ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

今年の漢字

2005年12月31日 12時50分10秒 | もろもろのこと
今年一年を漢字一文字であらわすと....やっぱり「種」かなぁ。

仕事、研究などなどいろいろ頑張ったけどどれも実がなったとまでは言い切れないなぁ。でも、不完全だったというよりは今後の頑張りようで大きくなりそうな感じ。

研究は今後の方向性がかなりしっかりして、博士論文もなんとかなりそうな気がしてきた。去年までは本当に暗中模索って感じがあったけど、枠組みがしっかりしてきたし、ぶれなくなってきた。学会でも何か今後にどうつながるのかいまいち見えないまま発表していたけど、来年は一つの軸を中心に展開できそうな気がする。

仕事に関しては、授業の仕方とか今年もいろいろとつかんだものがあった。去年までは自分が大事にしたいものを何となくつかんでいる感じだったけど、今年はそれを言葉にできるようになった気がする。ちゃんと振り返るための軸をつかんだということかな。

ボランティア活動も今の活動のあり方を深く議論したおかげで、いろいろ見えてなかったものが見えてきた。11月頃から関わり出したラテンの活動でもいい経験をさせてもらってるし、確実に今後につながると確信してる。

プライベートでも前半は動きが激しく浮き沈みもあったけど(笑)、後半は充実してきたし。

来年は「種」から「芽」が出て、「花」が咲きますように。...「枯」になってませんように(苦笑)

それではみなさん、よいお年を~!
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自分の立ち位置

2005年12月29日 05時52分42秒 | リサーチ
『教育研究のメソドロジー』(秋田喜代美・恒吉僚子・佐藤学)という本を読み出した。わりと入門書という感じなので、ぱらぱら読めばええかって感じで読み出したんだけど。最初に佐藤学(1章)と秋田喜代美(2章)が研究と自分の関わりについて書いてて感じるものがあった。

研究って客観的で実証的であることが理想とされるけど、その研究を行うのは人間だからそこまでドライに徹しきれないこともある。教育系の研究で現場に入って研究する人であれば、それはなおさら。今、第一人者と呼ばれる人たちも、そういった研究と現場の間で揺れていたことがあったのかと思うと勇気づけられる。

ぼくは今、日本語教師として授業をするだけでなく、大学院生(研究者の卵...受精卵でありますように)として実際の授業の様子をデータにして研究をし、養成講座ではこれから日本語教師になろうとする人に教えている。それから地域日本語活動にも参加している。それぞれ目的が違う活動だし、自分が関わろうと思った目的も様々だけど、関係がないわけじゃないから最初は単純に相互にいい影響を与えると思ってた。

でも実際は、どれも相互に関係していることは確かだけど、それぞれに関わっている時の間で微妙に自分のスタンスや視点が違ってくるのが分かった。それが時として葛藤を生み出すし、その葛藤が激しくなって、それぞれの活動における自分のポリシーを相互に揺るがすようなところまでくると、どうしていいか分からなくなって何も手につかなくなることもあった。もちろん、そういうことに目をつむってしまうことも可能だけど。

で、「だからどうしたらええの?」って聞かれても、今もって分からないけど、この本の最初の部分を読んで、「葛藤もまた良し」という気になれた。

「現場と研究の両方に関わっている方」や「現場の研究」をしている方にお勧め。
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スケートと痩せ我慢

2005年12月28日 18時03分54秒 | もろもろのこと
昨日、スケートに行ってきた。

アイスホッケーをしていたのはずいぶんと前のことなので、すっかりと忘れてるかと思ったけど、意外に体が覚えていた。自転車と一緒やね。ちょっとやれば思い出すもの。滑るだけじゃなく、ブレーキもできたので結構満足。

