ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

語り。

2007年08月31日 21時00分02秒 | 人づくり・場づくり
外国人の中でもアジアやラテンの人たちは周縁化されやすく、そういった人たちの中でも女性や子どもはさらに周縁化されやすくって。うちの職場ではそういった人たちがリラックスしたり、友達や仲間を作ったり、勉強したりするために集える場所を作ろうとしてるので、子連れのお母ちゃんと話をすることも多いんやけど。

南アジア出身の子連れのお母ちゃんが来てて。ボランティアとも話をしてる中で徐々に見えてきたんやけど、子どもの成育状況がどうもよくない。10か月の子やのに、とてもそうは見えないくらいに腕も細く、いらいらしている感じ。で、お母ちゃんと話をしてると、子どもに予防接種を一度もさせたことがなく、定期検診も行ったことがない。母子手帳も持ってない(母子手帳は多言語で手に入る)。それどころか、そういったサービスが受けられるということ、あるということすら知らなかったらしい。外国で子育てって「大変」って一言ではすませられないよな。国でそういうサービスがなかったりすると、日本でそういうものがあるということが想像つかない人もいるし。

地域によっては同じ国出身の人同士のつながりがしっかりしてて、さらにそのネットワークの中にすでに日本での子育てを経験している人がいたりするから、どんどん情報が入る。また、心配していることや不安に思ったことはどんどん口にするのが普通って人は問題が表面化しやすいし、深刻な状況になる前に対応できる。でも、今日、会った人らはそういった同郷のつながりも弱く、さらに日本での子育てを経験している人ともうまくつながっていないらしい。それにプラスして、その地域出身の人は僕の出会った範囲では、かなり突っ込んで、踏み込んで話を聞き出さないと思っていることや心配事、不安を口にしない人が多い。

何も語らないってことは、何も問題がないことではないってことを改めて強く感じた。気が付かないままだったらと思うと、ちょっとぞっとした。
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笑顔。

2007年08月30日 21時26分39秒 | 人づくり・場づくり
今日、アジア出身のお母ちゃん二人と話をして。小学校へ英語を教えに行くのに手伝ってくれないかと話をしたところ、一人が「私は英語ネイティブじゃないし...」と。「そんなん知ってるよ。でも、ほかにネイティブじゃなくて教えにいってる人もいるし、どう?」。

彼女は自分の国では中学校で英語の先生をしてたんだけど、日本では子育てにおわれてて。雰囲気的に結構いろいろアクティブにやりそうやなぁというのは感じてて。もう一人も国では仕事をしてたけど(多分)、日本ではとりあえず日本語の勉強だけ。ほんまは力を持ってるのに力を発揮できていないって感覚を持ってるんちゃうかなぁって思ってた(もっと進むと、力を削がれているという感覚になるんやろうな)。英語圏の人は、それはそれで大変な人もいるけど、でもどっちかと言うと周りが気を使ってくれたり、合わせてくれたりすることも多い。でも、アジアやラテンの人たち、さらに女性や子どもとなると必死に生きていかないとどんどん周縁化される人がいることも事実。

日本語を教える、生活情報を教える、@@を教えるのも大事やけど、その人が自分の持っていた力を取り戻す、奪われたものを奪い返すのって本当に大事やと思う。識字の考えと似ている部分があるよなぁ。社会的、構造的に奪われたものを取り返す、そして自分を自ら人間化していく。今日、その話をした時の二人の表情が今までと全然違って、目がめっちゃ輝いてた。これまで何を駄話してたんやろって感じ(苦笑)。

大きな仕組みを作ったり、何か大発見をしたわけでもなんでもないけど、でも、うれしかった。明日から、またしっかり働かなな。
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おまつり

2007年08月27日 17時38分03秒 | 人づくり・場づくり
26日、大きなイベントでした。外国人の少数点在地域やけど、かなりの数が集まってたと思う。みんなで大きな紙に世界地図を描いて(9m×5m!)、それを天井に吊り下げる。その絵を天井にして、今度は外国にルーツを持つ子どもが関わっている活動の紹介。最後にみんなでエスニックを食べる...と盛りだくさんの内容。

うちは職員が8人しかいない職場でこういう日にもきちんと休みを取っている人もいて(苦笑)、てんやわんややったんやけど。ボランティアや学校の先生がすごく助けてくれて、無事に運営することができたって感じです。もちろん、手伝ってもらったのは当日だけでなく、準備の段階から大活躍の人がたくさんいて。こうやって地域の人と一緒に活動を作っていくのってええなぁと改めて思いました。

