ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

頭の体操

2015年04月28日 21時24分11秒 | いろいろ
これから、しばらくは「多文化共生」がテーマ。どう考えるか、ええもんかどうかも含めて。

一番最初に気になるのは感覚的なことやけど、この用語が使われてる時に外国人に限らずマイノリティの視点から言われることが少ないかなという気がする。どろどろした生の部分、一番激しくぶつかったり葛藤したり苦しんだり…というリアリティがない気がする。何でそんなこと感じるんやろか。

多分、苦しい立場や状況にあるときに多文化うんちゃらなんて言ってられへん、まずは仕事だったり生活だったりするわけで。

多文化共生と言った途端に立場や社会状況の違い、階級の違いなんかは捨象されて対等であることが大前提になるような気がする。現実には対等な立場や状況にないことも多く、対等にすることを考えないとあかんのやろうな。

そんなこと見ずにみんなで!なんていうことになるから違和感感じるんやろか。

ってなことを考えてるときの文化ってなんやろな。マイノリティにとっては創造よりも圧倒的な壁として立ち現われることが多い気がする。

言葉の響きと現実のギャップを露わにすることがスタートか。
コメント

たまに

2015年04月27日 21時22分19秒 | いろいろ
忘れるけど、今の自分の状況は、縁だったり偶然だったりもあるけど。

でも、基本的には自分で選択してきたこと。こうなるやろな、こんなんやろなというのも見越してやってきたこと。たまに、思ったよりもきついなと思うことはあるけど。

だから、ぐだぐだ言わずにもうちょっとがんばろう。

昔、大塚茂吉さんが言ってた言葉、偶然を必然に変えられるかは自分やという言葉を思い出す。

さ、もうひと踏ん張りや。
コメント

場所の違い

2015年04月26日 20時29分18秒 | いろいろ
昨日,とある会議に参加して感じた違和感。

【地域の日本語教育を充実させたいという思いから語ることと,外国人の置かれている状況から語ることの違い】
・とある地域で雇う外国人と雇われる外国人,高度人材と本当に生活に汲々している外国人など,外国人の階層化,二極化などの課題がトピックとして出た。そこにはフランスやドイツなどで言われているように,コミュニティの分断などが明確な形で生まれつつあり,その分断をどう避けるかということが課題であると。…で,そういった分断が生じないように地域における日本語教育が機能すべきであり,外国人と日本社会の接点を作るべきだという話。
・一見,もっともらしく聞こえる部分もあるけど,そもそも階層化,二極化が何によってもたらされていて,その部分にどう切り込むかという視点がない限り解決にはつながらない。そもそも解決につながることが期待できない場合には来ないのが常。多分,他のいろいろな施策との絡みの中で,日本語教育がどう役に立つかという話をしないといけないんだろうと思う。これは日本語教育の否定ではない。役に立つのは立つんだけど,ポジションを明確に認識することが大事かなって思う。

【外国人の状況について】
・外国人の支援やら活動に関わっていると言っても,関わっている活動や関わっている人によって社会の見え方は全然違ってくる。誰に出会っているか,どういう出会い方をしているかということで全然違うということ。相談関係だったりで外国人支援をしている人たち,子供の支援をしている人たち,労働組合や教会,外国人コミュニティ関係,国際交流協会等,地域における日本語教室と日本語教育関係者とで出会う人も違うし,より先鋭化した重い課題を抱えた人たちといつ出会うかというタイミングも大きく違う。直感でいけば,より最初に挙げた人たちの方が,より早く,より深く重い,社会課題に気が付くという感じで,最後,日本語教育まで来るのに3~5年ぐらいのタイムラグがあるような気がする。それは一つの課題が一般的な言説,語りとして地位を獲得するのにそれぐらいの時間を要するということもあると思う。また,同じ状況をどう解釈するかということも違う。活動の趣旨,目的によって違ってくるのはしょうがないのかもしれないけど。だれが,どの立場で何を語っているのかということを分析しながら,今,何が起こっているのかということを捉えないといけないんだろうと思う。これは誰が言っていることが正しいとか,正しくないとかではなくて,物事を分析したり,判断したりする一つの指標になるのではないかと思う。あと,それでも語られない人たちの存在と。

【関係者の役割について】
自治体や国や国際交流協会や日本語ボランティアやNGOや,その他いろいろなアクターが社会にいるけど。筋としてどうすべきかということと,現実としてどうできるかということを整理した上で議論を進めないと混乱するなということ。また,最終的に何を目指したいのかということと,今,何ができるのかということも同じように区別して整理しないと。
あと,違う立場,セクターが同じように動くことはほとんどないけど,特に動いてほしいのに動いてくれないときの話。何かをすれば動くのか,それとも何をしても動かないのか,そもそも相手も同じように動くべきだと思っているのか,何か条件が変われば動けるのか…等々。割と「こうしたい」とか「こうするべき」って話や主張はよく聞くけど,「なぜ動かないのか,どうすれば動けるのか」といった相手の立場に立った分析,そこを踏まえた議論が決定的に足りないと思う。外の人間が勝手に期待したり,解釈したりするのは勝手だけど,それとは別に内側のロジックを理解しないままにわーわー言っても何も変わらないのになということが多い。それってたまに日本語教育に当事者の視点が欠けていることと同じやんけって思う。
聞くということからスタートしない,自己中心的な「相手のことを思っています」というメッセージ。

