ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

はっきり分からないし、うまく表現できないけど、大事にしたいもの

2007年10月20日 21時10分59秒 | 
識字って文字を獲得すること、文字や読み書きの大切さって言われる。確かに間違ってはいないと思う。けど、それは問題の一部なんやろうなって思う。ある社会構造の中で、本来持っていた力、得られるはずだった力が奪われ、それを取り戻していくこと、単に読み書きの力に留まらず、人としての尊厳を取り戻していくことなんやろなって思う。

だから、単に文字を教えることとは違う。大沢敏郎さんの実践を見学に行った時にふと言った言葉「識字は文字を知っている人が文字を教えようとしたところが間違ってたんでしょうね」という言葉を思い出す。やっぱ、そうやで。何の正当性もなく、理不尽な形で力を奪われた人がそれを取り戻していく過程に寄り添うことが大事なことなんやろって思う。

何歳の時に来日したのかは忘れたけど、南米出身で日系の年輩の人。

「いっつもいっつも分からんで、どうしようもないときは人に聞いて。本当に恥ずかしいで。そんなんも知らんのって。私は読まれへんって最初からずっと言ってるのに、それでもたくさん紙来るもんな。聞きに言ったら内線で聞いて下さいって言われるけど、内線は機械の音とかでうるさいし。でも、昔に比べたら結構分かるようになったし、たくさん覚えたんやけどな。もう年やし、子どもの時と違ってなかなか覚えられへんけど、でも、やっぱりちゃんと勉強したいな。お昼間はあんまり勉強する気になられへんのやけど」

最初は声も大きく、高いトーンで、いっぱいいっぱい日頃の思いを語ってくれた。ここには書き切れないくらいいっぱい話してくれたし、書かない方がええんやろなということもいっぱい。それから、今日、話してくれたこと以外にもいろんなことがあって、本当にちょっとやそっとでは語り得ない歴史があって。

最後はゆっくりと静かな感じで「明日も朝からあるの?どうしよっかな。ま、来よっか。じゃましてごめんね。おばちゃんの相手してくれてありがとね」って。

直接にぼくができることって何なんかよう分からんけど。何かを教えて、はい終わりってものじゃないってことだけは分かる。明日も来てくれたらええな。

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ふらっと

2007年10月20日 20時17分36秒 | もろもろのこと
今日はわりと静かな日。このあいだ近所の小学生120人が施設見学に来て、多言語スタッフと一緒に「住みやすい町ってどんな町」ってテーマで話というか、おしゃべりしたんやけど。その時に来てた子がふらっと遊びに来てた。外国人がふらっと来れるのはもちろん、こうやって近所にすんでる日本人の子(と確認したわけじゃないけど...)もふらっと来れるのはええなぁと。

そうそう、最近気になるけど、整理がつかないこと。

多文化共生の話になると、どうしても在日コリアンやアイヌ、沖縄などの問題が抜け落ちる。表面的に現れる問題はかわったし、そのままの言葉で表現していいのかという疑問は残るけど、未だに植民地主義が構造として残り続けているのは、確かにそうだと思う。藤岡美恵子さんの文章を読んでて、植民地主義の克服が必要なのは分かる。で、ふと思ったこと。鈴木道彦さんの『越境の時』を読んでて出てきた「民族責任論」との違いとか共通点って何やろうなぁと。

何となく同じような気もするけど、違うんやろうなぁ。二つともすごく大事なような気がするけど、その一方で全然違うという気がしないでもない。なんやろ。



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会議

2007年10月19日 05時02分03秒 | 人づくり・場づくり
今日は委嘱事業の会議。

行政や市民、企業関係者が集まって地域で暮らす外国人をどう受け止めるのか、そのための枠組みや活動をどのように作っていくのか議論する場で。なかなかつながりを作っていくのは難しい。それぞれに抱えている仕事や課題があって、さらにそれを持ち寄ったり、それぞれが担える部分を明らかにしていく作業がうまくいって、全体としてうまく機能するようになるには1年じゃ無理だもんなぁ。地域で活動するって本当に地道に関係を作って地道に進めていくしかないなぁと。

横とつながることによって、外国人の姿も「働く人」であったり、「子どもを抱える親」であったり、「地域で暮らす人」であったり。多角的にとらえることができるだけでなく、いろんな関わり方ができる。それって大事だよなぁ、ESD的発想って一人一人の生活者の視線を大事にしてるんやなって思う。
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もろもろ

2007年10月15日 14時14分41秒 | いろいろ
日曜日に平日働いている人が参加しやすいようにということで日本語の活動をしているんだけど。最近、安定して参加者が増えてきた。やっぱり需要はあるんだろうな。

