ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

右と左

2008年02月05日 11時20分58秒 | 社会
1月31日の毎日新聞の記事。

「中島岳志的 アジア対談」の中で「結局、『右翼』ってなんだろう?」という記事があった。おもしろい指摘として同じことを論じていても時代が変われば、それが右として扱われたり、左として扱われたりすること、...なるほどなぁ。

それから「右翼とは一君万民の思想で天皇という超越を掲げればすべての民衆は一般化される平等思想」「失われた美しい過去や母なるものへの回帰が広い意味での右翼の定義」「弱者としての自分を包んでくれるものが不可欠になる」、「一君なしの万民思想が左翼」「前提は『自立した孤独な個』が対等に連帯すること」、「左派には普遍的な展望を考える理性への信頼があり、これがおそらく左翼よりも広い左派の定義」「右派は、人間は何かに限定されて生きていると考えます。自分を限定する時代や空間に自覚的です」

自分の考えていることがどっちに寄っているかということではなく、自分の考えていることをふり返ってみる材料になる話だなぁと思った。右と左のどっちがどうかという議論はぼくの手には全く負えないけど。自分が考えていること、仕事でしていること、話していることの根底に何が流れているのかということを考えられる。もちろん、この話をベースに考えることで流れてなかったものが流れ出す、流れていたかのように思い込む可能性はあるけど。
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2 コメント

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Unknown (あやの)
2008-02-19 04:16:53
ロシア留学時代に、ある先生が、ロシアの右翼と他の国の右翼とは違います、と少々ジョークっぽく言ったのを思い出したわ。
そのときそのときの体制で、思想に対する評価とかネーミングが変わるって世の常…で終わらせたらいかんねんよなぁ。
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Unknown (Q)
2008-02-20 23:02:06
でも、やっぱり体制とか流れ...状況っていうんかな。それがかわればかわるんやろうな。単に評価の問題じゃなくって、社会の中で果たす役割だったり、どういった象徴的意味を持って人を動かしうるかってこともかわるんやろうな。かわってしまうのは自然やし、それ自体はそれでええんやと思うけど、その変化をつかめるかどうかが大事なんやろうね。
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