高岡古城公園の堀
高岡は加賀藩2代藩主前田利長が隠居所として高岡城を築いたことに始まる城下町です。
高岡城は築城の名手とも言われた高山右近によって縄張りされ、平城としてはかなり堅固なつくりでした。大坂の陣の後廃城となりましたが、水濠や土塁は残され、現在は古城公園として市民の憩いの場になっています。
利長がこの地に築城する以前、約900年前、この地には越中の国府が置かれ、大伴家持が国守として赴任していました。
高岡は城下町であると同時に万葉の町でもあります。 (2004年10月3日撮影)
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◆越中国守館跡
碑だけしか残っていませんが・・・
◆勝興寺
この寺は、上の「越中国守館址」の碑から数十メートル先にあります。
かつてこの寺の境内に越中の国庁があったといわれています。
戦国時代には一向一揆の拠点ともなったお寺。土塁の跡が残っています。
◆二上山
山の西側から撮影したもの。
二上山といって思い出すのは、悲劇の皇子、大津皇子が葬られているといわれている大和の二上山。「二上山を弟背(いろせ)と我が見ん」と歌った大伯皇女の歌は有名です。
この山を見て、家持は故郷大和を思い出していたのでしょうか。
この山には前田利長が居城した守山城跡もあります。 (2003年撮影)
【二上山に立つ大伴家持像】
大伴家持は越中国守として5年間、国府の置かれていた現高岡市伏木に滞在しました。
その間詠んだ歌の多くは『万葉集』に載録されています。
二上山には万葉ラインというドライブルートがあり、その途中にこの像は立っています。
◆おまけ
高岡といえば、やっぱりこの人を載せないわけにはいきません。(^_^;)
というわけで、高岡古城公園内にある前田利長の像です。
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