17日は彦根方面へ。
途中近江八幡へ寄り道。あいにく月曜日で、博物館関係はことごとく休館。
町並みだけの散策になりましたが、蝉時雨の降り注ぐ中、古の時代にタイムスリップしたような錯覚にとらわれます。
水郷を行く屋形船が涼を運んで、ゆったりと下ってゆきます。
日牟禮八幡にお参りし、汗だくになりながら、駐車場に戻ります。
途中の町屋の民家の前に、朝顔の鉢が3つ、仲良く並んでいました。
こういう町並みに朝顔って、とてもよく似合います。左端の朝顔は、ことに青地に白い縦筋が入っていて、なんだか風車のようでとてもかわいらしかった。
よそのお宅とは知りながら、写真に収めさせていただきました。
彦根へ向かう途中、安土城跡の横を通りました。
安土城は見たいことは見たいけれど、もし、春日山城が隣にあれば、間違いなく春日山城に行く私。こと、安土城に関しては、それほど固執しているわけでもないので、今回は「安土城跡」とかかれた大きな看板を横目に見て、素通り。
彦根に向かったのは、ひこにゃんに会うためではなく、彦根城内に「玄宮園」という庭園があるのですが、そこにある料理旅館にお昼を予約していたためなのです。
「八景亭」というその旅館は、もちろん宿泊もできるのですが、お泊りするには少々値が張る。食事くらいなら、うちの近所のフレンチレストランで食べるより多少は安いかも・・・?と言うわけで、プチ贅沢を決行した次第です。実は、今年、夫の勤続25年の年であり、私からのささやかなお祝いの気持ちもあったのです(本人には、そのことを伝えていなかったかな。)
通されたのは「浮見堂」と呼ばれるお部屋。もう一つ、広い部屋があるのですが、ひょっとして、一番いい部屋に通されたのかも。何でも殿様の御座所だったお部屋だと言うことですから。
床の間の横に3尺ほどの幅の「武者隠しの間」があります。
床の間の右手の柱の一部が黒ずんでいて、そこは殿様が寄りかかって、頭が触れていた所だと言うことです。
涼を感じさせるガラスの器に美しく盛られた料理の数々は、上品なお味で絶品ですが、殿様と同じ風景を眺めながらいただく食事という付加価値付きで、更にその美味しさが増すというもの。まさに至福の時を過ごすことができました。
食事を終えて、玄宮園を散策。水が近いせいか、猛暑の中でも幾分涼しさが感じられた気がします。
食事をいただいたのは写真左正面の建物。
上の写真にも写っていますが、一羽の鷺が妙なポーズを決めていたので、思わずカメラに収めました。
ちょうど人間が手のひらを上に向けて日を受けているような格好で、翼をだらりとたらし、その先だけをちょっと上に向けて、岩の上に立っているのです。あまりに奇妙な格好なので、銅像?と思ったのですが、頭が動く。濡れた翼を日に当てて甲羅干しならぬ翼干しでもしていたのでしょうか。
最初、玄宮園と彦根城内の見学だけの予定だったのですが、正門から中に入ると
「激動の佐和山城 石田三成の時代」
なるポスターが目に入りました。博物館で行われている企画展です。
見たい・・・
彦根城の天守閣などにも登りましたが、博物館の企画展がどうも気になる。
やはり、見たい・・・
「見ないで帰ったら、一生恨まれそうだから。」
夫は、自分はお土産見てるから、博物館見てきていいよ、と言ってくれました。喜び勇んで行ったのは言うまでもありません。
チケット売り場のおじさんが、
「博物館だけ?」と、少々怪訝そうな顔をされていましたが(すでに城内は見学済みでしたので)そんなことは気に留めず、三成展を見に行く。
展示は文書関係中心でしたが、中でも印象に残っているのは、、年貢のことは嶋左近らに任せる、と記された、三成が家臣に当てた判物。文書で左近の名を見るのはおそらく初めてだったので、妙に感激しました。
井伊家の宝物の数々は、さっと飛ばしながら見学。
ひこにゃんには会えなかったけれど、行ってよかったです、彦根城。
私の実家に電話したら、その日は母も家にいるというので、急遽実家へ行くことに。お盆だし、父のお墓まいりのために実家に向かう。
名神から中央道を通って長野道にはいる。以前、岐阜に住んでいた頃、しばしば使った高速道路なので、懐かしい思いで車を走らせました。(運転はもっぱら夫がしてくれましたけれど。)