ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

抜き書き 〜アラブ、祈りとしての文学〜

2018年04月30日 21時41分41秒 | 
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…2003年3月、イラク戦争の開始が迫るにつれ、パレスチナから悲鳴のような電子メールが日々、届けられた。自分たちに注がれる外部のまなざしが途絶え、国際的な監視の目が失われたとき、占領下の暗闇で何が起きるのか、彼らは歴史的経験からよく知っていた。世界の関心がイラクに焦点化されるなか、だからこそパレスチナを忘れないで、私たちの情況を注視していてほしい…。メールは異口同音にそう訴えていた。

…毎日十数人の命が奪われるのはパレスチナの日常であって、それが日常であるかぎり、特別の関心は払われない。結局のところ「大量殺戮」を私たちが問題にするのは、数字が喚起するセンセーショナリズムのゆえであって、そこで殺される一人ひとりの人間たちの命ゆえではないということになる。他者の命に対する私たちの感覚は、桁違いの数次という衝撃がなければ痛痒を感じないほど鈍感なものだということだ。

…シオニズムはナチズム同様、他者に対するレイシズムを分有しているが、イスラエルによるパレスチナ人迫害がホロコーストと決定的に異なるのは、その根底に、世界に対するこのシニシズムがあることだ。少なくともナチスは、世界が事実を知れば、ユダヤ人問題の「最終的解決」は達成不可能になると考えていたのではないか。だからこそ、実態を隠ぺいする婉曲語法が編み出され、証拠隠滅が図られたのだと言える。同様に、「私たちは知らなかった」という言葉が、もし戦後ドイツ社会において免罪符としての機能を果たしうるのであるとすれば、それは、その言葉が同時に「知っていれば必ずや反対していた」ということを意味するからである。だが、ほんとうにそうなのか。彼らはほんとうに「知らなかった」のだろうか。そうではないことを犠牲者は知っているのではないか。パレスチナで起きていることを私たちは知らないわけではない。知ろうと思えばいくらでも知ることができる。世界の無関心がパレスチナ人に対する殺戮を可能にしているのだという言葉は、単にパレスチナ人が殺されるのを世界が放置しているというだけでなく、このような歴史的文脈において、より根源的に解されねばならないだろう。他者の命に対する無関心こそが殺人者たちにシニシズムを備給し、彼らが他者を殺すことを正当化し続けるものとして機能しているのである。
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「アラブ、祈りとしての文学」岡真理、みすず書房


直接要求したり運動したりすることも必要だけど。その前に知らせること、無関心の怖さを知った上で、一人でも多くの人に自分が課題だと思っていること、問題だと思っていることを伝えていくこと。人のつながりを少しでも広げていくこと。まずはそれ、それだけという感じもなくはないけど、でも、それこそ。

シンプルなことだけど、とても大事だと思った。
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ゴールデンウィーク

2018年04月30日 21時24分26秒 | もろもろのこと
3連休はふつうに仕事。子育て中の職員が多いので、こういったときはむしろ仕事が入る。というわけで、後半の連休も仕事。

妹夫婦からはGWに実家に帰らんのか、大変な職場やなぁ…と言われたけど、慣れればそれなりにお得感を感じることもあり。どっちもどっちかな。

そういや、パートナーは昨日から東京なので、みんなそれなりに連休を楽しんでるのかな。ま、それはそれでいいってことで。
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抜き書き 〜その後の不自由

2018年04月28日 18時12分14秒 | 
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…すごく寂しいと、私たちはつい相手と重なりあう”ニコイチ”の関係、つまり相手と自分がぴったり重なりあって、「二個で一つ」といった関係を望んでしまいます。

…相手と自分とのあいだに境界線がないときに暴力が出てきます。

…ボーダーラインの人が手首を切ったり、あるいは立ち直りたいと思って入院する。そこで話を聞いてくれて自分のことを理解してくれる医療者が出てくると、全部をわかってくれるだろうと思う。すると、「ここまで先生はわかってくれたんだから、手首をこのぐらい切ったらもっと分ってくれるかも」と思うんです。

…「回復」にとって必要なのは、健康な人が応援団をもっているように、まずは自分のまわりに応援団をつくることです。健康な人だって、孤立無援な状態で社会にいるのではないです。

