ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

忘れ物なきよう

2023年10月07日 23時24分05秒 | 多文化共生のまちづくり
何でこんなに忙しいんやって思う。やらんでもいいことをたくさんやってるところもあるかな。

でも、多分、とことんやらんと社会は変わらん。要領よくでは変わらん。やっても変わらんかもしれんけど、でも、やらんと変わらん。

ただ、余裕はなくしたくないし、楽しむ気持ちも忘れたくない。

おもろく、たのしく、笑いを忘れず。怒りも忘れず。

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日本語教育がずれる部分

2021年06月29日 18時29分00秒 | 多文化共生のまちづくり
日本語教育って日本語教師を中心に考える。
外国人当事者の人生であったり、生活であったり、想いであったりを出発点に考えたりしない。
それになんでこんなに上から目線なんだろうなって思う。「教師」だから、えらいのは当然か…なんて思ったりもするけど。

地域でも政府でも、学校ごっこに陥っちゃうんだろうな。なんか残念。

…また、地域で活動していると、それを完全に無視することも難しく、お付き合いさせられてしまうのも残念(メリット、デメリットをトータルで考えると、振り回されることの方が得だったりする)。

率直に、付き合わされんの、やだな。
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連戦連敗

2021年06月25日 00時28分19秒 | 多文化共生のまちづくり
これまで勝ったって思ったことはない。もちろん、うれしいこともあるし、良かったと思う出会いなんて、それこそ山のようにある。

でも、これができなかった、これがクリアできなかった、こうしたかったのに…なんてことは山のようにある。というより、そればかりかもしれない。思ったように進まない、通じない、動かない。その中で悔しいから、何とかしたいから、おかしいと思うからちょっとでも進めたいと思ってやってきた。

高尚なものでもなく、きれいなものでもなく、ただやってきた。満足のいくものはないし、未だに何もできていない、きっとこれからも何もできないと思う。でも、それでいいし、それしかできないかな。

現場、思索、表現。そうやんね。

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大人の世界

2019年11月04日 01時32分05秒 | 多文化共生のまちづくり
大人の世界と言えば,そうなのかもしれないけど。

あいちトリエンナーレは手続きの不備により,文化庁の助成金が取り消される。朝鮮学校やブラジル人学校の行っている幼児教育のうち,各種学校立のものについては学校教育法の枠組みの中のことであって,保育や幼児教育の体制がどこまで整っているか確認できないからということで幼保無償化からは除外される。

とってもきれいな論理かもしれないけど,論理的に説明できたかもしれないけど。でも,これぐらいのこと,多分,助成金を取り消さない方向でも無償化から除外しない方向でもロジックを組み立てることはできたはず。理屈付けもそんなに難しい話ではないと思う。

そこは誰の声が大きかったかということがあったんだろうと思うし,そんなんで容易に正しさなんて変わってしまうということ。

「正しさ」は誰にとって何のための正しさか,セットで考えないといけないし,何通りもの正しさがある。


だから,自分の正しさを押し通すだけでなく,いろいろな人に理解してもらう,共感してもらうための努力が必要だし,そうしないと社会は変わらないということ。

それは真正面から闘うことだけではない。



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17年

2019年05月13日 00時34分00秒 | 多文化共生のまちづくり
今の職場に関わり出してはや17年。ボランティア4年,職員3年,遠くから7年,そして職員4年目。

最初の頃にあった若者にインタビューをさせてもらう。

出会った頃は小学1~2年ぐらい。今は大学院で専門の話やら,親の健康のことだとか,彼氏の話,将来の話など。昔の話も今の話も未来の話も。

とても幸せな気持ちになった。

そりゃ自分も年をとるわけだ。でも,こんな感じで年をとるんだったら,悪くないなって思った。年を取った分だけ,自分がボランティアや仕事で関わった人たちといろんな形での出会いがあるわけだから。

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論文から

2019年05月03日 17時35分22秒 | 多文化共生のまちづくり
日立財団Webマガジン「みらい」VOL.3
論文特集「人口減時代の多文化共生」

「外国人コミュニティとの共生~これまでの経緯とこれからの期待~」田村太郎

○国籍の多様化,在留形態の多様化,世代の多様化
○外国人コミュニティの機能
 ・危機的な状況へ対応する機能
 ・より良い暮らしへのニーズに対応する機能
 ・帰属意識を確認し文化を保持する機能
 ・ホスト社会による承認の対象となる機能
 ・地域の活性化やグローバル化へ貢献する機能
○ホスト社会に求められること
 ・外国人コミュニティの把握について(調査)
 ・コミュニティを視野に入れた施策の検討(診断)
 ・外国人コミュニティによる地域参画(処遇)
○ソーシャルキャピタルとしての外国人コミュニティ

 
※項目の一部だけ,特に気になったところを抜粋。包括的に見て,何をしないといけないとあかんのか考えないと。
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トップ

