この前の日曜日、本多蔵品館のイベントで、「城下町武家地巡り」が行なわれ、参加してきました。
お天気も上々で、心地よいお散歩日和。
本多蔵品館をスタートして、兼六園の敷地内(「敷地内」という言い方が正しいのかどうか、兼六園に「隣接」といった方がいいのでしょうか)にある金沢神社へ。
金沢神社は天神様を祀ってあり、受験シーズンになるとたくさんの絵馬が奉納されるそう。(我が家はここにはお参りしませんでしたが・・・)
境内(正確には「境内」ではないのかもしれませんが)には「金城霊澤」というのがあって、ここは「金沢」の地名の由来にもなったところ。芋掘藤五郎という人が、この池で砂金を洗ったところから「金沢」の地名が生まれたそうです。
「霊澤」は現在でも水が湧いているそうです。
霊澤から数十メートルほどいったところにある旧津田玄蕃邸跡。
津田家は1万石を領し、加賀藩の家老を勤めた家柄です。
この邸は明治になって金沢医学館(現金沢大学医学部の前身)が置かれるなどし、かつては別の場所にあったものを建物だけ現在の地に移築したもの。玄関と式台のみが残されているだけですが、当時の万石の上級武士の住いがどのようであったかを垣間見ることができます。
兼六園の隣ですが、隔たっているし、兼六園には行っても、金沢神社や津田邸は素通りしてしまうことがおおいのでは、と思います。かくいう私も、このエリアは初めて足を踏み入れました。
一旦敷地を出て、広坂を下りお堀通りへ。
広阪の交差点に出ると、前方左手に金沢城辰巳櫓跡の高石垣がそびえています。
現在は3段になっていますが、これは明治期に旧陸軍が壊してしまったからとかで、かつては高さも今より高かったようです。
石川門から金沢城内へ入る。
石川門は搦め手門に当たります。
実質の大手門の役割をしていたのは河北門で、現在河北門の復元工事が行なわれています。
石川門を入ったところの枡形から見る空は、何処までも青く澄み渡っていました。
金沢城の屋根は、鉛ぶきであることは有名で、有事の際鉄砲の弾を作るためとよく言われます。ですが、それはありえないだろうとのこと。(ことが起きた時、そのようなことをしている暇はないだろうとのこと)
板葺きの屋根に鉛をかぶせてあるのだそうで、火災から建物を守るためにそのように作ってあるのだろうとするのが妥当なようです。
実用を離れて、陽光を受けて輝く様は、威風堂々、歳月を経て美しさまでも兼ね備えています。
普段表からは見ることはあってもあまり裏側を見ることはない石川門の裏へ廻り、それから工事中の河北門の横を通り、だだっ広い新丸広場を抜けて尾坂門(大手門)へ。
石川門は今でこそ金沢城の顔ですが、最初にも書いたようにあくまで搦め手の門。藩主が兼六園(竹澤御殿)などへ赴く際に使われるのみで、普段は閉じられていたのだそうです。家臣らが使うのはもっぱら尾坂門の方だったらしく、本多家や奥村家などは、石川門の方が絶対に近いのに、ぐるりと廻って入城していたようです。
尾坂門は現在石垣が残っているのみ。
石垣に、何かをさしこんでいたような切り口があります。(「大手門の石垣(3)」の矢印部分)ここに門か何かが備え付けられていたものでしょう。
城内には階段がいくつか見られますが、大手門の石垣にも階段があります。(「大手門の石垣(1)」)随分と狭くて急な階段ですが、人が歩いて登る(おそらく四つんばいで登ったのであろうということ)用の階段です。
階段には、人が歩いて登るためのもの、馬で登るもの、藩主が乗り物で登るものと、それぞれ幅と高さの規格が異なっています。
大手門を出て、古地図と見比べながらかつて藩士たちが住んでいた屋敷地をめぐります。
現在では建物もすっかり変わってしまっているので、藩制期の面影を偲ぶよすがはありませんが、町割りはほぼ藩制期と一致します。ですから、建物はなくても、ここからこのあたりまでがだれそれの邸だった、とか、現在のこのあたりにだれそれが住んでいたとかというイメージが比較的掴みやすいのです。
大手門を出てすぐ左手は、八家の一つ前田対馬守家(一万八千石)のあったところですが、一区画すべてがその敷地であり、いかに広い邸であったかを伺うことができます。
金沢の町は東と西と二重の惣構で囲われていましたが、その惣構の名残を見ることのできる場所がいくつかあります。
下の写真は一見、段差のあるところに作られた何の変哲もない駐車場ですが、じつはこの段差がミソなのです。
現在は付近に家が建てられていますが、このあたりは惣構だったところで、かつては土居が盛られていたところ。この段差はかつての土居の名残なのだそうです。
現在は暗渠となって、地下には水も流れています。
最後は千仙叟(せんのせんそう)という茶堂の邸地跡。
千仙叟は利休の直系で裏千家の祖にあたる人物。徳川家光が江戸の加賀藩邸に御成りの際、茶道指南を勤めたことがきっかけで、加賀に迎えられたのだそう。
この並びに、ドウダンツツジが美しい寺島蔵人邸跡(蔵人邸跡の紅葉の記事はこちら)があります。今頃はドウダンツツジが真っ白い小さな花をたくさんたたえていることでしょう。
北陸大学の長谷川先生の巧みな楽しい話術に引き込まれながら、普段見落としてしまっている町の風景に触れることができました。さわやかな春の風が頬に優しく、気持ちのいいひと時でした。
帰り際、本多家のご子息から、思わぬ贈り物をいただいてしまいました。
高岡の大学で教鞭をとっておられる方なのですが、ご自身の書かれた、政重の家臣団に関する論文を、「自分が書いたものなんですが」と、少々遠慮がちにくださいました。とても嬉しい贈り物です。感謝です。