華語り

心に華を!!

幕末・維新の足跡

2005-09-27 21:05:00 | 道々之記

2004年11月、小樽~函館の幕末・維新のゆかりの地 めぐりの記録です。
旧幕府軍の土方歳三の足跡を中心に。マイナーモードです。(2004年11月撮影)

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【旧幕府軍上陸地(森町鷲の木)】

1868年(明治元年)10月20日、榎本武揚、土方歳三ら旧幕府軍はここ、鷲の木に上陸。
上陸時、積雪は30センチ、北西の強風が吹いており、海も相当に荒れていたようです。
行った日は穏やかな天候で、駒ヶ岳の稜線がくっきりと望むことが出来ました。

 

鷲の木の海岸に建つ「上陸地」を示す碑。
写真右手は線路で、線路を渡った向こう側に史跡公園があり、説明板などが置かれている。

はっきり言って何もありませんが(笑)、土方がこの地に立ったかと思うと、感慨深いものがあります。

 

【二股口古戦場(大野町二股口)】

函館方面から江差へ抜ける国道227線沿いにあります。
函館方面から走っていると「二股口古戦場跡」と書かれた比較的大きな看板が建っています。
土方らが陣を敷いた台場山は看板から山を登らなくてはならないのですが、熊が出そうでもあり、入り口を見ただけにしました。

日本海の乙部に上陸した新政府軍を土方歳三率いる旧幕府軍がここ二股口で迎え撃ち、激戦が展開しました。
ここを落とされると旧幕府軍にとっては函館まで一気に攻められてしまうことになるわけで、必死に防戦したと言われています。

写真の碑は「下二股口」にかかる橋のたもとにたっています。
結構頻繁に車が通っていましたが、おそらくこの地で停車する車は皆無・・・に等しいと思われます。何も知らない人たちは、デジカメ片手に車を止めて国道を走る姿を見て、奇異に映ったことでしょう。
函館方面からいって、下二股口の橋を渡ってしばらく行くと新政府軍の陣跡を示す碑もあります。

このR227沿いには、函館戦争時の無名戦死者の墓や松前藩の番所などの史跡も点在しています。

【碧血碑(函館市)】

昨年のは夕闇迫る頃に行って写真を撮ったので、今回は昼間に撮ってきました。
昼なお暗い森の中にたたずむ碑です。

 

【永倉新八墓所(小樽市)】

新選組二番隊長永倉新八は、維新後北海道へ渡り、元藩医の杉村松柏の養子となり、杉村義衛と名乗った。晩年は小樽に住み、この地で生涯を終えたそうです。

お墓までたどり着くのに、結構苦労しました(笑)。詳細はこちら

 


函館初冬紀行(史跡編)

2005-09-25 12:03:58 | 道々之記

2004年11月函館訪問の史跡編です。

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【志苔館】(函館市志海苔町)

中世の城館跡です。館主小林氏は上野の住人で、徳治元年(1306)重弘のときに蝦夷に渡ってきて築城したと言われています。長禄元年(1457)コマシャインの戦いで落城、その後再築されましたが、永正9年(1512)アイヌの攻撃にあい、再び落城しました。

土塁と空掘りが実に見事に残っています。

 

《志苔館から立待岬方面を望む》

志苔館はちょうど函館空港の隣に位置し、海岸に面したとても見晴らしのよいところです。
行った日はとてもよく晴れていて、海がとても綺麗でした。
ただし海風の直接攻撃がかなり応えました(笑)

 


函館初冬紀行

2005-09-23 16:41:09 | 道々之記 北海道編

2004年11月再び函館へ・・・
普通の観光地編です。(^^;)(2004年11月撮影)

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◆燈台の聖母トラピスト修道院

函館から15、6キロ離れた上磯の地にある男子修道院。
見学できるのは正門までで、正門は堅く閉ざされていました。
なんとも厳かな雰囲気が漂っていました。
院内の見学は事前申し込みで可能だそうです。ただし男性のみ。
パネルによって、修道院の生活を垣間見ることが出来ます。

