華語り

心に華を!!

東風吹かば

2006-02-25 21:36:27 | 花だより

こちふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな

                    (菅原道真 『拾遺集』)

 

 

兼六園の南東に「飛梅町」という町があります。このあたりは前田長種を祖とする加賀藩の八家の一つ前田家の下屋敷があったところで、町名は前田家の家紋に由来します。行政区画で他の地名で呼ばれていたのが、先ごろ町名復活で「飛梅町」が復活しました。

菅原道真が大宰府に左遷されることになって京を離れる時、上の歌を詠んだところ梅が一夜にして大宰府まで飛んでいったという「飛梅伝説」は有名です。
道真を祖と仰ぐ前田家の家紋は梅鉢で、道真・梅と加賀は切っても切れない関係にあるのですが、「飛梅町」の町名復活に感銘を受けた太宰府天満宮の宮司さんが、友好のしるしに太宰府の梅を金沢市に送ってくださり、先ごろ植樹されました。

金沢市民俗文化財展示館の前、紫錦台中学校の校門脇に2本の梅の木が植えられています。

 

まだ蕾は固く、花がほころぶ日が待ち遠しいです。

 

 


雪の下から

2006-02-23 12:21:28 | 造園日記2006年

ずいぶんしぶとかった根雪もすっかり溶けて、雪の下から現れたのは・・・

秋に植えたチューリップやクロッカスなどの球根が芽を出していました。

秋植えのビオラは悲惨な状態になっていて、ちょっとこちらでお見せするわけにいきません。暖かくなったらちゃんと花が咲くかどうか、ちょっと心配です。


石川の名(迷?)城その1

2006-02-19 11:47:21 | 道々之記

先ごろ日本城郭協会が、「日本の100名城」を選定しましたが、それにあやかって、「石川の名(迷)城」を考えてみました。

 

遺構が残っていたり、遺構はたいしたことなくても歴史的事件の舞台となったところを中心に、独断で勝手に選んでみました。

 

なお、画像の一部は姉妹サイト「又左の槍」から拝借しました。


 

≪金沢城(金沢市)≫

 言わずと知れた加賀百万石前田家の居城、金沢城です。「日本の100名城」にも選ばれました。
写真は石川門ですが、藩政期から残っている建造物のひとつ。こちらは搦め手、つまり裏門です。


こちらは平成13年に復元された橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)・五十間長屋(ごじっけんながや)・菱櫓(ひしやぐら)。
藩政期の絵図や古文書をもとに、当時の工法を用いて復元されたもので、明治以降に建てられた木造城郭建築物としては全国最大規模なのだそうです。向かって右手の建物が菱櫓なのですが、名前の通り、建物全体が菱形になっていて、中に入ると、酔います・・・

 

現在もかつての建造物の復元を検討中とか。藩制期の威容が蘇る日が来るのかも・・・?

 

 

≪七尾城(七尾市)≫

金沢城とともに石川県から「100名城」として選ばれた城跡です。

 

私の好きなお城のひとつです。建物は何も残っていません。あるのは石垣とかつて建物があったことを偲ばせる遺構のみ。その石垣が見事で、いかにこの城が堅固であったかを物語っています。

 

本丸跡からは七尾湾が一望でき、天正5年、七尾城を攻略した上杉謙信は家臣に宛てた書状の中で

 

  聞きしに及び候より名地、賀(加賀)・越(越中)・能(能登)の金目の地形と云い、
  要害山海相応し、海頬(うみづら)嶋々の躰までも、絵像に写し難き景勝までに候

 

とその景観の見事さを讃えています。

 

 

≪小丸山城(七尾市)≫

 前田利家が能登移封後に築城した平城。一般には、利家の能登移封の翌年(天正10年)に築城したとされていますが、佐々成政の脅威が去った天正13年以降の築城という説もあります。

 

現在は公園になっていて、桜や藤の花などが植えられています。

 

 

≪高尾城(金沢市)≫

長享2(1488)年の一揆で主戦場となった、加賀守護・冨樫氏の城。金沢市の南部、高尾町一帯の丘陵地に城があったようです。
一向一揆勢によって冨樫正親は滅ぼされ、その後100年近く加賀は「百姓の持ちたる国」といわれる時期が続きます。


 

実際に登ってみたことはなく、いつも「あのあたり」と思しき辺を素通りするにとどまっています。

 

 

≪鳥越城付二曲城(ふとげじょう)(白山市)≫

加賀一向一揆最後の砦。本願寺から派遣された鈴木出羽守によって築城され、天正10年、織田軍の柴田勝家によって落城しました。

 

鳥越城跡には、現在、本丸・桝形・中の丸の三つの門が復元されています。

 

二曲城は、大日川を挟んで鳥越城の向かいの山に築かれた山城で、鳥越城の出城として一向一揆の拠点となった城です。


 

「その2」へ続く・・・


蕾まだ固く

2006-02-12 18:12:25 | 雪のある風景

今日も寒い1日でした。晴れ間があるかと思えば時々吹雪になったり、とても気まぐれなお天気でした。

長町の研修館で、土佐守家資料館主催の講演会があったので、今日も長町へ行ってきました。
加賀藩の能楽についてのお話。講師は県立美術館の学芸員の方で、まだお若い女性の方でした。

帰り、ぶらぶらと兼六園へ。土・日は県民無料デーなので、そういうときにしか兼六園には足を運ばないのですが・・・

去年は今頃、ちらほらと梅が咲いていたのですが、今年は寒さが厳しいせいか、まだ蕾の状態で、固く固く寒風から身を守っているようでした。

蝋梅が枝に雪を戴いて咲いていました。
そこだけ小さな黄色い灯がともっているようなその様子は、凍える雪の中でどこかほっとするような光景でした。

 

 


雪のうちに春は来にけり

2006-02-04 10:05:46 | 雪のある風景

雪のうちに春は来にけりうぐひすのこほれる涙今やとくらむ
              

立春です。
にもかかわらず再びの寒波到来。夕べからの雪で一面銀世界になりました。

冒頭の歌は『古今和歌集』のよみ人知らずの歌。「春たつ日」の歌として第4首目に採られているものです。

雪がまだ降り続いているというのに、春が来てしまった、というのは、まさに今日のような春の日をいうのでしょう。
暦の上では春だというのに、春らしい風物は何も見出すことができない。けれども凍っていた鶯の涙は今日この日、東風(こち)が溶かしているだろう、と、目の前にはもちろんいない(「らむ」という推定の助動詞が使われているので、それとわかります。)うぐいすに、春になったという思いをかけているのです。
「うぐひすのこほれる涙」という表現、新古今調を思わせるような美的な表現です。