華語り

心に華を!!

4月の庭から

2010-04-29 23:41:15 | 造園日記2010

今年の4月は暖かい日があるかと思えば、冬を思わせるような日もあって、遅すぎる名残の雪が降ったりなどするところもあったりしてして、なんだか妙な天候が続いていました。
ここへ来て、ようやく気候も落ち着いてきたかな・・・。4月も早、晦日を迎えます。

小さな庭では、春を告げる花たちが開花しています。

昨秋、宝物を埋めるように庭のあちこちに植えたムスカリが、あちこちで顔を出しました。いっしょに植えたアネモネも、ぼちぼち花を咲かせ始めています。アネモネの方はまた、後日。

去年、蓼科のバラクラで買ってきたケマンソウ。
買ったときはもう花が終わりかけでしたが、今年は株も一回り大きくなって、たわわに花をつけています。写真はまだ、咲き始めの頃のものですが・・・

ジューンベリーは今年も結構花を咲かせました。去年より、若干開花が遅かったでしょうか。2ヶ月ほど後、実のほうも期待できそうです。

昨年買って玄関先に植えたニワウメ。雪で枝が随分折れてしまいましたが、かわいらしい花をたくさん咲かせてくれました。足元にクリスマスローズを植えたのですが、このクリスマスローズ、随分恥ずかしがり屋さんのようで、こちらを向いて咲いてくれた花が一つもありませんでした。

西日の当たるコーナーのトレリスにからませたモンタナも、ぼちぼち開花を始めています。
バラのレッドエデン(ルージュ・ピエール・ドゥ・ロンサール)の蕾も随分膨らみだし、今年の一番槍はどうやらこの子に軍配が上がりそう。そのほかのバラたちも、一部を除いておおむね元気に生育しています。

GWに入りました。お天気の方はまずまずのようです。連休後半はおそらく仕事。今年も、どうと言う事のない連休になりそうです。


散歩の途中で

2010-04-21 21:42:17 | 花だより

野に咲く花はどれもこれも可憐です。辰巳用水の遊歩道の途中で出会った草花たち。

すみれ?でもちょっと違うような・・・
青みがかった紫のかわいらしい花。たくさん咲いていました。

こちらも同じくらいたくさん咲いていた花。やはり名前がわかりません。

姫踊子草の群生。踊子草という花もありますが、小さいので「姫」を冠しているのだそう。群生している様は、本当に春の日差しの中で踊っているようでもあります。
この花の茎、吸ってみると甘いんじゃなかったでしたっけ。子どもの頃、戯れに吸ってみたことがありました。

桃の花がちょうど見ごろでした。柔らかな桃色。

そして果樹園畑に行くと、木の上に張られた網の上が真っ白に。まるでそこだけ雪が積もっているかのような光景に遭遇しました。雪と見えたのは、白いりんごの花でした。

薄曇で、決してよいお天気とはいえませんでしたが、草花たちはひっそりと春を満喫しているようでした。


穏やかな陽気に誘われて

2010-04-19 21:40:11 | 花だより

ようやく春らしい空気に包まれた日曜日、陽気に誘われて兼六園までお散歩。
家から歩いて、片道3,40分ほど。
ソメイヨシノはもう終わり際。先週あたりが見ごろだったのでしょうが、寒くてお花見どころではありませんでした。
ソメイヨシノは終わっても、兼六園熊谷桜が満開でした。ちょっと大ぶりで、色も、ソメイヨシノよりも濃いピンク色の、八重桜とは又違った艶やかさを持った花です。

そして、烏もお花見。
木に止まっている、というよりは木の枝にうずくまっているといった風情。人が通っても我関せずといった面持ちで、穏やかな陽気を満喫しているかのようでした。

茶店でお抹茶を一服いただいて、金沢城公園へ。

こちらは先ごろ完成したばかりの河北門。
金沢城といえば石川門をイメージしますが、石川門は裏門。こちらの河北門が正門にあたります。公開は24日からということで、周りにはまだ綱が張られており、遠景を写真に収めました。

