土曜日のオーバーステイで入管に収容された経験のある人の話,日曜日のシティズンシップの話とで思ったこと。国家はやっぱり国家やな。
「日本」という単位で移民について考えることも大事なんだろうけど,なるべくナショナルに絡めとられにくい位置から,多分,「個人」や「地域」から移民について語り,考え,言説を編み出していかないといけないんだろうな。もちろん,それは単純にナショナルな位置からに代わるものではなく,カウンターを作っておかないといけないだろうなと思う。
「人材(財)育成」や「活用」などといった体のいい人の資源化のロジックと現状を見極めていくことが必要だろうし,その根底には市場化があるんだろうな。ということはグローバル化も当然絡んでいるということ。
今は現状を変えること,取り替えるロジックや世界の見方は分からないけど,だからこそ,その中でも生き残る,むしり取られない,使い捨てにされないように一歩を刻んでいくためのロジック?社会?仲間?考え方?見方?空間?場所?を作っていかないといけないんだろうなと思う。
まだ,作らないといけないだろうものは,全然つかめていないけど。