華語り

心に華を!!

覚書 ARENA TOUR "JUSTICE&GUILTY" セットリスト

2013-03-09 09:18:52 | まつり・イベント

3月3日雛祭りの日に行われたGLAYのライブ。
とりあえずセットリストをアップ。覚書として。

 

ARENA TOUR "JUSTICE&GUILTY"
2013/3/3 石川県産業展示館


01 WHO KILLED MY DIVA
02 Super Ball 425
03 VERB
04 My Private"Jealousy"
05 PARADISE LOST
06 華よ嵐よ
07 everKrack
08 初恋を唄え
09 Together
10 SMILE
11 JUSTICE[FROM]GUILTY
12 棘
13 FATSOUNDS
14 真昼の月の静けさに
15 傷だらけの太陽
16 MERMAID
17 ROCK'N'ROLL SWINDLE
18 彼女の"Modern・・・"
19 Ruby's Blanket
20 運命論

Encore
01 卒業まで、あと少し
02 生きてく強さ
03 BEAUTIFUL DREAMER
04 Bible


上杉まつり 秋の陣

2011-09-30 19:50:12 | まつり・イベント

例年、5月の連休に行われている上杉まつりですが、今年は東北の大地震の影響で、秋に延期。直江会の行事とぶつかったおかげで、上杉まつりも観覧することができたのはラッキーでした。

17日夜は武てい式が行われました。
武てい式は、謙信が出陣の前に神仏に戦勝の祈りを捧げる厳かな儀式。

かがり火の中、護摩を焚く謙信のもとに各武将が名乗りを上げて到着を告げる。
軍団集結の後、軍神勧請の儀、五沾水(ごてんすい)の儀(神の水である五沾水を受けることで神に代わって敵を打つ信念が固められるという)などが粛々と行われていく。
やがて謙信の「出陣」の号令とともに、火縄銃が発砲。上杉太鼓の音が地を揺るがし、上杉軍団の行進、武てい式は終幕を迎える。

翌日は川中島合戦が行われました。前夜武てい式が行われたのと同じ松川の河川敷。
向かって左に武田軍、右に上杉軍が陣を張ります。
戦の前に先立って行われる祈祷の式。武てい式は昨夜行われたので、このときはかなり省略して、いよいよ戦闘開始。
鶴翼の陣の武田軍に対して上杉軍は車懸りの戦法。あまりに有名な第4次川中島合戦の展開です。

写真右の真ん中は、謙信が信玄に三太刀浴びせて陣に戻っていくときの様子。
白兵戦あり、鉄砲隊による射撃あり、妻女山から下りてきた高坂隊が、渡河する場面などもありで、次々に展開していく戦の様子は、見る者を退屈させない演出でした。(本当の戦だったら、そんな悠長なことを言ってはいられないでしょうが。)


麗しき戦士

2011-08-21 21:48:18 | まつり・イベント

ひと月ほど前から楽しみにしていた今日、この日。
越後は上越「謙信公祭」に行ってきました。
朝から金沢は雨。昼過ぎ、こちらを出発しましたが、雨の中の行軍となりました。上越のお天気も、降水確率50%と、やや微妙。せめて行列のときだけでも降らないでと願いながら高速を一路上越へ向かいました。
去年の経験があったので、上越で下りずに越後高田で高速を下りる。インターの駐車場が、謙信公祭用の駐車場になっていて、そこからシャトルバスが運行されているので、今年は迷わず越後高田へ向かいました。帰りもすぐに高速に乗れるので、便利ですので。
高速に乗っている間中、雨はしとどに降っていましたが、上越に近づくにつれ、少し小降りになりました。

シャトルバスで、会場へ。まだ始まるまでに1時間ほど時間があったので、「ものがたり館」へ行ってみました。案内所の方にお聞きしたら、歩いて15分くらいかかるとのことでしたが、せいぜい7,8分のところにありました。そこは春日山城史跡広場のあるところで、行列が終わってから、川中島合戦が行われる所。「ものがたり館」では、大型のビデオで、謙信の生涯を紹介しているほか、謙信の遺物のパネル展示、地元小学生の歴史学習の様子などが展示されていました。みんな熱心に謙信のこと、学んでいるんですね。いい傾向です。

時間そろそろいい頃合になったので、再び会場に向かいました。
行列の通る路上はかなりの人で埋め尽くされていました。百万石祭の比ではありませんでしたけれど。

さて、心配していた雨も若干降りはしたものの傘がずっと必要というほどではなかったのは幸いでした。GLAYのTERUが、晴れ男なのは有名ですが、Gacktももしかして晴れ男?

