですが・・・
「玉泉園」という名称も、前田利長の正室玉泉院(信長の娘ですね)と何か関わりがあるのかなあ、と実は疑問符だらけの場所でもあったのです。
入園料を払い、パンフレットをもらってそれらの「謎」が解決。
作庭したのは脇田直賢という人で、晩年の知行は1500石。
この人はもと朝鮮の人で、秀吉の朝鮮出兵のときに、父親が宇喜田秀家の軍に破れてしまいました。孤児となった少年を哀れんだ秀家が日本に連れ帰り、関ヶ原で流刑となった後、夫人豪姫に伴われて加賀の地にやってきて帰化したということです。
その後利長夫人永姫(玉泉院)に育てられ、その縁で庭園の名称に彼女の法名を冠したのだそう。
西田家というのは明治期になってからの当園の所有者なのだそうです。
前置きが長くなりましたが・・・
この庭園は崖地を利用した作りになっていて、入口入ってすぐに西庭、写真の苔むした飛び石の向こうに本庭、東庭、さらに「崖」を上っていくと灑雪亭(さいせつてい)路地というお茶室を伴った庭園があります。池を巡る池泉回遊式の庭園です。崖の上からささやかな滝が流れており、季節が季節なら、とても心地よい空間だろうな、と思います。
しっとりとした雰囲気は、日本庭園特有のものですね。
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こちらは本庭にある寒雲亭茶室の内部。(「写し」とパンフレットにはありました)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/59/2155c27e167039527450226fb22e49e3.jpg)
本庭の風景。水辺に植えられているのは杜若でしょうか。季節外れの花が二輪ほど咲いていました。また、この庭には水芭蕉の群生もあるそうで、今度は水芭蕉の時期に訪れたいものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/79/41685deebc8c0f63a3519b5fd2445030.jpg)