ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

仲間

2018年03月05日 09時52分50秒 | 多文化共生のまちづくり
最初は業務だったり、事業だったりのつながりだったものが、気が付くと友だちだったり仲間だったりという感覚になったりする。で、ふらっとたまってたり、話したり、食べたり、飲んだり。

何らかの意図によるものではなくって、何かそうするのが自然と言うか、心地よいというか。そんなんがあるとうれしい気持ちになる。

…多分、どこにでもあるふつうの、本当にありきたりのことなんだけど、でも、そんな場や時間を身をおいているときは特別な感じがするのが不思議。どこにでもあることなんだろうけどね。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ほんまにいるの?

2018年02月14日 04時36分52秒 | 多文化共生のまちづくり
全然専門外なので分からない部分がたくさんあるし、誤解もたくさんあるのだろうと思うけど。

新型出生前診断について、日本産科婦人科学会が厳しい倫理検査などが必要な臨床研究を終了し、手続きなどが簡単な一般診療として認める方針を固めた…ってことらしいけど、それは本当に必要なのか。胎児の中絶につながらないのか。妊婦の不利益の解消というときの「検査が受けられないことの不利益」は検査が受けられないことがどういった不利益になるのだろうか。…自分には知識も経験も足りなくて、想像ができていないから分かっていない部分がたくさんあるんだろうな。

だから感覚的なことでしかないし、強くは言えないけど、本当にこれがいいのかなって思った。

結局、障がいの個人モデルを維持する流れよね。個人でがんばれ、いろいろな壁を乗り越えろって。もっともっと上手に頼って助けてもらってって社会にせんと、息苦しくなる一方やん。

---
無認可で十分なカウンセリングもせずに検査しているところが横行しているんだとか…。それなら、ハードルを低くして,カウンセリングも含めてちゃんと検査し、ちゃんと対応するところに行けるようにということ。

結局、根っこの部分から考えないといけない話なんやろうな。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

現場の感覚

2018年02月04日 00時09分47秒 | 多文化共生のまちづくり
とあるパンフレットを作ろうと開催されている会議。

最初はうまく仕切らなきゃとか、こうするべき…だなんてことをいろいろと考えていたけど、回を重ねるうちに、参加している人たちの現場での実践の濃さ、経験の厚みを知ることとなり、また、発想の豊かさを知り、いつの間にか、自分にとって大きな学びが得られる場に。

今日も議論についていくのが必死だったし、感覚的にものすごく大事な話をたくさん聞いた気がする。

で、そういった場で作られたものはきっといいものになる気がする。

何か自分が得してるかもな。いろいろな人と出会って、話をして、学んで。ほんまに感謝やわ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

名前を名乗ること

2018年01月31日 21時39分02秒 | 多文化共生のまちづくり
自分のルーツが明らかになる名前をなかなか名乗れない。そんな話を最近、しばしば聞く。もちろん、身近なところで。

自分の民族名を名乗れない、なぜならいじめられたり排除されるかもしれないから。親の名前の書かれたプリントを隠すように学校の先生に渡す、あとで子どもが親に訴え、親も日本人の親の名前を書くようにするよ…と。決していじめられているわけではないと言うけど、周りの子が無邪気に変な名前が書かれていると言ったり、テレビの報道などを見て、立ちすくむ。そんなん絶対に自分のことを出せない子の責任ではない。

若者。民族名でずっと生活している。でも、だからこそ、あり得るかもしれない差別とそれをできるだけ避けようとする。だれだって無意味に傷つきたくない。それに出身や文化やルーツで傷つけられるって本当に意味がない。それに避けがたく逃れられないことに対する攻撃は本当に人を傷つける。

世の中、差別はしない、みんな同じ人間やって感じで閑雅ている人も多いのは知ってる。でも、差別をしないということとちがいを大事にすること、ちがいについて知ろうとすることはイコールではない。