…応援団を社会の人に置き換えていく
…三年ぐらい経つと、医療者中心だった先ほどの図から、社会的な人間関係が中心の上のような図に変わっていく。こんなふうにして新しい応援団ができてきます。

…女性依存症者の回復の目安 ①自分の言葉でしゃべれるようになること、②自分の都合も優先できるようになること、③変化する自分の身体とつきあえるようになること

…本当は自分の心が、まわりに対して開いたり閉じたりしているんですが、自分にとっては、まわりが遠のいていくように感じられる。仲がいいと思っていた人すべてが突然遠ざかっていくような感覚です。だからみんなには繰り返し教えています。「仲よくしてた人が、近づいたり遠ざかったりしているみたいに感じるけど、本当は同じ距離にいるんだよ」って。「遠ざかったと思えるけれど、本当はフラッシュバックしているんだよ」って。「受入れられていない」という感じにときおり襲われても、そんなにメチャクチャに行動化せずに人との関係性を壊さないでいられて、そこそこ続けていられる。私たちの回復とはそこなのだろうと思います。生きていれば、何かしら問題はあります。それでも、帰える場所(=人間関係)があること、食べたり眠るなど身体をケアできること、経済的支えがあること、この3つがあれば大きい幅で揺れないし、甘えることも休むこともうまかったりします。

…「当人の問題が重いほど、こちらの言うことをズレて感じるものだ」ということを、相談を受ける側の人は知っておいたほうがよいと思います。

…「ちょっと話す」「一緒に考える」ができるようになると、相談しても上下関係や支配関係にはならないだということが感じられるようになる。相談をしている側もされている側も、2人のなかで「あぁ、そうか」と何かが発見ができるような関係になっていく。相談というものには本来そういう要素があるのではないかと思っています。そう考えると相談の練習とは、暴力のなかを生き抜いてきて支配ー被支配の関係性しか知らなかった人たちが、少しずつ「平場の関係」を体験し、身に付けていくことにほかならないですね。

…家族のなかでの閉じられたグチから脱出するためには、たとえウチの恥となることを話したとしても、それを「恥と感じない」場所と時間をつくることがとても大切になってきます。

…痛みが「静かな悲しみ」に変わるまで。 一度話したらもう同じ話をしちゃいけないと思っている人が多いですね。「この話、このあいだしましたよね」と言うから、私は「いいのよぉー。○○ちゃんはこの話がオハコ!同じ話ができるようじゃないとよくならないわよね」と言って話を促します。痛みが静かな悲しみに変わるには、数え切れないくらい同じ話を誰かにきいてもらわないといけないですね。

…ダルク女性ハウスでは、医学や心理学からの借り物ではなく、自分たちの言葉で自分に起こっていることを語り考える「当事者研究」に取り組んでいる。
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「その後の不自由」上岡陽江+大嶋栄子、医学書院
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セミナー

2018年04月28日 00時41分32秒 | もろもろのこと
とあるセミナーに行った。知らんことだらけやった。

そんなことがあるのは当たり前やろうけど。

謙虚にがんばろう。って言うか、そんなことがあるのは当たり前やし。
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抜き書き 〜パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む

2018年04月26日 14時58分21秒 | 
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…人々が主体であることを放棄したときに生まれてくる文化を、フレイレは「沈黙の文化」と呼んでいます。沈黙といっても、何も言わないということではありません。口をついて出てくるのは、すべて他者の言葉、主人が、先生が、専門家が、テレビのコマーシャルが、世間の「みんな」が言っている言葉、それが「沈黙の文化」なのです。

…「もし他人もまた考えるのでなければ、ほんとうに私が考えてるとはいえない。端的にいえば、私は他人をとおしてしあ考えることができないし、他人に向かって、そして他人なしには思考することができないのだ」

…いくら自分が一生懸命に考えて話し手も、相手が一緒に考えてくれなければ、それまでなのです。相手が考えてくれない場合は、自分もほんとうのところ、考えているとはいえないのだと、フレイレはさらに厳しいことを言っています。一人相撲は許されないのです。
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「パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む」里美実、太郎次郎社エディタス
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抜き書き 〜移民政策のフロンティア〜