【計画や指針の位置付け 多文化共生推進プランを作れば行政は動くのか】
何となく,ある程度,動くということを決めたから,プランを作るということ。だから,プランを作ろうとすることも大事だけど,それよりも行政やら地域の関係者やらが動ける条件や動く内容を地道に作っていくことが大事かな。やるという宣言をすること自体はよいことだけど,それは飽くまでもスタートでしかないし,今以上に「やらないということはない」といって程度のものであることもある。出発点ではあるけれども,ゴールではない。何か,プランや条例を作ればいいんだ!って意見を時々聞くけど,逆だなって思う。

【社会全体の動向】
現在の社会全体の状況の中で外国人施策の位置付けはどうなっているのか,そもそも政府がどういう在り方を目指しているのか,歴史的流れの中で外国人施策がどのように位置付けられてきていて,それを変えていくにはどういう労力がどれぐらいかかるのかといったことなど。外国人材の受入を促進するとかって言ってるけど,どういう人たちを増やすのか,どういうロジックで増やすのか,だれが受入をして,フォローをするのか,などなど用意周到に議論されているし,それは外国人や多文化共生をどうするかという観点よりも,国の人口構成,財政状況などなど,多文化共生やら外国人施策とは違うもっと大きな社会の流れによるものが多い。外国人施策,多文化共生はどちらかと言えば,他のより大きな施策の中での手段的な位置付けになっているし,目的にはなり得ていないような気がする。そういったポジションを押さえた上で何をするか考えないと,議論にすらならないと感じる。

これに加えて,地域だろうが何だろうが日本語をしっかり教えればいいんだという役人と全てをトップダウン的に変えることを夢見て何でも指示したがる役人と。どっちも視野が狭過ぎて,その中でわーわー言ってるのが,しんどい。


で,最近思うこと。その人の置かれている状況だとか出会ってきた人によって,こういった話に実感を持てるかどうか,リアリティを感じるかどうかということが違うということ。周りと話をすればするほど,あ,自分は日本語教育とは違うんやなって思ったり,力が抜けたりすることばっかり。それでも周りと話をするしかないんやけど,手応えのないやり取りをずっと続けるのは精神的にきつい。でも,自己矛盾かな。相手の状況を考えて話をせんといかんのやろな。