和太鼓の演奏が士気を高め、いよいよGackt謙信の登場。
一瞬ちらりとお顔が見えました。
そして、今年も目の前を、あっという間に疾走・・・ああ、Gackt謙信よ、どこへ行く?といった感じでした。

待つことしばし。米沢の稲富流砲術の方たちも来ていらして、Uさんもあの中にいらっしゃるのね、と思いながら、人並みに飲まれながら砲術隊の一行を見送りました。
武者行列のあと、再びGackt謙信登場。
馬上の人は麗しく、謙信その人ではないとしても、本当に義の人が降臨したといった趣。
私がGacktを好きなのは、そのルックスや歌声もさることながら、彼の生き様にとても共感できるから。ストイックで、確固たる自己というものを持っている。3月の震災の際にも、彼なりに支援物資を送ったりと(大変な状況だったということですが)、決して表面だけで「いいこと」をしているわけではない。雑誌などを読んで、彼の思いが伝わってくることで、「第一義」ということを実践している人のように思うのです。
麗しき謙信。

行列のあと、川中島合戦の再現があるのですが、それは見ずに帰途に着きました。
高速に乗ってしばらく行くと土砂降り。やはり彼は「晴れ男」だったのです。




政景公墓前祭

2011-07-23 22:42:51 | まつり・イベント

直江会の方からお誘いを受け、19日は長尾政景墓前祭に参加するため、六日町へ行ってきました。
本当は夏期講習目前で、仕事が忙しくなるのはわかってはいたのですが、無理を言ってお休みをもらい、六日町行きを決行しました。

高速を上越で下りて、ほくほく街道(というより個人的には「上杉軍道」と呼んでおきたい)を一路六日町へ。ナビでは5時間ほどかかるということでしたので、余裕を見て6時ちょっと前に出発。実際には4時間ほどでついてしまい、集合時間まで1時間半ほどあったので、お土産を買ったり(いつか飲んだ「景勝」の味が忘れられず、長男へのお土産と称して実は自分へのお土産だったりする。)、坂戸城跡へ行ったりして時間つぶし。
11時半少し前に集合場所の安穏亭へ。行くとちょうど直江会の方々も到着した所でした。
安穏亭は江戸期の豪農館を移築したという趣のあるおそば(うどん)やさん。いただいた釜揚げうどんは、麺がしこしことして美味しかったです。

食事をいただいたあと、お向かいの旅館「龍言」を見学させていただきました。そこはかつて、政景らの菩提寺である龍言寺のあったところということで、その名を旅館の名に頂いているということです。

 

堂々たる門構えもさることながら、歴史の重みを感じさせるような調度品の数々、そして庭園の趣深さ。こんな宿に一泊してみたいと思わせる素敵なたたずまいのお宿でした。

道を走っていると、かようなものに遭遇↓

前田慶次はどこに行っても人気があるようです。

この日は「兼続公祭」というのが行われていて、商店街には露店が立ち並んでいました。

 

さて、本題の政景公の墓前祭です。

兼続公祭に参加された、上田五十騎の方々、米沢の稲富流砲術保存会の方々が到着されて、墓前祭が始まりました。
政景のお墓の右手に、新しく初代から景勝までの供養塔が建てられているのですが、墓前祭はそちらの供養塔の前で行われました。(以前来たときには気づかなかったのですが、兼続の供養塔も建てられているのです。)
政景の墓前祭?のはずなのに、政景さんは隅に追いやられたような感じに少々違和感を感じないでもなかったですが・・・。
慶次の供養祭のときとは違って、厳かな雰囲気の中の墓前祭でした。
稲富流の礼砲で幕が閉じました。林の中に向かって礼砲が放たれましたが、体全体にずしりと響く米沢の鉄砲の音。以前、川中島で経験済みでしたが、立ち込める白煙が、歴史のかなたへいざなってくれるような雰囲気でした。

砲術保存会にU氏がいらっしゃって、約1ヶ月半ぶりの再会。次は謙信公祭で演武をするとのことでした。

墓前祭が終わり、直江会の方々と別れを告げる。次は9月の総会に是非、とまたまた誘われてしまいました。断りきれない私・・・。とはいえ、そうやってお誘いくださるというのもありがたく、嬉しいものです。
名残を惜しみながら、帰途に着きました。

