ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

EPA

2007年12月31日 14時35分43秒 | 社会
もうすぐEPAのもと、フィリピンから介護士、看護士が日本にやってくる(らしい)。正確な時期はいつになるのか分からないけど。まだ制度自体、詳しくは知らないので、的違いなことを言うかもしれないけど。気になる。それにどこまでうまくいかない、摩擦が生じることを想定して動きが進んでるのかなと思う。

ただ単に人の交流、移動が盛んになることが『日本』の多文化共生に役立ったり、今の労働力不足を解消するということに留まらないということを考えておかないといけないんじゃないかなぁ。これは日本に限らずだけど、「経済格差が移住労働の女性化として現れている」のは、確かにそうだと思う。また、日本で働き続けるために国家試験などの高いハードルを課せられ、「医療、福祉界の最下層に組み込まれる」、また準看護士などの資格が新たに設けられることにより、「分断化がすすめられる」。

また既に、「介護現場では性的いやがらせや暴力が報告されている」ということを考慮に入れると、どれだけ人権侵害がおこるかということを考えないといけないだろうなと思う。どこまで救済の制度が設けられているのか。

このように移住労働にまでジェンダーの問題が持ち込まれる可能性は高いし、現に起こっている。「これまで日本の女性が家庭内では無報酬で、病院内では重労働の割には低賃金で担ってきた社会的評価の低い介護労働そこに出稼ぎ層に対する蔑視や階級差別が加わるのではないだろうか。また、結果として日本人の職を奪い、介護の質を下げるという話に結びつかないだろうか。」単に質が下がった・下がっていないなどの議論が起こるだけでなく、スケープゴートとして扱われてしまう可能性もないだろうか。

マリア・ミースの引用が紹介されていたけど、「西欧の福祉先進国と言われる国々も、介護現場に女性移民労働者を受け入れることで、南北格差を前提にすることで、ようやく介護福祉が実現していることを銘記する必要がある」と警鐘をならしている。いろいろな想いを抱えて、また、その想いの前提として南北格差が存在しているということを頭に入れておかないと、まともに人権を守られることのない安い労働力の確保ということで終わらないだろうか。研修生・技能実習生制度が制度的に破綻していて、現代版奴隷制度なんていうことも言われている状況の中で、二の舞いにならないかって危険を感じる。

「産業化の過程において、外国人は国民国家あるいは近代社会の秩序体系の外にある異質な存在として排除されるだけではなく、低賃金労働力の供給という資本主義的な物的基盤の中に取り込まれる。言い換えれば、異質な存在としての外国人が、社会的・政治的には外化されながらも、資本主義経済の階級構造の中に経済的に組み込まれたのである」

もちろん、いい面もあるんだろうと思う。ただ、現場でいろいろな話を聞いたり、いろいろな人に出会っていると、どうしてもこういうことが気になる。こんな考えが全部外れて、何の問題も起こらなければ一番ええんやけどなぁ。

(cf. 駒井洋監修 伊豫谷登士翁、杉原達編『日本社会と移民』、西川潤編著『グローバル化時代の外国人・少数者の人権』ともに明石書店)
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2007年12月31日 12時32分05秒 | 
小沢有作編『日本語学級の子どもたち 引揚げの子どもが出会う<日本>』という本を読んだ。揺さぶられた。子どもに限らないけど、目の前の人の状況や背景、歴史をどこまで受け止めるか、どう向き合うか、そこからしか始まらないということを突き付けられた。日本語教師をやってきて、今、地域の国際交流協会で働いてて、大袈裟じゃなしに僕自身の生き方を問われたような気がした。

1983年の出版だけど、ええものは全く色あせることないなぁ。結局、人と向き合うことについては、細かい内容で変更があったとしても大きくは変わらないし、先人から学ぶべきことはまだまだ山のようにある。最先端、最新の知見も確かに大事だけど、研究も実践もいろいろな領域が細分化されていっている状況を考えると、それをうまくつなぎ合わせ、非人間化しないための芯が必要だと思う。Back to the future。
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識字

2007年12月31日 08時44分40秒 | 人づくり・場づくり
識字の教室に通っている人と学校で学ぶ人たちの違いに、識字の教室で学んでいる人たちは「文字を出世の手段にしえない人たち」だという言葉があった(『識字をとおして人びとはつながる』小沢有作編)。