2018年04月26日 09時49分05秒 | 
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…日本の結婚移住女性は集住地域がないなか、「結婚」を通して日本社会の最小単位ともいえる「家族」の中に直接入っていく。「唯一の外国人」として、日本社会と日常的に対峙していかなければならない状況に、彼女たちは置かれるのである。

…結婚移住女性の滞在の長期化が日本社会における生活環境の改善に必ずしもつながっていない

…地域社会の中でさまざまな生存戦略を行使する女性たちや、活躍の場を得る女性たちがいると同時に、国際結婚の破綻もふくめて立場の弱い状況に置かれ、経済的にも精神的にもぎりぎりの状況を強いられる女性たちがいることを忘れてはならない。(小ヶ谷)

…結婚移住女性は、結婚観の対立や日本的家族文化との葛藤、さらに移住者ゆえの不安定な身分などの問題に直面して、日本人の中に囲い込まれ孤立した状態にある。上記の葛藤や日本中心的な発想ゆえに、母親の言語文化の子どもへの不継承、国際結婚家族の子どもたちへの差別・いじめ、夫による妻・子への家庭内暴力、そして移住体験への「誇り」の喪失といった問題が深刻でありこういった問題を解決するためには、NPOや行政、地域社会など家庭外のサポートが欠かせないと指摘されている。

…複数の研究者の知見をまとめると、結婚移住女性の地域社会での定住を促す居住期間ごとの条件は以下のとおりである。
①入国初期団体において、受入れ地域で行政バックアップと親身になるキーマンが存在すること、日本語教室によって生活支援と日本語支援を受け、家族関係が概ね良好であること。日本語および生活支援は、家族成員との良好な関係を築いていくことに大きな影響を与えている。この段階で,女性たちは、来日して嫁ぎ先への失望を経験し、文化の違いに戸惑い、互いの母語を話せないままでの夫婦間コミュニケーションが誤解やトラブルを生みやすく、丁寧な支援が必要になる。
②中期段階において、地域に就業先があり、近隣や職場や子どもを通じて地元の日本人とのネットワーク、また同国人とのエスニック・ネットワークがあること。こうしたネットワークに支えられた良好な家族関係を構築できることは、結婚移住女性自身の定着意識を強め、よりスムーズに地域生活に参加することができる。また、夫が定年退職を迎える年齢に達している家庭が多く、子どもの教育資金や家計や介護といった面で女性側の負担が大きい。女性たちは、近所で働き口を見つけることが必要になり、それは自己実現にもつながる。その際、エスニックネットワークを活用することが多い。
③居住長期段階において、高齢化していく結婚移住女性たちの居場所づくりができ、安心してケアを受けられる多文化介護施設があることである。(賽漢卓娜)
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「移民政策のフロンティア」移民政策学会設立10周年記念論集刊行委員会、明石書店
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抜き書き 〜移民還流

2018年04月26日 01時13分45秒 | 
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…戦争が終わったとき、日系人の間に「日本大勝利」というデマ情報が流れ、瞬く間に広がった。日本の敗戦は、母国へ帰ることが不可能になることを意味する。95パーセントの人々が日本の勝利を信じたという。日本の敗戦を認めたのは、都市在住の限られた人々で「負け組」と呼ばれた。敗戦時の混乱のなかで、「勝ち組」が「負け組」を襲い、死者23名を数える流血事件も起きた。「勝ち組」「負け組」の分裂はその後1950年代に入っても続いたという。いつかは日本に帰ることが前提だった日本人が、ブラジルで生活していく決意をしたのは、日本の敗戦が大きなきっかけだった。

…デカセギの初期は、ブラジル国内で既にある程度の生活基盤を築いた、日本社会との関係も深い者が、家族を残して出稼ぎに行き、より豊かになった。航空運賃を容易できるだけの財力のある者しかデカセギには行けなかった。
 その後、ブラジルでは1990年3月の直接選挙によりコロール大統領が就任し、預金の一部凍結を実施した。企業は従業員の給料や生産材料の代金、商品の購入資金まで凍結されて、ブラジル経済は大混乱に陥った。サンパウロの町中には、建設が止まったビルが、何軒も立ち枯れたような姿を晒していたという。
 同じ都市の6月、日本は入管法を改正する。日系人二世、三世とその配偶者が活動の制限のない「定住者」の資格で日本に滞在できるようになった。日系人は合法的に単純労働に就くことができるようになり、同時に不法滞在の外国人労働者が厳しく取り締まられた結果、日系人の合法的な単純労働者が急増した。

