華語り

心に華を!!

武家地巡り

2009-04-23 22:45:23 | 道々之記

この前の日曜日、本多蔵品館のイベントで、「城下町武家地巡り」が行なわれ、参加してきました。
お天気も上々で、心地よいお散歩日和。


本多蔵品館をスタートして、兼六園の敷地内(「敷地内」という言い方が正しいのかどうか、兼六園に「隣接」といった方がいいのでしょうか)にある金沢神社へ。
金沢神社は天神様を祀ってあり、受験シーズンになるとたくさんの絵馬が奉納されるそう。(我が家はここにはお参りしませんでしたが・・・)
境内(正確には「境内」ではないのかもしれませんが)には「金城霊澤」というのがあって、ここは「金沢」の地名の由来にもなったところ。芋掘藤五郎という人が、この池で砂金を洗ったところから「金沢」の地名が生まれたそうです。
「霊澤」は現在でも水が湧いているそうです。

 霊澤から数十メートルほどいったところにある旧津田玄蕃邸跡。
津田家は1万石を領し、加賀藩の家老を勤めた家柄です。
この邸は明治になって金沢医学館(現金沢大学医学部の前身)が置かれるなどし、かつては別の場所にあったものを建物だけ現在の地に移築したもの。玄関と式台のみが残されているだけですが、当時の万石の上級武士の住いがどのようであったかを垣間見ることができます。

兼六園の隣ですが、隔たっているし、兼六園には行っても、金沢神社や津田邸は素通りしてしまうことがおおいのでは、と思います。かくいう私も、このエリアは初めて足を踏み入れました。

一旦敷地を出て、広坂を下りお堀通りへ。
広阪の交差点に出ると、前方左手に金沢城辰巳櫓跡の高石垣がそびえています。
現在は3段になっていますが、これは明治期に旧陸軍が壊してしまったからとかで、かつては高さも今より高かったようです。

石川門から金沢城内へ入る。
石川門は搦め手門に当たります。
実質の大手門の役割をしていたのは河北門で、現在河北門の復元工事が行なわれています。

石川門を入ったところの枡形から見る空は、何処までも青く澄み渡っていました。

金沢城の屋根は、鉛ぶきであることは有名で、有事の際鉄砲の弾を作るためとよく言われます。ですが、それはありえないだろうとのこと。(ことが起きた時、そのようなことをしている暇はないだろうとのこと)
板葺きの屋根に鉛をかぶせてあるのだそうで、火災から建物を守るためにそのように作ってあるのだろうとするのが妥当なようです。
実用を離れて、陽光を受けて輝く様は、威風堂々、歳月を経て美しさまでも兼ね備えています。

普段表からは見ることはあってもあまり裏側を見ることはない石川門の裏へ廻り、それから工事中の河北門の横を通り、だだっ広い新丸広場を抜けて尾坂門(大手門)へ。
石川門は今でこそ金沢城の顔ですが、最初にも書いたようにあくまで搦め手の門。藩主が兼六園(竹澤御殿)などへ赴く際に使われるのみで、普段は閉じられていたのだそうです。家臣らが使うのはもっぱら尾坂門の方だったらしく、本多家や奥村家などは、石川門の方が絶対に近いのに、ぐるりと廻って入城していたようです。

尾坂門は現在石垣が残っているのみ。
石垣に、何かをさしこんでいたような切り口があります。(「大手門の石垣(3)」の矢印部分)ここに門か何かが備え付けられていたものでしょう。

城内には階段がいくつか見られますが、大手門の石垣にも階段があります。(「大手門の石垣(1)」)随分と狭くて急な階段ですが、人が歩いて登る(おそらく四つんばいで登ったのであろうということ)用の階段です。
階段には、人が歩いて登るためのもの、馬で登るもの、藩主が乗り物で登るものと、それぞれ幅と高さの規格が異なっています。

大手門を出て、古地図と見比べながらかつて藩士たちが住んでいた屋敷地をめぐります。
現在では建物もすっかり変わってしまっているので、藩制期の面影を偲ぶよすがはありませんが、町割りはほぼ藩制期と一致します。ですから、建物はなくても、ここからこのあたりまでがだれそれの邸だった、とか、現在のこのあたりにだれそれが住んでいたとかというイメージが比較的掴みやすいのです。
大手門を出てすぐ左手は、八家の一つ前田対馬守家(一万八千石)のあったところですが、一区画すべてがその敷地であり、いかに広い邸であったかを伺うことができます。

 

金沢の町は東と西と二重の惣構で囲われていましたが、その惣構の名残を見ることのできる場所がいくつかあります。
下の写真は一見、段差のあるところに作られた何の変哲もない駐車場ですが、じつはこの段差がミソなのです。
現在は付近に家が建てられていますが、このあたりは惣構だったところで、かつては土居が盛られていたところ。この段差はかつての土居の名残なのだそうです。
現在は暗渠となって、地下には水も流れています。 

最後は千仙叟(せんのせんそう)という茶堂の邸地跡。
千仙叟は利休の直系で裏千家の祖にあたる人物。徳川家光が江戸の加賀藩邸に御成りの際、茶道指南を勤めたことがきっかけで、加賀に迎えられたのだそう。

