華語り

心に華を!!

最近のお気に入り

2010-08-30 20:44:11 | 日々の風景

私は基本的に、ベストセラーとか売れ筋の本とかにはまったく興味がない。
でも、最近のお気に入りのこの本だけは別。

柴田トヨさんという今年98歳のご婦人の処女詩集『くじけないで』。
本の帯には別のTV番組でも紹介されてもいたようだが、私がこの本を知ったのは、半月くらい前だったかのNHKの朝のニュース。
平易な言葉の詩のいくつかが紹介され、即効でネットで注文した。

さっと読めば、10分足らずで読んでしまえる詩集だ。
けれども一つ一つの言葉をかみ締めながら読んでいくと、平易な言葉がずしんと胸に響いてくる。
心が疲弊しているせいかもしれない。読みながら何度も涙を流した。
言葉は時として無力なものであるけれども、この詩集には言葉のパワーが溢れている。
少女のような瑞々しい感覚がとてもいとおしい。
トヨさんの笑顔がまた、なんとも優しく、美しいのだ。


夏ノ暑サニモマケズ

2010-08-27 09:13:06 | 造園日記2010
ルージュ ピエールが咲き出しています。マーガレット・メリルもよく咲くし、ブルー・フォー・ユーやてまりも、花は小さいし、色も薄いですが、よく咲いています。
ルージュなどはまるで真っ赤な向日葵のように天を指して咲いています。

Gackt謙信 見参!

2010-08-23 23:04:33 | 道々之記

最近また、元気がなくなることが多くなって、土曜日などは仕事から帰ってくるのに体調がひどく悪くて、よく、車を運転して帰ってこれたと思うような状態でした。
元気だったら行こうと思っていた謙信公祭。土曜日の状態が続いていたら無理かな?と思っていましたが、日曜日には少し元気になって、遠出のドライブも大丈夫そうだったので、上越へ行ってきました。

夕方からのパレードなので、昼過ぎにうちを出発。
駐車場を探すのに少々手間取りましたが、ちょうどよい時間にパレードの行われる場所に到着することができました。

『RETURNER~闇の終焉』の曲が鳴り響き、いよいよGackt謙信登場!?
沿道に歓声が響き渡る。
いつ来るか、と思ってカメラを構えて待っていると、Gackt謙信公、目の前を馬に乗って疾風のごとく走っていってしまわれた。
まさか、それだけ?
「あれで終わりじゃないよね?」周りからも異口同音に声が聞こえます。誰かが警備員の人に聞いたところによると、また戻ってくるとのこと。
しばし、その場で待機。

暑いことは暑かったですが、時折吹く風が涼を運んできてくれました。

米沢の稲富流の鉄砲隊の方々も来て、演武をされたようですが、時間の関係でこちらは割愛しました。(川中島古戦場での演武が思い出されます。)

遠くで御屋形様らしき人の声がする。
「いざ、出陣!」
今度はゆったりとした足取りで歩を進め、御屋形様は目の前を通り過ぎていかれました。
TVで見るのと同じく、なんとも凛々しいお姿。
『源氏物語』の中で、北山の僧都が光源氏のことを「いみじう世の憂へ忘れ、齢延ぶる人の御有様なり」ということを言っていますが、まさにGackt謙信がそれ。
しばらくはテンションが上がっていられそう。

 

色部隊、柿崎隊、本庄隊など、上杉家の錚々たる家臣団が御屋形様の後に続きます。殿の方になぜか直江隊と景勝隊も・・・。(本当の殿は景虎隊だったでしょうか。)

そのあと、真田幸隆隊を先頭に、武田軍の軍行。
武将に扮しているのは一般公募の方々と聞きますが、立ち止まっては勝鬨を上げたり、パフォーマンスをしてみせたりと、暑い中、お疲れ様でした。

こじんまりとしたお祭という印象でしたが、温かみのあるお祭でした。
百万石祭りは規模は大きいですが、焦点がどこかぼやけてしまっているようで、どうしても比べてしまいます。

