小説は、手放した時点で自分(作家)のものではなくて、もう手にとった人のもの。
100人が読んだら100人の感想、もしくは何か思うことがあればいいな。
これは、「対岸の彼女」がドラマ化された際、角田光代さんのインタビューからの抜粋です。
今回のエントリーでは、「八日目の蝉」について、私なりの感想をまとめてみました。
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八日目まで生き延びた蝉は、どんな思いで周りの世界を眺めるのだろうか?
八日目の蝉に重ね合わせてみたとき、希和子はどんな思いで後半生をおくるのだろうか?
哀しみとか苦しみとかを突き抜けてしまった後に残る、「がらんどう」のような空虚感?
それとも、懸命に生き抜いた七日間の記憶が純化された、安らぎに似たような心境?
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腕の中で赤ん坊は、あいかわらず希和子に向って笑いかけていた。
茶化すみたいに、なぐさめるみたいに、認めるみたいに、許すみたいに。
海は陽射しを受けて、海面をちかちかと瞬かせている。
茶化すみたいに、認めるみたいに、なぐさめるみたいに、許すみたいに海面で光は踊っている。
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愛する人と結ばれ、子どもを授かり、幸せな家庭を築きあげたかった希和子。
あなたの母になるために、逃げて、逃げて、そして、逃げとおすことが出なかった希和子。
そんな彼女が戻ることの出来る場所は、きっと「ここ」しかなったのでしょう。
正と邪、善と悪、あらゆるものをすっぽりと包み込んでくれる海の見える「あの」場所しか。
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原作を損ねることなく、そこに新たな演出を加えた浅野妙子さんのすばらしい脚本。
本を読んでいる時には大して気にもとめなかった、幾つかの視点を教えられた気がしました。
特に、かけがえのない「子育て」の期間を強奪されてしまった実母、恵津子のこと。
事件後もつきまとう母親としての苦悩、再読の際にはあらためて考えてみようと思います。
せつなかったねー。せつなかった。
最後、希和子が薫を見かけて名前をさけぶところはぐっときたなー。
小説や漫画などの原作をドラマ化したものや映画化したものは、原作のイメージを損ねていたり大きくアレンジされていたりしてガッカリすることとかもあるんだけど、今回のドラマはそうじゃなかったんだね。
キャスティングもよかったよね。
ドラマを見終えた私の方が空虚感だったりするよ(笑)
角田さんも自分の作品がこのように生まれ変わると嬉しいだろうね。
こうして感想を語り合うことって、すごく楽しいし幸福な気分になります。
ラスト間近、恵理菜(薫)がテーブルの上に蝉の抜け殻を置いていったでしょ!
あのシーンは、ドラマのオリジナル! これは、スゴイ演出だなぁーと思いました。
美しくも哀しい、お互いの心が通い合った「再会」シーンでしたね。
たぶん多くの方が、「あぁ、これでよかったんだ!」と思われたのではないでしょうか。
角田さんの「八日目の蝉」は、読売新聞夕刊の連載小説でした。
実際に、夕刊が来るのをわくわくしながら待っていた人がいたんだね。