じゃ、次はバックで滑ってみようと思って滑り出したところ、えらく派手にこけた。こけたというよりも両膝から氷の上に落下したって感じ。スケートで人がこけても普通、周りの人はあんまり声かけたりしてこないけど、その時は近くを滑っていた一般の人が「大丈夫ですか?」と声をかけてきた。それくらい「ごん」とやばい音がした。ひざをうったのに、息が苦しくなったもんね(苦笑)

一般の人に声かけられて「大丈夫です。ありがとうございます」って返事はしたものの、とても滑れる状態ではなく、しばらく休憩。その時、ふと思ったのは「大丈夫ですか?」って聞かれたら、全然大丈夫じゃなくても、思わず「大丈夫です」って答えてしまうのはなんでかなぁと。知り合いじゃない人から言われると、ほぼ100%そうやって返しているような気がする。もう本当にめちゃくちゃにやばい場合は違うかもしれないけど。

前、自転車でバス停に激突して自転車がくにゃくにゃになり、車道に倒れ込んだ時も、「大丈夫ですか?」って聞かれて「大丈夫です」って答えた記憶がある。もちろん、本人も自転車も全然大丈夫じゃなかったけど(笑)

ぼくが痩せ我慢なだけか?

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「を」と「で」の違い。

2005年12月27日 07時28分24秒 | 日本語教師のお仕事
「教科書を教える」と「教科書で教える」

これはぼくが学部で勉強している時に、先生から教えてもらった言葉。ま、工夫をするかしないかの違い程度に考えてたし、学部の時から分かったつもりでいたんだけど。昨日でとりあえず今年の仕事が終わり、その後つらつらと考えていたら思っていた以上に深い言葉かもなぁと思い出した。

「教科書を教える」のはとりあえず、載ってることを教えればそれですむような気がする。せいぜい教科書に載ってることが深く理解できていれば、それで授業は問題なく進むような気がする。

で、難しいのは「教科書で教える」の方。教科書に振り回されるんじゃなくて、自分の授業の一部に教科書を組み込む。自分が授業をどうしたいのかというポリシーがないとそれはできない。それから目の前にいる学生に「何か伝えたい、共有したい」っていうもっと大きなメッセージがないと材料をどう調理するかも決まらない。実際に授業中に熱くふるまうかどうかは別として、伝えたいもの、共有したいものがないと、どんなに頑張っても「教科書で教える」という授業はできないと思う。「@@で教える」の「@@」のところは別に教科書に限らなくって、事前に用意したものを淡々とこなすか、それとも本当に対話するかという違いがあるように思う。

そういったメッセージは学習者をじっくりと見ることで初めて出てくるようなものだと思う。だから、学習者と対話しないことには「教科書で教える」ということはできない。単に会話なら「教科書を教える」でもやってるとは思うけどね。

それから本気で対話をするなら、授業をどのように進めるかということ、学習者の性格や特徴、キャラなんかをどう生かすかということも関係してくる。場合によっては自分が描く理想の授業だとか、教師の役割を変える必要がある時もあるだろうと思う。

何かここまで話が広がると自分でもうまくまとめきれないけど。でも、「@@を教える」と「@@で教える」の違いはそれくらいに深いものだと思う。このことについてじっくりと考え、反省し続けたら教師として、また成長できそうな気がする。
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頭の中か、人と人のあいだか。

2005年12月26日 10時19分47秒 | リサーチ
最近読んでいる本の紹介。

特に新しいものではないけど、ジェフ・クルター(1998)『心の社会的構成』新曜社を読んでます。昔、一度読んだ本だけど、再読。ぼくは授業の談話を分析しているのですが、かなり役に立ちます。

L2の学習過程や教室談話を分析する時には、もう一ひねりいるような気がするのですが、それでも「社会的現実」がどのように構成されているのか、その過程を記述するためには何に注目する必要があるのかということを丹念に説明しています。心的概念も個人の精神などに還元して説明するのではなく、相互行為という社会的な次元に注目することが必要だと述べているのですが、L2学習なども一緒なんじゃないかなぁと思います。学習って個人個人の頭の中で起こっているようだけど、学習の達成って人と人のあいだで起こるもんですよね。