ただ、参加する人の属性がかわってきた。いわゆる研修生はほとんど来なくなり、技術などのビザで来日する人たちがほとんど。いろいろな話を聞いてると、研修生は最長でも3年という制限があるので日本にいる時から国に帰った後のことを考えている人が多いんだろうなと。そのため日本語能力試験に合格したいという人がほとんど。日本での生活を楽しんだり、人とのつながりを増やしたりということは全然考えていない人が多い。本来なら仕事をとおして技術を身に付ける・技術の海外移転ということが研修制度の目的なんだけど、そういった仕事につけている人は少なく。本当に来てすぐ何も勉強も訓練も必要としないような単純労働についている人も多く。それだけでは何のために来たのか分からないということで日本語能力試験を「日本でがんばった」という証にする人が多い。ええように使われてしまっているよなって思う。

昨日は、ひさしぶりにセンターを訪れた友だちがいて。みんなで飲み会へ。その席で帰化の話が出た。外国人として日本で生活するとぶち当たる壁があるんだろうな。それに指紋押捺も復活するし。まともな人間として扱われないのってどんな心境になるんやろ。その話の時、自分の手を見つめてた姿にどきっとする。

どんだけ言葉できても、どんだけ日本の生活に慣れても、外国人は外国人として管理されるんやな。
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反転する学び

2007年10月08日 00時23分08秒 | いろいろ
「反転する学び」って楠原彰さんがキーワードとしてあげていたんだけど。期待、予感などを持っていたけど、全くイメージがつかめないまま、この半年?一年くらい過ごしていたんだけど。

逆転ではなくて、反転。日本語のボランティアとかで、日本語を教えるだけでなく相手の言葉も教えてもらえる。それは逆転。

反転は、写真のネガで色鮮やかだったところが濃い色で写り(でも、消えてなくなるわけではない)、写真では暗い色調の部分が逆に明るい色で写される。これまでの社会の中で個人の知識や技術に焦点が当てられていたものが、人の経験や語りから得られる学び合い、語りによる気付き、共同体としての学び、強さをつなげていくのではなく、弱さを基盤としたつながりなど。

反転ってそういうことかなぁと。

なぁんてこと考えてたら、D論を書いてみようかなって気になってきた。
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飲み会。

2007年10月07日 12時16分58秒 | 
昨日、いつきさんを囲んで飲み会が。刺激を受けました。やっぱおもしろい人と飲むのはすごく刺激を受ける。

在日外国人の表現の問題、アイデンティティの捉え方。特に子どもについて議論がなされたんだけど、ルーツを表現することとルートを表現することの違い。揺れ動き、戻ったり形を変えたりしながら奇跡を刻むことこそがアイデンティティだという話が出た。そうなんだろうなという気がする。アイデンティティってそもそも多文化で雑多なものだと思うけど、表現されるものがその場で構築され、他者によって規定されたりするけど。そこにregiliencyは入るんだと思う。そういえば園崎さんもキーワードの一つにregiliencyを出してた。子どもの性的虐待、権利のために活動している人だけど。人が兼ね備えている、生きていくための力になる一つなんやろな。

それと常にアンテナを張ることの大事さ。そのアンテナには二つの種類のものがあり、一つは自分のことを発信し、もう一つは相手の出すサインをキャッチするためのアンテナ。いつ、そのサインが送られてくるか分からないし、もしかしたら疲れてアンテナを下げてしまった時にサインが送られてきていて受け損なうこともあるかもしれない。でも、それしか受け止めるきっかけはないんやろうなぁという話。

自分をオープンにすることと自分を晒すことの違いなどなど。過去の話とかセクシャリティの話もでたけど。おもろかったなぁ。前にいつきさんが来たときも感じたけど、真剣なことをテーマにしてても何かじわじわと元気が出てきて、うれしい気持ちになる。本当にすごい人よなぁ。
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存在と非存在

2007年10月07日 12時01分45秒 | 人づくり・場づくり
存在が消されること。

地域日本語教室などで「教える-教えられる」というような権力関係をどう扱うかということが話に出る。それも確かに辛いし、しんどいことがある。でも、抜け落ち、周縁化されていく人ってどこまで扱われているんやろ?「教える-教えられる」という関係は表面的に「教える-教えられる」ということが行われることだけで批判される対象にはならない。

「教える-教えられる」という関係が、人が物理的にはそこに存在するのに不在になる可能性を大きくはらむからこそ、批判されるのだということを意識しないと意味がない気がする。もう少し掘り下げないとって強く思った。

これって日本における沖縄、アイヌ、超過滞在者も同じ。国の方針でいくと単純労働者もそうだし、在日コリアンもそういうところがある。

岡真理さんは関係が切り結べなくても、相手のことを全く理解できなくても理解できないということを受け止めて場と時間を共有することが人を支配することから避けられるというようなことを書いてて。それとつながるのかなと思った。関係性をきり結ぶことももちろん大事だけど、手持ちのリソースで無理に関係性を切り結ぼうとすることの恐さも考えないとなぁ。