しばしば、まだまだやなって思う。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

一呼吸

2018年01月28日 21時40分47秒 | 多文化共生のまちづくり
今日で一呼吸。

いわゆる新年会。議員も多く来て、かたい空気になりそうなもんやけど。
ざっくばらんな楽しい雰囲気で進んだ。

何より多文化パフォーマンスには助けられた。

上手やったし、迫力あったし、みんなが時間配分とか気にせんと好き勝手にやってたのがよかった。
司会はあわてふためいていたけど、でも、そう、その場の空気って大事やで。

何でも予定したとおりに進むと思ったらあかんなって心のそこから思った。

あと、ダンスも泣きそうになったな。いろいろとあった。


うちらしい集まりやった。


そこまでもっていった職員、スタッフ、ボランティア、まじすげー。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

外国人労働者の受入れ

2018年01月17日 22時08分46秒 | 多文化共生のまちづくり
外国人労働者に関する記事をよく見るけど。

どう考えても、来てもらわないと困るのは日本社会の側の話。もちろん、外国人もふるさとの経済状況や雇用状況などいろいろと大変なことはあるのだろうけど、日本社会がにっちもさっちもいかなくなってきているのは事実。

だけど、受入れをちゃんとせず、危険な目にあったりしているのは放置できないと思う。助けてもらっている、支えてもらっているのに、危険な目にあったら自己責任なんて都合が良過ぎる。

ほっといたらあかんやろ…という言葉を自分にも、自分が暮らしている地域にも。そして、行政にも社会全体にも。


===
外国人就労者受け入れ/17年度末までに累計3900人に/国交省見通し [2018年1月15日2面]
https://www.decn.co.jp/?p=96926

===
○外国人技能実習生3年で22人労災死 発生率は国全体より大幅高 厚労省が初のまとめ
http://www.sankei.com/affairs/news/180114/afr1801140022-n1.html
労災による死亡と認定された外国人技能実習生が平成26~28年度の3年間で計22人に上ることが14日、厚生労働省のまとめで分かった。大半が事故とみられるが、過労死も1人いた。政府統計で実習生の労災死の実態が明らかになったのは初めて。

 厚労省によると、死亡した実習生のうち労災認定されたのは26年度8人、27年度9人、28年度5人。労働基準監督署に報告があった死亡事案の中で労災認定されたものを集計した。

 年別の実習生の人数と比較すると、集計が年と年度で違うが、単純計算すると3年間の労災死は10万人当たり3・7人となる。一方、日本全体では、厚労省の集計で26~28年の労災死は計2957人。総務省統計局による雇用者数の3年間合計で計算すると、労災死は10万人当たり1・7人となる。

===
○外国人実習生22人 労災死
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201801/CK2018011502000229.html
労災による死亡と認定された外国人技能実習生が二〇一四~一六年度の三年間で計二十二人に上ることが十四日、厚生労働省のまとめで分かった。大半が事故とみられるが過労死も一人いた。政府統計で実習生の労災死の実態が明らかになったのは初。労災保険の給付対象となる休業四日以上の労災件数は三年間の平均で年四百七十五件だった。
 実習生は職種が限られており、労災死比率が日本の雇用者全体の労災死比率を大きく上回っている。実習の名の下に日本人より危険で過酷な労働を負担している現実が示された。
 専門家は「労災隠しが横行している」と指摘しており実際の件数はさらに多い可能性がある。新たな職種として介護が加わるなど拡大を続ける実習制度だが、制度の存廃も含め、在り方が抜本的に問われそうだ。
 厚労省によると、死亡した実習生のうち労災認定されたのは、一四年度が八人、一五年度が九人、一六年度が五人。労働基準監督署に報告があった実習生の死亡事案の中で、労災認定されたものを集計した。実習生の国籍や都道府県別の人数は不明。実習生の仕事は農業、機械加工など七十余りの職種だけという違いはあるものの、差が大きい。
 実習生に詳しい自由人権協会の旗手(はたて)明理事は「慣れない日本の労働現場、しかも労働安全衛生への意識が低い中小企業で働くことが多い上、実習生は日本語での意思疎通が、うまくできない」と労災が多い背景を分析する。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

