ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

単純でよかったこと

2019年09月25日 05時41分42秒 | 当事者
パートナーと暮らすようになってから,ドラマを見るようになった。

それまでは「続きが気になって,翌週まで待てない。待つのは面倒だから見ない」なんて言ってたんだけど,見てたらおもしろいものも結構ある。


パートナーはえらく冷静に見ていて,分析もしっかりしているんだけど,私は単純なのでいつも入り込んでだれかに感情移入する。一つのドラマの中で場面ごとに感情移入する相手が違ったりもするのだけど,とにかくわーわー言いながら見ては笑ったり泣いたりする。

で,すっきり(話の展開によってはもやもや)して,さ,またがんばろうってなる。


ドラマが終わった後でもテーマ曲を聞くと,さーっとドラマを思い出し,気持ちがぴしっと入ったり,励まされたりする。そんなとき単純でよかった,便利やなって思ったりする。

…という感じで音楽聞き,励まされながら作業に取り組んでいます。さ,もうちょっとがんばろう!
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逃避

2019年09月25日 05時04分27秒 | 当事者
あかん,めっちゃ忙しい。いろいろなことが終わらん。

というか,終わる前に積みあがっていく。


…って書くと,そんなんしゃあないやんと思えてきた。



さ,とっととやっつけようか。
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一つ一つ

2019年09月18日 21時20分07秒 | 当事者
どれだけ一生懸命考えても,熱く語っても,逆に苦しんでも,悲しい想いになっても,でも,どんな状況であってもできることは一つずつ。

それを積み上げていくことだけ。

でも,積み上げていけば遠くにいくことができる。人と一緒に積み上げていけば,さらに遠くまでいくことができる。

一つずつ。

それはいらいらしても,泣いても笑っても怒っても悲しんでも何をやりながらでも,同じ一つ。

なら楽しんだ方が得やな。




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弱い者のたたかい方

2019年09月15日 20時36分20秒 | 当事者
マイノリティは人もお金も資源もいろいろなものが限られている。課題が大きいにもかかわらず,あまり大事にされないどころか,本当にいい食い物にされていると感じるときがある。

…っていうか,本当に食い物にされている。

おかしいやろって想いで,いろいろなことに取り組もうとするけど,それは非現実的だったり,あるいは現実的だけど効果が薄かったり。まじめに考えれば考えるほど,苦しくなっていく部分もあるし,自分がそこまで大変な状況に置かれていないということに申し訳なさも感じるけど。

…だって,食い物にされている人たちだって,それが完全に自己責任って言えるかどうかってなると,めぐりあわせみたいなもの。やってらんない。

自分がどこに生まれるかなんて選べないし。


悔しいから一気に社会を変えてやりたい想いと,一歩ずつしか進めない間でのジレンマ。



どこまでいってもついて回ること。現実的に一手を考えるけど,でも,決して理想のための視線,視野を決して捨てない。


「今ある」と「できる」と「あるべき」をごっちゃにせずに,どれも忘れずに。
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もらい泣き

2019年09月13日 21時02分44秒 | 当事者
とある事業に参加している外国人にインタビューをしてたら,途中でどんだけ自分が助かっているか,感謝しているかということで感極まって泣き出した。

それを受けて,思わずもらい泣きをしてしまった。

インタビューが終わった後,話の内容を気にしていた職員とボランティアがその話を聞いて,またもらい泣き。よかった,うれしいって。


でも,何だろ。支援とか,交流とかよりも深く,感謝とか喜びとかよりも深く,もっと奥底でつながっているものがあるんだなぁということを感じた。


多文化共生って言葉もかすむような,もっと深いところ。

共にいること。
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東北へ

2019年09月12日 23時34分54秒 | 当事者
土曜日のイベント後,飛行機で仙台へ。そして空港近くのホテルに泊まる。

名取の辺りは7年ぶりぐらい。がれきが撤去され,何もない閖上へ行ったことを思い出す。本当に何もない。そのとき「だれかの案内とかじゃないと行くこともないから」と言って,一緒に行ってくれた人。実は,地震後,その地を初めて訪れたと言う。あまりに変わり果てた町の姿に立ち尽くし,言葉を失っている姿に,私も言葉を失った。何も出てこなかった。

そんなことを思い出した。


翌日,石巻へ。6年ぶりかな。

石巻は同僚の親せきが住んでいた地。地震が起きてから,津波の映像を見ながら,何度も何度も電話をかけた。結局,その電話はつながることはなかった。

前回は仙台から電車がなく,バスで行ったけど,今回は電車が開通していた。海がとってもきれいだった。


仕事の後,津波の体験を聞きながら,ホテルに戻る。ドラマを見ているみたいで,怖いとか悲しいとかなんの感情も湧き起らないって言葉。私の想像を軽く超えるできごとだったんだろうなと思う。


今回の仕事は当時,何度も何度もやり取りをしていた仲間の依頼で受けたもの。
当時のことを思い出したりすることもあり,何度もぐっときた。


いろいろ思うこと,感じることがあった。

また,がんばろう。



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海へ

2019年09月12日 23時33分11秒 | 当事者
と言っても漁港。

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