先週の土、日は長男の引越しのため、再び信州へ。
夫の車の方が荷物がたくさん積めるので、先月から乗っていた長男の車と交換するために、富山の別宅へ立ち寄って、車を交換して松本を目指す。糸魚川で高速を下りて、白馬、大町経由で車を走らせました。
糸魚川~白馬は、その昔、北陸道がまだ開通していなかった頃、夫の実家から長野へ行くのによく通っていました。その頃は道も峠道で、走りにくかったこともありましたが、峠道はトンネルに変わり、川沿いの遂道を除いては、随分と走りやすくなりました。
写真は仁科三湖の一番南に位置する木崎湖。一番北の青木湖は、雪の中にひっそりとしていましたが、木崎湖あたりまで下りてくると、山肌に多少の雪は残っていましたが、あたりはすっかり早春の空気に包まれていました。
昼過ぎに長男のアパートに到着。先週と一向に変化のない部屋の有様に、母は少々むっときました。
どうやったらこれほど汚れるのかと思うくらいの汚れようにうんざりしながらも、トイレ、バス、ガス台と、ひどい汚れの部分をひとまず掃除して、いったん実家に引き上げました。(長男の部屋には泊まれないので・・・)
翌朝は、10時過ぎに松本へ行く。前日やり残した掃除を済ませ、1時ごろには荷物も車に積み込み、部屋はなんとか借りたときの状態に戻すことができました。昼ごはんを食べて、さて、帰ろうかとしたところ、「友達に挨拶していくから、先に帰ってて。」と長男。友達?・・・ああ、そういうことね。勘のいい母は「ではお先に」というわけで、一足先に家路に着く。松本と北陸、しばらくは遠距離恋愛というやつが続くようです。まあ、陸地続きだからよろしいではないですか。私のときは北海道と東京でしたから・・・。
さて、再び気ままな一人旅。夫も帰りが遅いらしいので、ちょっと寄り道を試みました。
途中の安曇野には、美術館が点在してます。で、以前から行きたいと思っていた碌山美術館へ立ち寄ることに。
安曇野出身の彫刻家荻原碌山の彫刻などが展示されている美術館です。
美しい教会風の建物が、写真などではおなじみでしたが、訪れるのは初めて。外観が、とても雰囲気のある美術館です。
碌山と交流のあった高村光太郎の作品なども展示されています。
荻原碌山は、30歳と言う若さで亡くなっています。高村光太郎はその死を悼んで、『荻原守衛』(「守衛」は碌山の本名)という詩を残しています。
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(略)
四月の夜更けに肺はやぶけた。
新宿中村屋の壁を真っ赤にして
荻原守衛は血の塊を一升はいた。
彫刻家はさうして死んだ-日本の底で
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この詩は美術館の庭に詩碑となっていますが、とても壮絶で、読んでいて胸が詰まりそうでした。
碌山の作品の中で特に目を引いたのは『文覚』。鎌倉時代の怪僧(?)文覚上人を彫ったものです。
とてもたくましい感じの胸像ですが、身体のたくましさとは裏腹にどこか憂いを感じさせるような表情、作者自身の憂いが、表出しているものでしょうか。
庭には見事な馬酔木の木が・・・↓
うちの馬酔木は今年は花が期待できないのは、返す返すも残念で仕方ありませんが、見事な馬酔木を目にすることができ、少しは慰みにもなった気がします。
この日は午後から天気が崩れ、雪の予報も出ていましたが、美術館をあとにして、県境辺りに行くとちらちらと雪が舞い始めました。本当に「舞う」といった程度でしたけれど。
二日間、仕事を休んだわけですが、月曜日行ってみると、予想はしていたものの、案の定、仕事は山積。いまだに消化し切れていません・・・
今日から4月。(日が変わったので、正確には「昨日」ですが・・・)
長男は今日から社会人。まだ、学生気分が抜け切れていないみたいで、本当に大丈夫か、と思うのですが、今日からしばらく研修です。
旅立ちの朝は意外に暖かく・・・