 

翌日、仕事に来てみると、机の上が仕事の山・・・であったのは言うまでもありません・・・。

 


前田慶次供養祭と米沢探訪

2011-06-11 21:50:16 | まつり・イベント

1週間もたってしまいましたが、ようやくアップです。

先週6月4日は前田慶次400年回忌供養祭が、堂森善光寺で行われました。
お正月に善光寺から年賀状をいただいた時から、この日は是非、米沢へ、と画策していた矢先、3・11の大地震で米沢行きも少々危ぶまれましたが、何とか当日は朝3時起きで米沢に向かいました。
米沢の駅で「春雁抄」サイトの常連さんでもあるひでおさんと待ち合わせ、一路、堂森へ。道脇には「駐車禁止」の看板が立ち、道に車を止める人もなく、駐車場はほぼ満杯でしたが、誘導もスムーズで、(車を止めた所はおそらく畑か田んぼ?)はやる気持ちを抑えて善光寺へ向かいました。
善光寺では予想を上回る人だかり。
写真では、あまり人が写ってないようなものを選んだので、さほど人はいないように見えるかもしれませんが、決して広いとはいえない境内いっぱいに人が溢れていました。
読経が始まり、厳かに供養式が行われましたが、「厳かに」というよりは「にぎやかに」といったほうがぴったりだったかもしれません。そしてかえってそのほうが、慶次を供養する意味では格好のシチュエーションだったようにも思います。
お坊様の読経のあと、一人一人がお焼香を捧げました。私ももちろんさせていただきました。
慶次のように強い心がもてますようにと心に念じながら。


武道家で俳優でもいらっしゃる角田信朗さんもいらしていて、ともに祈りを捧げられました。供養式が終わってから、サイン会も行われ、売っていた絵馬にサインをしてもらい、握手をし、ツーショットの写真を撮っていただきました。そちらの写真は割愛させていただきます。

この日、嬉しかったのは、角田さんの件はもちろんですが、米澤前田慶次の会の会長で、もと米澤図書館館長でいらっしゃったU氏にお会いできたこと。ネットを通じてメールなどやり取りすることはあっても、お会いするのは初めてで、日ごろのお礼も不十分とはいえ少しはできたのでは、と思っています。

一通りイベントに区切りがついたと思われた頃、ひでおさんに案内していただき、慶次清水へ。
かつてはたどり着くにも困難な藪の中にあったそうですが、近年は慶次の会の方々が中心になり、整備がされ、とても行きやすくなったということです。
この日はお天気も上々で、汗ばむくらいの陽気でしたが、清水を囲む空間はひんやりとして、そこにいるだけで浄化されるような気分になってきます。水面に映る木漏れ日が美しく、まぶしく、400年の時を越えて、慶次その人が清水に手を浸す光景が浮かんでくるようでした。

その後、善光寺の裏手にある月見平へ登りました。善光寺の裏手はお墓になっていますが、その更に上に月見平はあります。このようなところで山登り(?)するとは思ってもいませんでしたが、途中、山つつじの燃えるような花が出迎えてくれました。
そこで思い出したのが、亀岡文殊堂詩歌百首で、慶次が詠んだ歌。「樵路躑躅」と題する歌で、

   山柴に岩根のつゝしかりこめて
          花をきこりのおひ帰る道

つつじを背に負っている樵自身は意識してはいないでしょうが、それを目にした慶次が、樵の中に風流心を見出している、「かりこめて」という表現に、意識してつつじを刈りこんだというさまが感じられます。(樵が意識して、ということではなく、慶次が樵が意識して刈り込んだと感じているということ。)花を背負う樵に風流心を見出している点、慶次自身が風流な漢であるということが良く伝わってくるような歌だと思います。

さて、この日のお土産は、こちら。↓


日本酒が好きな長男のために求めた品ですが、飲み口はかなりすっきりしていて飲みやすかったです。(萌え~なアニメ好きな長男には、このイラストは好みではないようでしたが・・・)

夜は直江会の方にお誘いを受け、松川河川敷で行われた「牛肉まつり」に参加しました。
お肉が苦手な私。翌日の講演会のため、牛肉祭りから参加した三楽堂さんには、「えっ、よーぜんさん、お肉、だめなんじゃなかったの?終るまで黙って見てるんですか?」と厳しい突込みが・・・^^;
まあ、それでも少々いただきましたよ、せっかくの米沢牛ですから・・・