…当時、日本政府は在日韓国人三世に対して、明確な法的地位を与える必要に迫られており、それと整合性を保つために海外に在住する日系人の法的地位を明確化する必要があったというのだ。一方、…法改正で日系人労働者が増加することは、政府も分っていたという見解に立つ。いずれにしろ法改正に当たって、日系人の就労や生活者としての福祉、教育について、正面から議論されることはなかった。

…さらに日本国内では、バブル崩壊後の1990年代後半、日本の雇用形態が変化していく。グローバリズム経済が広がり、生産コスト切り下げに拍車がかかり、人件費を抑えることが不可欠になる。それに伴って非正規雇用が拡大した。日本人と同じ立場で働ける日系人たちは、法的に管理されないまま、裏返して言えば法に守られないまま、真っ先に最底辺の労働者としてそのシステムに組み込まれていった。

…来日する日系人には、配偶者の資格で来日する非日系人やハーフやクオーターの子どもたちが増えた。彼らは日本語を話さず、日本的な価値観や文化に親しんでいない「外国人」だ。こうして幼い子どもを育てながら、家族で日本の過酷な非正規雇用に組み込まれ、生活を翻弄させられる外国人労働者群が出現した。福祉の届かない、極端な市場原理のなかで、人々は有機的なつながりは持てず、砂粒のようにバラバラだ。

…『ブラジル人問題』は、マイノリティ問題ではなく、マイノリティが集中的に担わされている日本社会全体の問題である。(略)すなわちブラジル人は、もっともむき出しの形で市場原理に翻弄されているという点である
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「移民還流」杉山春、新潮社
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抜き書き 〜移民政策のフロンティア〜

2018年04月25日 22時50分21秒 | 
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…全国自治体の国際活動は、福祉やジェンダーの分野とは違い、法的根拠の”なさ”にその異質さがある。内容を通覧しても、敗戦後始められた姉妹都市親善友好型のもの、1980年末〜90年代にかけての「国際交流推進大綱」や「国際交流推進大綱」に沿ってつくられた自治体国際交流政策のフレームによるもの、90年移行のニューカマー激増と「外国人集住都市会議」の流れでできた2006年の「多文化共生推進プラン」以降のもの、そしてリーマンショック以降の定住外国人支援などさまざまである。設置の基準もないため、自治体の自由裁量の範疇に留まる傾向は否めない。場合によっては、首長の嗜好が反映されたり、国際的祭典などのブームに左右される可能性もありえる状況だといえよう。

振り返ると、バブル経済が崩壊する前の時代に、旧自治省が出した「国際交流大綱」に国際交流推進体制・国際交流施設の整備を定め、その補助をした意味は大きかったといえる。その次期に自治体が出資・出捐する外郭団体としての国際交流協会や、その活動の拠点となる公共施設としての国際交流センターが都道府県や政令指定都市のみならず、市町村単位でも誕生したからである。

しかし、90年代半ばから2000年前半にかけて国が行った地方行政改革の影響を真っ向から受け、特に市町村の外郭団体としての国際交流協会等は苦渋の道を歩むことになる。その一つは、2003年の地方自治法の改定でどうにゅうされた指定管理者制度であり、公の施設の管理運営主体に競争原理に基づく選定が取り入れられたこと、もう一つは2006年の地方公共団体における行政改革の更なる巣新のための指針(地方行革指針)で公益法人からの自治体職員の引き揚げや法人に対する出資金・補助金の見直し、統廃合の推進がうたわれたこと、加えて、最後の一つは2008年公益法人制度改革関連3法の施行である。いわゆる社団法人や財団法人は、2013年までに所定の手続きをとり法人移行しなければ自動的に解散したものとみなされることになったのである。

