ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

3F

2018年10月08日 01時13分07秒 | 多文化共生のまちづくり
多文化共生の分野においてファッション、フード、フェスティバルは外国人を消費する(出させられるけど、出たからといって何も生活は改善されない。結局マジョリティの楽しみあるいはその場限りの楽しみで終わってしまう)ということがよく言われるけど。

今日のイベントは発案から企画から外国人のスタッフがやって、基本は外国人が集まる。自分たちが楽しむためにどんなプログラムをするか考えて、で、知っている日本人を招待する。よくある形とは逆。そういや、日本人、少なかったな。

というわけでいつもとは全然違ったのですが、楽しませてもらいました。というより、みんなが楽しんでわーわーやってるのを見て、すげーなって思って楽しんでました。


自分たちが何が楽しいかは自分たちが知っている。何も誰かに用意してもらったりおぜん立てしてもらう必要はない。場と機会があれば、みんなやるよ。

助けてもらう必要がない場面だってたくさんある。

そんな当たり前の話なのだと思いました。
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遠征

2018年09月27日 21時32分15秒 | 多文化共生のまちづくり
久しぶりに遠くへ。自然の豊かなところでした。ここに日本語学校を。とにかく来た人、受け入れる人がハッピーになってくれたらええなと思い、帰路につく。

…この時間帯で電車遅れ。今日中につけるかな…。





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感動

2018年08月21日 21時27分11秒 | 多文化共生のまちづくり
今日は研修の受入れ。25人ぐらいかな。人が来て,話をする。

私は協会全体の取組なので前座みたいなもん。後半で今は大学生や社会人になった元子どもからの発信。ということで話を聞いた。一人は小学生ぐらいから,もう一人は高校生のときから知っているけど,見えていたこと,見えていなかったこと。そんなことを感じていたのか,そう思っていたのか…ということが山のようにあり,思わず何度も涙しそうになる。

そんなにしょっちゅうあるわけやないけど,うれしくって心が震えて。涙が出る。

…そうやったな。喜怒哀楽,それがある場所で働きたいって思って現場に戻ろうと思ったわけで。でも,今日はやられたなぁ。こんなに成長したところを見せつけられるだなんて。素直に感動した。
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単純労働と日本語学校

2018年08月20日 23時21分02秒 | 多文化共生のまちづくり
単純労働が解禁されることで,これまで留学生の立場で働きに来ていた人はどうなるんだろう。やっぱり減るのだろうか。そうしたら日本語学校は経営が苦しくなるのだろうか。正直,状況は全然わからないし,見えない。

日本語学校を開校することで地域活性を図っていたような地域はどうなるんだろう。苦しくなったりするんだろうか。

政府の方針のなさに振り回される地域や民間は…たまったもんじゃないな。人生を大きく狂わされる人が出てくるかもな。
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場の力

2018年08月08日 13時40分19秒 | 多文化共生のまちづくり
昨日、子どもの学習支援の場でちょっとした夏のイベントをした。


その中でみるみる表情が変わっていく子がいた。人見知りも激しく、かつコミュニケーションも苦手な感じで、引きこもっていた子、学校も通えなくなっていた子。どうなるかという感じだったのが、少しずつ気持ちがほぐれていった中、昨日はこんな表情を見せるのか、こんなふうにふるまうのか、自分の役割をこなすのか…と。本当は力のある子やったんやと。


場や人との出会いは人を回復させる力を持つということを感じた日。そして、そんなふうに日々の実践を積み重ねてきた職員はすうごいなぁと改めて感心した日。

よかった。
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役に立つ人

2018年08月03日 00時51分51秒 | 多文化共生のまちづくり
最近、生産性のある人ない人がどうのこうのという議論がメディアで盛んに言われる。政治家がこんな発言をする、また周りも問題視しない人がわりにいるのが悲しいし、恐ろしく感じる。一体、何がうれしくて何を守ろうとしているんだろうって思う。

外国人労働者の受入の話も根底には同じものが流れている。実はすでにたくさんの外国人が日本で暮らしている。でも、そのことはあまり話題にあがらない。どれだけ人を入れるか…というよりも労働力を確保するかという「役に立つ人」を入れる議論が盛んにされる。このとき、役に立つとは=手間がかからない、支援はできる限り少なくということが暗に期待される。

