ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

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2008年04月14日 20時10分40秒 | いろいろ
4月13日の新聞記事(読売か朝日...切り抜いたらどっちか分からんくなってしまった...)に「移民」「外国人」「生活者としての外国人」などなど、呼び名についての議論が載ってた。

めっちゃ簡単に概略だけ書くと、移民ではなく「外国人」「外国人労働者」「生活者としての外国人労働者」という名前を付与することで、生活の拠点が日本ではないかのような印象を与えることができるということ。腹をくくって受け入れを考えるのではなく、何か起こった時、あるいは何も起こらないようにするための対応を考えていこうという方針が見て取れる。

そりゃ、もちろん、誰もがみんな、これからもずっと日本にいるわけじゃないけど。そういった海外から日本への移動、日本から海外への移動がどうしておこるのか、本人の意志や希望、将来設計だけではなく、大きくは日本の政策、ミクロには本当に何気ない人々の視線、態度なんかが絡まりあっているのかということも視野に入れて考えないといけないんやろうな。

でも、こういった議論の時に周りがどう呼ぶかということが取り上げられても、その人たちが自分たちをどう呼ぶか、どう呼ばれたいかってことを考えないといけないんだろうな。ナショナリズムを喚起されるような形で「日本人」として括られることと、そして、その括り方がされる時の文脈。「日本(人)はここがおかしい」なんて形でメディアで取り上げられることはあっても、その位置は全然揺るがされない。でも、「外国人」や「外国人労働者」「ニューカマー」や「オールドカマー」などと括られる時には、くくられ方が当事者の実感とはずれるような気がするし、支援の対象、管理の対象、排除の対象としてしか喚起されないような気がする。その非対称性を変えていかないといけないんやろうな。

そのために、いきなり大きく変えることは何もできないけど、地域の地道な活動で何ができるか、何がつながりうるかやね。

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2 コメント

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Unknown (あやの)
2008-04-28 05:47:28
どう呼ばれたいか、私もそれ大切やと思う。呼ぶほうも呼ばれるほうも、都合のいいときだけ名前を変えるってこともあるやろうけど。
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Unknown (Unknown)
2008-05-28 23:16:01
名前とうかカテゴリーってつけた瞬間に色を帯びるもんなぁ。完璧な呼び名ってないだろうから、それに自覚的であればいいけど、無自覚な時はきっと流されてしまうんだろうな。

するすると"ずる賢く"すり抜けていきたいもんですわ。
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