ここで、さらさらっとまとめるほどは読み込めてないので、これで終わっておきますが。

何回か読んでも毎回「なるほど」って思える本はすごいよなぁ。俗に言う「するめ本」ってやつですね(...言うのか?)。

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(重要なお知らせ)「1着ゼンノロブロイ」

2005年12月25日 14時03分00秒 | もろもろのこと
今は冬休み期間中ということで仕事はお休み。明日、養成講座の仕事があるんだけど、それで今年はおしまい。一年なんてあっという間やなぁ。

今日は有馬記念の日。一つみなさんに残念なお知らせ。

ディープインパクトは2着です。勝つのはゼンノロブロイ。理由はないです。ただ、夢で見たので。ゴールの瞬間は見てないけど、でも、夢の中で「ディープが負けて、買ったのは結局、ゼンノロブロイ」という話を聞きました。

昔(ずいぶん昔だけど)、シルクジャスティスが有馬記念を買った時も、シルクジャスティスの馬番号(確か6だったかな?)が1着に入るのを見ました。しかも、ローゼンかバリーが出遅れる場面も夢で見て、実際に出遅れ。そのときは本当にびっくり。ただ当時は「夢は夢」なんて思ってたので馬券は少ししか当たらなかったのですが。

今回は馬券買ってません。最近、ずっと買ってないので。夢が当たるか、夢なんて蹴散らしてしまうくらいにディープインパクトが強いか楽しみだなぁ。
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1着、ハーツクライ。2着ディープインパクト。夢は夢、ゼンノロブロイは見せ場なく、沈みました(苦笑)
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教室談話の研究

2005年12月24日 02時59分43秒 | リサーチ
そういや、まだ研究に関して一度も書いたことがなかったなぁ~。

自分がやっている研究は日本語の授業の分析です。何をどう分析しているかというと、教室内でコミュニケーションがどのように行われているかということを細かく見ています。実際にビデオで授業の様子を記録に撮り、どんなことを言ってるか、それに対してどのように返してるかってことを見ているんですけど、これが結構おもしろい。「こんなことしてるのか」とか「学生ってこういうふうにふるまってるんやな」などなど、授業の見方が結構変わります。で、見方が変わると、実際に自分がする授業も変わるのでいい感じで影響しあってるのかなと自分では満足...まではいかないけど(苦笑)。

ま、役には立ってるんだろうな。...ちゅうか役に立ってなかったら授業料もったいなさすぎやな。

日本語教育の分野においては授業の詳細な分析、しかも、どんなことをしているかということを単にカテゴリーに分類するのではなく、コミュニケーションがどのように達成されているのかということを見ている研究は結構少ないんですよね。個人的には結構得られるものが多いって思うんやけどなぁ。
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日本語教育能力検定試験。

2005年12月23日 01時57分16秒 | 日本語教師のお仕事
日本語教師養成講座で授業をしているけど、この時期に日本語教育能力検定試験の結果が出る。毎回、受験者数に関係なく受験者数の17~18%が合格するんだけど、今年も受講生で何人かは合格したみたい。

でも、この試験って実際に現場に出てから役に立つ問題だけじゃないので、受講生はいつも苦労している。

異文化間コミュニケーションについてとか、文法についてとかははっきりと役に立つと分かって勉強できるんだけど。江戸時代や平安時代の日本語について、肉の読み方「にく」は音読みか訓読みかなんて、正直現場ではどうでもいい話。そんなことを尋ねてくる留学生なんていないし、おったら......どうしようね~(笑)