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翌日は、午前中は慶次400年回忌記念講演会&シンポジウムに参加。
午後は直江会のK氏の案内で、林泉寺さんと西明寺さんへ行きました。
ともに御住職様とは初対面。とても緊張しました。林泉寺の御住職様は、そこにいらっしゃるだけでオーラが感じられるような方。林泉寺さんのHPとは、「春雁抄」と、相互リンクしていただいており、一度は御挨拶したかったので、こういう機会を設けてくださったK氏には本当に感謝です。

西明寺は、米沢の高台にあるお寺。兼続がそこから米沢を一望して作ったという漢詩が碑になっています。

 西明寺展望に題す

遠山西に望む西明寺
はるかに憶う 最明寺投宿の秋
暮月林間まさに外にめぐらんとし
無端の衣色 金風に満つ

兼続もここから米沢を眺めたのかしら、と思うと、感慨も一層深まります。

 帰りは御廟所に寄って帰ることに。 時間が時間だったので、もしかしたら間に合わないかも、と思っていましたが、なんとか拝観時間ぎりぎりに間に合いました。そのせいか、観光客も1人、二人ほどしかいなく、杉木立の凛とした空気を体中に感じることができました。
景勝の廟所の前の「メガシャキ」、しっかり確認してきました。

さて、今回の米沢探訪もこれで終わり。次の日は早朝バイトが待っているので、日付が変らないうちに、と願って帰途に着いたのでありました。

 

 


薔薇のソムリエ

2010-06-20 23:38:19 | まつり・イベント

市内のホームセンターで、「薔薇のソムリエ」こと、小山内健さんの講習があるというので、日曜の午前中にいつも行っているスポーツジムを午後に回して行ってきました。(遊さん、情報をありがとうございました。)

先週の有島さんといい、小山内さんといい、バラをやっている方たちは、お話が上手い。思わず話に引き込まれてしまいました。

鉢に植えるときの植え方の話から。
とにかく水はけがよく、乾燥気味に育てること。
台木に使われているノバラは、高速道路の土手など、乾いた所に自生している、それを思えばおのずとどんな風にすればよいか、わかりますね?・・・中庭のバラの一部に元気がないのは、水はけがまだ良くないせいだろうか、と思ってみたりもします。
とにかく「根が大事」ということを強調しておられました。新しい根を伸ばすためのアドバイスもいただきました。

また、バラの鉢に他の植物を植える(パートナープランツ)時の方法などもご教示くださり、これなどは早速試してみたいと思いました。

 

こちらは小山内さんにいただいたバラ。
勤務先の京阪園芸で売り出し中のFGローズ(フローリスト&ガーデナー ローズ)をいくつかご持参くださり、これはそのうちの“みやこ”。我が家にもFGローズの“てまり”がおりますが、“てまり”より色の濃いピンク。

先週、有島さんもお話していましたが、今年のキーワードは“FGローズ”のようです。

それにしても、たった1週間のうちに、有島さん、小山内さんと、「薔薇の三銃士」とも称される方々のお話をうかがえる機会が持てたことは本当にラッキーでした。あと、残るは大野耕生さん・・・


フレグランスさん

2010-06-17 00:02:53 | まつり・イベント
前回の記事に書いたように、日曜日にはローズアドバイザーの有島薫氏の講演会に行ってきました。主催はいつもお世話になっている小松のY園芸さん。講演に先立って、「北陸ローズクラブ」の結成総会が行われ、年会費が300円という超良心的な金額にひかれ、早速入会することに。

総会のあと、いよいよ有島先生のお話です。
小山内健さんや大野耕生さんらとフランスのデルバール社の育苗場に行ったときの画像を紹介しながら、新品種のバラが誕生するまでの過程を枕としてお話くださいました。それはそれは広い広い畑に、新しい品種を世に送り出すために、何千何百というバラが育てられているのです。何百ものバラの交配の中から世に出るのはほんの一握り。新しく売り出されたバラは文句なしによい品種なのでしょうが、その蔭には切り捨てられたバラが何百もあるわけで、新品種が登場するということは、まさに一期一会なのだなあと、妙に感心してしまいました。
新しく発売されたバラもいくつか紹介してくださいましたが、いいわ、これ、と思ったバラが少なからずあったのは言うまでもありません。一緒に行っていた夫もお気に入りをメモっていたようで、後日また、新しい子が増えるのかも・・・。

