ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

2007年06月24日 22時00分39秒 | いろいろ
最近、本を全然読んでない。飲み会が続いたのもあるし、結構帰りが遅かったもんな。今日、たまたま早く帰れて、で、ブログを書こうとパソコンに向かったけど。やっぱ頭使わないと何も考え出てこないもんやねんなぁと。そう言えば、仕事でも何か今ちょっと動きが良くないし。

明日はじっくり本でも読むか。
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ええ曲。

2007年06月24日 21時38分54秒 | もろもろのこと
桑田圭祐の「明日晴れるかな」ってほんまええ曲やなぁ。
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越境

2007年06月12日 10時07分26秒 | いろいろ
6月4日の朝日新聞に鈴木道彦さんの記事が出てた。

「バルカン11か国の歴史家による共同作業においてそれぞれの国の研究者は6年の歳月をかけて共通の資料集を完成されたのだが、そのときの第一原則としたのは「批判の刃は自分に向ける」こと、第二は「相手の立場で考える」ことだったという。この二つは他者・他民族との和解や相互理解の基本的な態度だろう。...北東アジアの平和も、したがってまた日本の未来も、まずみずからの過去をきびしく反省し、他者のおかれた立場に柔軟な想像力を働かせるという、当然の努力の先にしか見えてこないだろう。」

『越境の時』って新書も出てたけど、歴史をどう受け止めるのか、他者とどう向き合うのかということは正直難しいなぁ。



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笑うこと

2007年06月11日 16時30分03秒 | 人づくり・場づくり
最近、異様に眠い。3日連続で飲んでたからかなぁ。

昨日、ラテンの親を対象に、ポルトガル語、スペイン語でワークショップがあったんだけど、おもしろかった。何がおもしろいかったかと言うと、いつもと違ってラテンの親が中心。それで彼/女らが日本語や英語しか分からない人に内容を説明してた。笑い声も絶えなかったし、結構まじめに議論もしている場面もあって、ほんまに充実してたみたいやなぁ。しかも、みんなが真剣に話したりしている中で、子どもも適当に遊んでて。何か楽しい雰囲気やった。

中国の研修生も本当は参加する予定やったんやけど。みんなのんびりして、ワークショップが1時間くらい進んでから来たので、ワークショップには参加せず。でも、別のところでグループで楽しそうにおしゃべりしてたなぁ。彼等もにこにこして帰ってった。

たまにこうやって本当に笑う場所って必要だよなぁ。もちろん、楽しいだけじゃ何も生活がかわらないし、人生の次のステップへ進めないってのもあるんやけど。たまにはそういう日ってのも必要やね。



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ほんまに。なんでやねん。

2007年06月08日 22時55分51秒 | 人づくり・場づくり
アジアの学生にはまじめな人が多くて、先生を敬う学生が結構いるんだけど。ある大学の授業であまりに態度の悪くうるさい学生がいて留学生が注意をしたらしい。そしたら「日本語下手なくせに注意するな」ってがつんとなぐられたらしい。立派な人種差別や。

また、そこの大学では授業のTAを学生がアルバイトしてるらしいんやけど、仕事の量とお金がつり合わなかったから、お金をきちんと払うか、仕事を限定するかどっちかにするように交渉したけれども結局折り合わず、日本人の学生はTAをしなくなったらしい。そこをうめているのが留学生って。日本の縮図やん。

今日、あるプロジェクトの関係で人と話をしていたんだけど。日本は高度人材を受け入れ国際化を進めるなんて言ってるけど、あんなの嘘っぱち。足りないところを補って、用が済んだら、ぽいっ。真剣に人が来るということを受け止める覚悟もなしに、調子良く国際化なんて言ってるけど、状況が変われば「すみません、帰ってください」。正直、腹が立つ。単純労働で来ている人も一緒。国際結婚も子どもが生まれた途端、扱いが途端にひどくなることもある。

っちゅうか、相手は人やで。ほんまに。

で、また海外から日本に来る人には「日本」に興味がある人もいるけど。多くは出身の政情不安や不況、就職難など。でも、それももとを辿れば南北問題に行き着くことが多い。

夜、テレビを見てたら、ある国の首相がうれしそうに「CO2半減という私の、@@の目標が採択されたことはうれしいことです」って。最初に「私の」って主語で始まったのも気分悪かったけど、環境をどうするかってことではなしに自分の提案が受け入れられてうれしいって笑顔で言ってるのを見て、さらに気分が悪くなった。しかも、それを中国、インドにも働きかけるんだって。働きかけるのはええけど、それよりも提案した側がほんまにできるの?って思う。

今日は感情の向かうままに書きなぐってます。すぐには何にも変わらんけど、少しずつええ活動、地域を作っていかなな。ほんまに思う。

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いけてない。

2007年06月08日 22時23分23秒 | いろいろ
イラク派遣に関して、陸上自衛隊が反対運動を調査してた件で。大臣が開き直りともとれるコメントをしていることも気になるけど。この件についてY新聞がほとんど触れていないことも正直、びっくり。

意見が異なるのなら、まだ分かる。でも、触れてないやなんて。何のためのメディア、誰のためのメディアかって思う。「市民のためのメディアであり、最も読まれている新聞」なんてことを言ってるけど、それが権力よりでええんやろか。

