華語り

心に華を!!

あちこちで書き散らしていることですが・・・

2007-04-27 10:17:04 | 日々の風景

先週あたりから、ハナミズキが花をつけています。

黄緑色っぽい色で、ちょっと変わった品種なのかもしれません。

ハナミズキは同じ時期にもう1本植えましたが、そちらは今年は花は望めなさそう。

 

さて、自分のサイトを始め、あちこちで書き散らしていることですが、

 

2009年のNHK大河ドラマは火坂雅志氏原作の『天地人』に決定。主人公は直江兼続。

 

「直江兼続を大河ドラマに推進する会」が中心になって、関係する自治体を巻き込んで活動してきた成果がようやく実ったこと、また、私もひそかに応援していましたので、嬉しく思います。

原作からして、ものすごくオーソドックスな兼続になりそうな予感(不安?)はあるのですが、とりあえずは来年の大河はどうでもよくなりました。(というか09年がわかる前からどうでもよかったのですが。)

 


門前 総持寺祖院へ

2007-04-25 21:25:43 | 道々之記

初めて門前町の総持寺祖院を訪れたのは、NHK大河ドラマ『利家とまつ』が放映されている頃でした。(その頃は門前町はまだ輪島市との合併前で、「門前町」という名称で呼ばれていました。)

 

総持寺は、加賀藩祖前田利家の帰依を受けて以来、加賀藩とは深い結びつきのある寺であり、ことに利家夫人芳春院は、菩提所として「芳春院」を建立しました。


 

三樹松関(さんじゅしょうかん)という小さな門を入ると、やや右手にどっしりとした山門が見えてきます。


 

禅寺特有の静謐とした雰囲気に囲まれたお寺です。


 

今回の地震で、特に被害の大きかった地域が、ここ輪島市の門前地区。ということを聞いてはいましたが、町に近づくにつれて次第に増えていく押しつぶされた家屋を目の当たりにするにつけ、地震の被害の恐ろしさを見せつけられた気がしました。

お寺の門前のすぐ脇に門前高校があって、その向こう側が駐車場になっています。その駐車場の入り口の角の家が、上から巨大な鉄板か何かで押しつぶされたようにぺしゃんこになっていました。本当に見事なくらいに、です。

道路もあちこちに亀裂が入ったり、波打っていたりで、本当に痛々しい状況でした。

 

山門は特に被害らしいものは見受けられませんでしたが、手前にある赤い橋のたもとがひび割れていました。


 

山門を通ってぐるりと回廊が巡っているのですが、かなりやられていて、中はもちろん入って回ることはできません。写真の中央部、壁が庭のほうに飛び出るようになっているのがおわかりでしょうか。


 

伝燈院は総持寺を開山した瑩山禅師の霊廟であり、いわばお寺の最重要部分である建物。明治期に大火があって、総持寺は横浜鶴見へ移転しますが、その火災のときもこの伝燈院は難を免れたそう。今回の地震でも、建物こそ、それほどの被害はないように見受けられましたが、まわりの石塔や背後の斜面が崩れてしまっています。


 

法堂に至っては、ご覧の有様です。


 

お寺の方によると、地震当時、雲水さんたちは皆托鉢に出られていてお寺にはいなかったそう。ただ、雲水さんたちが寝起きしている建物が壊れてしまい、被害の無かった建物のほうで生活されているとのこと。拝観を再開したけれど、地震の跡を見てもらうだけです、とおっしゃっていました。

 


今回の地震は、規模の割りに死傷者が少なかったといわれています。
実際、お亡くなりになったのは1名だけ。倒壊した家屋の状況を見て、人的被害が少なかったことは本当に奇跡といえるのかもしれません。

ですが、たとえ1名でも犠牲になられた方がいるわけで、これは数字の問題ではありません。何より被災されて、不便な生活を余儀なくされている方がいることを思うと、被害の大きい小さいは問題ではありません。

1日も早く人々の生活がもとのようになりますように。
私に出来ることはそうして祈ることぐらいですが。

 