公園内は散策ルートの整備が進んでおり、鯉喉櫓(りこうやぐら)台跡の石垣も復元され、いもり掘にも水がはられました。

こちらは、城内でも、石垣の景観が最も美しいとされる玉泉院丸跡の石垣。
ここも以前はルートが整備されておらず、公開されていませんでした。ですから石垣を見るのは初めてです。


玉泉院は2代藩主前田利長の正室で、信長の娘。玉泉院丸は彼女の邸宅跡です。
彼女の邸宅跡の名が現在でも残されているということは、その屋敷がなくなっても邸宅跡として代々語り継がれてきたものでしょう。
利家、利長にとっては玉泉院(永姫)は主筋にあたるお姫様でもあったわけで、そうした意味で、大切にされたこともあるのでしょうが、主筋ということを離れても、一人の女性として大切にされていたのではないかという気がします。
永姫は、あまり話題に上ることがない方ですが、少々気になる女性の一人ではあります。
現在庭園の発掘調査が行われている模様。

穏やかな春の一日。
こんな陽気が続いてくれれば、と思うのですが、そう長くはもたないようです。

 


 

 


花の詩

2010-04-15 21:48:45 | 花だより

4月に入って暖かかったのはほんの数日、今日も晴れてはいたものの、空気がとても冷たかったです。
ソメイヨシノもちらほら葉桜になりかけて、街路の八重桜が、艶やかな姿態を風になびかせるようになりました。
時間を見つけては、30分から1時間くらいのお散歩を続けています。
今日は辰巳用水沿いをお散歩。これまで気づかなかったのですが(そういえば、花の時期に歩いたことがなかった。)、山桜の木が何本かあるのを見つけました。もうだいぶ花を散らせていました。来年はもう少し早く、会いに行こうと思います。

ソメイヨシノがおきゃんな町娘なら、山桜はしっとり落ち着いた女性のイメージ。
どの花も、それぞれに良さがあって、甲乙はつけがたい。京都の容保桜に会いに行きたいし、黒部の景勝桜は咲いたかしら?と、どことなく心はそぞろ。

前回の記事につけてくださった、絶間さんの「桜に川はよく似合う」とのコメントで思い出したのが、新古今集の歌。

   花さそふ比良の山風吹きにけり 漕ぎ行く舟のあと見ゆるまで

これは川ではなく、琵琶湖に散った花の様子を歌ったものですが、漕ぎ行く船の跡がくっきりと残るほどに湖面一面に散っている花びらの情景が、一幅の風景画を見ているかのごとき鮮やかさで目の前に広がってくるようです。

   さくら花ちりぬる風のなごりには 水なき空に波ぞ立ちける

古今集にある貫之の歌ですが、これなどもとても美しい。桜の散るさまを、雪に見立てた歌は多々ありますが、それを波と見たところに、貫之の躍如を感じます。

さて、花の詩でやはりはずせないのは、なんといってもこれでしょう。

   春雁吾に似て吾雁に似たり
   洛陽城裏花に背きて帰る


   

   


リハビリのため

2010-04-09 22:17:47 | 花だより

長男の引越しの手伝いをして以来、腰がひどく痛むようになって、接骨院に通っています。接骨院の先生によると、腰の痛みは引越し以前から蓄積されたものとのこと。立ちっぱなしとか、座りっぱなしはよくないそうで、歩くか寝てるかしているのが一番とか。とにかく歩くように、と言われたので、今日は天気もよかったし、昨日ほど風も冷たくなかったので、リハビリのため、銀行に行くのに、普段は車で行くのが当たり前になっていましたが、今日はあえて歩いて行くことに。
歩くのは決して嫌いではないのですが、早く目的のことをしたい、次これをしなければならないから、と、実際にはそれほど早くしなければならないことというのは、そうそうあるわけではないのですけれど、億劫さもあいまって、それを口実に楽な手段を取っていました。そういうことの積み重ねが、肩や腰に現れてきているのかもしれません。

