ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

簡単になくなるもの

2010年04月24日 20時16分04秒 | いろいろ
今日はお昼間勉強会。

研修生をテーマにした勉強会。現場で何が起こってるか、これから何が起こりうるか。そんな話。人間の尊厳がこんなふうに失われていくんやろうな。

職場に戻って仕事してたら前の職場の同僚から電話。現場はありとあらゆることが起きるし展開がダイナミック。

で、感じたことは縦割り仕事の中で感覚、視野まで縦割りになってるってこと。

しかも、縦割りの中で自分が仕事の相手と思ってる人たちの感覚すらいちいち聞かないと分からなくなってるってこと。

何とか現場に関わらないと。自分には現場の感覚はなくなってきてるんやから、現場の人たちの力借りんと。

気が付いたら平気で人の尊厳を失わせる側にいるんやろか。もっともらしい理由付けて。

生活改めないとな。
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競争

2010年04月20日 00時11分31秒 | いろいろ
今読んでる本で。「分からないことは希望なのだ」外国人問題と労働問題と福祉問題と女性問題と。ほかにもいろいろ、何とか問題は結局全部つながるような気がする。ほんまは何が問題なのかということはさておき。扱いやすいように問題を切り取ることで解決に向かえばいいけど、隙間からこぼれ落ちることばっか。

能力主義はむき出しで人間同士の競争をあおるし、だめな人はもっとがんばれ、もっとがんばれってなるけど、それでええんやろか。

バシュさん、元気にしてるかな。
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権力

2010年04月17日 00時25分14秒 | いろいろ
にマイノリティの声なんて関係ない。

スピヴァクのサバルタンに語ることができるかってのはマイノリティの問題ではなく。マジョリティはマイノリティの声に耳を傾けようとしてるかって問題で。

それってひっくり返される覚悟があるかってことやねんね。

多文化共生にそんな覚悟はあるんか、日本語教育にそんな覚悟はあるんか。

腹くくるぞ。

すんません、酔ってちょっと風呂敷広げてるかも。

小役人のひとりごとです。
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ぞろめ

2010年04月12日 02時14分56秒 | いろいろ
何事もなく無事に33歳に。

ゆるやかに何となく同じ方向を向いているつながりを増やすこと。仲間を増やすこと。で、仲間同士をつなげて網の目上のネットワークを作れたらいいな。

どこでどんな化学反応が起こるかな。ぼくもどんなふうに変われるかな。

今年の目標やね。100人作れたらいいな。
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GNH

2010年04月07日 01時13分45秒 | いろいろ
…だったかな。グローバルナショナルハピネス。ブータンは国民総生産だとかじゃなくって、国民の生活の充実を目指してそんな指標をたててやってるとのこと。

知り合いの先生が教えてくれました。人口が少なく、産業も限られている、宗教的な背景もあって成り立つのかもしれないけど。

多文化共生を考える上でヒントになる部分がたくさんあるなと思った。

多文化共生ってかけ声はいろんなところでかけられてるし、モデルもいっぱいいろんな地域で作られているけど。それをどのように評価して、じわじわと広げていくかということを考えないといけないんだろうな。それも単純に何人参加したってことだけじゃなくって。

どこで聞いても、マイノリティが元気になるような施策は一定のラインを超えるとマジョリティの理解が得られなかったりして、縮小されるのかなって思う。最近、話を聞いた国際交流協会も前いた職場も縮小やらそんな話を聞く。どう評価し、見せていくかってことを考えないといけないんだろうな。

その一方で、マイノリティを中心とした施策や活動は一般の評価となじまない部分もあることを考えないといけないと思う。社会において大事にされない、中心じゃないとされるからマイノリティなわけで。人権ではなく、恩恵が発想の中心にある限界かな。

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感覚とロジック

2010年04月06日 02時35分46秒 | いろいろ
この一年でかわったこと。本を読まなくなったこと。正確には読まないっちゅうか、読む時間がないんやけど。

で、何が一番変わったか...難しいことが考えられなくなった。でも、それはそれでええこともあって。難しいことは考えずに(考えられないので?)外国人に興味のない人にどう訴えかけるか、しかも一言でどうアピールするかって考えないといけないんだろうなって思うようになった。

筋道立てて説明しようとしても、それがどんだけ論理的であっても聞いてもらえない、耳を傾けてもらえないことも多くて。

論理って真理ではなく、道具で。結局、それは使えることもあれば使えないこともある。それに使おうと思ったら、どうとでも使える。

マイノリティのことを訴えかけるのにどれだけ共感が得られるか、そもそもマイノリティのことを訴えかけて大多数の共感を得られるのかということは分からないけど、それでも、やり方を考えないといけないだろうなって思う。それは、それで某知事のように暴走にもつながりかけないので、ロジックと手を組みながらも、感覚的な部分を大事にせなあかんのやろうな。

人と関わる仕事、地域や社会を作っていこうとする仕事で「断言」する、「一言」で説明するってリスキーやけど、それもやらんとあかんのやろうな。

こぼれ落ちる部分をどれだけ自覚できるか、回避する回路を準備しているかってことが大事なんやろうな。


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一年

2010年04月03日 22時39分36秒 | いろいろ
このあいだあるフォーラムで。

外国人や琉球、アイヌなどエスニックマイノリティに対する人権施策、法律を求める集まりだったんだけど。

研究者、市民活動関係者などみんな一通りはなしたあと、がんばらないとなと思った後。

「私らアイヌでゆりかごから墓場まで差別や。前もこんな話あったけど、いつになったらほんまに実現するんですか。ちゃんとアクションプラン出して話をしないと。」

「学校にもろくに通うことができずでっち奉公でずっと人様のごはんを食べてきた。そんなんやから、わたしら意見もなにも言ったらあかんと思ってきた。でも、こういう勉強会とか出て、いろんなことが見えてきて意見言ってもええんやって思えるようになった。でも、わたしら、もうこんな年やからもうすぐいろいろ実現するまえに死んでしまいます。」

「…だから、なるべく早く…ね。」

人、人の想い、人生に耳を傾けるとこから始めんと、そんなん嘘っぱちやねんね。
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