それから、こうやっていろんな人の間の立場の差や垣根を少しずつ低くして、共有の経験を増やして、次に作るものを一緒に考えていくってええなぁと。信頼関係も生まれていくし。

へとへとになったけど、いろいろ考えさせられました。
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全外教

2007年08月22日 20時21分24秒 | もろもろのこと
土、日、月と全外教へ参加しました。京都は暑かった...というか全国暑かった。たまりまへん。

いろいろなところから先生がたくさん来てて、研究者が中心の学会とも活動家が主なフォーラムともまた違った雰囲気でした。みんな、いろいろな熱い想いを語ってたなぁ。生徒交流会にも全国からいろんなルーツと背景を持つ子どもが130人近く集まってたそうです。ぼくらが普段から関わってる子も何人か参加して、いろいろ自分たちの想いを語りあって来たみたいです。

どんな名前をどんな場面でどう名乗るか、就職や進学を支える制度、学校生活、などなどいろんな場面でまだまだ民族差別が残っていることを改めて感じました。民族差別って世間一般では「そんなんあるん?」ってことも多いだろうし、ぼくも最初は言葉の響きにたじろいだ部分があったけれども、いろいろな人に出会っていく中で「やっぱり民族差別って残ってるんやな」と感じることしきり。気が付かないうちに多様なルーツだったり、背景を持つ人を排除してたりするんだけど、でも、パンと表面には出てこないし、巧妙になってるから分かりにくい部分もあるけど。

で、そういうことに向かっていくには、きっと学校や教師だけでは限界もあるんだろうな。どこまで多様な主体が連携して、広がっていくかが大事なんだろうと思う。いろんな活動や取り組みが広がっていけば広がっていくほど、ふつうになるもんな。

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ウトロ2

2007年08月20日 21時45分42秒 | いろいろ
ウトロで働いていた人たちは朝鮮半島出身で、空港(現陸上自衛隊大久保駐屯地)を建設するために、つれてこられた人たち。ただ、強制連行かどうかってことはぼくは知らない。ただ、いくつかの建設業者がウトロの場に飯場を作り、そこでバラックを建て、暮らしはじめたらしい。仕事は歩合制だったようで、とにかく朝早くから仕事に従事してたみたい。

それが敗戦と同時に、空港建設が止まり、GHQの基地となり、さらに自衛隊が入るようになった。一応、土地は日本国際航空工業という名義で登記されていたものの、完全に行政も土地の所有に関してはノータッチだったようです。それが住民との話がしっかりと行われないまま、日産車体、個人、西日本殖産、個人と名義がうつり、立ち退きが請求されるようになったと。住民は時効取得を述べているものの、地裁、高裁で敗訴、最高裁は棄却。今は買い取りの交渉をしているそうです。

ただ、本当はここに戦後補償の問題が入ってくるべきやろうし、単純に法律の問題として扱えるのかという疑問は残る。また、ほかの地域は国有地がほとんどだったため、払い下げなどで解決しているところが多いみたいなんだけど、ウトロは一部、国有地もあるもののほとんどが民有地。それでなかなか解決しないみたい。民事不介入というのがスタンスらしいけど、国有地であれば全然違った対応をしていたに違いないと思うと、なんともやりきれない。

話をしてくれた人はウトロの3分の1くらいの人が坪10万で買い取って自分の土地にしたいという話があって、それでややこしくなっている部分もあるとは言ってたけど。日本の土地調査事業によって多くの農民が土地を奪われ、仕事がなくなったために朝鮮半島を追われ、ここに住めと言われて住んでいた。それがある日突然、退去を命じられるというのは何ともやりきれない。決して、個人の物欲とかそういったことで片付けられるような問題ではないし、構造的に在日コリアンが社会の中で排除されながらも、その一方で日本社会を支えてきたという側面を見逃してはあかんやろな。

でも、ウトロの人はしたたかに粘り強く生活をしているって感じた。実際にフィールドワークの途中に会った人は少なかったんだけど。決して自分たちの歴史にうちひしがれているという感じではなく、当然の権利を求めて闘い続けている姿が印象的だった。


