ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

福島2

2013年08月03日 22時20分43秒 | いろいろ
二日目はバスで川内村を訪問し,村長の話,全村避難や復興計画を担当されている人の話,川内村内の復興の様子。それから飯館村の村長の話。

ものごとが分からない中でとてもとても危険な事態が差し迫っているのかもしれないということだけが漠然と襲ってくる恐怖,国や東電から正式な情報がなく,関係者の「危ない」という情報を頼りに物事を決断しなければならなかった重圧,過去から受け継いだ山や自然や田畑を後につなぐことができず,川内村で生きるというプライドが奪われていく悔しさ。地震が起きてからの数日間を時系列で語ってくれたのですが,全ての情報をメディアから知ったということに言い様のない気持ちになった。

命が危ないので家から出ないようにとテレビで伝えられること。

その後,飯館村の村長の話。復興計画を立てるまでの話ということで,地震,原発事故,避難,帰還計画という話を聞けるのかと思っていたが,違った。「までいライフ」という本当に大切なものを大切に,念入りに,丁寧に時間を掛けて,じっくりと育てることが大事であり,循環社会につながるのではないかという話,国の避難指示に対してどのように対応したのかということ,そんなに簡単に生活も家族も捨てられないということ,分断が生み続けられていること,大量生産,大量消費ではなく,これからの社会をどう考えるのかということ。

今の国や日本社会が地方を切り捨てて成り立っている状況に対抗して,国や大企業にすがることをやめ,自主自立の道を模索し「までいライフ」を軸に地道に積み重ねてきた村が,切り捨てたはずの社会に再度踏みにじられることへの静かな怒りと徹底した信念。安易な共感や同情,表面的な理解を許さない語り口に深い信念がにじみ出るようだった。

ちょっと気になったのが,「情報の遅れについてどう考えるか」「村民を避難させるためにどうやって説得したか」というように飽くまでも情報や言語のやり取りについての質疑しか行われなかったこと。ぼくももっといろいろなことを聞けばよかったのだけど,どうしても質問が思い浮かばず…と言うか,問われた内容に質問ができなかった。

いわゆる「被災して大変な村」「情報が届かず,国に振り回された村」「そんな大変な状況の中でもがんばっている村」という枠では収まらない話に,こういった語りは「聞く側が聞きたいことを聞くために行うのか」「話す側が話したいことを聞くために行うのか」という根本的な向き合い方を感じた。


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福島

2013年08月03日 21時57分17秒 | いろいろ
金,土と福島に行ってきた。福島は2回目。

金曜日は外国出身住民にとっての東日本大震災・原発事故を考える福島フォーラムに参加。いろいろ状況の説明もたくさんあったんだけど,外国人住民の生の声を聞けたこと,本当に受け止め方もばらばらだったことに,それが現実なんだなと思った。

原発は見た目には家も街も壊さなかったけど,確実に人の健康を奪っていること。シビアに地元住民の間,家族の間に分断を生み出していること,不安なんて生易しいものではない恐怖を生み出していること,単純に町や村に人が戻れば復興するというわけではない埋めがたい溝を生んでいること。

毎日毎日,目に見えない放射能を意識して暮らすこと,どうすれば解決策があるのか,身を守れるのか分からない状況の中で,それでも何かをし続けないと何かあったときに後悔するのではないかというしんどさを越えた圧倒的な重圧。身体には影響がない,それって本当か。本当は何が大丈夫か,安全なんかなんて分からない。でも,完全を求め続けることで体だけではなく,心の健康も奪われていく。国や行政の発表が本当かどうかなんて本当のところ,30年後にどうかなんて分からない。

あるフィリピンの女性の言葉,「私たちは生きているのに死んでいる。だから,信じている。」

とても重い。
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