労働力を求めるのに、手間がかかっては効率が悪いってことなんだろうと思う。来るのは人やっちゅうねん。


そう、外国人は弱い人ばかりではない、逆に日本を助けてくれたりする。いろいろな力を持っている、それを発揮してもらうことが大事だというのはわかる。わかるけど、でも、根底には生産性や貢献や役に立つ論が流れていてどうしても居心地が悪い。

しかも、そのときの「役に立つ」はかなり範囲、意味が狭い。金になるかどうか。


すっきりとしないけど、割とそんな感じの議論が多い。
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ハギハッキョ

2018年08月03日 00時10分47秒 | 多文化共生のまちづくり
約40年もの間、大事に受け継がれてきたもの。そこにかける想いと情熱は並々ならぬものがあり、足を運ぶ度に自分が仕事とどう向き合ってきたかということを振り返る。


自分にはまだそんなに長い間取り組んできたものがない。そりゃそうや、そこまで長いこと生きていないから。自分の人生よりも長いぐらい力と思いと時間と割いてきたものがあるということ。それだけ大事だし、かける価値があるもの。

その一端に触れられるだけでも自分は幸せだと思う。で、その思いを胸に、まだそういった機会がない若者や子どもとどう向き合うかということを考えたい。

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発信

2018年07月24日 00時41分01秒 | 多文化共生のまちづくり
ブログは発信…というよりも備忘録的に、頭の中を整理する、あるいは整理されていなくても今の状態をピン止めするために書いてきた。

でも、自分の今の立場を顧みて、やっぱりもうちょっと発信をしないといけないのかなということを感じることが増えてきた。今の職場に移った時もそう思っていたけど、中身はずいぶんと変わってきたかな。とにかく発信をせんとあかんのちゃうかなと思うようになってきたんやけど、正直、びびる。

やりだしたら、中途半端はいややけど、でも、そこまで余力あるかなって思ってしまってひるんでいるような感じ。ばたばたばたっと追われることも多々あるし。

媒体や方法、対象も含めて、ちょっと変わらないといけないかなという思いがじわじわっとにじむ。
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報告書

2018年06月02日 00時56分44秒 | 多文化共生のまちづくり
パソコンがパートナーと共用になり、何となくなれない。キーボードも少し小さいからかな。これまでとはちょっと勝手が違う。


今日、ある事業の報告書がおおよそ完成した。といっても、私が書いたのは最初の1ページだけ。あとは実際に事業を担当し、回した担当者やコーディネーターの文章。

その内容にぐらっときた。こんな思いで、こんな情熱、熱量で仕事にとりくんでたんだって。もちろん、一生懸命やってくれていたことは知っていたけど、文字を見て、思わず心臓をぎゅっとつかまれる感じになる。

そんなとき、自分たちの取り組んでいることは、すぐに成果を上げないかもしれないけど、必ず
うまくいくはずって強く思う。思い込みではなく、ふつうにそう思う。

幸せを感じる。
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抜き書き 〜移民政策のフロンティア〜

2018年04月25日 01時07分30秒 | 多文化共生のまちづくり
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日本では、不登校児童生徒の教育機会の保障について、2016年12月に「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」が公布され、同法3条第4号は、次に掲げる事項を基本理念として規定している。

「四 義務教育の段階における普通教育に相当する教育を十分に受けていない者の意思を十分に尊重しつつ、その年齢又は国籍その他の置かれている事情にかかわりなく、その者が、その教育を通じて、社会において自立的に生きる基礎を培い、豊かな人生を送ることができるよう、その教育水準の維持向上が図られるようにすること。」
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「移民政策のフロンティア」移民政策学会設立10周年記念論集刊行委員会
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仲間

2018年03月05日 09時52分50秒 | 多文化共生のまちづくり
最初は業務だったり、事業だったりのつながりだったものが、気が付くと友だちだったり仲間だったりという感覚になったりする。で、ふらっとたまってたり、話したり、食べたり、飲んだり。

何らかの意図によるものではなくって、何かそうするのが自然と言うか、心地よいというか。そんなんがあるとうれしい気持ちになる。

…多分、どこにでもあるふつうの、本当にありきたりのことなんだけど、でも、そんな場や時間を身をおいているときは特別な感じがするのが不思議。どこにでもあることなんだろうけどね。
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ほんまにいるの?