町のあちこちに、「祝 謙信公祭」の旗がはためき、町全体が謙信公を顕彰している様子が伝わってきました。そこにGackt謙信が、大輪の花を添えている。
謙信だからこそ、なのでしょうが、一人の武将を町を上げて何年も顕彰し続けるというのはすごいことだなあと上越の人々の心の熱さに頭が下がる思いです。


さて、こちらは戦利品(というか、ただ単に購入してきただけなのですが。)。愛車用のキーホルダーです。


小さな旅の記~彦根篇~

2010-08-18 23:02:37 | 道々之記

17日は彦根方面へ。

途中近江八幡へ寄り道。あいにく月曜日で、博物館関係はことごとく休館。
町並みだけの散策になりましたが、蝉時雨の降り注ぐ中、古の時代にタイムスリップしたような錯覚にとらわれます。

水郷を行く屋形船が涼を運んで、ゆったりと下ってゆきます。

日牟禮八幡にお参りし、汗だくになりながら、駐車場に戻ります。
途中の町屋の民家の前に、朝顔の鉢が3つ、仲良く並んでいました。
こういう町並みに朝顔って、とてもよく似合います。左端の朝顔は、ことに青地に白い縦筋が入っていて、なんだか風車のようでとてもかわいらしかった。
よそのお宅とは知りながら、写真に収めさせていただきました。

彦根へ向かう途中、安土城跡の横を通りました。
安土城は見たいことは見たいけれど、もし、春日山城が隣にあれば、間違いなく春日山城に行く私。こと、安土城に関しては、それほど固執しているわけでもないので、今回は「安土城跡」とかかれた大きな看板を横目に見て、素通り。

彦根に向かったのは、ひこにゃんに会うためではなく、彦根城内に「玄宮園」という庭園があるのですが、そこにある料理旅館にお昼を予約していたためなのです。

八景亭」というその旅館は、もちろん宿泊もできるのですが、お泊りするには少々値が張る。食事くらいなら、うちの近所のフレンチレストランで食べるより多少は安いかも・・・?と言うわけで、プチ贅沢を決行した次第です。実は、今年、夫の勤続25年の年であり、私からのささやかなお祝いの気持ちもあったのです(本人には、そのことを伝えていなかったかな。)

通されたのは「浮見堂」と呼ばれるお部屋。もう一つ、広い部屋があるのですが、ひょっとして、一番いい部屋に通されたのかも。何でも殿様の御座所だったお部屋だと言うことですから。

床の間の横に3尺ほどの幅の「武者隠しの間」があります。
床の間の右手の柱の一部が黒ずんでいて、そこは殿様が寄りかかって、頭が触れていた所だと言うことです。

涼を感じさせるガラスの器に美しく盛られた料理の数々は、上品なお味で絶品ですが、殿様と同じ風景を眺めながらいただく食事という付加価値付きで、更にその美味しさが増すというもの。まさに至福の時を過ごすことができました。

 

食事を終えて、玄宮園を散策。水が近いせいか、猛暑の中でも幾分涼しさが感じられた気がします。
食事をいただいたのは写真左正面の建物。

上の写真にも写っていますが、一羽の鷺が妙なポーズを決めていたので、思わずカメラに収めました。
ちょうど人間が手のひらを上に向けて日を受けているような格好で、翼をだらりとたらし、その先だけをちょっと上に向けて、岩の上に立っているのです。あまりに奇妙な格好なので、銅像?と思ったのですが、頭が動く。濡れた翼を日に当てて甲羅干しならぬ翼干しでもしていたのでしょうか。

 

最初、玄宮園と彦根城内の見学だけの予定だったのですが、正門から中に入ると

「激動の佐和山城 石田三成の時代」

なるポスターが目に入りました。博物館で行われている企画展です。

見たい・・・

彦根城の天守閣などにも登りましたが、博物館の企画展がどうも気になる。
やはり、見たい・・・

「見ないで帰ったら、一生恨まれそうだから。」
夫は、自分はお土産見てるから、博物館見てきていいよ、と言ってくれました。喜び勇んで行ったのは言うまでもありません。

チケット売り場のおじさんが、
「博物館だけ?」と、少々怪訝そうな顔をされていましたが(すでに城内は見学済みでしたので)そんなことは気に留めず、三成展を見に行く。

展示は文書関係中心でしたが、中でも印象に残っているのは、、年貢のことは嶋左近らに任せる、と記された、三成が家臣に当てた判物。文書で左近の名を見るのはおそらく初めてだったので、妙に感激しました。