有島さんは、一般的なバラのマニュアル本に書いてあるような、たとえば5枚葉を2,3枚残して、外芽で剪定するというようなことは言いません。伸びた枝の半分程度を、外芽、内芽に関係なく(むしろ内芽を推奨していたような)剪定するのだといいます。(スペースが限られている所では、内芽で剪定することでコンパクトに仕立てることができる。)

前に雑誌でピエール・ドゥ・ロンサールをこんもりと鉢で仕立てたのを拝見したことがありましたが、今回も、その画像を紹介してくださいました。あのピエールが鉢で?と、始めてその写真を見たときはかなりショッキングでした。ですが、大きくなるつるバラも、そんな風にこじんまりと仕立てることができるというのは、ちょっと小気味良いです。真似してみたくもなります。
有島さん曰く「小さいバラを大きくすることは無理ですが、大きいものを小さく仕立てることはいくらでもできます。」
敢えてマニュアルどおりにはしない自由な発想がすばらしいと思います。もちろん長年に渡るバラとのお付き合いの中から見出した有島流なのでしょうから、にわかバラ愛好家の私など、とても足元に及ぶべくもないのですが、肩肘張らずにバラと向き合って良いんだよ、というメッセージをいただいたような気がします。

バラ以外の草花についても、たとえば、液肥を上げるときには、まず水やりをしてから液肥を与える方が、養分が浸透しやすい、とか、ポット苗を植えるとき、根をはさみなどで毛羽立たせてから植える、とか、土を湿らせてから苗を植える(湿らせておかないと、苗の真下の土がちょうど傘をかぶったような状態になり、水遣りをしても苗の真下に水が浸透していかない可能性がある)、など、目から鱗のワンポイントアドバイスをうかがうことができました。

有島先生の巧みな話術に引き込まれ、時間の経つのも忘れるほど。有島先生もまだお話を続けたい風でしたが、あっという間に終了の時間に。
翌日早速有島流に、花の終わったイングリッシュローズたちを剪定したのは言うまでもありません。

景虎供養

2009-05-01 00:39:50 | まつり・イベント

29日は、上杉三郎景虎の350年の年忌法要が行なわれるという情報をキャッチし、夫を誘って法要の行なわれる新潟県妙高市の勝福寺へ行ってきました。
週末の悪天候は高気圧がすっかり追い払い、朝からすっきりと晴れ渡ったドライブ日和。
一部の方々は連休が始まったからでしょうか、北陸道はいつもより交通量が多かったです。(とはいえ、順調に流れてはいましたが。)

法要は午後1時からのスタートで、12時前に現地に到着。
お寺の付近には、「上杉景虎終焉の地」と書かれた旗がいくつもはためいていました。
勝福寺は、景虎が自刃して果てた鮫ヶ尾城の麓にあるこじんまりとしたお寺です。
お寺のある付近一帯は、かつて城主の居館などがあった場所だということです。
三郎景虎の墓所は、記録には栃尾の常安寺にあるとされているようですが、実際、栃尾の常安寺にも、また、米沢の常安寺にも墓所は存在せず、鮫ヶ尾城下の勝福寺のみが唯一のゆかりの地です。
境内には景虎の供養塔、景虎の石像が静かにたたずんでいます。

某小説に端を発して、景虎さん、人気のようですが、ミラジェンヌらしきお嬢さんがたも何人も見受けられました。
私はといえば、景虎と敵対した側の景勝派ではありますが、歴史の深い闇に飲まれていった人々に対して、敬意の念を持ってこの法要に望みました。
歴史の箍がどこかで崩れていれば、あるいは景勝が景虎の立場になっていたかもしれません。滅びていった者たちを、悲劇だとか気の毒だとかで片つけてしまうことは容易ですが、その者たちがいたからこそ、景勝の政権が存在したわけで、それは御館の乱に限ったことではなく、数え切れない多くの人々の犠牲や努力の上にたって、今の世が存在していることを思わずにはいられません。
430年の時を経て法要を行なう意味を、私なりにかみ締めながら、読経の声を聞いていました。景勝派の自分が、景虎の法要に来ていることの単なる言い訳に過ぎないかもしれませんが・・・