日本語教師になるために絶対必要という資格ではないけど、絶対にあった方が有利なのでみんなそういうことも一生懸命勉強してます。

試験問題の内容、かわらないかなぁ。
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特製ビーフシチュー

2005年12月22日 13時41分00秒 | 料理
クリスマスに向けて料理の下ごしらえ開始。

彼女がごはんを食べにくるんだけど、せっかくだからということで、今日、ビーフシチューを作りはじめる。

最初、すじ肉の表面をさっとグリルし、チキンコンソメと一緒に煮る。いい色になるまでグリルするのがポイント。グリルするのとしないのとでは全然味が違う。グリルって言っても魚焼きのところで焼くだけだけどね。

それから肉だけでなく、にんじん、セロリ、たまねぎ、じゃがいもを煮る。

煮るのは、毎日、1時間か2時間くらいじっくりと。次の日くらいから、スープの色がなんとも言えない金色になってくる。塩もルーも何も入れなくても甘みがあって本当にうまい。3日目くらいになると、びっくりするくらいにすじにくもとろとろに。ルーを入れるタイミングは人によって違うのかもしれないけど、個人的には食べる1、2時間前かな。

あ~、早く食べたなったきたわ。
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もういっちょおまけ。今の季節、すごくかぶらがおいしい。かぶらの皮を剥いて、白菜、ネギと一緒に出し汁で煮る。砂糖としょうゆで多少甘めに味付けをする。食べる時にキムチ(酸味・苦みが少ないものがベスト...要は本場のおいしいキムチじゃなくて日本向けのものってことやね)をのせて食べるとアクセントになってめっちゃうまい。


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交通整理。

2005年12月21日 00時23分23秒 | 日本語教師のお仕事
日本語教室での教師の仕事。

「指導」とか「情報提供」、「訂正」とかいろいろあると思うけど、今日、実感したのは交通整理係としての教師。

授業に先立って、教師は学生が思わず話したくなるような活動やテーマを用意する。実際に授業では、学生の言いたいことの手助けをする。時に学生が何人も同時にうわ~っと話して、収集つかなくなりそうになることもあるけど。そこを適度に整理し、日本語のフィードバックやフォロー、さらに話が深まるように内容も整理しながら、やりとりの筋道を学生と一緒に作る。ただ楽しいだけで終わらせないように。瞬時の判断が要求されるので結構大変。

こういう授業のスタイルって、教師は「授業をコントロールしてる」って感覚があるけど、実は学生も「自由に思いの丈をぶちまけた!思いっきり日本語を使ったった!」って感覚になれるんじゃないかなって気がする。もちろん、ただ、自由に話せばそれでええってわけではないけど。

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今日のヒット。

2005年12月20日 00時20分14秒 | 日本語教師のお仕事
今日のヒット。「~をおいて(ほかにない)」という表現の練習で。

「前世の相談なら、お坊さんをおいて他にないです。」教室中、一瞬の沈黙の後、大爆笑。そのあと、それぞれの前世は何かという話で盛り上がることしばし。っていうか、ほかのみんなが「前世」という言葉を知ってたのに少し驚いた。

っていうか、そんな文を実際に言うことなんてあんのかいな。
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Podcast

2005年12月19日 05時26分38秒 | もろもろのこと
Podcastってすごく便利だ。ラジオ放送をダウンロードして、手持ちのiPodで聞くんだけど、英語や中国語などいろんな言語の練習になる。語学の勉強をしっかりと机に向かってするのではなく、通勤途中なんかに聞き流すといった感じ。もちろん、これだけだとインプットはあるけど、アウトプットはできないので、会話が流暢にできるようになるかというとそうでもないように思われるが、やってみる価値はあると思う。

とりあえずニュース関係とESL(English as second language)のプログラム、それから中国語会話のプログラムを聞いてみることに。これで耳を鍛えて、実際にアウトプットは友達と会話をしてみようと画策中。さ、どこまで上手になるでしょうか。

また報告します。
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声の大小。

2005年12月16日 17時08分13秒 | 人づくり・場づくり
声の大きい小さいってありますよね。物理的に大きい小さいだけじゃなくって、とにかく「おれの言うことを聞け!」ってタイプの人。