海に向かった高台に建っており、風景も絶品。

 

◆天使の聖母トラピスチヌ修道院

明治31年に8人の修道女によって開かれた女子修道院。

修道院を入ったすぐのところに建っている大天使ミカエルの像。
邪鬼を踏み敷く毘沙門天を連想したのは、おそらく私だけ・・・(苦笑)

 

◆立待岬

「立待」とはアイヌの言葉で「岩上で肴を待ち、ヤスで捕る所」の意味だそうです。
岬には与謝野晶子の歌碑があり、また石川啄木一族の墓もすぐ近くにあります。

 

◆大沼・小沼

大沼(小沼?)から駒ケ岳を望む。

木々はすっかり冬支度を始めていましたが、澄み切った空の青と水面の蒼のコントラストに秀峰・駒ケ岳の稜線が映えて・・・

 

大沼の鴨

去年も写してきましたが、今回はお天気がよく、鴨たちもとても気持ちよさそうに水面で遊んでいました。

 

◆旧イギリス領事館

門のところで黒猫が2匹、日向ぼっこをしていました。

 

◆旧函館区公会堂

明治40年火事によって住民の集会所であった町会所が焼失、住民有志により「公会堂建設協議会」が結成され、相馬哲平氏からの寄付を元に明治43年に竣工した洋館。
2階のバルコニーから眺める海の景色は圧巻。


元旦in北海道

2005-09-22 21:35:11 | 道々之記 北海道編

2004年正月は北海道で過ごしました。(2004年1月1日撮影)

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◆室蘭地球岬の初日

雲がかかっていて、雲の切れ目からうっすらと後光のように初日が…
凍りつきました。

 

◆元旦の洞爺湖

秋にも行きましたが、洞爺湖です。
うっすら雪化粧しています。

 

◆初詣・・・前田神社(岩内郡共和町前田)

明治になって、旧加賀藩士族がこの地に入植して開墾事業に取り組みました。
彼らの心のよりどころとするためでしょう、明治19年、加賀の尾山神社(現金沢市)から分霊し、前田神社がこの地に建立されました。
祭神は天照大神と前田利家公。
はるばる加賀から、斯様な地まで初詣にこようとは・・・ もちろん愚息又左の陰謀、デス・・・

 


Winter, Again その前に・・・(道南史跡巡り編)

2005-09-22 11:03:04 | 道々之記

2003年11月に行った北海道の旅での史跡巡り編です。
札幌~長万部~江差~松前~函館を巡ってきました。(2003年11月撮影)

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《札幌・小樽》

◆琴似神社(札幌市西区琴似一条7丁目)

旧亘理藩(宮城県)藩祖伊達成美を祀った神社。屯田兵として入植した旧亘理藩士が藩祖の遺徳を敬慕して創建したもの。平成6年に、土津霊神(旧会津藩祖・保科正之)が増祀された。土津公が合祀されていることを聞き及び、こちらの神社を訪ねました。境内は落ち葉が敷き詰められ、ひっそりと静まりかえっていました。 初詣でもない限り、かようなところにカメラ持参で訪れる人は皆無に等しいでしょう。(笑)

 

【屯田小屋(琴似神社内】

琴似神社境内にある琴似屯田兵小屋跡

 

屯田小屋の内部

 

◆旧青山別邸(小樽市祝津3丁目)

小樽・祝津の網元で、明治・大正期を通じて鰊漁で巨万の富を築いた青山家の別邸。敷地は約1500坪。山形県酒田市から宮大工を呼び寄せ、ケヤキ、桧など、山形から運ばれた建材を使って作られたそうです。
調度品の数々も目を見張るものばかりですが、中に加賀前田家が高田藩主に贈ったという衣装棚(?)がありました。おそらく明治期になって経済的に困窮した旧高田藩大名家から買い取ったものなのでしょうか。

 

