華語り

心に華を!!

紅葉を見に行く

2008-11-27 09:55:29 | 花だより

隣のお宅の垣根のドウダンツツジが見事に紅く染まってきました。
ドウダンツツジといえば、あそこもそろそろ見頃かしら?
昨日は久しぶりに雨があがり、青空が広がったので、紅葉を見に、寺島蔵人邸跡を訪れました。

寺島蔵人は江戸末期の加賀藩士で450石取りの中級武士。
邸跡は兼六園や長町武家屋敷跡などから若干離れていて(徒歩圏内といえば言えないこともないのですが)、普通の住宅地(昔ながらの住宅地といった趣です)の一角にあります。2,3軒隣にも立派な構えの門のお宅があったりするので、この一角も、かつては武家屋敷だったのでしょう。

いかにも武家屋敷といった、質素ではあるが凛としたくぐり戸を通って中に入ります。

紅葉にはまだ少々早かったようで、日のよくあたる上の方が若干色づいている程度でした。
それでも、もみじの葉が庭の飛び石を飾っている風情は、晩秋の趣です。

紅葉を見に来たといったら、紅葉してないことにとても恐縮されていたようで、「色づいた頃、もう一度こられるのでしたら・・・」と、管理人さんがチケットの裏に判を押してくださいました。来週くらいにもう一度行ってみようと思います。

こちらは尾山神社の神門。信号待ちのときに車から撮りました。

 


新説ならぬ珍説!?

2008-11-21 23:44:25 | 日々の風景
初雪以来、寒い日が続いています。
今日も夜、仕事をしていたら、7時過ぎにものすごい音を立てて霰が降りました。
外へ出てみると、直径1センチくらいはあったでしょうか。かなり大きな霰の粒が落ちていました。
車のタイヤはまだノーマルだし、ちょっと帰りが少し心配でしたが、帰る頃には道路の霰は半ば消えていました。
お天気の回復が待たれる今日この頃です。

昨日、「係り結び」の説明をしていたら、ある生徒から、「こそ」の結びは已然形でなく命令形だと学校の先生が言っていたが、と質問されました。
「係り結び」というのは、「ぞ、なむ、や、か、こそ」が文中に用いられた時、結びが終止形でなく「ぞ、なむ、や、か」の時は連体形、「こそ」のときは已然形で結ばれるという、受験では注意を要する文法です。
時代が下るとこの法則もかなりいい加減にはなるのですが、「こそ」の結びが命令形というのは聞いたことがない。ひょっとして新説?と思い、その説は聞いたことがないので、おそらくどの参考書類を見ても「こそ―已然形」のはずだから、一般的な説に従っておきましょう、とその場は何とかごまかしたものの、どうも気になってしかたがない。
今日は市民大学院で、K大の先生にお会いしたので、よい機会と思い、聞いてみました。とっさのことだったので、あとで回答します、とのお返事で、夕方、メールにて回答をいただきました。
国語学の先生にも尋ねてみたところ、「こそ」の結びが命令形という「新説(!?)」は、学会の方にもない、とのこと。
これで一安心です。万が一「新説」であったら、こちらの認識も変えなければなりませんでしたから。

先生のメールの中でも指摘されていたことですが、已然形と命令形の形の違う用言(動詞の場合、四段活用以外は已然形と命令形は形が違います。)の用例で見てみると、「こそ」の結びは必ず已然形の形を取っています。たとえば、百人一首のこの歌、

  音に聞く高師浜のあだ波はかけじやそでの濡れもこそすれ

「こそ」の結びが命令形なら、サ変動詞なので最後は「すれ」ではなく「せよ」になるはずですが、これは明らかに已然形です。
また、過去の助動詞「き」「けり」は、よく係り結びとのカラミで出題される言葉ですが、「(せ) ○ き し しか ○」「(けら) ○ けり ける けれ ○」で、いずれも命令形はありません。

もっと深く言うなら、なぜ係り結びが行なわれるのか、という国語学的な説明が必要なのでしょうが、そこまで追究する暇はないので、用例だけでよしとしましょう。

それにしても、こちらもとっさには答えられなかったものの、こういうことを平気で教えてしまう先生って・・・

初雪

2008-11-19 11:53:26 | 雪のある風景

昨日は霰が降っていましたが、今朝はさらに白い、今年初めの雪が降りました。

今朝方はものすごい雷も鳴って、風も強く、荒れたお天気になりました。

雪とはいってもまだ水分をたっぷり含んだものですが、屋根や車の窓ガラスなど、うっすら雪化粧していました。

まだ11月だというのに、今年は雪の来るのが早い気がします。
車のタイヤもノーマルのまま。まだ替えなくて大丈夫かなあ・・・

 


久しぶりに出かけた先で出会ったもの

2008-11-15 23:27:59 | 日々の風景
今日は久しぶりに古文書の講座に出席しました。9月、10月と図書館の改装工事のため、図書館自体が休館だったうえに、8月は仕事でいかれなかったので、3ヶ月ぶりの講座でした。