答えの場所

2018年01月17日 21時49分30秒 | 多文化共生のまちづくり
当たり前と言えば当たり前なんやけど。

マイノリティ支援やそれを含めた共生のまちづくりの答えは、マジョリティが考えて編み出せるものではない。当事者の想いや感じていること、考えていることから出発する必要があるし、そういう意味では答えのタネは当事者、当事者の暮らし、周りとの関わりの中にあるのかなって思う。

でも、そのタネをだれと一緒にどこまで育てるかということが大事で、そこに自分がどこまで上から目線ではなくかかわることができるかということが大事なんだろなと思う。

だから、少なくとも答えは私の中にはない。でも、関わることは大事。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

新年会

2018年01月12日 22時40分57秒 | 多文化共生のまちづくり
外国人に対する支援やら多文化共生のまちづくりはやっぱりマイノリティに対する施策なわけで。

まずは一人でも多くの人に知ってもらうため、あちらこちらの新年会に参加して、スピーチの機会がもらえるわけでもないけど、せっせと年次報告書を配り、話をし、頭の片隅においてもらえたらなと。カリスマ性もないから一発で覚えてもらえるわけでもなし。でも、何度も話をしているうちに覚えてもらえたらええかなという気持ちで。

そんなことを繰り返す。スピーチやら余興やらがある中で、使える時間は限られていても。でも、一つの集まりで5人に報告書を配って話をしたら、それが10回で50人。

それを1年、2年と繰り返していけば…決して小さくない…といいな。

希望をこめて、こつこつと。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

知ってたけど意識があまりなかったことと、知らんかったこと

2018年01月04日 01時39分11秒 | 多文化共生のまちづくり
「1990年代の外国人の健康問題の深刻さを生んでいた大きな原因は最大30万人もの超過滞在労働者が就労し産業を支える構造がありながら、在留資格がなく健康保険に入れない状況のままになっていた」…ってやっぱりおかしいわな。同じ社会で生きているのに、人として生きる権利が保障されない状況が「ふつうにある」のはおかしい。夢や希望も持てなくなるような社会はおかしいし、何とかせんとあかんと思う。いきなり社会全部を変えることはできないけど、近いところからできることから少しずつ。

それから、「日本キリスト教会が昭和14年に在日朝鮮人教会を併合する。お祈りも日本語でするように強いる。」というのは時代背景を考えると、そうかと思うけれども、全然想像していなかった。そっか。


まだまだ小さなピンホールから社会を眺めているようなもんやな。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ルーツによって立ち現れること

2018年01月04日 01時01分33秒 | 多文化共生のまちづくり
自分の考え、ものの見方の偏りとして、外国にルーツがあると聞くと…途端に「外国人性」が立ち現れる。いろいろなことを、そのルーツと結び付けて解釈しようとしたりする。いろいろなことを、それで納得しようとする。

でも、それってその人の生きてきた歴史や背景や環境やら、いろいろなことを見なくするんだろうなと思った。ダブルって両方あるということだから、両方関係してくる、それは切り離されて整理されているかもしれないし、もっと渾然一体となっているものかもしれない。ダブルって発想自体に純血主義的なものの考え方があるのかもしれない。だってダブルは別々のものが二つあるというのとは全然違う話なのかもしれないし。

自分の中で多様なものをどう整理しようとしているのか、どう解釈しようとしているのかという傾向を知ることは大事かもしれないって思う。それが出会いそびれにつながっていることもあるだろうし。

逆にそれ以外を「日本人」としてくくってしまうこともとんでもない話やなって思うけど、どこかで対比して解釈しようとするふしもあるな。「純」とか「外国」について考えてみてもいいかもなって思った。自分の中でもっともっと知りたいし、広げたい。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加