ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

抜き書き ~レイシャルハラスメントQ&A~

2018年05月30日 00時47分21秒 | 
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…マジョリティ/マイノリティは一般に多数派/少数派と訳されますが、より正確にはむしろ支配的集団/従属的集団という意味だと理解したかたがいいでしょう。

…レイシャルハラスメントとは、簡単にいえば人種、皮膚の色、祖先、出身地、民族的出自、民族文化、宗教的信条、国籍などの人種・民族的要素に基づくハラスメントです。そしてハラスメントとは、受け手が望んでいない、攻撃的、侮辱的、有害だとわかる不快な言動のことです。
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「レイシャルハラスメントQ&A」金明秀、解放出版社
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法律

2018年05月29日 00時31分02秒 | 当事者
しばらくのうちに日本語教育に関する法案が国会に提案されるらしい。長いこと、取り組んでいる人たちがいて、よかったと思う。そういう意味では。

でも、なんか複雑なのは、それでどれだけ現場が進められるのかなということも考えてしまう。福祉がどんどん切り崩されている中、法律があるからといって何かが進められるとも限らない。この数年、人権に関する理念法がいくつか制定されたけど、どれだけ社会が変わったのかはわからない。

現場がうまく使わないといけないということです…ってことになるんだろうけど、それはそれでそんな簡単な話ではない。そんなとき、上から指示されているかのように感じることもある。どうやってタッグを組むかということを考えないといけないんだろうけど。

なんてことをつらつらと。蒸し暑いな。
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いっぱい

2018年05月26日 21時35分56秒 | もろもろのこと
いっぱい飲んで、いっぱい食べて、いっばい話して。

とてもいい時間やと思う。何人か潰れたけど…。

企画や準備をしてくれた人にまぢで感謝です。

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熊本

2018年05月25日 17時52分55秒 | もろもろのこと
今日は熊本で活動している友だちの話。友達と言ったら馴れ馴れしいかもしれない。大先輩か。

最近、昔の知り合いと会う機会が急に増えた。なつかしいな。
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重版出来!

2018年05月23日 01時48分20秒 | いろいろ
というドラマの話。

地味な設定と思ったけど、思いのほか、はまる。最近はそれを見ながら晩ご飯を食べるのが習慣に。
何だろ、特別なことはないけど、表現すること、それを真っ正面から受け止めようとすること。そんな姿にかっこいいなって感じて、ついつい見てしまう。

自分の仕事も特に何が華やかというわけではないんやけど、そうそう、こういうことが大事よねって思いながら見てる。あと、編集長に感情移入してたりする。まとめる立場って、あーこんな動きもありやねんねって。

ユニコーンのエコーもええ曲やな。
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抜き書き 〜べてるの家の「非」援助論

2018年05月23日 00時50分47秒 | 
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…「地域が良くならなければ、自分たちの暮らしも良くならない」

…悩みや苦労をとりもどすために、みんなで商売をはじめた。

…べてるは、いつも問題だらけだ。今日も、明日も、あさっても、もしかしたら、ずっと問題だらけかもしれない。組織の運営や商売につきものの、人間関係のあつれきも日常的に起きてくる。一日生きることだけでも、排泄物のように問題や苦労が発生する。しかし、非常手段ともいうべき「病気」という逃げ場から抜け出て、「具体的な暮らしの悩み」として問題を現実化したほうがいい。それを仲間どうしで共有しあい、その問題を生き抜くことを選択したほうがじつは生きやすいーべてるが学んできたのはこのことである。こうして私たちは、「誰もが自分の悩みや苦労を担う主人公になる」という伝統を育んできた。だから、苦労があればあるほどみんなでこう言う。「それで順調!」と。

…合い言葉は「安心してさぼれる会社づくり」「利益のないところを大切に」「弱さを隠さず、弱さをきずなに」である。
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「べてるの家の「非」援助論」 浦河べてるの家、医学書院
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文化とか社会

2018年05月22日 22時26分23秒 | 日本語教師のお仕事
日本人とか日本社会とか日本の労働習慣とか、いろいろとあるけど。

規則としてはっきりと明示化されているときは別だと思うけど、そうではないときは、それらのカテゴリーと知識は、人と付き合い、交流するときに使える知識程度のものでしかないような気がする。もちろん、人によってどれぐらい強く受け止めるか、義務的なものとして感じるかということは違うけど、でも、その辺の塩梅も実際にコミュニケーションする中でしか調整できないし…。

日本語教育や語学教育で文化や社会をどう教えるかということが話題になることがあるけど。絶対的なもので唯一のものであるというような言い方をしなければ(多少であればそういう言い方をしてしまっても)あんまり問題がないんだろうな。

それに教える側がどれだけ言ったとしても、学ぶ側がそのとおり吸収するとは限らないし、日本に暮らす外国人の場合、生活や交流の機会が増えれば増えるほど、授業の影響力は相対化されるような気がする。

