ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

最悪。

2006年05月31日 22時23分31秒 | 人づくり・場づくり
今朝の朝日新聞より。

「外国人受け入れ施策を検討してきた法務省のプロジェクトチームは30日、『定住者』として日系人労働者を大量に受け入れてきた現行制度を抜本的に改める試案をまとめた。血縁関係を理由にした新たな受け入れはせず、国内で生活する日系人も、日本語能力などがかけている場合は在留資格を更新しないという内容。座長の河野太郎副大臣は会見で日系人の受け入れは『失敗だった』と述べた。(中略)試案は人口減少を迎える将来、外国人の受け入れが必要になるとの考えを示したうえで、その上限を『総人口の3%まで』と設定。単純労働者は受け入れないとした。」

日本の都合で海外へと送り出され、日本の都合でどっと入ってきて。血縁関係があるから日本でもうまくやっていくだろう、大丈夫だろうという安易な考えのもと、何の対策もせず。ちょっと事件が起こるとまじめに働いていた人も人くくりにして「ニッケイジン扱い」。自分たちの政策に対しては何の反省もせずに『失敗だった』と述べてしまう感覚。もちろん、警察庁や世論の圧力があるというのも分かるし、実施のめどはたっていないというあたり、単に社会の反応を確かめるために出した案というのはあると思う。それでも、あんまりにもあんまり。十分に十分に自己反省した上でやむを得ず出したコメントならまだしも...。

思わず「ニッケイジン」ってモノだったっけと思わずにいられない発言。200万人もいれば、そりゃいい人もいれば悪いことをする人もいる。日本人だって一緒。取り立てて外国人犯罪の率が高いわけでもないのに、「ニッケイジン」で一くくり。

今、日本にいる日系人もビザの更新の際には能力試験などを条件とするようなことを書いてた。ものすごく高いハードル。ぼくの周りの日系の人たちは全然日本語の勉強はしないし、漢字なんて全然読めないけど。でも、人生を一生懸命楽しんでる。彼ら/彼女らの今の生活が変わらないことをただただ望むだけやわ。

ほんま、むちゃくちゃやな。
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休みの日。

2006年05月25日 03時51分21秒 | もろもろのこと
ひさびさの休み。昼過ぎから彼女とふらふらっと京都へ。

最初に入ったのはお団子の「梅園」というお店。場所は河原町通りぞい(東側)で四条と三条のあいだ。みたらし団子がすごく香ばしくておいしい。あんみつなどにかける黒蜜も甘過ぎず、しつこくなくすごく上品な味。これまで黒蜜ってくどい感じがして好きじゃなかったけど、おいしいものを食べたことがなかったんやなと実感(苦笑)

それから鴨川をふらふらして。晩ご飯は堺町筋と蛸薬師の角にある「豆菜」というお店へ。町家を利用した感じのお店。がちゃがちゃせず、落ち着いた雰囲気でとにかく料理がおいしい。豆腐も湯葉も生麩も、とにかくおいしい。それにあんまり高くない。

でも、何が良かったかっていうと、やっぱり店の人かなぁ。素材にはこだわるけど、こだわり過ぎず。で、その辺のコンセプトも前面的に押し出すのではなく、あくまでさらっと。できる限りええものを出すけど、できないものはしゃあない、と。こだわり過ぎると窮屈になるし。そういった考え方が店の雰囲気ににじみ出てて、すごく落ち着ける空間やった。

どちらの店もこだわってるけど、こだわり過ぎず。さらに、こだわってることを客に押し付けず。ええものを生かすために、必要なことはするけど余計なことはしない。店のポリシーっていうか、店の人のそういった生き方や考え方が味にも店の雰囲気にも出てるんやろうなぁと思った。

これって全てに通じるなぁ。
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教科書について。

2006年05月24日 12時24分41秒 | 日本語教師のお仕事
ある新聞の記事で日本語の教科書(『みんなの日本語』)への批判が紹介されていたそうです。該当する部分を取り上げると。

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図書館の人:外国の方ですか。
カリナ:はい。
図書館の人:じゃ、外国人登録証を持って来てください。
カリナ:はい。どうもありがとうございました。
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いったい何が批判されたかっていうと、「外国人登録証を持って来てください」という部分。批判の内容は図書館で外国人は外国人登録証を見せなければならないという誤解を植え付けかねないということ。で、教科書会社の対応は内容は今後検討するとのこと(だったかな?)。実際にその新聞記事を見るのはこれからで、細かいことは言えないけど。

基本的には外国人登録証は警察・入管以外では提示しなければならない義務はない。嫌だったら断ればいいし、何か手続き上住所などを確認する必要があれば別の書類の提示で済ますことができる。それは役所でも同じ。ちなみに提示しないといけない対象の人は警察とか入管以外では外国人登録事務に従事する職員、麻薬取締官、公安調査官、職業安定法(昭和二十二年法律第百四十一号)第八条に規定する公共職業安定所の職員だけ。

