ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

移民

2014年11月30日 20時31分42秒 | いろいろ
昨日,移民問題に関するシンポジウムに参加。以下,とりあえず,文脈無視になってしまいますが,つらつらと。

・移民の文化的多様性を生かした町づくりが大事である。
・制度などを根本から変えていくのは日本では困難。抜本的な改善はできなくても,せめて競争原理が働く仕組みを作ることが大事。
・日本は「解釈」で物事を変えていく国だからこそ,何をどう解釈するかというアプローチもあるのではないか。
・移民に関することを世の中の関心が高い事柄にどうつなげていくか
・女性や高齢者がいるので労働力は不足していないという認識がある。また,潜在的労働力という発想をするにより,問題が先送りされてしまう。
・女性の社会的進出を助けるために外国人の家事労働者を受け入れるという話はどうなのか(そもそも,社会進出がしにくくなっている前提は何も改善されないということではないか。政府は日本女性は活躍,家事労働者は活用。日本の企業は家事をしない男性を前提として成り立っている)
・同一労働,同一賃金ができないようであれば,日本の経済力が下がれば外国人は来なくなる(要は自己実現に適した国ではなく,いい加減な扱いしか受けないということになるから)
・公正な受入と適切な環境があって初めて人を受け入れることができるし,結果,コストの面でも適当なものとなる
・技能実習制度の日本経済への貢献は大きい。また,技術の習得を伴っているものもある。教育や研修のプログラムをしっかりとしていれば適当なものとなる。
・介護では技能実習,EPA,介護の在留資格…といったことになれば,外国人が選択肢を持つことになる。が,外国人も当然情報収集をする。いいものを選べるようになるのが良い。
・技能実習制度は必要悪か。国際的な競争力がないけど,残った方がよいものもある。そのためには技能実習制度などは必要であるが,改善は当然必要。今の日本は監視を強くすることで不正を減らそうとしているが,監視を強くすれば解決できる課題だけなのか。
・韓国では外国人の受入について,マクロな指標に基づいて受け入れ人数などを決めている。景気の調整弁になっているのではないか。
・日本では入国時には全ての在留資格が期限が切られている。なので,結果としての移民しかいない
・技能実習制度は国際貢献が目的となっているので帰ってもらうことが前提。企業が長くいてほしいと思っても無理。定住の道が開けない。それにもう一度日本に来たいと思っても帰国後,3年は来れない(技術移転してもらわないとだめなので)
・外国人との間で共通のこと,違うこと,どこをどう見るか・
・日系人や中南米とつながることで,日本にいる日系人と海外の企業がつながって,お金の流れができ,人がどう元気になるかといった枠で物事を考えてもよいのではないか。
・2025年問題,そこをどう乗り切るかということを意識しながら,厚生労働省,財務省は施策を組んでいるはず。
・出会いと出会いが生まれるような仕組みを財産とするような発想,価値の創造が大事ではないか。
・地方は外国人がたくさん入ってきているところが,実は基幹産業だったりするので,地域と外国人のつながりが見えていたりする。むしろ,見えていないのは都市ではないか。
・2国間の協定という発想は場合によっては情報が閉ざされてしまう。介護は対人サービスだということを技能実習制度の中でどう考えていくか。技能実習制度で恩恵を受けているところに現地国の日系企業がある。技能実習に行った後に日本語も日本のことも学んで就職するため。そのため現地の商工会議所などがキーとして絡んでいるのではないか。
・以前,東南アジアのとある知り合いから相談を受けた。進学したいがどうしてもお金がなく,いい仕事もない。韓国に花嫁として行くか,技能実習制度で日本に行くということを考えているけど,どうしたらよいかという相談を受けた。それなら大変なこともあるけど,3年後に戻って来れるということで技能実習ではないかと答えたこともあった。現地で制度をどう見ているかということも大事ではないか。相手あっての制度のはず。ホスト側にも問題はあるが,その発想だけでは見れないことも多いはず。



いろいろ感じたこと,キーワードの羅列。

・改めて,外国人や移民に関する歴史をまとめ直して自分の中で頭を整理する必要があるな
・新たな価値の創造ができるかどうか
・納税者,消費者を育てるのか,それともよい施策をすると,それが結果として納税者,消費者になるのか
・互いに学ぶ,互いに変わる
・なぜ外国人がいるのかということの知識,情報の欠如
・どこから見える正義か,正義の有効範囲
・貧困,南北問題などいろいろな切り口があるけど,自分の視点だけに凝り固まらないこと
・声をどこまで拾えるのか。自分が見えていない世界をのぞけるかもしれない可能性をどこまで担保するか
・小中高でそれぞれの段階で地域に暮らす外国人と出会い,なぜ,地域に外国人がいるのかということを学ぶ,まさに社会を自分に関連するものとして身近なものとして学ぶプログラムが大事かな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SFC

