ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

思うこと。

2009年04月21日 00時46分06秒 | いろいろ
日本語教育でふと思うこと。

日本語教育は言葉を教えるために活動をするのか、それとも外国人が元気でくらせるように言葉を教えるのか(教えるのか学ぶのかはさておいて)。

何が目的で手段なのかって議論が必要なんじゃないかなって思う。特に地域の活動では。
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つきうごかすもの。

2009年04月20日 01時06分42秒 | いろいろ
一日、ぼ~っとしてて。夜、音楽を聴いてたら、曲といっしょにいろんな人の顔が思い浮かんだ。いっしょに仕事した人、いっしょに活動作ってきた人。

日本語でも母語でも読み書きができず、周りからも自分の文化を認めてもらえず、子育ても何かあると文化のせいにされ、ものすごいストレスを抱えていた彼女。本人の意思とは別帰国を余儀なくされ、メッセージはあって口は動いているのに言葉が出てこなかった彼。シングルマザーであまりにストレスが大きく、手の震えが出てきて、さらにそれが子どもにも向かってしまい、それを悩む彼女。労働契約書もなく、源泉徴収票も給与明細ももらえず、ただ何かあると分からない日本語でどなられる環境にどうしていいか苦しんでた彼。いつも笑顔なんだけど、実はDVと管理に苦しんでいた彼女。日本語を学ぶ気になれず、母語もどんどん忘れ、言葉を失われそうな状況に危機感と絶望感がつのる彼。16歳に日本に来て1歳の妹の世話をしていて、ずっと部屋で二人っきりの彼女。職場での孤立感、薬品を使う仕事、ある日原因不明のじんましんが全身に出た彼。

抱えているものがあるということだけは伝わってくるけど、結局ぼくが聞き手にはなれなかったたくさんの人たち。求めているものがあるということはいたいほど伝わってくるけど、それが何かが分からず出会い損なったたくさんの人たち。

そのほかにも書ききれないくらい、とても言葉にはできないようなこともいっぱい。

そんな人たちが少しでも自分を取り戻し、元気になれるような場所を作ろうと本当に文字どおりたたかってきた人たちのこと。

4月から仕事がかわって、場所は離れてしまったけど、ぼくが今できることを、すこしでも進めるだけ。今の仕事や立場の社会的使命ってものもあるのかもしれないけど、でも、これまで自分が出会ってきた人に、出会いに突き動かされている気がする。仕事が好きとかそういうことよりももっと。

この間、久しぶりにあった人にいわれた。「人間ってのは人間の関係性の束なんだよな」。

だから、今、自分のおかれている立場でやれるところまでやる。で、だめだったら、少し休んで、またやれるところまでやる。間違ってたら人の意見もちゃんと聞いて考え直して、またやる。その積み重ね。

そんだけやね。

というわけで、元気じゃなくなるときも多々あるとは思いますが、みなさん、よろしくお願いします。
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4月

2009年04月05日 23時11分58秒 | いろいろ
4月から転職して東京で働くことになりました。で、家も川崎に。まだまだ引っ越しの片づけも終わらず、ばたばたしてますが、ぼちぼち書ける範囲内で思ったこと、感じたことを書いていこうかなと思ってます。

それにしても川崎は外国人が多いです。調べてみると川崎市は外国人が総人口の2%だけど、今住んでいる川崎区は20万人中1万人が外国籍ということで5%。結構な数よね。

また、あいてる時間にはふらふら探検でもしようと思ってます。

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