で、その外国人登録証には個人的な情報がとにかくたくさん載ってる。
1 氏名
2 生年月日
3 国籍等
4 居住地
5 世帯主等
6 職業等
7 出生地
8 旅券
8 上陸許可
9 在留の資格
10 在留期限
11 次回確認(切替)申請期間
12 発行者
13 署名
(※永住者、特別永住者は「職業」、「勤務先または事務所の名称、所在地」が必要ないけど)

で、常に携帯の義務が生じている。携帯していないことが分かったら、それだけで犯罪。罰則規定付き。個人的な情報が盛り沢山。で、それを至る所で見せなければならないという誤解(つまりよけいなストレスやプレッシャー)が生じるようなことはもちろん、避けなければならないと思う。

でも、日本人も同じように運転免許証だとか学生証、社員証を持ってたりするし、提示しないといけない場面がもちろんあるわけで。それを考えたら「そんなに変わらないんじゃない?」って思うむきもあるかもしれないけど。やっぱり本人が獲得したもの、得たものを持つのと、本人の意志とは別に持たされるもの、さらに持っていなければ罰せられるものとは大きく違う。

以前、外国人の知り合いが外国人登録証を見せながらこんなことを言ってた。「こんなカードをずっと持っていないといけないのって悔しいですよ。すごく管理されてるみたいで。」本人は「屈辱的」という言葉は発しなかったけど、そう感じていることは伝わってきた。中には本人の希望とは別に日本にやってきた人もいるわけだし。

その時は話を聞いて、単に個人情報が満載のカードってだけじゃなく、そのカードの存在によって常に外国人であるということが突き付けられる、さらに日本で「外国人として」経験したいろんな出来事がかさなるものなんだということを感じた。外国人も日本人も同じ人間って意味では変わらないし、特別視する必要はないと思う。でも、制度的に(場合によっては心理的に)「外国人」として扱われること、それに起因したストレスも多いことは知っておかないといけないと思うし、「同じ人間」とか「違いってすばらしい」って言葉だけではその辺が見過ごされることは頭に入れておかないと。外国人登録証を持たされることのない日本人にとっては個人情報が満載のカードでしかないけど、持たされる外国人にとっては、それ以上に象徴的な意味を持ちうる。

もちろん、全ての人がそう感じるとは限らないけど、そう感じる人もいるということを想像できるかどうかということが大事で、「想像できない/しようともしない」ということが一番の問題なんだろうと思う。
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学校。

2006年05月23日 17時45分14秒 | いろいろ
教育基本法に「愛国心」だとか、「伝統の尊重」ということを盛り込むかどうかということで議論がされている。こういった話を聞くと、そもそも学校って誰のためのものなのか、誰のために学ばないといけないのかってことが気になってしょうがない。学ぶ権利なんて嘘っぱち、一部の「大人」のためのものでしかないのかもしれないなと思う。

それとは全然別の話だけど、子どもの権利条約をもとに、外国籍の児童も小学校・中学校を義務教育化すべきだという主張がある。すぐに実現されることはないだろうとは思うけど。以前は義務教育化することで、学校自体、少数者の存在を無視できなくなることになるだろうし、そのことをきっかけに学校が変わっていけばいいのになぁという淡い期待を持っていたけど(現実、今学校にいる少数者に対応できているとはとても思えないので、難しいとは思うけど)、強固な枠ができてしまったら全然話は別。その淡い期待も消えてしまうのかな。期待していたこととは正反対の方向へ進むのかもしれないなと思う。外国籍の児童も帰国子女もダブルの児童も義務教育として学校へ行けば、そりゃもちろん学力はつく(ことが期待される)。けど、幸せになれるとは限らない。っていうか、子どもにとってはきついことが多い。

また話が飛ぶけど、このあいだ在日コリアンの子どもの集まりをちょっと見学した。本当なら、そういった場が学校で用意されててもいいものだと思うけど、学校ではなく他の公共施設で行われてた。学校としては、ある程度の数がいないと動けないということもあるのかもしれないけど、「一人一人が大事」なんて言葉も枠にはまってる場合に限るということなのかもしれないなと感じた。それに最近は全く言葉が通じないニューカマーの子どもたちに意識がいってるから、在日コリアンの子たちはどうしても後回しにされる。今、ニューカマーの子どもたちは言葉が分からず、たとえ言葉が分かるようになったとしても学力がついていかずすごく対策が練られているけど、これが制度的にある程度落ち着いて対応できるようになったら、どういう扱いになるのかな。

今はまだだけど、この3つの話が現実に一つの流れにつながっていったらと思うと、ちょっと(かなり?)ぞっとする。
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日本語の授業について考えたこと

2006年05月09日 23時35分13秒 | 日本語教師のお仕事
コミュニケーションの際に非言語メッセージが全体の情報量の65%を伝えるって研究があるけど。ま、数字の根拠はさておき、かなりのウエイトを占めるのは確かだと思う。

で、声のトーンだったり表情、体の向きなんかもある種のメッセージを伝える。全くトーンをつけないってのも一つのトーンだし、無表情ってのも一つの表情ってことを考えると絶対に避けては通れない。