井伊家の宝物の数々は、さっと飛ばしながら見学。

ひこにゃんには会えなかったけれど、行ってよかったです、彦根城。

私の実家に電話したら、その日は母も家にいるというので、急遽実家へ行くことに。お盆だし、父のお墓まいりのために実家に向かう。
名神から中央道を通って長野道にはいる。以前、岐阜に住んでいた頃、しばしば使った高速道路なので、懐かしい思いで車を走らせました。(運転はもっぱら夫がしてくれましたけれど。)


小さな旅の記~大津篇~

2010-08-18 00:07:04 | 道々之記

16、17日と夫が休みを取ったというので、私も無理に塾の先生にお願いして、休みをいただきました。

「どこへ行く?」との夫の質問に、迷わず「滋賀。大津に行きたい美術館がある。」と私。

日曜日に出発し、一泊二日の小さな旅に出る。

以前から行きたいと思っていたのは、35歳で夭折した女流画家三橋節子の美術館。ある冊子に載っていた『三井の晩鐘』の絵に、鳥肌が立つくらいの感動を覚えて以来、本物を見たいとずっと思っていました。
彼女は利き腕の右手に悪性の腫瘍ができ、右肩を切断。その後、さまざまな試練を乗り越えて、左手に絵筆を持ち替えて、作品を仕上げていきました。
梅原猛さんが、三橋さんのことを書いていらっしゃいます。詳細はコチラに。
まだ幼い子どもたちを残し、自らの命の短さを知っている彼女の心の闇は想像を絶するものがあります。その中で、絵筆を握り続けた彼女の強さに、少しでもあやかりたいもの。

彼女の絵は、生まれ故郷の滋賀の地の昔話を題材にしたものが多い。『三井の晩鐘』もそのひとつ。彼女の絵の多くは、テーマは母と子に集約されているような気がします。自身の運命を、昔話の中にオーバーラップさせていたのかもしれません。暗さの中にもどこか温かみのある彼女の絵が、私にはひどく心地いい。多分一人だったら、『三井の晩鐘』の前で、ぽろぽろ涙を流していたかもしれません。

記念に求めたのは、『三井の晩鐘」ではなく、『花折峠』の複製画。これも昔話を題材にした絵で、川に沈み行く娘を中央に配置し、素材的には哀しい絵のはずなのですが、さまざまな野の花に囲まれ、色彩も明るく、笑みまで浮かべている娘は、川の流れにたゆとうているだけのようにも見えなくもない。実際、娘は死んではいなかったようで、心優しい娘のために、野の花が身代わりになったもののようでもあります。

 

 

美術館のあとは、これもまた、以前から行きたいと思っていた義仲寺へ向かう。
門の前に車一台がようやく 止めることのできるスペースがあるだけのこじんまりしたお寺です。
義仲は、信州で育った私には、ちょっとしたヒーローのような存在。おまけに彼の家臣の一人が直江さんの祖先であると言われているからには、やはり・・・^^;

お盆でもありますので、義仲のお墓にお参り。隣にこじんまりと巴塚も並んでいます。巴塚は小矢部にもありましたが、彼女はさまざまな伝承が残っているのですね。
松尾芭蕉もこの場所をしばしば訪れており、境内には芭蕉の句碑がいくつもあります。芭蕉は大坂で亡くなっていますが、「骸は木曽塚に送るべし」との遺言から、この地にもお墓があるようです。

古池には「蛙」ならぬ、亀がたくさん泳いでいました。

  古池や 亀の飛び込む 水の音・・・?