自治体から誕生し、そのコントロール下で育った地域国際交流協会が、こうした苦境を乗り越えられたのは、90年代から普及し始めた多文化共生という文言が、2000年代に入って、官製のお墨付きをもらったこと、そして阪神淡路大震災以降の市民活動への着目と特定非営利活動促進法(NPO法)当の整備であろう。移民政策不在の日本で、外国人を支える多様な市民活動の受け皿・中間支援組織として、元半官半民でスタートした国際交流協会の役割は決して小さくない。補助金という紐付きがなくなった後も、主要な収入源となる指定管理者制度の縛りを受けながら、自治体とは一線を画した位置を得られたことは、強みでもある。自治体から誕生したからこそ、その施策に「モノいうことのできる立場」にあるサバイバーとしての意義は大きい。日本という国では、トップダウンとしての移民政策や、外国人の人権を保障する法的根拠がないからこそ、地域から生の声を上げ、ある意味健全なボトムアップ型の多文化共生を現場から推進する役割が、地域国際交流協会に期待できるのではないだろうか。(榎井縁)
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「移民政策のフロンティア」移民政策学会設立10周年記念論集刊行委員会、明石書店
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抜き書き 〜パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む

2018年04月25日 10時57分27秒 | 
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…コミュニケーションというのは、場のなかの行為ですから、コミュニケーションを創出するということは、伝えあいと相互的思考の場をつくりだし、そういう人間の関係性をつくりだす、ということです。

…「読むという行為は、書かれた言語を解読することに尽きるものではない」と彼は言います。語を読むことよりも、世界を読むことが重要なのです。
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「パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む」太郎次郎社エディタス、里美実
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抜き書き 〜移民還流

2018年04月25日 08時54分24秒 | 
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…「自分の中で二つの文化をすり合わせるのはとても大変です。子どもたちは片方の文化をシャットアウトしようとします。日本から帰国して二日後に日本のことを全部忘れた、日本語を話せない、日本で何をしていたか覚えていないと言い出す子どもがいました。そこまでいかなくても、日本は嫌いだという子どもは結構います。その一方で、何でも日本が良くて,ブラジルのことは、全部だめだと考えてしまう子どもたちもいます。普通は皆、周囲の人間は自分と同じ感覚を持っていると感じて生活しています。でも、異文化間で生活する子どもたちは、常に自分が感じていることを周囲に合わせて修正しないといけない。それは大変なストレスです。しばしば子どもたちは、何が正しいことか、判断が出来なくなり、自尊心が低下して、主体的に生きることが難しくなります。」

…ナカガワは仲間のボランティアと一緒に、日本から帰国しサンパウロ市の公立・私立の小学校で学んでいる子どもたちを対象に、新たに「カエルプロジェクト」も開始した。「帰る」という言葉と、「水陸両方で生活するカエル」とをかけたネーミングだそうだ。期間は六か月間。文化に違いはあるが優劣はなく、どちらか一方だけが正しいわけではないことを教える。日本とブラジルのどちらも大切にするために、あるいは、自分が好きな国を選んでいいのだと思えるように、自分の気持ちを整理する手助けをする。日本での大変を捨て去る必要はないことも伝えた。

…文化の違いにより、時には校則が暴力になる。「ブラジルでは妊娠中に赤ちゃんが女の子だとわると、母親は出産のときにはピアスをもって入院します。生まれた赤ちゃんにつけるためです。日本の学校ではピアスをつけることが許されません。でも、生まれたときから身につけていたものを取るということは、裸で過ごしているように感じるものです。これは、日本人が明日から、お味噌汁を飲んでは行けないと言われるのと同じことではないでしょうか。そう言われたら日本人もそれは暴力だと感じるのではないでしょうか。」

…言葉はできても、文化の違いがある場合、子どもたちは自分の考えを伝えることが出来ません。

…デシオのものには、日本から帰国した日系人が頻繁に顔を出す。「ひどい精神的な病気を抱えて日本から帰ってくる人もいます。きちんと調査すれば、その数はかなりになるのではないでしょうか。理由は、働きすぎや将来が見えないということもありますが、一番が、孤独だと思います。一人で生活をしていてすごく寂しくなる。そういう疾患は、ブラジルに戻ってきても、なかなか良くなりません。」
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「移民還流」新潮社、杉山春
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抜き書き 〜移民政策のフロンティア〜

2018年04月25日 01時07分30秒 | 多文化共生のまちづくり
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日本では、不登校児童生徒の教育機会の保障について、2016年12月に「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」が公布され、同法3条第4号は、次に掲げる事項を基本理念として規定している。

