記事は新聞からです。内容は、将来の介護についてです。オリックス・リビングが実施した調査では、将来の介護について、男女で考え方に大きな差があることが分かりました。「配偶者を介護したいか?」の質問に対し、はい、と答えたのは、男性の55%、女性は36%でした。
男性の半数以上が「配偶者の介護をしたい」と答えていますが、これは、介護のイメージがついていないのでしょう。ですので、実際の介護に直面したら、「エ!こんなに大変なの!」と状況は変わると思われます。より現実的に考えられる女性の36%という数値ですが、こちらもちょっと気にはなります。
介護はするのも大変、されるのも気をつかうものと思います。若い時に、仕事もして、体力もつけておく、これが大事なのでしょう。
私は、自分の住んでいるマンションの修繕委員を20年続けています。20年前にこの委員を引き受けたきっかけをご紹介させて頂きます。それは、20年以上前のある日、マンションの裏の道で、当時修繕委員をしていたサトウさんに会いました。サトウさんは私に、「会社を定年になり、修繕委員を引き受けています。人生最後のご奉公ですね」と言いました。私は、そうですか、頑張って下さい、と言っただけでした。その当時、私のマンションの管理組合は11名の理事と1名の修繕委員で構成されていました。理事は1年交代なのですが、修繕委員に任期はなく、やりたい人はできるだけ長くやってください、という感じでした。
半年後、また、サトウさんに会いました。サトウさんは、今度は私に、こう言いました。「最近、体の調子が良くないのですよ。病院に行く日が多くなっちゃって、修繕委員も満足に出来そうもありません。番場さんは、確か建築関係のお仕事ですよね、是非、私の代わりに修繕委員をやってくれませんか」と。私は、「いやいや、私なんてとても出来ません、まだ、会社勤めもありますし・・・」と、全くやる気がないので、そう答えました。
その3ヶ月後、サトウさんは亡くなってしまいました。私はサトウさんのお葬式に行きました。お葬式でのサトウさんのお写真を拝見しながら、修繕委員を頼まれた時の言葉や様子を昨日のように思い浮かべました。それから、数日間、サトウさんのこと、そしてこのマンションの今後のことを考えました。自分がやるべきだ、でも、引き受けたら面倒くさいなー、この間を行ったり来たりしたわけです。そして、数日後、とにかく、やってみよう、難しかったら、その時やめれば良い事だ、と考えて修繕委員になることを決めました。その時、サトウさんの笑顔が、頭の中に浮かんだような気がしました。こんなことがきっかけで修繕委員になり、もう20年が経ちました。サトウさんはきっと蓮の花が咲く天国におられることでしょう。
あけまして おめでとう ございます
旧年中はブログに訪問して頂きましてありがとうございました。今年も頑張って、一戸建てやマンションの内覧会、並びにマンション管理に関する記事を書いて行こうと思います。今年の一年の計は、「人の気持ちを理解し感謝していく」としました。新しく明けた希望の年、何卒よろしくお願い申し上げます。
理解してくれる人がいる
場所がある
だから明日も 頑張れる
あけまして おめでとう ございます
旧年中はブログに訪問して頂きましてありがとうございました。今年も頑張って、一戸建てやマンションの内覧会に関する記事を書いて行こうと思います。今年の一年の計は、「平凡なことを、平凡な気持ちで続けていこう」としました。新しい希望の年、何卒よろしくお願い申し上げます。
幸せな人生
オギャーと 泣いて生まれて 周りは笑顔
笑顔で生きたら 周りは泣いて
あけまして おめでとう ございます
旧年中はブログに訪問して頂きましてありがとうございました。今年も頑張って、一戸建てやマンションに関する記事を買いて行こうと思っています。
今年の一年の計は、「ないものを求めるのではなく、あるもので何が出来るかを考える」としました。
新しい希望の年、何卒よろしくお願い申し上げます。
写真はマンションの内覧会で撮りました。親子四代での内覧会です。私も初めての経験で、感激、しました。真ん中で、赤ちゃんを抱いている方は、赤ちゃんのお母さん(左横の若い方)のお母さん(右側に立っているやや若い方)のお母さんです。そうです、赤ちゃんは、曾おばあちゃんに抱かれているわけです。四代がそれぞれお元気で、内覧会にもお出でになる、素晴らしいです。
生まれて2ヶ月の赤ちゃんは、これから、この部屋でお母さん、そして、時々、おばあちゃん、曾おばあちゃんと共に成長して行きます。三つ子の魂百まで、子供は、真っ白で生まれて、周りの人たちのお世話で大きく成長していきます。このお部屋で赤ちゃんが健やかに立派に成長していかれることを祈るばかりです。
向こうで新聞をお読みになっているのは、赤ちゃんのおじいちゃんです。こうしてみますと、先祖代々、脈々と家族のつながりを感じます。家族とは家に族と書きます。族とは、日本民族と言う様に、同じ血統、仲間ですね、家が一緒の仲間が家族、と言うことになります。蛇足ですが、女偏に家で、嫁となります。(8613)