その人が今、置かれている状況の中で「いまおかれている場所ー文字化社会の底辺ーに身を置いたまんまで、識字差別からの解放、さらに識字差別をしない共生の社会の創造へ向かって文字と同行するしかない」。何も識字を学ぶことは仕事や学歴のためではなく、「差別の刃としての文字から解放されたいというねがいからはじまる」。「自分の生活を語り、生活している場の問題点をみんなで議論して、生活を変えるために学ぶべき文字を自分たちで選ぶ」のであり、
「文字は自分の生きている場所ー現実ーと向き合い、変えることと一体になっているわけです。」と。

で、識字には学校が一番大きく関わるわけだけれども、「学校は字を知らない子に字を教える場所のはずですが、実際には、字がよく読める・読めない、漢字が書ける・書けないなどによって、子どもをほめたり、叱ったりして、子どもらを識字のいかんによって価値づける場所になっています。」「学校は字を教えるのといっしょに識字第一・能力本位の見方を子らに植え付けます。この見方は文字を持つ側・知識を持つ側から人間を見る見方・価値観にほかなりません。学校はこのほかにもさまざまな見方を字を教えるのといっしょに注ぎ込んでいますが、共通することは権力をもつ側、企業を経営する側、侵略や開発を行う側、差別をする側といったように、総じてもつ側・所有する側のものの見方を注ぎ込んでいる点であります。」「識字は生活と見方(意識)を分離させ、背反させる力を持っているのです。」結果として、自尊感情を育てることが難しくなる子どもたちがたくさん生まれてくる。やっぱり学校というのは、とても大きいなと改めて思う。

もう一つ、はっとしたこと。「学校の識字は所有するというカテゴリーと奥深く結びついて行われています。」ここから人と人とのつながりや他者への想像とそれらに基づく創造力はどれくらい生まれるんだろうかということを思う。

だからこそ、年明け(本当にやるんかなぁ?ぼくが関わるのかどうかもはっきりせんけど)に中学校で識字について学ぶプログラム、そこの中学校はかなり地域的には恵まれた環境におかれている子どもが多いところなので、中学生にどこまで伝わるのかという不安?心配?もあるけれども、だからこそ、余計にいいものにしたいなぁ。

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打ち込み

2007年12月30日 23時34分39秒 | いろいろ
最近の新聞。事件とか出来事ではなく、気になった記事。

一つ目は朝日新聞に出ていた先住民族に関する記事。先住民族ってはっきりしないけど、引用されていた上村英明さんの定義は分かりやすかった。「近代国家が成立する時点において、合意なしに国家に統合され、現在被支配的立場におかれ、かつ(固有の民族としての)人権が十分保障されていない人々」。また、こんな文章も。「民族とは血や国籍の問題ではなく、「『自分はアイヌだ』と自覚し、そのコミュニティーから認められたものがアイヌなのである。民族とはアイデンティティーの問題なのだ。」日本で先住民族の話ってとりあげられることは本当に少ない。というか、むしろそういうふうに作られてきた。だからこそ、目を向ける必要があるんやろな。

もう一つ、これも朝日かな。今年は「『自由な働き方』とされてきたフリーターが『働いても食べられない働き方』と認識された年」だったと。「一定の熟練者は成果で競うことも必要。でも日本では人件費削減のため成果主義にしている。教育訓練が必要な若い世代に成果主義を入れるのもおかしい」。多分、人が大事にされないというのが一番の問題なんだろうな。大事にするのも、いろんな方法があって、それはどういう形でもいいと思うんだけど、今は方法がどうであれ、大事にされていない。それが問題やと思う。

最後、これも朝日。沖縄の集団自決の記述をめぐって、何人かの人のコメントを載せていたんだけど。その中で気になったフレーズ。「集団自決のおこった歴史的な事実の背景に『軍官民一体化』論理が存在していたこと。戦時におけるこの国民意識の存在の意義から『集団自決』の発生を考えることが、ごく自然なように思われる。」「『強制』はなかったとする人の意見は形式的に命令の形をとっていなかったこと、強制や誘導よりも自決を選択するより仕方がないというような考え、状況が形成されていたことをあげている。」

ごくごく当たり前の話だけど、どこで切り取るか、何をコンテクストとして語るかで全然話は変わってくる。沖縄では「事実」を軸に話をしているかのように見えるけど、結局は客観的な事実すらも政治的に作られ、弱者は結局守られないということが明らかになったような気がする。

ちなみに、今日のこの文章のコンテクスト、最近気になった記事を何となく打ち込んでたんだけど、アップする機会もなく。放っといたら本当に打ち込み練習で終わるなぁと思ったので、ま、アップしとこかと。