「四 義務教育の段階における普通教育に相当する教育を十分に受けていない者の意思を十分に尊重しつつ、その年齢又は国籍その他の置かれている事情にかかわりなく、その者が、その教育を通じて、社会において自立的に生きる基礎を培い、豊かな人生を送ることができるよう、その教育水準の維持向上が図られるようにすること。」
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「移民政策のフロンティア」移民政策学会設立10周年記念論集刊行委員会
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2018年04月24日 12時19分55秒 | いろいろ
ひさしぶりかな。

昼から外で打ち合わせ。
人と会うとすとんとくることや、違和感やいろいろ感じる。で、いろいろ考えるきっかけになる。

はたまた今日はどうなるかな。
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大阪ダービー

2018年04月21日 23時41分30秒 | いろいろ
とてもエキサイティングな試合展開。ガンバが勝って、さらに盛り上がる。

再開も脱出したし!

スタジアムはとてもきれいやし、見やすいしとてもよかった。また行こう。

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抜き書き 〜新自由主義

2018年04月21日 14時30分34秒 | 
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…新自由主義は、国際資本主義を左辺するという理論的企図を実現するためのユートピア的プロジェクトとして解釈することもできるし、あるいは,資本蓄積のための条件を再構築し経済エリートの権力を回復するための政治的プロジェクトとして解釈することもできる。…新自由主義化は、グローバルな資本蓄積を再活性化する上であまり有効ではなかったが、経済エリートの権力を回復させたり、場合によっては(ロシアや中国)それを新たに創出したりする上では、目を見張るような成功を収めた。

…このことが意味するのは、労働組合の力と対決すること、競争的フレキシビリティを妨げるあらゆる形態の社会的連帯を攻撃すること、福祉国家の諸政策を解体ないし縮小すること、公営住宅をはじめとする公共企業体を民営化すること、減税、企業家のイニシアチブを奨励すること、外国投資を強力に引きつけるために有利なビジネス環境をつくり上げることであった。彼女はあの有名な宣言を行ったー「社会などというものは存在しない。存在するのは男、女という個人だけだ」
と。さらにつづけて「家族」をそこにつけ加えた。
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「新自由主義」デヴィッド・ハーヴェイ,作品社
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抜き書き 〜移民政策のフロンティア〜

2018年04月21日 11時15分00秒 | 
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…2006年、総務省は、都道府県と政令指定都市に対して、「多文化共生推進プラン」の策定を要請した。しかし、総務省の多文化共生の理念には、外国人と受入れ社会の間の双方向的な関係への言及はなく、権利の尊重と義務の遂行を推進するものではない。なお、「多文化共生推進プラン」は、ほとんどが自治体行政による計画である。これらは、地方議会で審議・承認され、あるいは条例として制定されたものではない。自治体が多文化共生施策を進めていても、国の施策に反映されにくい弱点がみてとれる。(井口泰)

…GHQは彼らを解放民族と規定するが、帰国支援のみで国籍、法的地位を曖昧にし、冷戦構造の深化により彼らを外国人登録令と出入国管理令によって治安管理の対象とし、民族教育などは弾圧した。…1965年の日韓条約の在日韓国人法的地位協定では協定永住者に国保適用を認めたため、国保加入者は増加したが、協定永住許可申請をしない,主に「朝鮮籍」者を排除することになり、渡日と定住の歴史を共有する在日コリアン社会に「南北分断」を持ち込んだ。…政府の姿勢を批判して自治体独自政策を打ち出した嚆矢は革新自治体時代の美濃部亮吉都政による1968年の朝鮮大学校の認可といえる。政治判断を避け、各種学校としての認可基準を満たしていれば認可すべきという行政判断を貫いた。時の文部大臣は「違法ではないが妥当ではない」としかコメントできなかった。…教員も「教諭」として採用している自治体もある一方、文科省の指導通りに「常勤講師」採用としている自治体が多い。ただし、教諭で採用している東京都や川崎市も、常勤講師で採用している他の自治体も管理職登用には制限があることには変わりがない。(山田貴夫)
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「移民政策のフロンティア」移民政策学会設立10周年記念論集刊行委員会、明石書店
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