スーパーでおいしいお菓子はないかな、と思って歩いていたところ、目についたのが写真の「蜂蜜おかき」でした。値段は150円で、安いので買ってみました。どんな味かなと思って食べてみたところ、「うまい!」でした。製造は長保堂(電話:044-738-1070)です。さらっと揚げたおかきのまわりに甘い蜂蜜がうっすらとのっています。安くておいしいのでおすすめです。
あけまして おめでとう ございます
旧年中はブログに訪問して頂きましてありがとうございました。今年も頑張って、一戸建てやマンションに関する記事を買いて行こうと思っています。
今年の一年の計は、「二つの目 耳も二つで 口一つ 二つ見て聞き 言うのは一つ」としました。よく見て、よく人の話を聞いて、それから話そうと思います。新しい年、何卒よろしくお願い申し上げます。
私の母は、25年ほど前の8月、クモ膜下出血で突然亡くなってしまいました。その時の様子を父から聞きました。その日の夕方、父と母は、並んでテレビで相撲を見ていました。すると、母が少し吐いて、父に「頭が痛いから少し寄りかからせて」と言ったそうです。父は特別気にもせず、しばらくしたら直るだろう、と思って母を支えていました。父は少し重く感じてきたので、身体を動かそうとしました。そしたら、母が「痛いから動かないで」と苦しそうにつぶやいたそうです。
その苦しそうな姿を見て、父は、異常を感じ、救急車をすぐに呼びました。でも、結局、その苦しそうなつぶやきが、母の最後の言葉となってしまいました。倒れてから、意識を失ってしまうまで、僅か20分程だったそうです。母は、享年68歳でした。「私は100歳まで生きる」と病気もせず、気丈な母でしたが、あっけない最後でした。
私は、その訃報を聞いて、その日の内に東京から茨城県まで行きました。次の朝、近所の人が集まって来てくれて、母が横になっている周りで、母の想い出話をしてました。私はただうつむいて、皆さんの話を聞いていました。聞いているうちに、私の目の前に座布団があって、そこに雨粒が落ちているのが見えました。でも、何で、こんなところに雨粒が落ちてくるのだろう?と不思議に思って、見上げたら、外はお日様が照って、青空です。そこで気がつきました。雨粒と思っていたのは、私の目から止めどなく流れ出る涙でした。涙を出しながら泣いている自分が分からない、こういうことがあることを知りました。
あけまして
おめでとう
ございます
青空いっぱいの下で、2013年の幕が開かれました。私の人生の頂きは上り終えて、道は下り坂です。向こうから春風が吹いてきます。今年はどんな1年になるやら、期待と希望を持って歩んで行きたいと思っています。昨年も多くの方にブログに訪問して頂きまして、誠にありがとうございました。これからも、住宅を購入された方のお力添えになれるように、記事を書いていこうと思っています。今年1年も何卒よろしくお願い申し上げます。プロチェック代表 番場 敏郎
4月になりました。今年は冬の寒さで桜の開花も遅れています。3月は別れ、4月は出会い、まさに冬が去って春が来る、人生のページが閉じられ、開かれます。この人生のページを彩るものに桜の花があります。桜、さくら、サクラ、つぼみの大きさから始まり、一分咲き、二分咲き、そして満開、最後は散る時まで、人々はその花の下に集い、古の時代からお酒を片手に人生の喜怒哀楽を語り継いできました。近くの中学校の校門にある桜の木も、枝の先の方は咲き出し、蕾も大きな桃色の真珠のようです。この風景を見ながらふとこんな話を思い出しました。
もう数年前の新聞記事です。記事は、「JR快速の臨時停車、乗り間違えた受験生救う」というものです。内容は、「女子中学生が高校受験のため、快速電車に乗った。でも、快速電車は、女子中学生が降りるべき駅には止まらない。そして、それを知った中学生は不安で泣き出しそうであった。事情を聞いた周囲の乗客らが、満員の電車内を縫うようにして、中学生を最後部車両まで連れて行った。申し出を受けた車掌はJR千葉支社に連絡、JR千葉支社は、“若者の将来がかかっているのだから”、と臨時停車を決めた。中学生は途中駅からすぐに目的駅に向かった。そして夕方、中学生の親から“おかげさまで娘も何とか試験開始に間に合いました”とその臨時停車した駅にお礼の電話があった」このようなものでした。
この記事を読んだ時、感動しました。その日満員電車に乗っていた人達、快速電車の車掌、そしてJR千葉支社の職員が電車の遅れも気にせず、この少女一人の将来のために一致団結したのです。長く辛かった受験勉強に耐え、自分の人生を築くために必死に生きようとする一人の中学三年生を皆で救ったわけです。東日本大震災からの復興も含め、まだまだどうしてこの日本も捨てたものではありません。この中学生も、一生忘れ得ないであろう社会勉強を経て、初々しい制服に身を包まれ、春風に桜の花びらが舞う高校の門をくぐったことでしょう。新しく高校生なったこの子の瞳には未来への夢と希望が、明日にでも咲き出す桜の蕾、真珠のように輝き満ちていたことでしょう。