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《長万部》

◆東蝦夷地ヲシャマンベ陣屋跡

予定にはなかったのですが、たまたま寄った長万部で見つけた陣屋跡。飯生神社という神社の境内にあります。安政3年(1856)幕府の命で蝦夷地警備の任についた南部藩が、南部室蘭陣屋の分屯所として設置した陣屋。濠や土塁の跡が今でもくっきりと残っています。こういう場所って、何故か和みます…

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《江差》

◆開陽丸

開陽丸は徳川幕府がオランダに製造を依頼した、幕末最新鋭の軍艦で、戊辰戦争中、榎本武明らを乗せて活躍しました。江差沖停泊中、暴風雨にあって座礁。この船の喪失はその後の旧幕軍に大きな痛手となりました。
現在江差港に停泊(?)しているのは当時の設計図を元に復元したもの。船の正面には「葵の御紋」が入っています。

隣接して「開陽丸青少年センター」という遺物などを展示している施設があるのだが、休館日で中を見ることは叶いませんでした。(T_T)

 

◆鴎島

かもめ島は江差港の先端に、ちょうどかもめが翼を広げたような形で突き出た半島。かつて徳川幕府の砲台が置かれていた場所です。また、義経伝説の残る場所でもあります。

写真は幕府の砲台が置かれていた辺り(?)現在はただの草原。

 

弁慶の足跡(黒いワクで囲った部分)だそうです。
確かに草鞋状にくぼんではいたが、ゆうに5~6メートルはありそうでした・・・

 

◆法華寺(江差町本町)

もと上ノ国にあったのを寛文5年(1665)に江差に移転した日蓮宗の寺院。
本堂の天井に描かれた「八方にらみの龍」は、池大雅作と伝えられていいます。天井が低いせいか、龍が迫ってくるような迫力がありました。

実はこのお寺、拝観料300円なんですが、拝観しようと玄関を入って呼び鈴を鳴らしても誰も出てこない。仕方ないので2人分の拝観料600円を玄関のあがりかまちに置いて、中を拝見させていただきました。

写真は法華寺の正門。元檜山奉行所の正門だったのを、明治になって当寺に払い下げられたものだそうです。
また、この寺は江差の高台にあり、正門からの眺めもすばらしかったです。

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《上ノ国》

◆上ノ国勝山館跡

松前家の始祖といわれる武田信広が長禄元年(1457)に築いたもの。夷王山という山を利用して築かれた城館跡で、壮大な丘の上からは日本海が一望でき、天下を取ったような(?)気分に。

館神八幡宮から日本海を望む

 

墳墓群

草地に白く立っているのが全てお墓。
仏教式の埋葬がされているそうです。

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《松前》

◆松前城

福山城とも言われています。
安政5年(1854)に築城された、国内最後の日本式城郭。戊辰戦争後、天守と本丸御門を残して取り壊され、現在、当時の姿を残すのは本丸御門(写真左側)のみで、天守閣は昭和36年に再建されたもの。天守閣の内部は資料館になっています。

◆松前藩藩屋敷

江戸時代の松前の町を再現したものだそうですが、すでに年内の営業が終了しており、入れませんでした。(T_T)
堅く閉ざされた藩屋敷の門が、頑なに人を拒んでいるようで・・・

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《函館》

◆称名寺(函館市船見町)

函館に渡った新選組が屯所としたとされるお寺。土方歳三の死後、慰霊碑が立てられたとされるが、明治の大火で焼失。また、かつて、新選組隊士野村利三郎らの墓もあったと言われ、昭和47年に新たに供養塔が建てられた。

写真はその供養塔。正門を入って正面本堂の左手にある。

境内には高田屋嘉兵衛(寛政年間に江戸~箱館航路を開いた豪商)の顕彰碑などもあるが、それらには目もくれず(スミマセン)、土方さんらの供養塔にお参りしてお寺をあとにしました。

 

◆碧血碑(函館市谷地頭)