っていうか、意見はどうあれ、考える人は扱い方を考えるやろに、触れへんとは...。

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雑感。

2007年06月05日 00時36分48秒 | もろもろのこと
少子高齢社会に対する対策として外国人労働者の問題が議論されてるけど。それだけでなく、むしろ外国人よりもといった論調で女性と退職者(高齢者?)を活用することが少子化対策として適切だという感じで論じている人もいるけど。これまで何でそういった人たちが働こうという意志があったのに働かなかった/働けなかったのか考えないとあかんのちゃうかなぁ。そこへの考察もなく、国がかけ声かけて、うまくいくと思ってるんやったら、ひどいよなぁ。いろんな意味で。それにそういった人たちが、働く意志がなくて今働いていないのであれば、なおさら難しいわけやし。

ジェンダーとかエイジズムの問題に真正面から向き合うつもりはあるんやろか。ちゃんと向き合えるんやろか。

効率性や生産性を求める経済界と規範・均質性を求める政界とが、ほんまにできるんやろかって思う。これまで排除されてきた人たちをかけ声一つで動かせるんやろかって。

それに、結局いわゆる3Kと呼ばれるような職場で働こうとする人はいないわけで。結果、単純労働の現場に外国人を「入れる」んやろな。で、その人たちにたいして、金儲けに来た外国人って視線を投げ掛けるんやろか。金儲けに来た(=自分の意志で来た)ということで、あらゆる場面で自己責任の論理が出されるんやろか。

外国人ともちゃんと向き合えるんやろか。難しいんちゃうかなぁ。ある程度、言語や生活の支援、サポートの仕組みができれば終わりじゃなくって、きちんと向き合えるかどうか・人として受け止めることができるかどうかってことが大問題なのに。

多様性をきちんと受け止めるための土台が見えず、むしろ逆の方向に進んでいるような流れの中で、この議論って恐いよなぁと思う。

大きいことはできへんでも、何か地域でアンチとなるような実践を作りたいな。
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記憶。

2007年06月05日 00時13分35秒 | もろもろのこと
半年前くらいからmixiやってるんやけど、mixiって変な感じやなぁ。全然音信不通やった友達と急に連絡取れたりしておもしろい。連絡取れたからといって、急に何がかわるってわけでもないけど。色あせてた昔の記憶が妙にリアルに出てきたりする。mixiやる前はそんなんって盆と正月に誰かに会ったときくらいやったんやけどなぁ。直接会わなくても、誰かとつながることで記憶は生々しく立ち現れてくるもんやなぁと。それに昔のことも、もちろん全部じゃないけど意外に残っているもんやなぁと

みんな元気にしてるんやろうか。

で、普段あんまりドラマは見ないんやけど(とか言いながら、最近は年3つ4つは見てる...かな?)。主人公が現在と過去を行き来しながら歴史を変え、なんとか好きな人と結ばれようとするドラマで。

mixiやってもタイムスリップはできへんけど、生々しく日常生活に昔が入り込んでくる感覚って、ちょっとはかぶるものもあるのかなって。今まで盆と正月とかって本当に非日常の時にしかなかったり、mixiがなかったら絶対にコンタクト取れなかった人とつながったりってことが、日常的に起こるのがちょっとおもろい。思い出そうとして思い出すって感じじゃなく、記憶がうわっと溢れ出てくるのっておもろいなぁ。妙に細かいこと覚えてたり。

記憶って単なる情報の蓄積じゃないよなぁ。コントロールできるようなものでもないし、大げさな言い方になるけど、記憶の中を生かされるのかもな。思い出すというか溢れ出てくるタイミングも自分の意志とは別物やもんなぁ。



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ふらふらと。

2007年06月04日 12時05分06秒 | いろいろ
外国人労働者の受け入れをどうするか、研修生・技能実習生制度をどうするかって議論が最近行われてるけど。たまたま土日に自転車でそういった人たちが働いてる工場をいくつか見る機会があった。何もアポしてないし、外から見ただけなんだけど、雰囲気は多少つかめたのかなぁって思う。

工場での仕事の様子、職場環境や同僚のことを聞くだけじゃつかめないものがあるもんな。その町の雰囲気やったり、距離感やったり。ふらふらしてたら、日系人の友達に会って、ふらふらしてたらいくつかほかにも外国人が働いている工場を案内してくれた。もちろん、外から見るだけやけど。一緒にちゃりんこで走ってる時に、内部事情とかその工場にたいして思っていることも教えてくれたり。

少しは何かつかめた...んかな。
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研究。

2007年06月03日 22時42分31秒 | リサーチ
友達というか仲間というか、仕事でいろいろと一緒にやってる人と飲んでた。

土日、学会に行っていたらしく、その話を聞いたんだけど。やっぱり研究って大変やなぁと。

研究ってそもそもそれまでの研究の課題や問題点から出発することが多いんだけど。そこと社会との擦り合わせってなかなか難しい。社会って言ったら、大げさかもしれないけど、それで結果、誰が元気になるのかなって思う。外国人を対象にする研究で現場でがんばっている人が励まされたり、元気が出たり。元気が出なくっても刺激を受けるような研究だったら、それはそれで意味があるけど。どうやらそういう研究って少ないみたい。人が存在していること、そしてその人とどう向き合うのかってことがすっぽ抜けてたり、むしろそういう態度を取りにくくなってしまうような「人が存在しない研究」。人が存在してても、出会う相手ではなくって、対象としてしか存在しない研究。なんだかなぁって思う。

本当に大事にしたいもの、大事にせなあかんものって研究で見えるんやろか。もちろん、それが見えないものだとしても、研究の目的にはなり得ないものだとしても、研究には研究でちゃんと意味があるし、研究の存在自体を否定するつもりはないんやけど。ただ、何を前提として、何を目的として研究するのかってことは、ちゃんと考えてもええんちゃうかなと思う。

外国人や外国人の子どもは食い物ちゃうで。




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