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ウトロ

2007年08月19日 00時28分24秒 | もろもろのこと
近鉄の伊勢田駅を降りる。すんごい暑さ。これぞ猛暑。たまりまへん。

駅の周りはすごくのどかな感じ。お茶園もあり、「あ~宇治に来たんやなぁ」なんて思ってると、いきなり立て看板が。「強制撤去反対」「人権を無視するな」といった類いの看板がいくつも突然出てくる。道を一本挟んだ向かいは普通の住宅街。こじゃれた感じの家が建っているので、異様な感じがすごく際立つ。

勤労福祉会館に集まり、10年前に作られたウトロのビデオを見、その後フィールドワークということで地域を歩く。そんなに広くなく、多分、東西で200メートル、南北で100メートルもないんちゃうかな。ぱっと見た感じ、立て看板が目に付く以外は一見普通の感じなんだけど。でも、地域の中心の方に入っていくと、全然雰囲気が違う。トタンの屋根、ドアがあるべきところにドアがなかったり。区画整理がきれいにされ、計画的に家が建てられた地域ではないので、道もまっすぐ通ってなかったり、道なのか広場なのか分からないようなスペースがあったり。それから、きれいに建て直された家が並んでいたり。それらがほかの家とコントラストをなしているかというとそうでもなく、一体となって「ウトロ」独特の雰囲気をかもし出してる。戦後そのままという感じでもなく、かと言って現代的な感じもせず。行政から取り残され、放置されてきた中で、大変な生活の中で住民が力を合わせ、少しずつ積み上げ、作り上げてきた地域なんだろうなぁという感じがする。

道もきちんと鋪装されているところもあれば、でこぼこのところもあり。市が水道管をうめて、それをさらにきれいに整備している途中で裁判が始まり、工事が中断。それまでに工事が終わっていたところはきれいな道後で、まだだったところはそのまんま。ちなみに上水道が整備されたのが88年らしい。88年ってつい最近やん!それまで井戸でずっと生活をしていたそう。ただ、水道も水道管から各家庭に引くのに、さらにお金がかかるということで実際に家まで水道を引いている家庭はそのうちの3分の1程度。下水道は整備されず、生活排水も水路に流れてるらしい。昔は台風のたんびに水路の水があふれ、生活排水も下水も全部ごちゃまでになってあふれだしていたらしい。最近はあふれることも減ったらしいけど。

暑さのせいか、人とほとんど会わず。生活の気配がない家も多い。すでにウトロから出ていっている人も多いらしい。
家を建て直そうにも、建て直してすぐに強制執行が行われる可能性もあるもんな。最高裁棄却されているので、約60世帯は不法占拠の状態だそう。いつ強制執行が行われるか分からない中で生活するってどんなに不安やろか。

今日、感じた雰囲気をうまく言葉にできないのがもどかしい。都会でも田舎でもなく、人が少ないと言っても地方にあるようなシャッター通りともまた違った雰囲気。

...って、こんなんじゃ何にも伝わらないな。日本語教師に復帰するのは無理かもな...(苦笑)。朝鮮人の歴史的な背景や、ウトロを守る会の人の話、裁判のことなど、また今度。うまく言葉にできないんやけど、まだまだ書いておきたいことがあるわ。
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一つの<戦後>

2007年08月18日 02時04分16秒 | もろもろのこと
8月17日の読売新聞(夕刊)。

伊丹の中村地区の記事が載ってた。
「...戦時中、朝鮮半島から徴用された作業員の宿舎があり、戦後、落ち着き先がない人が次々と住みついた。『不法占拠』と国に退去を求められ、ジェット機の騒音にもさらされながら、最大時約800人が暮らしたが、4年前、ようやく移転補償が決まり、転居が進む。最後に残った約100人も来春、地区を去り、一つの<戦後>に幕が下りる。」「70年代半ばごろ、バラックは次々と建て替えられたが、国は『不法占拠』と退去を求めた。地区は騒音対策から外れ、防音工事の補助金も出なかった」

市営住宅が建てられ、中村地区に住んでいる人もどんどん外へ出ていっているという話はちらっと聞いていたけど。これで一つの<戦後>に幕が下りるのやろうかって思う。ウトロもそうやけど、国としては認めがたく、消し去りたい、なかったことにしたい過去の歴史なんやろうと思う。

今、テッサ・モーリス-スズキの『北朝鮮へのエクソダス』を読んでいるんやけど、帰国事業も結局は朝鮮半島出身者を日本から追い出したかったのを赤十字の力を借りて表面的には人道的な配慮としたこと(そんな単純な話ではなく、北朝鮮の政治的な思惑だとかもいろいろ絡むけど)と本質的には一緒やなぁと。