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トークサロン

2007年10月05日 02時06分33秒 | 人づくり・場づくり
火曜日、おもしろい集まりがあった。

「多文化共生はマジョリティの幻想」ということをテーマに参加者みんなで語り合う集まりだったんだけど、外国人に対する取り組みだけでなく、周縁化される人たちと共に取り組む活動に関わっている人たちのトークサロン。主催者のcocoroom(声と言葉とこころの部屋)は本当におもしろくて、代表の上田假奈代さんもめちゃくちゃおもしろい人でした。活動の分野は違うけど、スタンスは同じだなぁと。出会えて、話ができて純粋にうれしいと思える人でした。

話の中ではっとしたのは...。

戦後、旧植民地出身者が将来帰国する時のために民族学校を設立したが、「日本人」であるということを理由に日本の学校に通うことが義務づけられ、民族学校が軒並み潰されたこと(阪神教育闘争なんかもそれ。戦後、唯一厳戒令が出されたのはこの時...やったっけな?)。そして民族学校をつぶした後、憲法発布直前、天皇の最後の勅令により旧植民地出身者は外国人であるとみなされ、国籍をはく奪されたこと。公立学校への進学は義務でないどころか恩恵でしかないこと(もちろん、今の学校の状況ではリスクが大きいので義務化すべきとは思わないけど)。つぶしにかかってるよなぁ。

高度経済成長時に日本は都市部が地方からの若者を労働力として一手に吸収したこと。諸外国ではこの段階で移民の問題が出始めることが多いが、日本は単一民族思想もあり、また地方に余剰な労働力もあったせいもあり、地方の若者を活用したこと。その時の若者が徐々に年を重ね、安価な労働力として期待できなくなったバブルの頃に「不法」滞在の外国人が労働力として利用されだしたこと(この時は「不法」滞在をわりと黙認)。産業界で労働力の不足が言われ出して、またバブルも怪しくなり、世の中明るい希望だけでなく不安も出始めた頃に、「不法」滞在の外国人ではなく合法的な労働力、しかもできれば教育の手間が省け、日本社会ともうまくやっていけると期待できる日系人を受け入れはじめたこと(二世、三世に「日本人の血」が流れているからといって簡単になじめるだろうって安直な発想よなぁ)。さらに技術移転を建前として研修生という名の単純労働力の移入を始めたこと。そういった研修生や日系人が働き出したことで、高度経済成長時に地方から出てきた人たちと仕事の取り合いが展開されていること。また、同時に地方での過疎化が深刻な状況になってきていること。

いろいろな社会問題がそれぞれ取り組まれているけど、全部つながる話なんだということにはっとした。一億総中流社会とかいう言葉の裏で、地方の若者や「不法」滞在の外国人や日系人、研修生、派遣なんかが安価で融通のきく労働力として使われるけど、その裏で常に「底辺」が作られてきたこと。しかも、気が付けば全部「自己責任」で。

もともと社会の構造としてパイの数が限られているのに、生きるか死ぬかをかけたシビアな椅子取りゲームが展開されているのに、非正規雇用の人・派遣の人、あるいは野宿者たちの存在が「自己責任」で一蹴されてしまうこと。

そういえば、以前、市野川容孝も朝日新聞でも同じことを言ってたなぁ。

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メット。

2007年10月05日 01時26分27秒 | もろもろのこと
常識だとか、マナーだとか、それが何なのかそれ以上説明を必要とされない言葉ってたくさんある。しかも、使われ方によっては、それが人の間に序列関係を生み出したり、権力関係を生み出す言葉ってある。

そういった言葉が全くの無意味だとは思わない。でも、一旦、「それっていったい何なんやろか」「ここで説明をそれで終わらすのってどういった人間関係を生み出すのか」って感じである種規範として流布しているものを問い返す力って外国人に限らず、多様性を認めようとする時にはとても大事だと思う。

DVを受けている人、過剰に男性・女性であること、あるいははざまだったり揺れ動く中でプレッシャーを受けて苦しんでいる人、日本人であること・らしくあることを強いられ自尊感情が持てない人。

実態はないのに、言葉として出た途端に実態を伴うかのように振る舞い、序列・権力関係を作り出すのって本当に恐い。

...今、平気でそれをやってしまう人が身近にいて。まだ、よく分からないけど、やるときやらなあかんわなぁと思い始めてます。話して通じなければ、それまで(もう既に通じてないんやけど)。とことんまでやったらなあかんのかなって、ちょびっと感じてます。

...メットはかぶりません(笑)。
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