とは言っても,感情・気持ちは無限ではないと感じる今日この頃。
コメント

一緒のことと違うこと

2015年04月24日 20時29分11秒 | いろいろ
外国人受け入れについて。国はこんな考えかなというところ。

少子高齢化への対応は部分的に該当、労働力不足は一般論としてではなく、業種別には該当、人口減少は該当せず。

地域の担い手としては結果としてはあるけど、目的にはならず。地域創生はどないやったか忘れたけど、たぶんそんな感じ。

ただし、いずれも民間ベースなので、支援や受け入れも民間主導で、自治体が住民サービスを提供という構図は変わらず。

そんなところか。

コメント

そうは言っても

2015年04月23日 23時25分33秒 | いろいろ
今の職場に入った時、入る直前の仲間との飲み。仲間と言うのはおこがましいかな。上司もたくさん。

今、働いてるところで苦しんでるところもあれば、逆に救われてるところもあるんやな。な~んて当たり前のことに気づく。

と言うか実感する。

何か自分が変やなって思う。
コメント

振り替え

2015年04月23日 13時30分26秒 | いろいろ
2ヶ月ほど前に大阪で仕事をした分の振り替えが明日までだと言われ、慌てて今日取る。

昼過ぎから出勤。何か人も少なくって快適。やけど、なかなか気持ちが乗らない。

力量としてできないこと、理屈としてできないこと、優先順位を考えるとできないこと、いろいろあるけど。

マイノリティに関わるということは、いろいろなできないに向かい合い、少しずつ少しずつ穴を開けようとがんばることなんやろな。

ごまかしてもしゃあないし、言い訳してもしゃあない。


コメント

7年目

2015年04月22日 19時48分51秒 | いろいろ
こんなに時間経ったのに未だに馴染めないのは、もうしゃあないんか。

何かいっぱい感覚やらが狂った気がするけど、どないしょうもないのかな。

もっと、何かできたような気もするし、今ももっと変わった方がええ気がする。でも、変わったり受け止めたりすることすら、できなくなったかな。

だめになったな。
コメント

若者と貧困

2015年04月19日 20時40分35秒 | いろいろ

「僕たちのユニオンではごはんを食べながら会議をする。ひとり暮らしになったりすると,どうしても食生活に乱れが出てくる。料理ができればよいけれど,多くの組合員は料理が苦手だ。自炊すれば経済的にも楽になるはずなのだけれど,疲れて帰ってきて料理する元気もない。レンジにお弁当を入れて,チンと音が鳴る前に寝入ってしまうこともある。だから,ユニオンでの会議や作業日には,できる限り食事を準備する。といってももともと計画的にしていたことではなく,料理が得意な組合員のボランティアがきっかけだった。ある組合員が,仲間のみんなに料理をふるまったのが始まりだ。一人200円から300縁で,とてもおいしい料理が食べられる。いつの間にか組合員のなかで,料理が食べたくて集まるにようになった若者もいる。そうやってみんなで食事できることは,実はすごく重要だったのだ。

組合員のなかには,家庭の事情で実家にもどれず,ひとり暮らしをしている組合員も少なからずいる。また,仕事のない地方から東京へ移り住んだため,友人や知り合いの少ない組合員も多い。だからこそ,みんなで料理をし,食事をするということはとてもうれしいことなのだ。」

『若者と貧困 いま,ここからの希望を』湯浅誠,富樫匡孝,上間陽子,仁平典宏 明石書店


心に残る部分がいっぱいあったけど,深いこと,いっぱい読んだ後に,この部分がしみいった。そうやんなって。
コメント

青島

2015年04月14日 22時04分21秒 | いろいろ
たまに夕方になるとパソコン画面の見過ぎだか、気持ち悪くなる。

それとも歳か。

事件は事務室で起きてるんやないのになぁ…
コメント

言うこと

2015年04月13日 20時51分08秒 | いろいろ
現場から離れてずいぶんと時間が経つ。

現場で活動していないから見えることや感じることがあるし、逆に現場じゃないと分からないこともたくさんある。

どっちが上とか下とか、分かってるとか分かってないとかじゃなく、何がちがって、その違う理由は何かってところを整理することから、次の一歩を探すことが大事なんちゃうかと思う。

自分の意見や考えを通すってことと、社会を創ることとは違うと思う。

それに、闘うことや守ることと、わーわー言うこととは違うと思う。


言うことはとても大事やし、代弁もとても大事。力の差に対する配慮は必要だけど、でも、それは対話の始まりであって正義はまた別やと思うけどなぁ。


…なんてことを、ひしひしと感じる。どっと疲れる。
コメント

ふらっと

2015年04月08日 20時56分24秒 | いろいろ
大量のデータと格闘し、大量の資料を読みふける。

さすがに万単位のデータに、そもそもどんなタグが付けられるかということから考え、実際にタグ付けって、ふらっとくる。

こんな日々過ごしてたら、あっという間に時間が過ぎるな。しかも、何をやっとんのか分からんうちに。

しっかり1日1日大事にせんと。
コメント

2015年04月07日 22時16分42秒 | いろいろ
さ、どこまで踏ん張れるか。でも、気持ちがきれたら終わってまう。

そこまでいかずに、でも、ぎりぎりのところで。

…自主的ブラック勤務?

ま、自分の置かれている状況、調子とか考えたら笑えんな。


コメント

過去の何とやら

2015年04月03日 20時10分39秒 | いろいろ
多文化共生を考えるときに、どんなことをすればいいか、どうやっていけばいいかということはよく語られるけど。

大事だと思うのは、今、どうあるかということと、どうしてこうなっているのかという分析かなと思う。

輝かしい今後の展望が、実際に何かをつなげるか、それとも空振りに終わるかは…それにかかってるような気がする。

ドイツのワイツゼッカーが過去を振り返らないのは未来に対して何も分からないとか何とか言ってたのは、そういう感じのことにもつながらなくもないか…。


何かこうやって、つらつら書くことで辛うじてつながってる自分がいやはや何とも。…桜でも見に行くか。

コメント

積み重ね

2015年04月02日 21時45分18秒 | いろいろ
日常の小さな一滴、小さな小さなストレスは一滴ずつでも乾き切る前に次が来ると意外にたまる。

また、たまると本当に小さな一滴でも溢れさすきっかけになる。

そんな状況があることを知った。


そのうちに言ってもしょうがない、伝わらない、理解されないという中で、力がなくなったり、あるときはあほくさくなったり、あるときはそんなことに力をかけるのがもったいなく感じて声を出す気もなくなることがあることを知った。


多文化共生、美しきかな。

寄り添うつもりのない「被支援者の消費」もいいね!



で、自分。

うーん、よー分からんけど、何かいろいろできてへん…な。あかんあかん。


コメント

ぼろ

2015年04月01日 23時48分46秒 | いろいろ
ずいぶん、無理してきたんかなって思う。割にぼろぼろ、ほころびだらけ。

やれる人もいるんやろうけど、自分にはきついかなって思う。

ま、しゃあないか。やれることしか、やれないし。
コメント