「一つの<戦後>に幕が下りる」ってこの場合は残さないといけない歴史や声が、また一つ、消し去られるということになるんやろな。
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2007年08月17日 22時40分35秒 | もろもろのこと
神戸で英気を養ってきました。1泊2日で実家へ。神戸にはひさびさに行ったけど、お気に入りのカフェが跡形もなく消えていたり(建物自体なくなってて、猛暑の中しばし呆然...)。新しい商業ビルができてたりと。変化早いよなぁ~。ま、でも、久しぶりに家族と話できたんが良かったな。

明日から全外教行ってきます。初日はウトロのフィールドワーク。中村一成さんの『声を刻む』という本の中でウトロに住んでいる人の声がいくつか紹介されていたけど。実際に足を踏み入れるのは初めて。明日何を感じるんやろか。でも、外から見ているだけじゃ分からないことも多いんやろうな。今どうなっているかということだけでなしに(多分、それだけでもかなり大きいとは思うけど)、これまでの歴史やそこで営まれてきた人の生に触れないと観光客で終わってしまうんやろうなって思う。

明日、あんまり暑くならなかったらええけど...暑いんやろうなぁ。

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どっから語るか

2007年08月15日 01時03分54秒 | 人づくり・場づくり
昨日に引き続き、今日も家でゆっくりと。熱も昨日だけで、今日は家でおとなしく本を読んでた。それにしても今日も暑かったなぁ。

本を読む時の癖で、一冊集中ではなく何冊かを同時平行で読むんだけど。

『移住女性が切り拓くエンパワメントの道 DVを受けたフィリピン女性が語る』という本と『多文化教育を拓く マルチカルチュラルな日本の現実なかで』という本を読んでて感じたこと。前の本はフィリピン女性が自ら語ったもの。後者は先生や研究者が多文化共生社会を実現するためにいろいろ論じているんだけど。個人的には多文化共生社会を実現するために後者の本から得るものもたくさんあるけど、前者の方により共感した。多文化共生という言葉は全然出てこないけど、前者の方をより大事にして自らの活動を考えていきたいなと思った。

ふと思ったけど、多文化共生って言葉、「日本人」が日本社会の現状や将来について語る時によく使われるような気がする。そもそも「外国人」が何かを語る時に多文化共生というスローガンはあまり出てこないんちゃうかな。日々の生活の中で感じる苦労や大変さ、喜びや解放などそれに耳を傾けることが結果として多文化共生になるんかなってことを思った。最初から枠として多文化共生を設定することも大事かもしれないけど、外国人の声に耳を傾ける、そしてその声とともに生きていく中で気が付いたら多文化共生が実現される、その方が自然なんかなということを感じた。「日本人」が考えた「日本人」にとって都合のいい多文化共生は本当に多文化共生になんやろかって疑問も感じる。

物事を説明したり、方向性を検討するために理論も大事だけど、でも、声に耳を傾け、そこから遠い目標につながるような次の一手を考え、実践していく。とりあえず、そこからしか始まらんのやろな。
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人。

2007年08月14日 01時11分41秒 | 人づくり・場づくり
今日からお盆休み。といっても、二日休んで一日出勤。で、また二日休みととびとび。何しよっかな?とりあえず実家にでも帰ろうと思ってたんやけど...体調崩して、今日は家で寝てました。この夏一番の暑さの中、寝てるのも大変やったわ(苦笑)

人ってすごく大事やなぁと最近痛感する。今、関わっている事業の今後の展開を考えてたんだけど、どうしても人が必要ということになって。この間、いろんな人に呼びかけ、実際に興味を持ってくれた人7、8人と話をしました。ボランティアやから、何の拘束力もないし、みんないろいろ予定なり事情があるので、話をした人みんなが関わってくれるわけではないけど。でも、何人かの人は外国人も暮らしやすい地域づくりに理解を示してくれて手伝ってくれそうです。遥かベトナムやインドから現地の事情を教えてくれる人もいて。また、広い枠の中で人の動きを理解できそうな感じで楽しみです。

今回を期に、最近連絡が途絶えていた人ともつながったりする中ですごく人が大事だなぁということを痛感してます。自分ではこれまでも大事にしてきた「つもり」やったんやけど、何かちゃうかったんやろうなぁということも感じてます。

また、英気を養って休み明けから頑張るぞ。


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