 

義仲寺を出て、石山寺に向かう。途中、膳所城址の前を通過。現在は公園になっているようです。
膳所といえば、兼続の息子景明が、膳所藩の戸田氏鉄の娘と結婚していますね。そんなことを思い出したので、車窓から、公園入り口の門を写してみました。↓

 

石山寺は、説明するまでもなく、有名ですね。
紫式部が『源氏物語』の着想をしたという言い伝えも残っているお寺です。
ことに平安時代には、さまざまな人が石山寺に参篭しています。
古典の中にはしばしば出てきますね。

石山寺は、その名のごとく、奇岩とまでは行かないまでも、巨大な岩石の上に伽藍が建てられているといった趣の寺です。岩石マニアの長男がいたら、大喜びしそうな場所でもあります。

この時期、どこへ行っても百日紅の花がきれいですが、このお寺も例外ではなく、百日紅がいたることろで咲いていました。伽藍の屋根と百日紅の花の色がまた美しいコントラストを織り成していました。

 

この日の最後は三井寺(園城寺)へ。
途中、見たことのある道を通るなあ、と思ったら、三橋節子美術館のごく近くでした。
すでに拝観終了時間20分前で、受付に行くと、
「時間も時間なので、拝観料は、結構です。」
とのこと。お言葉に甘え、時間の許す限り、三井寺を散策。本堂までの階段が、かなりきつかったです。
写真は、本堂の屋根の向こうの大津の町並み。

一日目の行程はここまで。
宿泊は湖を少しだけ北に走った所にある雄琴温泉。
温泉三昧をして、日ごろの鬱屈も、少しは取れた・・・かな・・・?

翌日は彦根方面へ。続く・・・


そろそろ1ヶ月になってしまうので・・・「米沢強行軍記」

2010-08-12 22:39:51 | 道々之記

先月海の日、休日独りぼっちになってしまい、することも特になかったので、思い切って米沢へ行ってやれ!と思い立ち、あまりに無謀な旅を強行しました。

出かけようとしたのが朝の8時ごろ。車のナビで調べてみるとあちらに着くのが午後4時ごろと出た。前回行ったとき、そんなに時間がかかったようにも思えず、万が一午後4時についたとしても、上杉博物館の企画展くらいは閉館ぎりぎりで見ることができるだろうと、とにかく車を走らせ、行くことにしました。

天気は快晴。気持ちのいいドライブ日和。
少々腹立たしいことがあったので、夫には
「彼岸の人に会いに行く」と、ちょっと危ない内容のメールを送った。

どのみち高速道路は片道1000円。どこを通っても良かったのですが、前回とおったのと同じ、新潟県は中条のインターで下りて下道を走る。会津若松経由で行った方が良かったかな、とも考えたが、あちらを通ったら通ったで、自分の性格上、ただではすまないことがよくわかっていたので、今回は会津若松ルートはよしておきました。

米沢には予定より2時間も早く到着。午後2時には上杉博物館の駐車場に到着。
その日が最終日の企画展「戦国大名とナンバー2」を見る。

入ってすぐに前田家関係の史料が並んでいました。
成巽閣所蔵の鯰尾の兜、芳春院の書状など、すでに見たことのあるものが多かったですが、また、新たな場所で見ることで、どこか新鮮な気がしました。
去年だったか高岡で見てきた利長さん宛の政重さんの書状なども展示されていました。

展示品の中で目を引いたのは、「愛」と「刀八毘沙門」の旗。これらは以前長野の佐藤博物館(現在は佐久市教育委員会で管理されているもののようです。)で見たものです。それらの旗と同じ陳列ケースに展示されていた「上杉家押し前の次第」には、軍の隊列や軍旗の順序などが記されていて、「毘沙門(だったかしら?)」「愛宕」の文字も見えました。「愛宕」はまさに愛宕明神=勝軍地蔵。「愛」の旗はやはり、某大河ドラマが熱心に唱えていた「愛」などでは決してなく、また、愛染明王との説もちょっと違うんでは・・・。「愛」=愛宕明神との思いを強くした次第です。

徳川家臣団や伊達さん関係の展示もあったけど、なんとなくさらりと流してしまいました。

博物館を出て、上杉神社、そして稽照殿と、お決まりのコース(笑)。上杉神社では、戦勝祈願をし(なんの?)、稽照殿ではもちろんあの方の兜と再び(三度?)ご対面。
その前にしばしたたずんでしまっていたのは言うまでもありません。