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休み

2007年12月30日 13時41分40秒 | いろいろ
昨日から年末年始の休み。昨日はとりあえず一日遊んだので、後はできる限り時間を見つけては資料を読みあさって、整理して、企画まで持っていかないと。結局、休みが5日ってことを考えるとできることは限られてるもんなぁ。というわけで、明日から実家に帰る予定やけど、どっさりと資料を持って帰る予定す。

とか、言いながら、初日は大晦日なので、家族とどんちゃん騒ぎやろうな。大晦日にみんなぐでんぐでんになるまで飲んで、元旦はその片づけからスタートって...(苦笑)。
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神戸

2007年12月30日 08時46分35秒 | いろいろ
昨日、神戸へ。お昼は南京町で食べて、その後ふらふらと。南京町で働いてる人らってニューカマーも結構いるんかな。親戚を頼って来るとかってケースもあるんやろうな。そういう話をいつもいろいろ聞きたいと思うけど、年末の南京町でしかもお昼時、聞けるわけないわな。

その後、山の方へ向かって、ふらふらと歩く。ビーナスブリッジとかいう展望台を目指して歩いていると、旧神戸移住センターを発見。一度行きたいなぁとは思っていたものの、何となく行ってなかったところ。ただ、残念なことに年末年始で閉まってたけど、外から雰囲気を味わうことはできました。来年はブラジル移民100周年。いろいろイベントも行われるみたいやし、また来ることあるかな。知り合いにも日系の人でブラジルへ移民した人、現地で生まれた人もいるので、何か感慨深い感じに。

それから、ビーナスブリッジを目指して、歩き出したものの、どこにあるのか分からない。いろいろな人に道を教えてもらい、なんとか行こうと頑張ったものの、坂道が急だったので途中にある諏訪山公園で断念。結果、展望台から神戸の街並みを眺めるのではなく、下から展望台を眺めることに(笑)。ただ、この公園もいい感じやったんやけどね。それから山を降り、おいしいところでお茶したりとノープランの割にはうまくまとまったかな。帰りに雨が降り出さなかったら、ほんま完璧やったんやけどなぁ。
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仕事納め

2007年12月29日 03時46分46秒 | いろいろ
今年の仕事も無事、終了。何か成長したんかな。ま、またちびちび飲みながら振り返りをせんとね。次の仕事は4日から。それまでにゆっくりして疲れを取るだけじゃなく、いろいろ準備をしたり、ネタをしこんだりせんと。

どうなるかよく分からないけど、中学生が識字について学び(6コマ)、それを中学生が小学生に向けて発信するという話があって。これは、学びというのが情報や知識の受け手だったところから一歩踏み込んで、学んで吸収したものを発信する、それも世代間で行うというのがねらいです。どんな学びが生まれることやら。うまくいくのかどうか分からないんだけど(今回はいろいろあってうまくやらないといけないんだけど)、この休み中にそのネタをしこまないと。なんせ、1月中に6コマ、で、しかも打ち合わせがまだ何にもなし。ということは、年明けて一気に進んで授業に突入ってことやもんね。でも、一緒にやる人が専門家なんで気は楽かな。

...っていうか、ほんまにやるんかな?
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あいだ

2007年12月28日 00時17分53秒 | 人づくり・場づくり
うちの職場は市民活動の中間支援組織。外国人の権利保障、地域社会の変革を目的としている市民活動を応援するのが仕事です。とは言っても、応援もいろいろでべったりスタッフのように入り込むこともあれば、時々話をする程度の関わりのものもあります。

で、きっちりと市民活動を応援し、育て、外国人の権利保障と地域社会の変革を目指すためには、二つの視野の広さが必要だなということを感じています。

一つは同じ領域、違う領域を問わず、行政、市民団体、人から社会的な動向まで広く市民活動の周りを知っていること、さらに分析できること。さらに、それをアレンジしたり、つないだりする力があれば言うことなし。いわゆるひろ~い視野。

もう一つは市民活動の成長(転落)過程。先を見通せるか、どことつながったり、どことのつながりが切れたり、人が入れ替わったりした時にどんな変化が起きるか見通せること。生き物なので、ちょっとしたことでがらっと変わります。別に予想屋ではないので、ばっちり当たらなくてかまわないんだけど。どれだけ緻密に、しかもできるだけたくさんシミュレーションできるか。で、そのシミュレーションに応じて手を打ったり、そうならないように事前に話をしたりしないといけないわけで。

