被災地の若者・子供に関する研修会に参加して,3つ,報告を聞きました。何日か経ったけど,もちろん,うまくは書けないけど,つらつら書くと。
○被災地ではまだまだ安心して勉強に集中できる環境がない子供も多い。仮設住宅がせまく,宿題をすることができず,グラウンドで寝そべって勉強する児童の写真を見て,言葉が出てこなかった。「いることのできる場所」「いたいと思う場所」って本当に大事だな。
○被災3県で県外避難者数は岩手1400人,宮城7000人に比べて福島46600人。
○自治体の病気休職者数は2011年度に350人だったのが,2012年度,2013年度と100人程度に下がったものの,2014年度に200人程度に増加。生活再建の見通しがつかないこと。
○震災関連死が福島では1600人で直接死を上回った。
○自死者が宮城,岩手では震災以降右肩下がりだけど,福島では増加している。
○悲しみや心の痛みの表現が困難な状況によるストレスの増加
○子供や若者に元気を求めるムード。サクセスストーリーや元気な子供・若者をクローズアップするムードの中でしんどさや辛さを表現したり共有したりする空間がなくなること,我慢を鍛える結果に。
○見栄えのいい支援と必要だけど地道な支援。
○不登校の増加。
○震災後の離婚の増加。
○県外に避難した人が戻ってきても,「逃げた」とされる人たちが語り合える場の必要性。
○ある仮設住宅での話。
生まれたときから家族ぐるみで付き合っていた二人の女の子。生まれてから,ずっと一緒で今は中学生に。
地震の後も同じように避難所を転々と避難していた。大変なときも苦しいときもずっと一緒。
二人の女の子は仮設住宅で生活していたが,ギターを弾いてみたいということになり,ギターとそれを教えてくれるボランティアの先生とつながり,アンジェラ・アキの「手紙」を練習して徐々に上手になっていった。
それをサポートしていたボランティアが「春になったら演奏会をしよう」と。
すると,女の子は「春になったら,私はここに居ない」と。
川内村の女の子で帰村宣言が出ているので,村に帰るとのこと。もう一人の女の子は,障碍を抱えた姉がいて郡山に残るとのこと。支援体制など,インフラが整っていない川内村では生活できない。
帰る女の子は「自分の居場所を自分で決められないのが悔しい」と泣いていた。
女の子が村に戻るお別れの日,仮設住宅のセンター内で発表会をして,練習していたアンジェラ・アキの「手紙」を演奏。
別れのとき,女の子たちは涙涙。
それを見ていた周りの大人の一人が「夏休みにこの仮設に遊びにおいで」と。
残る女の子が「私は夏にどこにいるか分からない。」
アンジェラ・アキの「手紙」にどんな気持ちを込めたんだろうか。
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拝啓 この手紙読んでいるあなたは
どこで何をしているのだろう
十五の僕にはだれにも話せない悩みの種があるのです
未来の自分に宛てて書く手紙なら
きっと素直に打ち明けられるだろう
今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じて歩けばいいの?
ひとつしかないこの胸が何度もばらばらに割れて
苦しい中で 今を生きている 今を生きている
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いつまで避難するのか,今後どこで暮らすのか,どこにいるのか,放射能の影響はどうなのか。集中復興帰還の終了,県外支援団体の撤退。
何年後にかは日常は戻る。でも,それまでどうするのか,それはいつなのか。
根っこから引っこ抜かれる。