授業の時にもこれは大きく関係するんやろうね。

学生は教師の言葉からだけじゃなくて、非言語メッセージからもいろいろなことを読み取る。で、困ったのは「あ、あの先生疲れてるな」とか「やる気ないよなぁ~」とか「言葉では楽しいって言ってるけど、本当は楽しくないんやろうな」ってことまで全部伝わってしまうこと。さらに、日本語学校や大学で授業する相手は大人だから、結構相手に合わせてふるまってくれることが多い。疲れてるから、おれらで盛り上げようって思ってくれる時はええけど、教師の調子に合わせてそれなりにやってくれることの方が多い気がする。カラ元気の時も結構見破られる。教師は必死に盛り上げようとすればするほど、学生との温度差ってできるような気がする。あとドアを開けた瞬間にテンションをあげても...「すぐそこで無理して(時には異常なくらいに)テンションあげたって気が付いてるな~」って思う。もちろん、カラ元気でも出そうとしてる教師に協力的にやってくれることもあるけど。やっぱりカラ元気だったり無理してあげたテンションは、普通に前向きな気持ちで授業に楽しく臨むのとは異質な気がする。

なんかだらだら書いたけど、授業をうまく楽しく進める時に、睡眠を取って元気にいくこと(カラ元気じゃなくって)、教師自身が「これってほんまに楽しいやろ!おもしろいやろ!」かつ「大事やろ」って思えるようなネタを仕込むこと、あとできればクラスを好きになる(これは無理なこともあるけど...)って大事やろなって思う。

何か精神論的な感じがするけど、でも、相手は人間だし、こっちも人間だってことはそういうことなんかなって思う。「授業をする」って感覚よりも、「この教室に集まった人たちのこと、一緒に過ごす時間を大事にする」って感覚が大事だと思うし、その方が筋違いなようで実は「ええ授業」につながっていくんやろうなと思う今日この頃。
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メイソウ。

2006年05月08日 00時55分27秒 | もろもろのこと
GWは関係なかったなぁ~。結局2連休が2回あったくらい。ま、忙しくなるとは思っていたから仕方がないけどな~。

今日はインド出身の友達から「ちょっと会いませんか」って電話がかかってきて。で、話をしてきたんだけど。

Q「GWは何してた?」
友「メイソウしてました」
Q「え?メイソウ?メイソウって?」
友「え?メイソウ知りませんか?」
Q「…」
友「毎日、1時間何も考えないで、それからちょっと休憩して。それからまた、何も考えないで。それを繰り返してました。ごはんもあまり食べませんでした」
Q「へ~」
友「これをすると疲れが取れるし、元気が出ます」
Q「へ~」
友「休みは6日間あったんですけど、1日だけ遊びに行って、あとはずっと瞑想してました」

確かにええ表情してたけど。宗教は関係なく、ヒンドゥー、仏教いろんな宗教の人が一緒にやることもあるみたいなんだけど。びっくり。で、彼は来年の1月に結婚するらしいんだけど、相手は瞑想の教室で知り合った人らしい。

まだまだ知らんことがいっぱいあるな。
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国際結婚。

2006年05月04日 21時06分59秒 | 人づくり・場づくり
いろいろ資料を見て思ったこと。日本では今、20組に1組が国際結婚の時代。実際に数字を見てると考えさせられる。

国際結婚の相手がどういった国籍かということを見ていくと、妻が外国籍の場合と夫が外国籍の場合とでは全然違ったふうになる。

夫が日本で妻が外国籍の場合、妻が中国籍のケースが全体の37%をしめる。次がフィリピンで28%、韓国・朝鮮19%、タイ6%。

これが夫が外国籍で妻が日本の場合、夫が韓国・朝鮮が30%、米国が17%、中国が10%、英国4%。

総数も夫が日本、妻が外国籍の場合は約28000件、夫が外国籍、妻が日本籍の場合は約8000件。結婚の件数も全く異なる。

これをどう読み解くかというところは人によって違う部分があるのかもしれないけど。ただ単に国際的な感覚を持つ人が増えて国際結婚が増えたというわけではないのかもしれないなと思った。ぼくの周りを見てみると、幸せな家庭を築いている人たちもたくさんいるし、知り合いでとても幸せそうにしている人もたくさんいるけど、「こんなはずじゃなかった」って感じの知り合い、「結婚したことは後悔しないけど、でも、今の状況はなんとかしたい」って人もたくさんいる。それは日本人同士の結婚でもそうなんだけど。ただ、そこに言葉や制度なんかの問題も絡んでくるから、全く一緒にはできないだろうとも思う。それから、そういう人たちも気楽に参加できる場所、仲間がたくさんできて、それから初めて国際化が進んだっていえるんだろうなと思う。ぼくも少しでもそういう場所が増えるように、少しでもそういう場所に来る人が増えるように頑張りたい。

それにしても、本当に数字って顕著に物語るなぁ。
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