城址公園の売店で、「ウコギ茶」を購入。↓ウコギ独特の苦味はなく、ふつうにさらりと飲めるお茶でした。パッケージにはしっかり「愛」の文字が・・・。
なんだかもったいなくていまだに捨てることができません。

博物館から車で5分弱で林泉寺へ。会いたかった人はここに眠っていらっしゃる。
今日は外の駐車場に車を止め、正門から中に入る。
林泉寺、今まで無料で拝観できたはずなのに、(お墓へも、自由にいかれたはずでした)しっかり拝観料を取るようになったのですね。
直江さんが眠るお寺なので、お布施のために少々の拝観料はやむをえないと思います。

本堂の中もちゃんと通してくださって、中の仏様、そして直江さんご夫妻のお位牌も拝ませていただきました。
直江さんのお位牌は二つあって、一つは亡くなった直後、「院号」がついていなかったときのお位牌と、院号がつけられてからのお位牌とが安置されていました。
心をこめて、そっと手を合わせる。

ああ、そして、それはその日もひっそりと、だが堂々とそこに座していらっしゃいました。紆余曲折の人生だったはずですが、そんなことはつゆも知らずという風に、お二人仲睦まじく、静かにたたずんでいらっしゃいました。こうありたいと一心に願をかけ、頭を垂れる。

林泉寺を出て、次に向かった先は前田慶次の眠る堂の森。
前田慶次の顕彰会の方々が作った旗が、近づくにつれ行き先を示してくれるので、とてもわかりやすく(ナビよりもわかりやすく)たどりつくことができました。

善光寺の境内は、紫陽花が花盛り。多少盛りを過ぎていた感もありましたが、まだまだ見ごろでした。写真は慶次の供養塔。
加賀藩の史料では、慶次は11月9日に亡くなった事になっていますが、米沢では6月4日が命日とのこと。ちょうど紫陽花の花の中にうずもれるように逝ったのでしょうか。かぶき者の終焉と紫陽花の花と。不釣合いなようでいて、慶次の心の可憐さを表出しているようでもあります。
月見平へも、上っていかれるようでしたが、夕闇も迫ってきたので、それは次の楽しみに取っておくことに。
経文の一文字を写経して、それを供養塔に納めてくださるとかで、私は「是」の一文字を記しました。
貴方のような強さが授かることができますように。生きてく強さを。

いつまでもその地にとどまっていたかったけれど、翌日は仕事。現実に引き戻され、一路帰路に着く。
米沢の空はどこまでも青く、空を見上げるたびに、私はこの日のことを思い出すのであろう。


暑さに耐えて

2010-08-12 08:12:24 | 造園日記2010
イギリスの貴婦人たち(イングリッシュ ヘリテージ、スイートジュリエット)は日本の蒸し暑くかんかん照りの気候が大の苦手らしい。葉焼けを起こし、下葉が黄色くなり所々葉先が茶色く変色していたりしてしまいました。美白のため、彼女たちを玄関先の軒下に避難させました。

休日帰省する長男は、「棘が刺さる」など文句を言いますが…。

今朝、ヘリテージが花を咲かせていました。春ほどには香りませんが、ほのかにさわやかに香ります。

夏の朝に

2010-08-04 08:00:47 | 日々の風景
昨日は夕方授業を終えてから、言いようのない気鬱に襲われた。早く帰りたかったが、気力でなんとか持ちきった。今は自分の気力だけがたよりです。


ジムへ行くにはまだ体力がついていけそうにないので、今朝は少し早めに床を離れ、散歩に出かけた。
もうすでに日は高くなりつつあったが、辰巳用水の遊歩道は緑まぶしく、清涼な空気があふれていた。
散歩途中で出会う見知らぬ人たちと挨拶をかわす。
「おはようございます。」
このたった一言が、心を豊かにする。

途中で見かけた向日葵たち。朝日に向かってにこやかな表情を向けていた。