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抜き書き 〜アラブ、祈りとしての文学〜

2018年05月22日 20時57分52秒 | 
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…イスラエルのパレスチナ人監督ハーニー・アブー・アスアド監督の映画『パラダイス・ナウ』(2005年)にも、この裏切りのモチーフが書き込まれている。占領下のヨルダン川西岸、ナブルスの町で自動車整備工として働くサイードとハーレドにイスラエル市街での自爆作戦の任務が下る。映画は作戦遂行までの2人の48時間を追う。難民のサイードが熟考のすえに自爆を抵抗の手段として是認するのは、彼の父親がイスラエルの協力者だったからだ。極貧の難民の家長にとって家族を養うために唯一残された道はイスラエルの協力者になることだった。「占領」の暴力は、このようにして、家族という、人間にとってもっとも大切な存在、もっとも弱い部分につけこむことで、占領に抗して生きるという被占領者に残された唯一の誇り、人間として残された最後の尊厳までをも破壊する。その卑劣さに抗するには自爆という手段しかない、それがサイードの下した結論だった。
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「アラブ、祈りとしての文学」岡真理、みすず書房
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抜き書き 〜戦後日本語教育額とナショナリズム〜

2018年05月22日 13時54分49秒 | 
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…この時期の日本語教育には、日本語を教えることだけでなく、別の目標も課せられるようになっていた。80年代半ば以降、外国人と日本人とが直接交流する機会が増加した。交流機会の増加という状況の中で、日本語教育には、単に日本語を教えるだけにとどまらず、日本に対処・適応する能力の育成が求められるようになったのである。日本に対処・適応する能力とは何かと言えば、日本人の思考様式を含む日本事情を知識として理解し、それにどう対処するかを考えておくことで、実際の接触場面でのトラブルを解決したり回避したりする能力ということになる。
 こうした教育目標は、第Ⅱ期のような、精神的に日本人と同じようになることを促すものとは異なる。日本人との実際の接触場面でトラブルや摩擦が起こらないようにする、または起こったとしてもうまく対処し解決するというものである。日本人の考え方はそのために必要な知識の一つとして位置づけられている。しかしこの目標は学習者が自分にとって違和感をもつ現象にであったとき、それに異議申し立てをし、その現象のほうを代えさせるといった可能性は想定していない。
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「戦後日本語教育学とナショナリズム」牲川波都季、くろしお出版
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抜き書き 〜アラブ、祈りとしての文学〜

2018年05月22日 13時48分13秒 | 
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…サバルタンが語ることができない(スピヴァク)のは、サバルタンが語っていないから、ではない。語っているのに聴き取られないからである。あるいは、語っているのに、その言葉が知識人によって横領され、勝手に表象されてしまうからである。だから、サバルタンの声を聴き取ろうと思ったら、知識人は学び知った知識を忘れ去らなければいけない。分有している権威を捨て去らなくてはならない。独房の冷たい地べたに座って、女たちの語りに虚心に耳を傾けなくてはいけないのである。
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「アラブ、祈りとしての文学」岡真理、みすず書房
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目標

2018年05月22日 11時25分10秒 | 当事者
今年は何をがんばるか、目標を立ててやってきているけど、何となくそれで突破できることと、突破できないこと、時間がかかることが見えてきたような気がする。

考えてやってみんとわからんかったこと。
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理想ではなく

2018年05月21日 01時10分58秒 | 当事者
謙虚に。自分の気持ちに素直に。
自分だけでできることには限りがある。というよりも、限界だらけ。だから、みんなでやらんとあかんねん。
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一日の終わりに。

2018年05月21日 01時06分22秒 | 当事者
今日は気持ちの浮き沈みがとても激しかった。イベントを楽しみ、わーわー言い、相談を受け、理不尽なことに何とも言えない重い気持ちになり、仕事の面でもなんでこんな感じになるんやろうかということが起こったり、自分のふがいなさに嫌気がさしたり。

そういう日もあると言えばある。そんなもんやな。

で、どうあがいても、もがいても、考えても考えなくても、自分は自分やし、やれることも急に変わるわけではない。とりあえず、今の自分の容量を受け止めた上で、やれることをやる、やれることをちょびっと増やす、他の人のパフォーマンスが落ちないように(できればやりやすいように)する、とてもシンプルな形でやるしかないもんね。

それ以上は思えば思うほどしんどくなるだけやし、パフォーマンスが落ちるだけやから考えない方がいい。そんなもん。

あと、私のどうのこうのがどうのこうのとなったところで、世界は大して変わらへん。もちろん、微力は無力ではないけど。
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ずんと

2018年05月21日 01時01分01秒 | 当事者
今週はあっという間に終わった。水曜日に同僚と飲んだ翌日、今度は地域の人たちと飲み会。その次は研修会の講師で来てくれた人と飲み。今日はフィリピンイベントでばたばたばたばたしているうちに一日終わった。

…って、これぐらい続くと、自分が不安定になったりするんかなということがわかった。年々、キャパは小さくなってる気がする。記憶も落ちている中、アイデアも枯渇している中、時々、もう辞めた方がええやんって思ってしまう。それは、思ってしまうのか、事実そうなのか、そんなんはわからんけど。

よくないなと思うけど、時々やってくる。あきまへんな。
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お酒

2018年05月17日 23時01分08秒 | もろもろのこと
昨日は昔の同僚と飲み。楽しいと思える時が来て素直に嬉しかったな。

今日は地域の人らと飲み。これはこれで大事な仕事。地道に顔を合わせた回数に応じて変わることもあるしな。

というわけで、今日も遅いやんかと怒られやしないかとちょいと心配。小心者や。
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