函館山山麓に建つ旧幕府軍死者慰霊の碑。数百名の遺体が埋葬されており、土方歳三ら新選組隊士も、遺体は不明であるが一緒に祀られています。

最初場所がわからず、付近まで来てうろうろしていたのですが、たまたま道路工事をしている人がいたので場所を訪ねたところ、すぐ近く、とのこと。時刻はすでに黄昏時であたりは闇に包まれつつありました。
工事の方いわく、「今から行くの?」(暗にやめたほうがいいよ、と言ってるようにも聞こえました。)
工事の方にお礼を言って、教えられたとおりに坂道を上がって行き、それ以上は車で進めない所まで来て車を止め、約数十メートル歩いて登ったところにそれはありました。

夕闇の中にひっそりと屹立する碧血碑。シチュエーションが妙にマッチしていて、工事の方の言葉の意味が今更ながら思い出されてしまいました。

近辺には石川啄木一族の墓もあるとか・・・。
「聖域」という言葉がぴったりな雰囲気を漂わせた場所でありました。
長居は無用と、碑に手を合わせ、車に戻りました。

◆南部藩士の墓

外国人墓地界隈を車で走っているときに見つけた南部藩士のお墓。蝦夷地警備中に病死した藩士お墓のようです。

 

◆土方歳三最期の地碑(函館市若松町)

明治2年(1869)5月11日、新選組副長土方歳三が銃弾に撃たれその生涯を閉じたとされる一本木関門跡の地に建つ碑。(若松緑地公園内にある。)
碑前には、土方さんの写真が飾られ、たくさんの花が手向けられていました。合掌。


足を伸ばして・・・


【土方歳三函館記念館(土方・啄木浪漫館)】(函館市日之出町)

函館市内から湯の川温泉に向かうR278沿いにあります。
土方歳三記念館は、今年(2003年)オープンしたばかりの記念館で、映像などを駆使して、彼の生涯や新選組、函館戦争などがわかりやすく紹介されています。土方の愛刀・兼定のレプリカはともかく、沖田総司の愛刀(といわれる)菊一文字や、近藤勇の愛刀虎徹のレプリカまで展示されていたのはオ少々オドロキでした。(爆)

同じ建物に函館ゆかりの歌人石川啄木の記念館も併設されていて、こちらでは啄木ゆかりの品々をはじめ、啄木の生涯をカラクリ人形と映像で見ることができます。

同じ函館の地で、これからの生きる指針を手に入れた啄木と、壮絶な最期を遂げた土方と、その対比があはれでした。

 

◆五稜郭

函館、といえば五稜郭。あまりにも有名なので、説明は省きます。
写真は五稜郭タワーから見た五稜郭(の一部)。
正確な星型を確認することはできませんが、おおよその形状を見ることができます。

 

【市立函館博物館分館】

函館奉行所の玄関です。

 

 


Winter, Again その前に

2005-09-22 10:48:48 | 道々之記 北海道編

秋(と言うより、当地では初冬)の北海道を訪ねてきました。今回は道南中心です。(2003年11月)

なお、史跡関係はこちら

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◆洞爺湖

ホテルの窓から撮影した、朝もやに煙る洞爺湖です。

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◆大沼

見るからに寒そうですね。

 

【大沼の鴨】

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◆函館

【旧ロシア領事館】

 

【Art Style of  GLAY】 

今回の函館行き、ここへ行くのが最大の目的だったりする(^_^;
2003年7月にオープンしたばかりの美術館で、GLAYをモチーフにしたアートの数々が展示されています。
壁面いっぱいに描かれたメンバーの顔、顔、顔、そして4D映像にご満悦のよーぜんを横目に、連れはすっかりしらけ気味。お付き合いありがとう(^^)

なお、同じ建物内に「北島三郎記念館」も併設してあります。

 

【函館山の夜景】

函館に来たら、やっぱりここからの夜景。というわけで、あまりに定番過ぎますが、行ってきました。
通常、ロープウェイで登るのですが、ロープウェイが休業中。で、車で上りました。函館山に車で登れるということをはじめて知りました。
夜景はそれはそれはため息ものでしたが、とにかく寒かった・・・

