先ごろ日本城郭協会が、「日本の100名城」を選定しましたが、それにあやかって、「石川の名(迷)城」を考えてみました。
遺構が残っていたり、遺構はたいしたことなくても歴史的事件の舞台となったところを中心に、独断で勝手に選んでみました。
なお、画像の一部は姉妹サイト「又左の槍」から拝借しました。
≪金沢城(金沢市)≫
言わずと知れた加賀百万石前田家の居城、金沢城です。「日本の100名城」にも選ばれました。
写真は石川門ですが、藩政期から残っている建造物のひとつ。こちらは搦め手、つまり裏門です。
こちらは平成13年に復元された橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)・五十間長屋(ごじっけんながや)・菱櫓(ひしやぐら)。
藩政期の絵図や古文書をもとに、当時の工法を用いて復元されたもので、明治以降に建てられた木造城郭建築物としては全国最大規模なのだそうです。向かって右手の建物が菱櫓なのですが、名前の通り、建物全体が菱形になっていて、中に入ると、酔います・・・
現在もかつての建造物の復元を検討中とか。藩制期の威容が蘇る日が来るのかも・・・?
≪七尾城(七尾市)≫
金沢城とともに石川県から「100名城」として選ばれた城跡です。
私の好きなお城のひとつです。建物は何も残っていません。あるのは石垣とかつて建物があったことを偲ばせる遺構のみ。その石垣が見事で、いかにこの城が堅固であったかを物語っています。
本丸跡からは七尾湾が一望でき、天正5年、七尾城を攻略した上杉謙信は家臣に宛てた書状の中で
聞きしに及び候より名地、賀(加賀)・越(越中)・能(能登)の金目の地形と云い、
要害山海相応し、海頬(うみづら)嶋々の躰までも、絵像に写し難き景勝までに候
とその景観の見事さを讃えています。
≪小丸山城(七尾市)≫
前田利家が能登移封後に築城した平城。一般には、利家の能登移封の翌年(天正10年)に築城したとされていますが、佐々成政の脅威が去った天正13年以降の築城という説もあります。
現在は公園になっていて、桜や藤の花などが植えられています。
≪高尾城(金沢市)≫
長享2(1488)年の一揆で主戦場となった、加賀守護・冨樫氏の城。金沢市の南部、高尾町一帯の丘陵地に城があったようです。
一向一揆勢によって冨樫正親は滅ぼされ、その後100年近く加賀は「百姓の持ちたる国」といわれる時期が続きます。
実際に登ってみたことはなく、いつも「あのあたり」と思しき辺を素通りするにとどまっています。
≪鳥越城付二曲城(ふとげじょう)(白山市)≫
加賀一向一揆最後の砦。本願寺から派遣された鈴木出羽守によって築城され、天正10年、織田軍の柴田勝家によって落城しました。
鳥越城跡には、現在、本丸・桝形・中の丸の三つの門が復元されています。
二曲城は、大日川を挟んで鳥越城の向かいの山に築かれた山城で、鳥越城の出城として一向一揆の拠点となった城です。
「その2」へ続く・・・