2019年04月13日 12時17分44秒 | 多文化共生のまちづくり
トップはいろいろとできることもあるかもしれないけど、でも、今の時代、ガバナンスのしっかりとしている組織が増えてきているので、影響力などは持っても、独断で決められることなんてそうそうない。でも、責任は結構重いかな。なかなか大変なポジションだなということをつくづく思う。

やりがいもあるけど、大変なことは大変。

…といったことをたまに思う。

うまくいけば職員のがんばりのおかげ、あかんかったらトップの責任みたいなこともあるしね。

でも、そうでありたいと思う。
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新年度

2019年04月03日 14時57分34秒 | 多文化共生のまちづくり
うちの職場はこの3月で一人,退職しました。引継ぎのためだけに…とか言いながら,3年間いてもらいました。私の前任者です。

3年経って,分かったこと,できるようになったことも多いけれども,仕事をする中で自分にはできないことも多々知りました。そんな中での退職はいつまでも頼ってはいられないという思いと,腹をくくって進めていかないという思いと,大丈夫だろうかという思いと,そしてこれまでの感謝と,いろいろな感情がないまぜになりました。

一人抜けるということは,単に一人減るということにとどまらず,組織としては新しい化学変化が起こるんだと思います。それに向けて時間をかけて体制を作ってきたので,実質的なショックは少ないとはいえ,でも,いろいろなことが起こるのだろうと思います。

どちらにしても一人減ることを組織として成長の機会にできるか,マイナス1をプラス1,プラス2にどうやって変えていくか,そんなことが自分の当面のミッションだろうと。

春はそういう季節なんやな。
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市民活動と社会的起業の棲み分け,連携

2019年03月28日 23時27分47秒 | 多文化共生のまちづくり
そもそも書いていることは,意味が通ることなのかどうかということも分からないけど。

市民がボランタリーに行う活動と,それを仕事にした社会的起業(…そんな単純な分け方じゃないんだろうけど)とが,それぞれ適した領域,テーマというのはあるんだろうか。

大きなトレンドの中で,自分たちが何に取り組まないといけないのか,それを考えようと思ったときに出てきたのがこの課題。今すぐにではないけど,3年後,5年後,10年後には今よりももっと求められるだろうなと思う。
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日本に来ること

2019年03月28日 22時58分55秒 | 多文化共生のまちづくり
日本に来ることがよかったってなってもらいたい。
日本に来る人だけでなく,すでに来ている人にとっても,よかったってなってもらいたい。

そのために何ができるか。モデル的に取り組んだことが,いろいろな地域で展開できるようになること。

「メガトレンド」なんて言葉,今日まで知らなかったけど,でも,それを無視して地域の在り方を考えることはできないなと思った。ただ,それに振り回されたり,運命的なものとして受け入れるのではなく,その環境の中でどうアクティブに地域づくりに取り組むかということを考えないといけないのだろうな。

とっても刺激を受けた。
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外国人人材に関するセミナー

2019年03月28日 22時58分55秒 | 多文化共生のまちづくり
外国人人材に関するセミナーに参加する。企業がどんなことを考えて外国人労働者を確保しようとしているのか,その問題点はどんなところにあるのか,それを把握して,外国人労働者が搾取されないように予防線を張らないと…って思って参加したんだけど,全く逆の内容。

むしろ,学びと刺激が多く,得るものがたくさんありました。最初は眠かったけど,途中からはっとさせられることがしばしば。もちろん,搾取されたり,奴隷的に働かされたりという現状があるのは事実。でも,それだけではないし,それではだめだ,そもそも事業所として持続できないということをどう伝えていくかというポジティブな気持ちになれたのが大きい。

いつも意識して,自分の主義主張や志向とあうような場所に行くだけでなく,どんな話が出てくるのか想像が付きにくい場所だったり,逆の話が聞けるような場所に意識していくようにしているけど,こんないいことがあるんやなって思った。

自分の枠とか殻は時々,外からつついてもらわないとな。
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応援のこと

2019年03月13日 19時29分50秒 | 多文化共生のまちづくり
前の仕事もやりがいは感じていたし,大事な仕事だとは思っていた。でも,全国の人と会ったり,政策を創ったりしていく楽しさはあったけど,現場からは距離があったので,その部分では自分が好きでやっている仕事…というよりも誰かがやらないといけない仕事をしているという感覚があった。

今の仕事は現場に戻って,とてもやりがいを感じる。けど,正直言うと,ばたばたしていて,しみじみ「やりがいがある仕事だ」ということを感じたり考えたりする時間もないようなことが多い。それに現場ってすべてのことが舞い込んでくる。それは外国人の支援や多文化共生の取組だけでなく,地域の対応だったり予算から行政と折衝から政治家の対応だったり,もうその他もろもろ。