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◆ザ・ウインザーホテル洞爺

宿泊したホテルです。洞爺湖を一望できる山の上に要塞のごとく建つホテル。
館内はとてもいい香りのお香がたかれ、しばし日常を忘れるような空間でした。
豪華客船をイメージしてしつらえた外観だそうです。

 

ウインザーホテルのロビー。
大きなガラス窓の向こうには洞爺湖が一望できます。
このロビーでウェルカムドリンクのホットチョコレートをいただきました。


お月見

2005-09-19 11:18:40 | 日々の風景

名月をとってくれろと泣く子かな(小林一茶)

昨日は中秋。皆さんのところでは月は見えたでしょうか?
私の住む北陸の某市(今更伏字にすることもないが・・・)では、昼間は雲が多かったので、これでは月も期待できないかな・・・、と半ばあきらめかけていたのですが、『義経』が終るころ外に出てみると、すっきり晴れ渡り、煌々と月かげがあたりを満たしていました。

「かげ」というと現在では「光」の対極にあるものとしての意味合いが強いですが、かつては「ひかり」そのものの意味でもあったわけです。「月影」などというときの「かげ」はまさにその意味ですね。

いにしえより、仲秋の名月は多くの歌に詠まれてきましたが、一茶の句を取り上げてみました。

私の通っていた信州の小学校では、毎年冬になると低学年は「一茶俳句カルタ」を、高学年は「百人一首」をやることになっていて、そのときに一茶の俳句は結構覚えました。(「百人一首」も小5で全部覚えたので、高校になって「百人一首」の宿題が出たときは大変楽をした思いがあります(*^_^*))

冒頭の句も、その「一茶俳句カルタ」にあったもの。
天空に浮かぶ満月を「とってくれ」とせがむ幼子と、この望みをかなえてはやりたいが、かなえられない望みに少々戸惑う父親。父子のやり取りに温もりを感じる句です。

ところで、今これを書いていて気になったのですが、「俳句カルタ」ではなくて「発句カルタ」という名称の方が、本来ならば正しいのでは?と思ってしまった次第です(^_^;)
でも、今の学校じゃあ(かつてもそうだったかも?)、「五・七・五」は(川柳以外)みんな「俳句」扱い。これって変といえば、変。

 


北海道夏紀行

2005-09-19 10:35:58 | 道々之記 北海道編

2003年8月、北海道は美瑛、富良野方面に行ってきました。
この年の夏は例年にない冷夏で、いつもなら、この時期の北海道は最高に過ごしやすい気候のはずなんですが、少々肌寒く、天候もいまいちでした。
それでも美しい風景に身をおくことで、少しは再生できたかもしれません。(2003年8月撮影)

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【かんのファーム】

色彩豊かで実に見事でした。
「息を呑む」とは、こういう光景を言うのでしょうか。

 

同じくかんのファームのラベンダー畑。
ラベンダーの香りがあたり一面に漂って、癒されている、という感じでした。

 

◆千代田ふれあい牧場

広々とした牧場に、ヤギや羊、牛、馬といった動物が飼育されています。
乗馬の体験もすることができます。
少々雨ににじんでおりますが、これぞ北海道、という景観です。

 

◆出会い

富良野から占冠方面へ向かう途中、キタキツネに遭遇しました。
こんな出会いも北海道ならではです。

 

そして・・・

熊にも遭遇・・・

いえ、これは定山渓くま牧場のくまです(^_^;


小樽・積丹だより

2005-09-19 10:20:18 | 道々之記 北海道編

観光で行ったわけではないのですが、それでもちょこっと積丹方面へ行ってきました(^_^;)
積丹方面は義経伝説が伝えられている地でもあり、土地の娘との悲恋伝説が少なからず残されています。(2003年4月撮影)

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◆小樽の夜景

小樽市の朝日展望台から見た小樽の夜景です。

 

◆積丹半島

春まだ浅き北の大地。たっぷり雪を頂いていました。

 

積丹半島の灯台

 

島武意(しまむい)海岸

日本の渚百景にも選ばれている海岸だそうです。

 

積丹の海岸