2014年11月24日 00時48分42秒 | いろいろ
慶応大学湘南藤沢キャンパスに行ったことはないけど,六本木で発表会のようなことをやっていたので,また,たまたまそっち方面に仕事で行っていたので,ふらっと参加。

町づくり,イスラム,おとなりさんの哲学,パターンランゲージなどなど,普段,接点がなかった人たちの展示を見,話をして,ずいぶんと凝り固まった頭がほぐされた感じ。

ぎゅっと固まった頭はときどきふわっとほぐさないと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

訪問。

2014年11月24日 00時47分12秒 | いろいろ
とある団体を訪問。

難民や難民申請中の方が学ぶ日本語教室。それぞれの背景は本当に様々。偉そうになるけど,「本当によくここまで」って思うような人たちばかり。教室にも「学びたい」という気持ちが充満していた。

人が学ぶこと,人が生きることを考えさせられた。

ほかつらつらと。

・日本の生活ルールを教えるのではなく,なぜ,そうするのか,それをすることで何を目指しているのかということを伝える必要がある。そういや,石巻であった人も同じことを言ってたな。
・メッセージを伝えたいから,その人たちの言葉で伝えていく。
・実践力を付けたいなら,実際に実践してみる。
・いろいろな教室を見ることで相対化する。
・つなげていく。近くの人も遠くの人もつなげていく。
・短くシンプルな質問を繰り返していくことで頭の中を整理する。
・同じ地域出身の人と会いたい人たちもいれば,会いたくない,接点を持ちたくない人もいるという現実。
・日本語や言葉に縛られること。











































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

選択肢

2014年11月20日 23時27分50秒 | いろいろ
やれるか、やれないか…ではなく、やるしかないという世界は大変やなって思う。

ま、選択肢のない世界を選択したのも自分やけどね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

研修

2014年11月20日 09時10分40秒 | いろいろ
先日,とある研修に参加。教会における難民移住移動者への取組,フィリピンコミュニティにおける取組などを聞く。

教会について,どんな取組をしているのか,前から知りたいと思っていたけどなかなか機会が合わず,ようやくという感じ。また,そこでフィリピン人宣教師をしつつ,フィリピン人の自助組織を運営している人の話も聞く。

フィリピン人も日本人も相互に理解するために話し合いの中で双方が努力をすることが大事,問題が起きたときに遠慮なく言うことが大事,疑心暗鬼にならないように伝えあうことが大事,どうやって日本で住みやすい生活にするか教えてほしい,お祈りも大事だけど社会問題が見えなかったら足りないと思う,どっちかだけでは教会はだめ,平等に生きるために何人でもみんな同じ,やりましょう,だから社会問題もやりましょう,いろいろな問題を見ないとコミュニティではない,そうじゃないとコミュニティではない,すぐにオピニオンを言わずにちょっと待ってダイアログをする…など長年,取り組んできた人の言葉は研ぎすまされてシンプルになっていくんだなって感じた。

また,15人ちょっとぐらいの小さな研修会だったんだけど,フィリピンの人も4人ほど参加していて,途中から講師役の人だけでなく,参加者として来ていた人も…自己紹介のときはめっちゃ緊張してたけど,途中からいろいろと自分が普段感じていることを教えてくれた。

広くいろんな人に聞いてほしい,知ってほしいと思うけど,その一方で,この場だから,声が届くし,声が出せる人がいるんだなってことも感じた。どうやっていろいろな人の声が受け止められ,受け入れられていく場を作るかということはとても大事だな。



それから,研修会場は数年前,敷地の所有者の許可なしにオーバーステイの摘発が行われたところ。普通にミサだけやっていたのであれば,絶対にそういうことは起こらないけど,社会問題について研修会やセミナーをやっているから…という言葉に重みを感じる。一瞬,「え?…そうなのか」って思うけど,それはそういうこと。


権力について,普段の生活で,むしろ行使する側として感じることがあるけど,普段の生活,日常生活の中で権力を感じながら生活している人たちがいるし,その人たちを支えている人たちがいるんだなということを感じた。また,その圧力は相当に大きい。

など,いろいろ感じた。

まとまらないけど,また,今度。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お願い&感想的な意見とクリティカルな意見

2014年11月18日 22時28分30秒 | いろいろ
最近思うこと。

自分の意見や考えをサポートする意見や情報と、社会がどんな動向なのか、どんな流れなのかを示す意見や情報とは違う。

後者を踏まえた上での前者と、前者だけとは全然意味が違うと思う。でも、たまたまか偶然か目にするのは圧倒的に前者だけが多い気がする。

そんなん欲しいものばっかり言ってもねー。子供やないんやから。第一、これまで活動してきた人がそのへんのことをやってないとでも思てんの?