昨今発見されたという、景虎の従者が持っていたと伝えられている景虎ゆかりの脇差の供養もあわせて行なわれました。

本堂には、例の、炭化したおにぎりも展示されていました。


 法要のあと、上越市文化財調査審議会委員長の植木宏先生による講演が行なわれました。景虎の法要は、30数年前から行なわれているそうですが、植木先生は、お寺のご住職とともに法要の開催や供養塔の建立などに尽力されたのだそうです。

講演は春日山城の縄張りと、御館の乱の終焉に関してのお話でした。
上越地方には約160の城館跡が存在するようですが、これらはすべて春日山城を守る(越後を守る)形で配置されているのだそうです。謙信がそれほどまでに守ろうとした越後という国に対して、改めて興味を抱かずにいられません。

御館の乱に関するお話では、景勝が、非常に迅速なタイミングで恩賞を与え、そのことが勝利につながったことを上野九兵衛尉という人物を取り上げて解説くださいました。間延びした某ドラマの演出とは、やはり全く違っていた「戦い」であったことを再認識しました。

このあと、脇差の解説、妙高市の職員の方の説明つきの鮫ヶ尾城登山が行なわれたようでしたが、帰宅時間が遅くなりそうだったので、植木先生の講演終了後に退出し、鮫ヶ尾城を目指しました。

総合案内所の横を通って、北登山道から登頂。
道はきれいに整備されており、スミレがそこここに咲いていました。
頂上付近には、カタクリが植えられていますが、花の時期はすでに過ぎていたのは残念です。
もちろん、彼岸花は咲いていません(笑)
20分ほどで本丸跡に到着。山頂には八重桜が枝もたわわに花をつけ、風に揺らぐ姿は実に見事で。

春日山城から鮫ヶ尾城まではおよそ10キロくらい。そう遠く離れているわけではありません。
春日山と思しき方向を望んでみましたが、ここに来た景虎も、春日山城を眺めてみたのでしょうか。
自分がかつて主に准じる立場で過ごした春日山城を、どんな思いで眺めたでしょうか。


百万石まつり

2008-06-09 12:04:47 | まつり・イベント

一昨日土曜日は「金沢百万石まつり」のメインイベント、百万石行列が行なわれました。

土曜日は午後から古文書の講座があり、終わったころ、ちょうどいい具合にパレードを見ることができそうでしたので、講座終了後、まっすぐ家には帰らずに、駅方面へ向かいました。

朝から曇り空が広がって、今にも雨が降り出しそうなお天気でしたが、雨にあうこともなく、パレードが行なわれました。

毎年見に来ていると、もういい加減、見なくてもいいや、と思ってしまいますが、ブログのネタのために(笑)、メインの利家サンだけでも写真に収めなくては、と意気込んで。

例年、おまつの方役は、市内の女性がされていましたが、今年は石野真子さんが演じられました。
テレビで見るのと同じく、愛らしい笑顔を振りまいていました。

利家役は山下真司さん。
ちょっと緊張していた感じでしたが、堂々たる勇姿。

駅まで来たので、ついでながら鼓門も撮影。


“美しき夢追い人”であるために~GLAY ライブレポ

2008-03-01 12:21:31 | まつり・イベント

昨日は2月の晦日でしたが、4年に一度の閏年の日。私にとってもまた、特別な日でした。

 

待ちに待った“GLAY HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2007-2008”の石川ライブの日。チケットの予約をしたのが夏でしたので、かれこれ半年待ったことになります。
その間GLAYさんたちのお姿は、「Ashes E.P」がリリースされた時に(10月ごろだったかな)Mステで拝見しただけだったので、本当に長いこと「待たされた」という感がありました。

 

昨日は仕事もそこそこに切り上げ、バスで会場に向かいました。
6時半の開演だったので、間に合うかどうか(バスがなかなか来なかったりしたので)少々心配でしたが、席について10分くらいで幕が上がりました。
去年の富山のオーバードホールの時のようないい席ではありませんでしたが、会場もそれほど大きくはなかったので(せいぜい1800人くらいのホールでした)メンバーの表情もかすかではありますが、肉眼でとらえることができました。

 