これが、簡単なようで、なかなかできません。難しい。

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しみる。

2007年12月27日 22時07分21秒 | いろいろ
今日は職場の忘年会。でも、多分、うちの職場の忘年会はちょっと変わってると思う。

最初はいつもの飲みと一緒。事業の展開、現状などについてシェアして、そのあと議論あり、説教あり(もちろん、される方...笑)。で、そのあと忘年会らしく(?)、今年の振り返り、来年の課題っちゅうか、「今年一年、ここで何やってきてん?来年一年、どうするつもりや?それは役に立つんか」って感じで。それをいっつも居酒屋でするので、頭も胃腸も鍛えられます(笑)。本当に一生懸命、真剣に仕事するばかり集まったんではなく、そういう人を集めてきた、作ってきたんだろうな。

話は時々、本当に痛いところや避けたい話をずばんと突かれることもあって。というよりも、むしろ、そういう部分ってあいまいだったり、少し変だったりするので、ほぼ確実に突かれます。「今、分からない」とか「知らなかった」とかいう場合、「だったら向き合いなさい」ってなります。本当にそのとおり。変に遠慮はないので、話は明快で分かりやすく、しょっちゅう「できない自分・分からない自分」と向き合うことになります。たまに、あまりの出来の悪さに愕然とするけど、そこと向き合うことからしか始められないもんあ。それに、そういう思いをして初めて、表面的で断片的な知識が身にしみていく、浸透していくような気がします。

で、本当はそういう部分が自分の課題なんだから、突っ込まれる前に話できるようにならないといけないんやろうけどね。

この1年間で身にしみて感じたこと。


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協働学習

2007年12月27日 00時08分03秒 | 日本語教師のお仕事
今日は10年来の付き合いのつれと飲みに。お互いの近況報告、最近考えていること、企んでいることをうだうだと。焼き鳥屋で話をしたんだけど、そこのお店は妙にせまいんだけど、おいしかった。れんこんの肉詰め、初めて頼んだ時に「種入りれんこんですか?」って言ったのを、また言われました。こりゃ、一生言われるやろうな。

店を変えて、また話。最近、はしごはあんまりすることなかったんやけど、今日一緒に飲んだ人と飲むときはついつい。そこで協働学習の話になったんだけど。

コミュニカティブアプローチが出てきた時、思想的背景に言語の捉え方の問題だけでなく、そこには単調な詰め込み学習への批判、教師と学習者の関係をどう改善していくかということを民主主義の視点から見ている部分もあったんだけど。協働学習や状況的学習論などなど新しいアプローチがいろいろ出てきているけど、それも一緒だと思う。教師が学習者とどう向き合うか、あるいは学習者が隣で学んでいる学習者とどう向き合い、関係を築くか、それも単に言語の側面だけを見るのではなく、人として向き合う。それこそが対話で、その中で言葉がどう生まれていくか。もちろん、最初から結果はどうなるか分からないことも多いけど、それを逸脱やイレギュラーとしてとらえるのではなく、学習者にも当然人格があり、創造性があり、その結果生まれる予想外の展開を幅としてとらえることこそが一つの向き合い方だと提示したのが新しいアプローチの特徴だと思う。これが方法論やスキルとして解釈されたら、その時点で導入された一番のセールスポイントは失われるんだろうな。

さらに言うと、スキルと化した言語教育に新たな向き合い方を提示したことがポイントなので、向き合った結果、従来型の教え方に戻るのはありだと思う。その時は戻るというよりも、そういう形で新たに作り直すんだろうな。それが学習者と向き合った結果なら、それも良しということだと思う。

...はしごしたけど、ビール3杯のみ。結構がんばったなぁ~。
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会議

2007年12月26日 18時15分00秒 | 人づくり・場づくり
今日は午前は外で会議。午後は自分の所属してる事業課の職員で会議。どっちもそれなりに内容濃かった。午前の会議は地域で「共生、活性、環境」をすすめる協働事業の会議やけど。課題を共有して、実際にできそうなことから進めていく、そのためのアイデアを出しあうってところまで、もうちょっとって感じ。がんばろ。

協働事業って立場はおんなじやけど、関わっている活動も違えば、市民も行政職員もいろんな人がいて。で、それぞれの思いも温度も全然違う。地域を良くしたいっていう遠くの目標は同じやけど。でも、そういったいろんな人が同じプラットフォームについて話を進めていくと、思いがけないアイデアやったり、思いがけないところに資源が眠ってることに気が付いたり。それはそれでおもしろい。でも、一つのプロジェクトやイベントでみんながいろんなことを考えたり、想像したり。また同じ言葉でも違うことをイメージしていたりすることも多いので、じっくりと言葉を共有して積み重ねていくプロセスがすごく大事やなと思った。

午後の会議はいわゆる身内の会議。これまでに積み重ねてきたものがたくさんあるから、言葉は少なくても通じるものがあるし、共有されているものが多いからいきなり突っ込んだところの議論、深い話ができる。