視野が狭いなって思うし、「正義」を背負ってるといらっとする。

…なんてね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あるある

2014年11月18日 21時54分02秒 | いろいろ
あるある。

現場に限らないけど、本気で何かに長年取り組んでいる人のメッセージは長かったりすることもあるけど。

核心部分は驚くほどシンプルで短い気がする。でも、めっちゃ重い。

何あるあるか分からないけど、あるある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年11月16日 11時23分01秒 | いろいろ
プラザ合意によって円高が生まれ,日本に好景気がやってくる。だからと言って至る所から,すぐに外国人がくるわけではなく,国内の政治や経済などの状況により,押し出される人がいる。とりあえず,プッシュープル要因だけでは説明しきれないところもたくさんあるとのことだが,そういった大きな構図がある。オイルショックも産油国から日本へという流れを一部において作り出した。そのとき,来たはいいけど,受け入れる在留資格は日本になかった。生きていくため,よりよい将来のために来たけど,受け入れる在留資格がなかったということ。また,国を出るときに飛行機代を捻出するために家族が家や農場を売ったりして多額の投資をしていることも多いとのこと。結果を出すまで帰れない。

多分,こういったことに対して,「それでもやっぱりルールを犯すのはだめだ」という意見もある。でも,このままで国に帰っても生活できない,将来がないという中で,それぞれの立場で人は何をどう判断するかということ。

それから,その結果により,「在留資格」がない状態になること。その状態を利用して利益を生む者がいるということ。


こういった人たちは,家族のために,あるいはふるさとのために海外へ送金したり,ものを送ったりする。住宅や栄養,健康,教育の改善につながったりする。それは投資と同じ。日本に金を落とさずに海外に落とすということを言う人もいるけど。だから,「ありがたくない」ということを言う人もいるけど。日本はODAをたくさんやってるけど,海外への送金やものを送ることは,ODAでカバーされない地域や範囲を何とかしようと個人個人ががんばっていることなのだろうということを知った。ODAではないけど,そういう人のために最低限の人権を保障する,普通に受け入れる(=搾取しない)のは国際貢献,海外協力,平和につながるのではないかというメッセージ…考えたことがなかった。うまく移住者を受け入れれば,送り出した地域にも受け入れた地域にも双方にプラスになる。


正確に言えば,知らなかったわけじゃないけど,常に意識していることではなかっただけに,自分が見ていた枠は小さかったし,理解が浅かったということを痛感した。


何度となく「外国人はみんな犯罪者というわけではない。私たちは犯罪者になるために日本に来たわけではない(もちろん,みんながみんな天使というわけではないが)。公平で透明性のある法制度が必要だ。」と言っていたけど,会の最初と最後では印象が違った。よく聞く言葉だけど,多分,ぼくにはこれまで余り響いていなかったんだと思う。

多分,自分はその人たちの背景や歴史である世界を見ていなかったんだなと思った。

人はどこかのメインストリームだろうと,端っこだろうと,狭間だろうと,自分の人生をよりよくしようとして生きている。生まれた環境や時が良かった悪かっただけであきらめるわけがない。よりよく生きようとして何が悪い。何の権利があってそれをはばむのか。もしかしたら,それ以前に「ふつうに生きたいのに,なぜ,それができないのか」ということなのかもしれない。それは国境であったり,法律であったり,偏見であったり…その他,もろもろのことなんだろうけど。でも,取り組むべき課題はそんな次元の話とちゃうんちゃうか?もっと根源的な人として生きることなんちゃうの?ってことなんだろうな。

昨日に引き続き,20年間,非正規滞在者として日本で生きてきて,今は在留特別許可を得て生活している人の話。

まだまだ分からないところも多いし,浅いんだろうけど,多分,そういうことなんだなって思った。今のところの結論。で,今のところの感想としては,うまく見えなくされてたな,本質的なところから問題をずらしていろいろなことを考えてきたのかもしれない,考えさせられてきたのかもしれないなって思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉にすること

2014年11月16日 01時32分17秒 | いろいろ
とある人の話を聞く。

日本に来て20年間,非正規滞在で暮らしていた人。どんな思いをしていたか,なぜ非正規になったのか,在留特別許可を得てどうだったか,20年の間どのように生活していたのか…等々,外国人支援を行っている人間からすると聞きたいことはなかなかすらっとは出てこない。

20年暮らしていて在留特別許可を申請しようとした理由について聞かれ,「ビザのある生活を見たくなった」とのこと。最後の方で非正規の暮らしは地獄のようだったと。

さらっと笑顔で語るんだけど,それとのギャップにあまりにも言葉が重く,いろいろと思うこと,考えたことがなかなか言葉としてすらすらとは出てこない。

本当に本当に伝えたいこと,分かってほしいしんどさや辛さ,理解してほしいこと,知ってほしいこと,つっかえていること…は一番言葉にならない部分なのかもしれない。語れないのかもしれないし,語りたくないのかもしれない。


言葉にしないと分からない,教えてもらわないと分からない,言われないと分からない…ってのは確かにそうかもしれないけど,でも,だからこそ,この社会から見えなくされる人たちがいるんだろうなってことを強く感じた。



それから,非正規滞在について,自分の中で何となくぬぎいきれていなかった部分が整理できそうな気がしてきた。ルールを守るか守らないかということが全てではなく,そもそもルールや価値観が違う人との間でどうやって納得できるポイントを作っていくかということと,どれだけ国家の主権がうんぬんかんぬん言われたところで人権は保障されるべきだということ。


自分の見ていた世界とその根っこの部分に少し穴が空いた感じ。

それを種にして,もうちょっと自分で考えて,それを知識じゃなく,感覚にまで落とし込んでいきたいなって思った。

ぼくの見てきた世界や考えてきたことは,それはそれで大事にしたいけど,でも,まだまだや。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はざま

2014年11月15日 20時22分46秒 | いろいろ
望むと望まざると関係なく、間に落ち込む人がいる。

そういう人だから?そういう経験があるから?握手はやさしかった。

知らない世界、見えていない世界ばかりやなぁってつくづく思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お偉いさんの会議。

2014年11月10日 21時11分21秒 | いろいろ
とある会議に一般傍聴として参加。

首長がたくさん参加してたんやけど、何か軽かった。真剣に考えてんのかなぁって感じ。前からそうやったけど。

こういうのって本人のキャラもあるんやろうけど、担当とかのレクの影響もあるんやろうなって思う。

どこまで掘り下げて話すか、振り返って話すか、状況だとかを含めて広く話すかで全然違うもんな。

ただ、経緯は分からんけど、軽かった。何か残念。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕事

2014年11月08日 12時04分45秒 | いろいろ
出張やら研修やらが一段落ついて,これからしばらくは会議やらが中心に。ちょこちょこシンポジウムや講義をすることもあるので,そろそろいろいろ考えていることを整理することが必要なのかなと。

見聞きしたこと,吸収したことを整理して,次に臨むか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風邪

2014年11月04日 21時30分02秒 | いろいろ
引いたかも。

昨日の昼間から急に鼻水が出て、咳も時折出る。

今日は頭も重い。

何とか1週間もってほしいな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地域づくり

2014年11月03日 07時19分57秒 | いろいろ
ちょっと前になるけど,とある研修会に参加したときの記録。「未来をつくる教育×持続可能な地域づくり(島前高校魅力化プロジェクト)」という研修会。

===
「<活動の概要>島前高校魅力化プロジェクトは,地域の過疎化・少子化により廃校の危機にあった島根県立隠岐島前高校を起点に,地元3町村(海士町,西ノ島間町,知夫村),学校,地域住民,各種団体等が一丸となって地域総がかりで取り組んでいる「教育からの未来づくり事業」である。地球的視野をもちながら,足元から持続可能な地域社会をつくるグローカル人材の育成を目指し,生徒たちが実際のまちづくりや地域の課題解決に取り組むプロジェクト学習等の展開や,学校ー地域連携型寺子屋(公立塾)「隠岐國学習センター」の創設,ICTも活用し地域人材や国内外の専門家との対話を重視した新たなキャリア教育の推進,全国や海外から意志ある多彩な生徒を受け入れ学校内に異文化や多様性を取り込む「島留学」など独自の施策を展開。コミュニティーにおける知の継承と創造,まちづくりと人づくりの循環構造を高校を基軸に構築している。」