スタートは秋にリリースされたシングル「Ashes.EP」の2曲目の「ROSY」。
ライブが始まるというアナウンスがあったあと、少しして、何の前ぶれもなく、ステージが明るくなり、曲が始まりました。
メンバーの演奏している様子はわかるのですが、なんとなくぼんやりしている感じ。席が遠すぎるせいろうか?と思っていたら、1曲目が終わって薄い帳がサァッと上がりました。


 

ステージがより明るくなり、「YOU MAY DREAM」「SURVIVAL」・・・とノリのよい曲が続く。
HISASHIのギターがうなり、「coyote,colored darkness」が。この曲、結構好きなんです。思えば、この曲を初めて聞いたのも、同じ厚生年金会館でのライブでした。
そんなことを思いながらTERUの歌声に酔いしれる・・・

 

「これからのGLAYを象徴するであろう歌」(表現は違っていたと思いますが)というようなMCのあとで「SORRY LOVE」。

 

   SORRY LOVE 歩き出す二人のこれからに
   冬が来て春が来て 夏のあと秋が来る
   それだけ それだけのこと・・・

 

当たり前のことを歌った詩ですが、当たり前すぎるゆえに心に響く詩でもあります。

 

こういうスローなナンバーは、会場中に響き渡るTERUの声に抱かれているような不思議な感覚に陥ったりもする・・・

 

新曲「STARLESS NIGHT」も披露してくれました。
この曲は、これからみんなで育てていきたいというTERUの指導(!?)で、会場で大合唱。厚い衣を脱ぎ捨てたようなさわやかな印象の曲です。
CDの発売はいつなのでしょうか。今から楽しみです。

 

新旧織り交ぜた曲の演奏。

TOSHIさんの小気味いいドラムワークに、JIROは相変わらず元気いっぱいで、HISASHIはお人形のようだった。
TAKUROさんは終始落ち着いた雰囲気で、さすがリーダーの貫禄。
TERUの“腰振りダンス”が艶っぽくて・・・



「ASHES-1969-」で、ひとまず宴はお開きとなる。
(「1969 アポロが月へ・・・・」と歌っていますが、この年、メンバーは生まれてないですね。私は生まれていたけど。って、関係ないですが・・・)

 

アンコールの声が会場を揺らします。
メンバーが去ったあとのステージには、ツアーのロゴがライトに照らされて浮かび上がっています。

 

TERUとギターを持ったTAKUROが登場し、「HAPPY SWING」。
演奏中に他のメンバーもやってきて、演奏に加わる。

 

このあとサプライズな演出がありました。
会場の中の一人にリクエストしてもらった曲をメンバーが演奏してくれる、というもの。
そこで選ばれたのが、昨日誕生日だったという子。
福井から来たと言うラッキーガールは、会場中の羨望のまなざしに温かく見守られ、ステージへ。
彼女のリクエストは「都忘れ」でした。
昔の曲ですが、しみじみとしたいい歌です。

 

「ソウル限りなく ピーク果てしなく」では、突然ステージで爆発!が起こって、銀テープが会場中(正確には会場の半分くらいにしか届いていませんでしたが)に乱舞する。
最後は「BEAUTIFUL DREAMER」。

 

右手に夢を、左手に希望を。
TERUの言葉をかみ締めて、ああ、今回もいいライブだったなあとしみじみ思うのでした。

 

 

写真はチケットと、「ソウル果てしなく・・・」の時に降ってきた銀テープ。
チケットには名前が金文字で記されていて、「自分だけの特別な」チケットという趣き。
銀テープには、メンバーのメッセージが書かれていて、印刷とわかっていても、とても嬉しいプレゼントです。

 

以下、セットリストです。

1.ROSY
2.YOU MAY DREAM
3.SURVIVAL
4.ROCK'N ROLL SWINDLE
5.MERMAID
6.coyote,colored darkness
7.SORRY LOVE
8.Winter, again
9.BE WITH YOU
10.STARLESS NIGHT
11.AMERICAN INNOVATION
12.Lock on you
13.誘惑
14.Runaway Runaway
15.彼女の"Modern・・・"
16.HIGHCOMMUNICATIONS
17.ASHES-1969-

EN1.HAPPY SWING
EN2.都忘れ
EN3.ピーク果てしなく ソウル限りなく
EN4.BEAUTIFUL DREAMER

 

P.S.曲名に横文字が多いことを改めて発見。
  タイピングに疲れました・・・

TAKURO氏へ
曲名、出来るだけ日本語でお願いします^^;