考えてみれば、その昔は馬とか籠とかはあったとはいえ、基本的に移動手段は自らの足。おそらくは想像を絶するほど、人々は健脚であったのだろうなと思います。

そんなことを思いながら、途中の風物を楽しんで歩くのもまた一興。

こちらは天徳院の山門。時間がなかったので、参拝はしませんでしたが・・・
天徳院は加賀藩の3代藩主前田利常の正室で、徳川秀忠の娘。(母はお江。)芳春院との交換条件で、3歳で加賀にやってきて、利常に嫁ぎました。
享年24という若さで亡くなりますが、利常との仲は睦まじかったようで、二人の間に3男5女をもうけています。(ほぼ毎年のように出産されていたのでしょう。)
天徳院は珠姫の法号で、ここは彼女の菩提寺です。
以前、このお寺の近くに住んでいましたので、何度かおとずれたことのあるお寺です。落ち着いた曹洞宗のお寺です。
山門の前に枝垂桜(?)でしょうか、濃い桃色の枝垂れた花木が植えられていました。

こちらは旧金大工学部の桜。工学部が移転して久しいのですが、桜は毎年花を咲かせます。

仕事へも、今日は徒歩にて。
春爛漫の犀川べりです。ほんのひと月前は、冬枯れの木々を、寒々と風にさらしていたのに、見違えるように美しく着飾って、春の陽光を思う存分浴びているようです。

ことさらにお花見に行くわけではありませんが、通りがかった先々で、春の景色を堪能しています。

 


DIVE TO BLUE

2010-04-08 22:01:43 | 花だより

少々用があって、小松の吉岡園芸さんへ。
抜けるような青空の下、心なしか車のエンジンも、滑らかな感がします。
道の両側はまだ眠りの途中の田んぼが広がり、まっすぐに伸びた道路は、真っ青な空に吸い込まれていくかのよう。
カーステから流れてくるラルクの“DIVE TO BLUE”を聞きながら、ああ、まさに青色の深くに沈んでいくかのような錯覚にとらわれます・・・。

遠く白山の峰々は、真っ白な雪を頂き、空の蒼との対照が鮮やかに美しく、古人が「神の山」として崇め奉った理由が、わかるような気がします。(写真では、ぼんやりとしか見えていませんが・・・)


帰り道、手取川の土手にちょっと寄り道。桜並木が美しかったので。
手取川は、その昔、謙信が信長の軍を蹴散らした所。立ち寄ったのは、その場所よりも、上流の方ですが。

        

手取川の川面は、優しげな陽光にきらきらと輝いて、穏やかな春の景色です。
ふと、草野心平の詩を思い出しました。

 

  川面(かわづら)に春の光りはまぶしく溢れ。そよ風が吹けば光りたちの鬼ごつこ
  葦の葉のささやき。行行子(よしきり)は鳴く。行行子の舌にも春のひかり。

    ・・・・・・

ヨシキリは鳴いておらず、もし、少女たちが花環で作った縄で縄跳びをしていたとしたら、その輪に入るのは富士ではなく、白山の峰々だったりするわけですが。


気がつけば

2010-04-03 21:02:39 | 造園日記2010
慌ただしく過ぎて行った弥生三月。気がつけば、あたりはすっかり春の気配に包まれています。
冬枯れの木立を灰色の空にさらしていた犀川沿いの桜並木も、薄紅色の衣をまといはじめました。花が開く前の、はにかむように、ほんのりと色づいた桜の景色が好き。花が開いてその美しさを誇るように風に靡く風情も、それはそれでいいものでありますが。

我が家の庭も、春は確実に訪れてくれています。
クリスマスローズ、水仙、パンジー、ビオラたちはしばらく前から咲いていましたか、秋に植えたムスカリやアネモネたちも、ひっそりと、頭をもたげはじめています。
バラたちの芽も、ずい分動いてきています。