講座終了後、隣接する近世史料館で行われている「尾崎神社展」を見てきました。尾崎神社はいわゆる東照宮で、藩政期には金沢城内にあったもの。4代藩主前田光高の時に造られたものです。
これを作るとき、光高の父親で3代藩主だった利常は、「徳川の世がいつまで続くかわからないのに」といって建立に反対したそうです。乱世を生き抜き、徳川の世になってからもあらぬ疑いをかけられた利常としては、至極当然な判断だったでしょう。ところが光高は、母親が徳川秀忠の娘の天徳院(珠姫)、正室は水戸徳川家徳川頼房の娘・大姫(3代将軍徳川家光養女)。つまり半分(以上?)すでに徳川家の人間のような彼にしてみれば、母方の祖父(自分にとっては曽祖父)を祀るのに何の抵抗もなかったわけです。父親がなぜそこまで反対するのかも、もしかしたら飲み込めなかったかもしれません。

今神社は修理工事が行われていて、その間、史料館で神社の収蔵品を預かることになり、企画展を行うことにしたということです。

おそらくふだん神社へ行っても目にすることのできないものもあるのでしょう。

三十六歌仙の額面があるのですが、色彩がとても鮮やかでした。作者は未詳らしいですが、筆づかいから俵屋宗達の弟子(子ともいわれているらしい)の俵屋宗雪ではないかと解説にありました。

この東照宮の造営に関わった天海の書状、徳川の将を描いた「日光東照宮大権現十八将之図」というのもありました。残念ながら、名前が記されていないので、どれが誰かはわかりません。


そして棟板に政重さんの名前を発見^^
創建時の惣奉行を務めたようです。

冬支度

2008-11-10 11:52:08 | 造園日記2008

今春だったか昨秋だったか、株分けした菊の花が見事に咲いています。
株分けしたとき、赤と白を混ぜて植えたつもりだったのですが、花が咲いてみると白は白、赤は赤と分かれてしまっていました。まあ、これはこれでいいかな。

週末になるとどうもお天気がよくなくて、おまけに寒くなってきました。
就活のために土曜の夜、長男がきて、今朝、帰って行きました。
大学生の就職も、今年あたり厳しくなりつつあるようで、この先どうなるのかわかりませんが、親が気を揉んだところでどうしようもないし、そこまで口を挟む気力も持ち合わせていないので、本人に任せています。なるようにしかならないだろうし、成せば成る、ということもあるし・・・

昨日はブルーベリーの鉢替えをしました。
ちょうど朝の園芸番組(N○Kです)でやっていたこともあり、土の作り方など記憶が定かなうちにやってしまおうと思い立って。
来年は少しでも実がなるといいのですが。

そのあと、バラの植え替え準備として、庭の穴掘りをしました。もちろん穴を掘ったのは夫ですが。
もう一箇所庭植えを考えているらしく、それはおそらく来週、穴を掘るつもりでいるのでしょう。

少しずつ、我が家も冬支度をはじめています。


ぬばたまと赤い実

2008-11-06 09:56:21 | 造園日記2008

 

昨日あたりから再びお天気が回復してきました。
しばらく雨が降ったりやんだりのお天気が続いていて、ふと見ると、車がずいぶん汚れていることに気付き、久しぶりに洗車。水もずいぶん冷たくなりました。

夏から秋にかけて、オレンジの鮮やかな花を楽しませてくれたヒオウギが実を結び、木の実をほおばったリスの頬のような、はちきれそうな青々とした鞘がだんだん熟して、真っ黒いぬばたまが顔を出しました。

赤い実は例の名無しのバラ。


霜月朔日

2008-11-01 09:57:34 | 造園日記2008

10月の20日ごろから雨が降ったりやんだりと、すっきりしないお天気が続いていましたが、今日は久しぶりに太陽が顔を出しました。
すっきりしないお天気は、北陸の天気、特に冬場は当たり前のお天気。これからこんなお天気が続くかと思うと少々気が重いですが、巡ってくる季節ですから仕方ありません。

庭のスイカズラ、初夏の頃花をつけ、夏の間ぐんぐん成長していましたが、ふと見ると、上の方がずいぶん枯れてきていました。
近くへ行ってみると毛虫がたくさんぶら下がっていて・・・
彼らはそのうち大事な娘たちにも侵食してくるはず・・・
気の毒でしたがスイカズラの枝を切り、ケムシたちはゴミの袋へ。袋の中にはスミチオンスプレーをかけ、地面に落ちたケムシたちにもスプレーを蒔いて成仏してもらいました

 

画像は先日吉岡さんのところで半額で買い求めたレーヌ・ド・ビオレッツ(だんだん花の名前も覚えられなくなってきました・・・)。
オールドローズの一種で、甘くさわやかな香りがします。