また,管理職,責任者という立場上,ふりかかってくるプレッシャーや負担も大きい。やる前から大きいだろうなとは思っていたけど,正直,重いし自分一人では担い切れないと思ってる。だから,周りの職員にも山のように助けてもらっているんだけど。


…そんな状況の中での応援は本当に心にしみる。それがあったからと言って,何につながるというわけではない。何が変わるというわけではない。自分たちが取り組むべき仕事の量は何も変わらないし,仕事の条件が変わっているわけではない。

そんなこと百も承知。

でも,そう,何が変わるというわけじゃなかったとしても,がんばれって言われたり,それを行動として受け取ったりすると,それは力になる。


本当にありがとうございます。
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応援のネットワーク

2019年03月12日 23時40分16秒 | 多文化共生のまちづくり
クラウドファンディングで。

ただ応援されたというよりも,「応援してください」「やばいです」「ピンチなんです」って言って,お願いしまくったんだけど。そのことを通じて感じたことは,助けてくれるんだってことと,それは本当にありがたい,本当に本当に励まされるということ。

何を水臭いことを言っているのか,そんな当たり前のことを…と思うかもしれないけど,でも,そう思った。

知っている人からの応援はうれしいし,知らない人からの応援もうれしい。


ノウハウやスキル,資源などの情報交換,意見交換も大事だけど,応援のネットワークってありやなって思った。そんなことからも社会は一歩変わるかもしれないって思った。
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泣く手前

2019年03月10日 20時53分39秒 | 多文化共生のまちづくり
今日はやばい一日だった。


朝から市内南部の小学校の防災フェアに参加。ブースを出させてもらう。だーっと来た外国人の対応を多言語スタッフと一緒にする。地域の人たちがたくさん興味を持ってくれる。「これはなに?」「みんなどこで何しているの?」などなど。地域に出て,頑張ってきたことが少しずつつながってきているような気がしてうれしい。

センターに戻ると中学のときからセンターに通い,母語のスタッフなどをしてくれてた若者と出会い,話をする。何の気なしに昔のことを話し,そしてそのとき彼の授業を受けていた子が今はコーディネーターとしてセンターに戻ってきていること,去年,セミナーで母語でお兄ちゃんに出会えたことがとても大きかったと話していたことを話す中で,お互い,次の言葉が出なくなる。もう一言でもしゃべろうもんなら,泣いてしまいそうな感じに。

また,その若者は当時一緒に活動していた先輩の母語のスタッフがロールモデルとなっていたことを知る。あこがれであり,はげましてくれる存在であり。自分の進もうとしていた道をあきらめようかとしたときに「ここまでってあんたはどれぐらいがんばってきたの?これからじゃないと。」とぴしゃりと言われ,そこからまたがんばろうとやってきたことを知る。

受けた想いが次の世代へ,それがまた次へとつながっているんだって知り,目頭が熱くなる。やばい。


午後の一発目は会議。暇だった。だって,若い職員がうまく切り盛りしてたから。全然できなかったのに,こんなに上手に前向きにできるようになったんだって,急に実感した。みんな成長するんだな。

その後,子ども,若者の活動。みんなわーわーうるさい。しつこいし。でも,こんなに自由に過ごせる空間で本当に楽しくやってる様子を見ていると,うれしい。


その後,職員から一つ報告を受ける。これは大人の話。子どもの日本語教室をやってた人たちとは本当に激しくぶつかったし,話をするのもしんどい時期もあった。立場上逃げられないから,どうしようもなくきつかったときもあったけど。それを消化して,その次のステップへどう進むか,それも自立してどう進むかということを考え始めているらしい。

これはめっちゃやばかった。みんな,なんてすごいんだって思って,涙がこぼれるんじゃなくて,泣きそうになって「うっ」となる。


こういう職場にいて,こういう人たちと出会えて,なんて幸せな仕事なんだって思う。あー生きてるって実感する。
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声を聴く

2019年03月02日 23時47分10秒 | 多文化共生のまちづくり
「声を聴く」

それは大事なんだろうなと思うし,やったらやったで気が付くこともいいこともたくさんある。
でも,何となくしっくりとこない感じがあるのも確か。

なんだろうな。

自分の違和感の所在は確かではないけど,でも,何となく「声を聴く」といったときに目の前のその人と何か関係を創ろうとか,何か一緒にしよう…という感じではなく,その人の声を基に,何か別の活動なりプログラムなり事業を創ろうとすることが多いからかなという気がする。

偶然,何かの拍子に寄せられた声に心が動いて何かが始まることもある。それはそれで何も引っかからない。

でも,「声を聴く」といった途端になんだろ,構えすぎるのかな。それでも聴かないよりはいいんだろうけど,でも,使われる感もなくはないよな。


自分の感覚でいくと,声が聴こえる距離,声が聴こえてくる関係,声が届く…とか,そんなんが大事なんかなって思う。感覚でしかないけど。
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