この並びに、ドウダンツツジが美しい寺島蔵人邸跡(蔵人邸跡の紅葉の記事はこちら)があります。今頃はドウダンツツジが真っ白い小さな花をたくさんたたえていることでしょう。

 北陸大学の長谷川先生の巧みな楽しい話術に引き込まれながら、普段見落としてしまっている町の風景に触れることができました。さわやかな春の風が頬に優しく、気持ちのいいひと時でした。

帰り際、本多家のご子息から、思わぬ贈り物をいただいてしまいました。
高岡の大学で教鞭をとっておられる方なのですが、ご自身の書かれた、政重の家臣団に関する論文を、「自分が書いたものなんですが」と、少々遠慮がちにくださいました。とても嬉しい贈り物です。感謝です。


初物

2009-04-18 20:37:27 | 日々の風景

3年目のウコギくん。順調に育っています。
葉もずいぶん出てきて、今日は今年初めてウコギ飯を作りました。
軽くゆがいたウコギを細かく刻んで塩少々といっしょに御飯に混ぜるだけ。
いたってシンプルな「料理」です。(もはや「料理」とは言えないかも。)
塩は能登の塩を使って。能登の塩は少々粒が大きいのですが、塩辛いだけの塩と違って、ほんのりと甘みがあって、とてもまろやかなのです。

去年はそこそこの葉っぱしかなかったので、葉っぱがなくならないように、恐る恐る摘んでいたのですが、今年はその心配もなさそうです。


芽吹く

2009-04-16 10:37:51 | 造園日記2009

一昨日からの雨で、ソメイヨシノはだいぶ花を落としてしまいました。
代わりに桜の木の下は敷き詰められた花びらが、薄紅色のじゅうたんを織り上げています。
昨日、桜の木の下を車で通ったとき、一瞬雨が雪に・・・?
雪と思ったのは桜の花びらでした。
古より、花を雪に見立てた歌は少なからずありますが、それは客観的な見立てなのではなく、本当に雪が降っているという感覚、雪の中に自分がいるという感覚を味わっているのだろうと思います。

ソメイヨシノの花は終焉を迎えていますが、街路では八重桜があでやかな姿を現し始めています。

 

以下はようやく芽吹きを始めた我が家の花木たち。(場所がないので、ほとんどがコンテナ植えですが)今年の冬あるいは去年の秋に我が家にやってきた新顔さんたちばかりです。

スモークツリーは柔らかな新芽が花びらのように枝の先から一枚一枚開いています。

 

こちらはクロロウバイ。
ロウバイが欲しくて探していたのですが、「クロ」が我が家に来てしまいました。
ロウバイの名を冠していますが、黄色いロウバイとは違うようです。
冬の間はずっと枯木状態で、本当に枯木を買ってきちゃったのでは・・・と心配だったのですが、枝の節々から小さな「芽」らしきものを出しました。最初木の枝の色と同じような茶色い色をしていたので、それが芽だとは思わなかったのですが、心なしか成長している・・・?
先っぽの方をよく見ると豚足のような、ウサギの耳のような「芽」らしきものが若干緑色を帯びてき始めました。5月ごろ花を咲かせるのだそう。

 

トウカエデの仲間で「花散里」という品種。某園芸雑誌に写真が載っていて、夫が一目ぼれしてネットで購入。山茶花に代わって、秋まで玄関先の「シンボルツリー」です。芽吹きの葉の色がとてもきれいです。

 


久しぶりの春の雨

2009-04-14 09:53:36 | 造園日記2009

4月になってずっとぽかぽか陽気の晴れの日が続いていましたが、今朝は窓を打つ静かな雨音によって起こされました。
雨とはいってもしっとりと地面を湿らす程度にしか降っていませんが。

ソメイヨシノもそろそろ葉桜になりかけています。
今年は開花中ずっと暖かで、すばらしいお花見日和続きでした。今日はしばしの小休止。

日曜日、我が家のジューンベリーも満開になりました。
桜の開花同様、昨年より数日早く満開になったようです。(去年の記事はこちら
今年は去年より花付きがいいみたい。花の後のお楽しみが増えそうです。

 


兼続ついに加賀にも進攻か!?

2009-04-09 22:39:30 | 日々の風景

朝からGacktのディケイドを聞いていたら、今日は一日中頭の中でディケイドが鳴り続けていました。

タイトルが大げさですが、近所のジャ○コのパン屋さんで、見慣れた「愛」の文字を掲げたポスターを見つけ、それに誘われるように行って見ると、こんなパンが売られていました↓
名づけて「兜パン」。
デニッシュ生地のなかにカスタードクリーム、チョコレートクリームなど、4種類ほどのクリームがはさんであリます。
端午の日限定商品なのかしら?