2018年02月14日 04時36分52秒 | 多文化共生のまちづくり
全然専門外なので分からない部分がたくさんあるし、誤解もたくさんあるのだろうと思うけど。

新型出生前診断について、日本産科婦人科学会が厳しい倫理検査などが必要な臨床研究を終了し、手続きなどが簡単な一般診療として認める方針を固めた…ってことらしいけど、それは本当に必要なのか。胎児の中絶につながらないのか。妊婦の不利益の解消というときの「検査が受けられないことの不利益」は検査が受けられないことがどういった不利益になるのだろうか。…自分には知識も経験も足りなくて、想像ができていないから分かっていない部分がたくさんあるんだろうな。

だから感覚的なことでしかないし、強くは言えないけど、本当にこれがいいのかなって思った。

結局、障がいの個人モデルを維持する流れよね。個人でがんばれ、いろいろな壁を乗り越えろって。もっともっと上手に頼って助けてもらってって社会にせんと、息苦しくなる一方やん。

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無認可で十分なカウンセリングもせずに検査しているところが横行しているんだとか…。それなら、ハードルを低くして,カウンセリングも含めてちゃんと検査し、ちゃんと対応するところに行けるようにということ。

結局、根っこの部分から考えないといけない話なんやろうな。
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現場の感覚

2018年02月04日 00時09分47秒 | 多文化共生のまちづくり
とあるパンフレットを作ろうと開催されている会議。

最初はうまく仕切らなきゃとか、こうするべき…だなんてことをいろいろと考えていたけど、回を重ねるうちに、参加している人たちの現場での実践の濃さ、経験の厚みを知ることとなり、また、発想の豊かさを知り、いつの間にか、自分にとって大きな学びが得られる場に。

今日も議論についていくのが必死だったし、感覚的にものすごく大事な話をたくさん聞いた気がする。

で、そういった場で作られたものはきっといいものになる気がする。

何か自分が得してるかもな。いろいろな人と出会って、話をして、学んで。ほんまに感謝やわ。
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名前を名乗ること

2018年01月31日 21時39分02秒 | 多文化共生のまちづくり
自分のルーツが明らかになる名前をなかなか名乗れない。そんな話を最近、しばしば聞く。もちろん、身近なところで。

自分の民族名を名乗れない、なぜならいじめられたり排除されるかもしれないから。親の名前の書かれたプリントを隠すように学校の先生に渡す、あとで子どもが親に訴え、親も日本人の親の名前を書くようにするよ…と。決していじめられているわけではないと言うけど、周りの子が無邪気に変な名前が書かれていると言ったり、テレビの報道などを見て、立ちすくむ。そんなん絶対に自分のことを出せない子の責任ではない。

若者。民族名でずっと生活している。でも、だからこそ、あり得るかもしれない差別とそれをできるだけ避けようとする。だれだって無意味に傷つきたくない。それに出身や文化やルーツで傷つけられるって本当に意味がない。それに避けがたく逃れられないことに対する攻撃は本当に人を傷つける。

世の中、差別はしない、みんな同じ人間やって感じで閑雅ている人も多いのは知ってる。でも、差別をしないということとちがいを大事にすること、ちがいについて知ろうとすることはイコールではない。


しばしば、まだまだやなって思う。
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一呼吸

2018年01月28日 21時40分47秒 | 多文化共生のまちづくり
今日で一呼吸。

いわゆる新年会。議員も多く来て、かたい空気になりそうなもんやけど。
ざっくばらんな楽しい雰囲気で進んだ。

何より多文化パフォーマンスには助けられた。

上手やったし、迫力あったし、みんなが時間配分とか気にせんと好き勝手にやってたのがよかった。
司会はあわてふためいていたけど、でも、そう、その場の空気って大事やで。

何でも予定したとおりに進むと思ったらあかんなって心のそこから思った。

あと、ダンスも泣きそうになったな。いろいろとあった。


うちらしい集まりやった。


そこまでもっていった職員、スタッフ、ボランティア、まじすげー。
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