識字って文字を獲得すること、文字や読み書きの大切さって言われる。確かに間違ってはいないと思う。けど、それは問題の一部なんやろうなって思う。ある社会構造の中で、本来持っていた力、得られるはずだった力が奪われ、それを取り戻していくこと、単に読み書きの力に留まらず、人としての尊厳を取り戻していくことなんやろなって思う。
だから、単に文字を教えることとは違う。大沢敏郎さんの実践を見学に行った時にふと言った言葉「識字は文字を知っている人が文字を教えようとしたところが間違ってたんでしょうね」という言葉を思い出す。やっぱ、そうやで。何の正当性もなく、理不尽な形で力を奪われた人がそれを取り戻していく過程に寄り添うことが大事なことなんやろって思う。
何歳の時に来日したのかは忘れたけど、南米出身で日系の年輩の人。
「いっつもいっつも分からんで、どうしようもないときは人に聞いて。本当に恥ずかしいで。そんなんも知らんのって。私は読まれへんって最初からずっと言ってるのに、それでもたくさん紙来るもんな。聞きに言ったら内線で聞いて下さいって言われるけど、内線は機械の音とかでうるさいし。でも、昔に比べたら結構分かるようになったし、たくさん覚えたんやけどな。もう年やし、子どもの時と違ってなかなか覚えられへんけど、でも、やっぱりちゃんと勉強したいな。お昼間はあんまり勉強する気になられへんのやけど」
最初は声も大きく、高いトーンで、いっぱいいっぱい日頃の思いを語ってくれた。ここには書き切れないくらいいっぱい話してくれたし、書かない方がええんやろなということもいっぱい。それから、今日、話してくれたこと以外にもいろんなことがあって、本当にちょっとやそっとでは語り得ない歴史があって。
最後はゆっくりと静かな感じで「明日も朝からあるの?どうしよっかな。ま、来よっか。じゃましてごめんね。おばちゃんの相手してくれてありがとね」って。
直接にぼくができることって何なんかよう分からんけど。何かを教えて、はい終わりってものじゃないってことだけは分かる。明日も来てくれたらええな。
だから、単に文字を教えることとは違う。大沢敏郎さんの実践を見学に行った時にふと言った言葉「識字は文字を知っている人が文字を教えようとしたところが間違ってたんでしょうね」という言葉を思い出す。やっぱ、そうやで。何の正当性もなく、理不尽な形で力を奪われた人がそれを取り戻していく過程に寄り添うことが大事なことなんやろって思う。
何歳の時に来日したのかは忘れたけど、南米出身で日系の年輩の人。
「いっつもいっつも分からんで、どうしようもないときは人に聞いて。本当に恥ずかしいで。そんなんも知らんのって。私は読まれへんって最初からずっと言ってるのに、それでもたくさん紙来るもんな。聞きに言ったら内線で聞いて下さいって言われるけど、内線は機械の音とかでうるさいし。でも、昔に比べたら結構分かるようになったし、たくさん覚えたんやけどな。もう年やし、子どもの時と違ってなかなか覚えられへんけど、でも、やっぱりちゃんと勉強したいな。お昼間はあんまり勉強する気になられへんのやけど」
最初は声も大きく、高いトーンで、いっぱいいっぱい日頃の思いを語ってくれた。ここには書き切れないくらいいっぱい話してくれたし、書かない方がええんやろなということもいっぱい。それから、今日、話してくれたこと以外にもいろんなことがあって、本当にちょっとやそっとでは語り得ない歴史があって。
最後はゆっくりと静かな感じで「明日も朝からあるの?どうしよっかな。ま、来よっか。じゃましてごめんね。おばちゃんの相手してくれてありがとね」って。
直接にぼくができることって何なんかよう分からんけど。何かを教えて、はい終わりってものじゃないってことだけは分かる。明日も来てくれたらええな。