今参加している活動にも、そういう人がいて。たまには良いことを言うんだけど、でも、基本的にはアウト。ミーティングで大暴れ。何か自分がみんなの視線を浴びるように浴びるように発言してるって感じ。反対意見が出ようものなら、延々とさらに反論を重ねる。でも、「え?それって結局自分の意見...というよりも自分を守るためのコメント?」ってこともしばしば。滅入る。

反対に声の小さい人って、本当に何も考えてないから何にもいわないこともあるけど、でも、じっくりと考える人が割と多い。話をしているとはっとさせられることもあるし、心がほかほかしてくることもある。

でも、声の大きい人も声の小さい人もうまく話ができることもあれば、うまく会話にならないこともある。何かこっちがどういう気持ち、態度で会話に望んでるのかってきっと伝わるんだろうな。「何とか意見を引っくり返してやろう」って思ってるときは絶対にひっくり返らないし、お互いちゃんと話をしたいと思ってる時は意外に双方納得するような形で落ち着く。

だから、相手を批判したり非難したりする前に、まずは自分を見つめないとなぁ...と思う今日この頃でした。
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二股と不倫。

2005年12月15日 16時01分42秒 | 日本語教師のお仕事
二股と不倫って、程度と内容の違いこそあれ、社会通念上よくないこととされている。ぼくがそういうことをするかしないかはさておき(苦笑)、とにかく良くないというのが世間一般の考え。

この間留学生の日本語の授業で、そういった内容を取り上げることになったんだけど、意外や意外、二股はだめだけど不倫はまだ理解できるという意見が結構あった。何が違うの?って聞いても「むにゃむにゃ」と口ごもる。意味が分かってないのかなぁと思っていろいろ説明しようとすると「先生、それは分かってるので大丈夫です」といった感じで説明もいらんと。

そのクラスは中国からの留学生だけだったんだけど、どうも合点がいかない。もちろん、両方ともOK、両方ともだめだという人もいて、その人の考えは分かるんだけど、クラスの3分の1から4分の1はそういう考えだった。「もしかしたら、やってんちゃうか...あ、それでまだ結婚してないおれには誰もアプローチして来~へんねんな!」っちゅうふうには、さすがに思わなかったけど。

そうそう、不倫も二股も自分がするかどうかは別として理解できるという学生で、「女性専用車両だけでなく、おじさま専用車両を作ってあげた方がいい」という学生がいた。女性専用車両とおじさま専用車両が隣同士やったりしたら、ちょっと離れてお見合い状態やね(爆)。

そんなばかな話はさておき、こんなふうに自分の枠では理解し切れないことがあるから、やっぱり日本語教育はおもしろい。時間の関係もあって、深くは聞けなかったんだけど、もうちょっと突っ込んで聞いておけば良かったな。
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メディアの影響。

2005年12月14日 19時25分18秒 | もろもろのこと
広島で事件があって、しばらく経ったけど。日系南米人の人の中にはさっそく嫌な思いをしている人もいるみたいです。僕の知り合いは小学生の頃に日本にやってきて、今、確か18歳くらい。で、ガソリンスタンドでアルバイトをしてるんだけど、客から「あんたも偽名ちゃうの?」って。本人は軽~い気持ちで言ったのかもしれないけど、無神経すぎるよなぁ。

何か例の事件の取り調べで「悪魔が体に入ってきて殺してしまった」という表現があったけど。テレビを見てて、「そんなことほんまに言ったんかなぁ」って思ってたら、案の定誤訳の可能性もあるみたい。知り合いでスペイン語に詳しい人に聞いてみたら、日本語で「つい魔がさして」ということを「悪魔が入ってきて」っていうように言うらしい。「魔がさして」と「悪魔が入ってきて」では全然受け取り方が変わってくる。通訳した人もセンスないよな。

こうやって考えると、メディアの影響って本当に大きいと思う。振り回されないようにしたい。
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