「地域で生業・事業・産業を創り出せる人財」,「「仕事がないから帰れない」ではなく,「仕事をつくりに帰りたい」」,「「現場で多様な人との交流,体験,実践からの学習」を導入」,「生徒たちが実際のまちづくりや商品開発などを行うことで,創造力・主体性・コミュニケーション能力など地域社会で活躍するための総合的な人間力を磨くカリキュラムを柱に地域の未来を切り拓く人材を育てる」,「’人とのつながり’を取り戻す観光企画「ヒトツナギ」は人とつながることを資源として活用して,つながる。「自然が少ない都会の人に,自然を楽しむ’自然体験’ツアーが人気となっているように,人とのつながりが希薄化している都会の人には,自然体験ならぬ’人間体験’をするツアーも受けるはず」ということで’人と人とのつながり’を観光資源と捉え,「島の人間力にあふれる人たちと出会い,交流し,人とのつながりをお土産に持って帰る」」,「これは過疎地には,「産業,雇用の場さえあれば人は離れない。若者も戻ってくるという考えが強く,地域づくりの文脈において教育はあまり注目されてこなかった。しかし,今の子どもをもつ20代後半から30代の若者の中には,「子どもに良い教育を受けさせることが出来るならば,住居の移転も厭わない」という意識を持っている人も多く,雇用の場だけでは優秀な人材は定着しない。」」,「ヒト・ワザ・チエこそが最大の資源」
===

ちなみに,政権の言う「人を資源として考える」ということと,ここで言う「人を資源として考える」ということは,既存の枠に人を当てはめるか,今いる人から枠をつくっていくかって感じで根本的に違うんだろうな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜間中学

2014年11月03日 07時17分41秒 | いろいろ
これも最近読んだもの。2006年に出てた。もっと広くアンテナを張らないといけないな。

===
「学齢期に修学することのできなかった人々の教育を受ける権利の保障に関する意見書」日本弁護士連合会 2006年8月10日

・市町村教育委員会から都道府県教育委員会への届で事項中に「二部授業を行おうとするとき」が掲げられており,これが夜間中学の法令上の根拠であるとされている。すなわち,法令上は,市町村教育委員会の裁量により,二部授業を実施するかどうかについて決定できる仕組みとなっている。
・夜間学級を置く公立中学校の学級編成については,当該学校を設置する市町村教育委員会が行うが,毎学年,あらかじめ,都道府県教育委員会と協議し,その同意を得なければならないとされている。
・国は,夜間学級を含む国立中学校の教職員給与費等について,義務教育費国庫負担法により,その実支出額の3分の1を負担することとされている。
・戦後の新学制での義務教育中退者数126万6631人,就学免除者25万735人,旧制での義務教育未修了者数8万8203人の総合計160万5569人。
・学校教育法は,満6歳から12歳までの学齢児童及びこれに続き15歳までの学齢生徒である子を有する保護者(親権者又は未成年後見人)は,法律上当然にその子をそれぞれ小学校及び中学校又は盲・ろう・養護学校の小学部及び中学部に就学させる義務を負うものと規定する。これを受け,同法74条は,都道府県に対し,盲・ろう・養護学校の設置義務を規定するが,同法93条や盲・ろう・養護学校における就学義務及びこれらの学校の設置義務施行期日は政令でこれを定めると規定していたところ,養護学校の義務性が施行されたのは,1979年に至ってからであった。
・他方で,同法は,病弱,発育不完全その他やむを得ない自由のため,就学困難と認められる者の保護者に対しては,就学義務を猶予又は免除することができると規定する。しかるところ,いずれの学校にも入学できないと判別された障がいのある児童については,教育委員会からの誘導によって親からの願い出に基づく就学猶予ないし免除の措置が採られており,これにより例年約2万人の障がいのある児童が学校教育から外されていた。ただし,1979年に養護学校の義務制が施行された以降については,就学猶予又は免除の措置が採られる場合は,身体の障がいが相当に重い場合や,難病等による就学困難の場合に限られることとなった。
・1948年から2001年までの就学免除者の合計は,25万735人ともいわれているところ,仮に就学免除を受けた障がいのある児童であっても,その後に学習が可能になった者や,学習意欲をもつに至った者は当然存在し得る。
学齢期に障がいによって就学が免除されても,それが子どもの学習する権利の喪失を意味するものでないことはいうまでもない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする