もうすぐEPAのもと、フィリピンから介護士、看護士が日本にやってくる(らしい)。正確な時期はいつになるのか分からないけど。まだ制度自体、詳しくは知らないので、的違いなことを言うかもしれないけど。気になる。それにどこまでうまくいかない、摩擦が生じることを想定して動きが進んでるのかなと思う。
ただ単に人の交流、移動が盛んになることが『日本』の多文化共生に役立ったり、今の労働力不足を解消するということに留まらないということを考えておかないといけないんじゃないかなぁ。これは日本に限らずだけど、「経済格差が移住労働の女性化として現れている」のは、確かにそうだと思う。また、日本で働き続けるために国家試験などの高いハードルを課せられ、「医療、福祉界の最下層に組み込まれる」、また準看護士などの資格が新たに設けられることにより、「分断化がすすめられる」。
また既に、「介護現場では性的いやがらせや暴力が報告されている」ということを考慮に入れると、どれだけ人権侵害がおこるかということを考えないといけないだろうなと思う。どこまで救済の制度が設けられているのか。
このように移住労働にまでジェンダーの問題が持ち込まれる可能性は高いし、現に起こっている。「これまで日本の女性が家庭内では無報酬で、病院内では重労働の割には低賃金で担ってきた社会的評価の低い介護労働そこに出稼ぎ層に対する蔑視や階級差別が加わるのではないだろうか。また、結果として日本人の職を奪い、介護の質を下げるという話に結びつかないだろうか。」単に質が下がった・下がっていないなどの議論が起こるだけでなく、スケープゴートとして扱われてしまう可能性もないだろうか。
マリア・ミースの引用が紹介されていたけど、「西欧の福祉先進国と言われる国々も、介護現場に女性移民労働者を受け入れることで、南北格差を前提にすることで、ようやく介護福祉が実現していることを銘記する必要がある」と警鐘をならしている。いろいろな想いを抱えて、また、その想いの前提として南北格差が存在しているということを頭に入れておかないと、まともに人権を守られることのない安い労働力の確保ということで終わらないだろうか。研修生・技能実習生制度が制度的に破綻していて、現代版奴隷制度なんていうことも言われている状況の中で、二の舞いにならないかって危険を感じる。
「産業化の過程において、外国人は国民国家あるいは近代社会の秩序体系の外にある異質な存在として排除されるだけではなく、低賃金労働力の供給という資本主義的な物的基盤の中に取り込まれる。言い換えれば、異質な存在としての外国人が、社会的・政治的には外化されながらも、資本主義経済の階級構造の中に経済的に組み込まれたのである」
もちろん、いい面もあるんだろうと思う。ただ、現場でいろいろな話を聞いたり、いろいろな人に出会っていると、どうしてもこういうことが気になる。こんな考えが全部外れて、何の問題も起こらなければ一番ええんやけどなぁ。
(cf. 駒井洋監修 伊豫谷登士翁、杉原達編『日本社会と移民』、西川潤編著『グローバル化時代の外国人・少数者の人権』ともに明石書店)
ただ単に人の交流、移動が盛んになることが『日本』の多文化共生に役立ったり、今の労働力不足を解消するということに留まらないということを考えておかないといけないんじゃないかなぁ。これは日本に限らずだけど、「経済格差が移住労働の女性化として現れている」のは、確かにそうだと思う。また、日本で働き続けるために国家試験などの高いハードルを課せられ、「医療、福祉界の最下層に組み込まれる」、また準看護士などの資格が新たに設けられることにより、「分断化がすすめられる」。
また既に、「介護現場では性的いやがらせや暴力が報告されている」ということを考慮に入れると、どれだけ人権侵害がおこるかということを考えないといけないだろうなと思う。どこまで救済の制度が設けられているのか。
このように移住労働にまでジェンダーの問題が持ち込まれる可能性は高いし、現に起こっている。「これまで日本の女性が家庭内では無報酬で、病院内では重労働の割には低賃金で担ってきた社会的評価の低い介護労働そこに出稼ぎ層に対する蔑視や階級差別が加わるのではないだろうか。また、結果として日本人の職を奪い、介護の質を下げるという話に結びつかないだろうか。」単に質が下がった・下がっていないなどの議論が起こるだけでなく、スケープゴートとして扱われてしまう可能性もないだろうか。
マリア・ミースの引用が紹介されていたけど、「西欧の福祉先進国と言われる国々も、介護現場に女性移民労働者を受け入れることで、南北格差を前提にすることで、ようやく介護福祉が実現していることを銘記する必要がある」と警鐘をならしている。いろいろな想いを抱えて、また、その想いの前提として南北格差が存在しているということを頭に入れておかないと、まともに人権を守られることのない安い労働力の確保ということで終わらないだろうか。研修生・技能実習生制度が制度的に破綻していて、現代版奴隷制度なんていうことも言われている状況の中で、二の舞いにならないかって危険を感じる。
「産業化の過程において、外国人は国民国家あるいは近代社会の秩序体系の外にある異質な存在として排除されるだけではなく、低賃金労働力の供給という資本主義的な物的基盤の中に取り込まれる。言い換えれば、異質な存在としての外国人が、社会的・政治的には外化されながらも、資本主義経済の階級構造の中に経済的に組み込まれたのである」
もちろん、いい面もあるんだろうと思う。ただ、現場でいろいろな話を聞いたり、いろいろな人に出会っていると、どうしてもこういうことが気になる。こんな考えが全部外れて、何の問題も起こらなければ一番ええんやけどなぁ。
(cf. 駒井洋監修 伊豫谷登士翁、杉原達編『日本社会と移民』、西川潤編著『グローバル化時代の外国人・少数者の人権』ともに明石書店)