山門の脇に植えられた桜の花が、今は盛りと咲き誇っていました。地震のあった日は、まだ蕾を固く閉ざしたままだったのでしょうが、春の日を浴びて、おそらくは去年と同じように花を咲かせたのでしょう。何事も無かったかのように。


能登輪島へ

2007-04-23 21:28:40 | 道々之記

能登を襲った地震から早くも一月が経とうとしています。

一昨日の土曜日、輪島の温泉へ行ってきました。

こんな時期に、あるいは不謹慎かも?という気がしないではなかったですが、夫の知り合いの人を通じて「ねぶた温泉 能登の庄」という旅館に予約を入れてもらいました。(というか、あちらから、泊まりにきて欲しいというオファーがあったようです)

実は今年で結婚20周年を迎えるのですが、そのお祝いという名目で・・・(理由は何でもよかったんですけど)

 

 前日に能登有料道路が穴水の少し手前まで開通した、ということだったので、道路も悪路なんかではありませんでした。

ところどころ道路の陥没した跡がブルーシートを覆った状態で、惨事の様子を生々しく伝えていましたが、通行する部分は綺麗に補修されており、通行には何ら影響はありませんでした。

 

泊まった旅館は、輪島の市街地から3,4キロ珠洲に向かう海岸線の途上にあります。目の前は能登の海が広がり、やや風が強くて波も少々立っていましたが、見渡す限りの雄大な風景を見ていると、1ヶ月前の天災が、嘘のように感じられてしまいます。

 さて、この旅館、お値段もそこそこ(かなり)いいのですが、本当に素敵な旅館でした。チェックインすると、入り口横のラウンジで、お茶のサービス。そしてこれは女性客へだけのサービスなんですが、何十種類もある浴衣の中から、自分の好きな柄を選ぶことが出来るのです。

で、私が選んだのはこんな柄↓

ちょっと紅いかしら?と思いはしましたが、まあ、気にしないことにしておきましょう(笑)

 

 

 「ねぶた温泉」というのは、東北のねぶたとは全然関係なく、その昔、傷を負った猪豚が、温泉に寝転がって傷を癒していたというところからきているそうです。
温泉のお湯もアルカリ性泉質で、お湯あたりも優しく、肌がツルツルして、とても気持ちのよいものでした。

館内の廊下には畳が敷き詰められていて、裸足のまま、歩くことができます。
お風呂上りとか、スリッパのぺたぺた感を味わわずにすむというのは心地良いですね。

さて、お楽しみのお夕食。
器は上品な輪島塗の本格的なもの。お料理ももちろん美味しいのですが、器を眺めながら食するというのは、また格別な美味しさがあります。

ほんの一部だけ、ご紹介です。

一番上は先付けと前菜の盛り合わせ。
時計回りに「能登春の彩り」と銘打った三種の海老の盛り合わせ。
お吸い物は子持ち白魚と海そうめん(海草です)。盛られているお椀は「雪月花」という名がついていて、蓋の上の部分には「雪」という字が書かれています。
左は能登牛の香草焼き。これはもちろん夫のおなかの中へ(笑)。

 

こちらは朝の食卓から。

白くS字を描いたものは、「すいぜん」という食べ物で、輪島ではイカの刺身に見立てて精進料理として使われるものだそう。海草(天草?)を煮とかして、米の粉を入れて固めたもので、ゴマだれをつけていただきます。
葛きりのような食感で、これがまた美味しい^^

 

というわけで、温泉につかり、美味しい食事をいただき、待ったりすごした休日でした。

 

輪島の市街地はそれほどの被害は受けなかったようですが、風評被害を被っている、という旅館の社長さんのお言葉でした。

声を大にしていいます。輪島の市内は元気です。道路もきちんと確保されています。
こういうことをきちんと伝えることも、大切なのかな、と思います。

 

ただ、翌日行った門前町は悲しいことになっていました。
そのお話は、また後日。


ジューンベリー

2007-04-19 10:51:51 | 造園日記2007年

 

四月も半ばを過ぎたというのに、なかなか暖かくなりません。

雨がちであったり、晴れていても空気が冷たかったり・・・

昨秋植えたジューンベリー、先週あたりから花が咲き始めました。

四月のはじめ頃は蕾も固く、いつ咲くとも知れなかったのですが、純白の可憐な花をたくさんつけました。


越谷探訪

2007-04-13 11:20:24 | 花だより

いえ、実際に越谷に行ったというのではなく、バーチャルですが・・・

 

