ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

平和。

2008年05月28日 23時13分04秒 | いろいろ
大阪で某知事がいろいろ人権関係の施策を切り捨てようとしているけど。それを支持する人たちもいるわけで。今、起こってることは某知事のキャラクターによるものではなく、この時代の象徴としてとらえた上で何ができるのか、何が残せるのか、何が創れるのかを考えないといけないんだろうな。

ということを考えると、本当に踏んばりどころ。

キャラクターによるものだったら、なんとでもなるんだろうけど。そうじゃないから、某知事のことだけ言ってもしょうがないし、深く広くいろんなことを考えないといけない。

人権って強い立ち場人間が弱い立場の人間を守ろうとするうさん臭いものでも、下手に触れると危ないものでもなく(そうしちゃう人もたくさんいるけど)。この世界が戦争を経験し、反省し、平和な世界を構築するために大事にしてきたものという側面を忘れたらあかんと思う。平和ぼけでことが起こってからでは取り返しがつかへん。
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2008年05月03日 17時39分36秒 | いろいろ
多文化共生がどの視点から語られるかというときに、かつてカナダやオーストラリアが多文化主義をよりどころに新たなナショナルアイデンティティの形成をもくろんだのと同じように、日本で語られる多文化共生とナショナルアイデンティティの関連を読み解く必要性があるだろう。結局、マイノリティの視点に基づいたものではない多文化共生が多いこと、特に在日コリアンに触れていない多文化共生はなぜ、そこに触れないのかという部分に触れないといけないと思う。

「多文化共生」という言葉が危ういことはいろんな人が言っているけど、何が具体的にどう危ういのかということを考えていかないといけないんだろうな。

キャッチーな言葉を全面に出して責任を果たしている、あるいは果たそうとしている一方で、抜け落ちる人たちがいることを明らかにしないといけないし、抜け落ちる・周縁化される人たちを視野に入れた話の展開をしないといけないと思う。
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「学力」

2008年05月02日 22時49分30秒 | いろいろ
素朴な疑問。

日本の教育の世界で一般的なタームとして語られている学力、学力低下が叫ばれている時の学力。年少者日本語教育などで語られる学習言語と学力。それと、総合学習の時間などで語られる生きる力。

学力、学力って言うけど、いったい何なんやろ。越境して、今日本にいる外国にルーツを持つ子どもたちが必要とするものはどれなんやろ。現実的な路線とか、理想論とかいろいろあるやろうけど。安易にのっかってしまうのは危険なのかもしれないな。

待ったなしなのは確かやけど。とことん突き詰めないと。子どもの人生がかかってるもんな。
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