端午の節句といえば、この時期、いろいろな鎧兜が出ていますが、今年は直江さんの兜(もちろん「愛」です)もありました。
場所柄利家さんの鯰尾の兜が目を引きますが、今年は利家さんのが陰をひそめていたような気がします。(政宗さんのは例年人気のようですね)
志半ばにして病に倒れた謙信に代わって、400年の時を経て直江さん、加賀に進攻・・・でしょうか。


春風がもたらしたもの

2009-04-08 21:50:21 | 造園日記2009

穏やかなぽかぽか陽気が続いています。
我が家の花壇も少しずつ賑わいを増して来ています。
3月初旬に植えた「ウスベニヒゴ」という種のスミレが咲きました。
購入した時、枯れた様になった地上部が土にへばりついているような状態で、果たして芽が出てくるのやら、不安半分で庭に植えてみました。やがて緑色の芽をのぞかせました。生きていてくれたことに感謝した瞬間です。
先週あたりから蕾も頭をもたげ始め、本日開花の運びとなりました。
淡い薄紅色の愛らしいスミレです。
もう一株、純白のスミレも植えたのですが、そちらはまだ葉っぱしか出ていないので、花はしばらく望めそうにありません。

スミレが咲いたのが嬉しくて、夫に写メを送ったら、桜の写真を送ってきてくれました。富山の松川べりの桜です。
松川は富山城を巡って流れている川です。現在富山市の西方を神通川が流れていますが、神通川はかつては富山城のすぐ北を流れていました。天然の堀の役をしていたわけです。明治期になって改修工事が行なわれ、神通川は現在の流れになりましたが、松川は昔の神通川の名残。現在ではちょうどよい具合に富山城のお堀のようになっています。
花の時期には屋形船も通り、なかなかの風情です。

 昨日はちょっとうれしいことがありました。
1年半ほど通っていた美容院の美容師さんに1年ぶりで再会できたのです。
こちらがこうしたいということを上手に受け止めてくれて、手際よく上手にカットしていただいていました。
足が悪い方で、「足の手術をすることになったのでしばらく休みます。」といわれたのが去年の2月の半ばだったでしょうか。3月中は例によって慌しくて、4月になってお店を訪ねたところ、やめられたとのこと。しばらくその美容院に行っていましたが、どうもしっくりこなくて、別の美容院に行き始めた矢先でした。
立ち仕事なので、手術してもドクターストップがかかったのかしら?それとも術後の経過が思わしくなかったのか、と気にはなっていたのですが、連絡先も知らないので、そのままになっていたのです。
昨日たまたま近所のホームセンターで、花の苗を物色していたところ、声をかけられて・・・
本当に偶然でした。お住いが金沢市内ではないということを聞いていたので、そこでお会いするということ自体、ありえないことといってもよかったのです。
聞くと、足のことは二の次で、お店の中でいろいろいやな思いをされたとのこと。精神的にも参ってしまい、会社の上司の方に引き止められはしたが、やめてしまったそうです。
今はご自分のお店を持たれているそうで、連絡先も伺ったし、隣町ですが、折を見て訪ねてみようと思います。

春風はささやかな喜びも運んできてくれるようです。

 


桜月夜

2009-04-07 18:03:26 | 花だより

3月中はなんだか慌しくて、外の様子もゆっくりと眺めている暇もなく過ごしてしまいました。
三寒四温の言葉どおり、なかなか暖かさが続かなかった弥生三月。金沢の桜の開花は先月末にすでに出ていたようですが、寒い日が続いていて花の季節にはまだ遠い気がしていました。
4月にはいって数日がたち、ずいぶん暖かさが増し、春の気配が濃厚にあたりに満ち始めてきました。近所の桜もいつしか花をほころばせはじめていました。

桜の開花にあわせて、昨日から兼六園の無料開放が始まっています。
夜九時までライトアップもされており、夕べは夕飯を食べてから、帰省中の長男と夜桜見物に行ってきました。長男にしてみれば、親と夜桜見物しても何の色気もないのでしょうけれど・・・

木によっては八分咲きほどのものもありましたが、多くはまだ三,四分咲きといったところ。それでもライトに照らされた桜は昼間とは違う妖艶な雰囲気を醸し出しています。

10年前、金沢にやってきたときも、ちょうど桜の季節でした。
10日前後だったと思いますが、ずいぶん寒くて雪が舞っていたのを記憶しています。
初めての日曜日、兼六園の桜を見に行きました。途中の道はお花見渋滞で、ほんのわずかな距離なのになかなか進まず難儀しましたが、桜の花びらが舞い散る花のトンネルの下にいるのは、なんとも不思議な心地よさを感じたものです。
あのころ、まさか今、金沢に住んでいようとは思ってもいなかったのですが、子供たちがちょうどよい具合に受験などの年に引っかかってくれたおかげで、この地に暮らすことになりました。

あれから何度も兼六園の桜は見に行きましたが、同じ桜とわかっていても花に会いに行きたくなってしまいます。

空を見上げると花の間からよく冴えた月が望め、「桜月夜」とはこういった風情をいうのでしょう。
与謝野晶子が「今宵会ふ人みなうつくしき」と歌ったように、どの人もどの人も美しく見えるから不思議です。桜を眺め、春の喜びをかみしめるのはだれも彼も同じ思いなのかもしれません。