ひょんなことから藤岡作太郎の日記を読み始めています。

藤岡作太郎は、金沢市出身の明治期の文学者で、現東京大学でも教鞭をとっていた人物。美術にも造詣が深かったのですが、39歳という若さで亡くなってしまいました。

その作太郎の日記を読んでいるのですが、これがひどく難解なんです。書いてある内容は、日記ですので、難しいことが書いてあるわけではなく、かなりくせのある筆文字なので、読み下しに頭を痛めています。江戸期の古文書の方が、文字のスタイルもある程度整っているのでまだ読みやすい。明治期の人は、どうしてああも達筆なんでしょう。

数人のゼミ形式で読み合わせを行なっているのですが、私の担当したところが、ちょうど今頃の時期で、越谷に桃を見に行った、ということが書かれている場面でした。

明治38年の日記なので、開通して2,3年経った東武鉄道の大沢町駅(現在の北越谷駅)で汽車を降り、駅周辺の桃畑や古梅園を見、久伊豆神社、天嶽寺、大聖寺などを見てまわった、ということが書かれています。

彼の歩いたルートはどんなだろうとネットから地図を引っ張り出したり、日記に出てくる地名や旧跡を色々検索してみたり・・・。

越谷の北部は砂地で、桃や梅などの果樹栽培に適していたそうで、越谷の桃は、杉田の梅(現横浜)、小金井の桜とともに江戸近郊の花の三名所に数え上げられるほど著名だったようです。

北越谷駅の西側に、浄光寺というお寺がありますが、そのあたり一体はかつて「古梅園」があって、現在は宅地化が進んで、浄光寺境内に数本当時からの梅の木が残っているだけだそうですが、近くに梅林公園が作られ、新しい花の名所ともなっているようです。

久伊豆神社(「ひさいず」と読みます。)の藤が見事だそうで、これから見頃を迎えるのでしょう。作太郎のころにも藤棚があった、ということが書かれていましたが、それほど立派なものではなかったようです。
この久伊豆神社、越谷周辺にたくさんあって、かつてこのあたりで勢力を持っていた武蔵七党(『平家物語』などに登場する児玉党とか横山党などが有名ですね。)の一つ私市党、与野党(よのとう)が信仰していたということです。名前のとおり、伊豆の三嶋大社と関係があるらしい。ということで、三嶋大社を検索してみたり・・・

なにやら、本来の目的である「日記を読む」ことからずいぶんかけ離れたことをしているような気もしないわけではないのですが。

おかげで越谷のこと、少々詳しくなりました(笑)。

 

 

写真は兼六園の桜第二弾。

本文とは全く関係ありません。

 


春の辰巳用水

2007-04-07 22:39:22 | 花だより

 

暖かくなってお天気もよかったので、久しぶりに辰巳用水の遊歩道へお散歩に行ってきました。日差しはすっかり春のそれで、秋や冬の、どことなく頼りなげな日差しと違い、凛とした力強さが感じられます。 写真は道沿いの果樹園に咲いていたすももの花。ほんのりと甘酸っぱい香を漂わせていました。果樹園にはリンゴ(または梨でしょうか)もありますが、花はこれからのようです。


かたくり

2007-04-02 07:16:19 | 造園日記2007年

 

3月末に開花宣言も出され、ようやく春の訪れを実感できるようになりました。開花宣言が出る前から、兼六園ではちらほら開花していました。開花宣言がだされたとはいえ、完全に咲いている状態ではないので、桜並木はぼんやりと薄紅色にそまり、開花したときとはまた違った風情があります。 去秋、ジューンベリーの根元に植えておいたかたくりも開花しました。半月ほど前には芽も出ていない状態で、球根がだめになってしまったかと、半ば諦めていたのですが、数日前みると、いつのまにかぐっと茎が伸び、蕾をつけていました。主張の強い花ではありませんが、ひっそりと春の訪れを告げてくれるようです。