どっちも得るものがあって、おもしろい。
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2つ

2007年12月25日 20時28分01秒 | 社会
 子どものことばと学力などについて、いろいろ調べている中で。今、中島和子さんの『バイリンガル教育の方法』という本を読んでいるんだけど(...全然勉強してなかったことがばればれやね ^_^;)

 すごく気になったのは、子どもの母語と日本語の関係。母語は「公ではなく私の世界の言葉となり、家族や保護、親密を意味するようになる。一方、日本語は外部、公的、疎遠であり、公を意味するようになる。」これって単にことばのスイッチで終わらせられないことだと思う。公で「誰も分かってくれない言葉は当人にとっても大切ではなくなる。家庭でも子どものために割ける時間が限られている場合、生活が安定していない場合、子どものことばも発達が遅れがちになる。」
 さらに子どもがバイリンガル・バイリテラル・バイカルチュラルになるためには、(1)アイデンティティが相反することなく、共存しうること(2)社会が二重のメンバーシップを容認し、拒否したり、はじいたりしないことが必要であり、また母語に対する評価が低い場合は「価値のつり上げ」が必要となるとあるけど、それはどこまでできるんだろうかって思う。もちろん、働きかけが全くできてないというわけではないんやけど。理論的にもマジョリティへの働きかけ、価値の転換、反転する学びが起きない限りはマイノリティの子どものええ発達ってありえんのやろうな。
 もう一つ気になったのが、二つの言語が高度に発達しているとアイデンティティがしっかりしていて、言葉の切り替えも何の問題もなく起こる、一つの言葉が弱いとことばのスイッチがアイデンティティのスイッチにもなってしまうこと(どちらか一つがドミナントとなり、片方が切り捨てられること)、両方のことばが弱いとアイデンティティに関しても混沌としているケースが多いということ。片方がドミナントになるケース、セミリンガルになってしまうケースは少なくないような気がする。頭に子どもの顔が浮かぶ。
 何から、どこからやったら始められるやろか。う~ん。年明けまでには、もう少し具体的にしておきたい。
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ここんとこ

2007年12月25日 18時43分28秒 | いろいろ
クリスマス、いつもよりちょっとええもの食べて。買い物にも行ったけど、あまりの人の多さにダウン。結局、プレゼントは後日すいてる時に買いに行くことに。ただ、食品売り場はどんなに人が多くても、疲れてても何とか。やっぱり人間食べなきゃ生きてけない(笑)。

本当は一日のんびりしたかったけど、今日は昼過ぎに彼女の家から帰宅。結局、3日ほど家を空けてたことに。玄関開けると、不在届けがたくさん。新聞もどさっと。二つとってるので、目を通すだけで大仕事...ではないけど、結構時間取られます。明日、市の南部で会議があるので、パンクした自転車を直しに自転車屋へ出かけて、待ってる間買い物して、帰ってから洗濯。ようやく落ち着いた。

日曜日の夜の飲み会は、とりあえず楽しく過ごせました。内容はまた、ぼちぼち思い出して書いていこうかな。

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のみ。

2007年12月23日 22時56分39秒 | いろいろ
日曜日のボランティアも今日で今年は最後。最後、ミーティングで今年の活動のふり返りと来年の展開について話をしたんやけど。今年は途絶えずに人が来た。それだけでも大きかったかな。それだけで意味があるってことやと思うし。もちろん、まだまだ改善の余地はいっぱいあると思うけどね。

それから今日は飲み会でゲストが二人。ひさびさに3次会までいって幸せな気分。ただ、ゲストが本気出して議論してるときは結構ついていくのが大変やった。もっっっっと勉強せなあかんのやろな。
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考え事

2007年12月21日 20時33分31秒 | 人づくり・場づくり
今日は金曜日のボランティアが年内最後の日。「よいお年を~」って。まだクリスマス前だけど、あっという間に今年も終わりやな。

昨日から家の中の資料を引っくり返して、調べもの。障害を持った子どもや障害を持った人へのことばの教育って結構されてるんやなぁと。外国人の子どもやダブルの子は、少数点在地域やと少ないから仕方がないってなるけど、特別支援教育はそういうわけにはいかんよなぁ。それだけ制度も整ってれば、資源もたくさん持ってることがある。うまくつながれないのかな。サラマンカ宣言を見てると民族的・文化的・言語的マイノリティーも特別支援教育の枠組みの中に入れても全然問題なさそうだし。

日曜日、飲み会。今回はゲストでおもろい人が二人もくるので、楽しみ。
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