再び信州へ~そして旅立ちの朝

2010-04-01 22:57:07 | 道々之記

先週の土、日は長男の引越しのため、再び信州へ。

夫の車の方が荷物がたくさん積めるので、先月から乗っていた長男の車と交換するために、富山の別宅へ立ち寄って、車を交換して松本を目指す。糸魚川で高速を下りて、白馬、大町経由で車を走らせました。
糸魚川~白馬は、その昔、北陸道がまだ開通していなかった頃、夫の実家から長野へ行くのによく通っていました。その頃は道も峠道で、走りにくかったこともありましたが、峠道はトンネルに変わり、川沿いの遂道を除いては、随分と走りやすくなりました。

写真は仁科三湖の一番南に位置する木崎湖。一番北の青木湖は、雪の中にひっそりとしていましたが、木崎湖あたりまで下りてくると、山肌に多少の雪は残っていましたが、あたりはすっかり早春の空気に包まれていました。

昼過ぎに長男のアパートに到着。先週と一向に変化のない部屋の有様に、母は少々むっときました。
どうやったらこれほど汚れるのかと思うくらいの汚れようにうんざりしながらも、トイレ、バス、ガス台と、ひどい汚れの部分をひとまず掃除して、いったん実家に引き上げました。(長男の部屋には泊まれないので・・・)

翌朝は、10時過ぎに松本へ行く。前日やり残した掃除を済ませ、1時ごろには荷物も車に積み込み、部屋はなんとか借りたときの状態に戻すことができました。昼ごはんを食べて、さて、帰ろうかとしたところ、「友達に挨拶していくから、先に帰ってて。」と長男。友達?・・・ああ、そういうことね。勘のいい母は「ではお先に」というわけで、一足先に家路に着く。松本と北陸、しばらくは遠距離恋愛というやつが続くようです。まあ、陸地続きだからよろしいではないですか。私のときは北海道と東京でしたから・・・。

さて、再び気ままな一人旅。夫も帰りが遅いらしいので、ちょっと寄り道を試みました。
途中の安曇野には、美術館が点在してます。で、以前から行きたいと思っていた碌山美術館へ立ち寄ることに。
安曇野出身の彫刻家荻原碌山の彫刻などが展示されている美術館です。
美しい教会風の建物が、写真などではおなじみでしたが、訪れるのは初めて。外観が、とても雰囲気のある美術館です。

碌山と交流のあった高村光太郎の作品なども展示されています。

荻原碌山は、30歳と言う若さで亡くなっています。高村光太郎はその死を悼んで、『荻原守衛』(「守衛」は碌山の本名)という詩を残しています。

 
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   (略)

  四月の夜更けに肺はやぶけた。
  新宿中村屋の壁を真っ赤にして
  荻原守衛は血の塊を一升はいた。
  彫刻家はさうして死んだ-日本の底で


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この詩は美術館の庭に詩碑となっていますが、とても壮絶で、読んでいて胸が詰まりそうでした。

碌山の作品の中で特に目を引いたのは『文覚』。鎌倉時代の怪僧(?)文覚上人を彫ったものです。
とてもたくましい感じの胸像ですが、身体のたくましさとは裏腹にどこか憂いを感じさせるような表情、作者自身の憂いが、表出しているものでしょうか。

庭には見事な馬酔木の木が・・・↓

うちの馬酔木は今年は花が期待できないのは、返す返すも残念で仕方ありませんが、見事な馬酔木を目にすることができ、少しは慰みにもなった気がします。

この日は午後から天気が崩れ、雪の予報も出ていましたが、美術館をあとにして、県境辺りに行くとちらちらと雪が舞い始めました。本当に「舞う」といった程度でしたけれど。

二日間、仕事を休んだわけですが、月曜日行ってみると、予想はしていたものの、案の定、仕事は山積。いまだに消化し切れていません・・・

今日から4月。(日が変わったので、正確には「昨日」ですが・・・)
長男は今日から社会人。まだ、学生気分が抜け切れていないみたいで、本当に大丈夫か、と思うのですが、今日からしばらく研修です。
旅立ちの朝は意外に暖かく・・・