ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

考え方の所有権

2024年06月26日 15時59分53秒 | 当事者
しばしば出会うこととして、つい先日もあったんだけど。

ある考えや表現に共感して自分も賛同すること、賛同を表明することと、ある考えや表現に賛同するけど自分はもっと前から知っていて、説明できること、よくぞそこに気が付いたと言うことは、言葉として出てくるもの、表現自体はとてもよく似ているけど、きっとベクトルが違うんだろうなと思う。

本当に称賛したくって、自分も一員となって広げたいと思うか、それともそれは自分のものだと、あるいは自分が知っている何かしらに引き寄せていくか。

実践が広がるなら、元気になれる人が増えるなら、幸せになる人が増えるなら、それはどっちでもええかなって思うけど、案外そんなもんではないらしい。

正しく、正統的に、マイノリティの中での、運動の中での権力を引き継ぐことと、これまでの実績、歴史を学び、今に生かそうとすること…は違うということ…だったりするのかな?その境目は決して明確なものではなく、グラデーションの中で程度問題でしかないけど、でも、それは無臭ではなく、ふわっと一瞬においがするようなもの。でも、「あれ?」って気づく。気づくけど、なかなか見えないし、触れないから、かすかな香りの記憶に戸惑う感じ。そして、あなたはどちらだ?とうっすら問われる感じ。

アカデミズムみたいに考えやアイデアの所有権がはっきりする世界ではこんなこと起きないのかな。
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