2025年8月30日(土)14:30開演、@京都コンサートホール・大ホール
指揮:ヤン・ヴィレム・デ・フリーント(首席客演指揮者)/管弦楽:京都市交響楽団
独奏:HIMARI(ヴァイオリン)
独唱:石橋栄美(ソプラノ)・中島郁子(メゾ・ソプラノ)・山本泰寛(テノール)・平野和(バス)
合唱:京響コーラス
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指揮:ヤン・ヴィレム・デ・フリーント(首席客演指揮者)/管弦楽:京都市交響楽団
独奏:HIMARI(ヴァイオリン)
独唱:石橋栄美(ソプラノ)・中島郁子(メゾ・ソプラノ)・山本泰寛(テノール)・平野和(バス)
合唱:京響コーラス
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●ドヴォルザーク:ロマンス、ヘ単調、作品.11
●ヴィエニャフスキ:ファウスト幻想曲、作品.20
●ヴィエニャフスキ:ファウスト幻想曲、作品.20
前半は、ソリストに話題のHIMARIさんを迎えてのステージ。彼女は現在14歳、日本の「学制」風にいえば、中学2年生。今年3月、ベルリン・フィルの定期公演にソリストとしてのデビューを果たされた逸材で、「一世代に一人の才能」という、高い評価を受けられています。
期待に胸を膨らませつつ待つうちに、いよいよ、HIMARIさんの登場。長身のデ・フリーントさんと比べると、小柄で華奢なスタイルがいっそう際立ちます。その所作は、まるでヴァイオリンの「お稽古」に通うお嬢さんを思わせる愛らしさ。舞台中央で深々と頭を下げて、丁寧なお辞儀。こちらも、自然な動作の流れで美しい。そして、静かに始まるドヴォルザークの「ロマンス」。最初の音から僅か数小節のフレーズだけで、満員の聴衆を魅了したことが、ホール全体の空気から伝わってきます。純真無垢な美しい音色の中にも、侵しがたい気品のようなものが感じられます。
仮に、ブラインド(テスト)の状態で、この演奏を聴いたとして、誰が14歳の少女のものだと、言い当てることが出来るでしょうか!? しかしながら、あえて評論家風に言わせてもらうならば、先述したビジュアル的要素や、先入観、予備知識の類いを取り除いて、その演奏を評価する必要もあります。これまで京響に客演された、国内外の著名なヴァイオリニストの演奏と比較して、その中から、今日のHIMARIさんの演奏をピックアップ出来るかというと、それはちょっと「別物」の話のような気がします。
それでも、HIMARIさんのパフォーマンスからは、華やかな音楽界(音楽メディア)の誘惑に毒されることのない、毅然として、かつ真摯で謙虚な生活態度のようなものが感じられ、今後の精進、研鑽による成長、飛躍の大いなる可能性を強く感じました。音楽界に限らず、「早熟の天才」ともてはやされた才能が潰されていった(或いは、自ら潰れていった)例は、枚挙に暇がありません。そうならないことを、切に願う次第であります。
●モーツァルト:レクイエム、ニ短調K.626(ジュスマイヤー版)
期待に胸を膨らませつつ待つうちに、いよいよ、HIMARIさんの登場。長身のデ・フリーントさんと比べると、小柄で華奢なスタイルがいっそう際立ちます。その所作は、まるでヴァイオリンの「お稽古」に通うお嬢さんを思わせる愛らしさ。舞台中央で深々と頭を下げて、丁寧なお辞儀。こちらも、自然な動作の流れで美しい。そして、静かに始まるドヴォルザークの「ロマンス」。最初の音から僅か数小節のフレーズだけで、満員の聴衆を魅了したことが、ホール全体の空気から伝わってきます。純真無垢な美しい音色の中にも、侵しがたい気品のようなものが感じられます。
仮に、ブラインド(テスト)の状態で、この演奏を聴いたとして、誰が14歳の少女のものだと、言い当てることが出来るでしょうか!? しかしながら、あえて評論家風に言わせてもらうならば、先述したビジュアル的要素や、先入観、予備知識の類いを取り除いて、その演奏を評価する必要もあります。これまで京響に客演された、国内外の著名なヴァイオリニストの演奏と比較して、その中から、今日のHIMARIさんの演奏をピックアップ出来るかというと、それはちょっと「別物」の話のような気がします。
それでも、HIMARIさんのパフォーマンスからは、華やかな音楽界(音楽メディア)の誘惑に毒されることのない、毅然として、かつ真摯で謙虚な生活態度のようなものが感じられ、今後の精進、研鑽による成長、飛躍の大いなる可能性を強く感じました。音楽界に限らず、「早熟の天才」ともてはやされた才能が潰されていった(或いは、自ら潰れていった)例は、枚挙に暇がありません。そうならないことを、切に願う次第であります。
●モーツァルト:レクイエム、ニ短調K.626(ジュスマイヤー版)
京響によるこの曲の演奏を聴くのは、今回が2回目のことになります。最初は、広上淳一さんの指揮で、国際的にも評価の高いスウェーデン放送合唱団を迎えての「京響スーパーコンサート」(2019年11月)でした。また一方、指揮のデ・フリーントさんは、京響デビューとなった2022年5月の第667回定期から、「首席客演指揮者」の就任披露演奏会(2024年5月、第689回定期)を含めて、過去3回の客演のステージには、欠かさず通っているという、私のお気に入りの指揮者のお一人です。、
古楽畑の指揮者として学究的であり、尚且つ革新的でもあるデ・フリーントさんの音楽作り(指揮)は、軽快なテンポ設定と、やや軽めに重心を置いた響きで、推進力と躍動感に満ちた音楽を展開され、飽かせる暇すら与えません。私が個人的に苦手としていたシューベルトの「グレート」(667回定期)や、シューマンの交響曲(2025年1月、第696回定期)の指揮でも、その個性は遺憾なく発揮され、今回のモーツァルトの「レクイエム」でも、期待に違わぬ充実した演奏を聴かせてくれました。また、オペラの分野でも活躍されているキャリアが示すとおり、オーケストラ、独唱陣、合唱団をバランスよくまとめ上げ統率する手腕は、名匠の熟達した技を見るようで、強い感銘を受けました。
京響コーラスの高い水準で安定したパフォーマンスについては、これまでの京響定期や第9コンサートで既に実証済みで、多くの言葉を要する必要もないでしょう。今回も、実に頼もしく安心して聴かせてもらいました。4人の独唱陣も「ユニット」としてのまとまりもよく、好感の持てるものした。ただ、テノールの方の歌唱が、やや埋没しているように感じました。あくまでも個人的な好みの域を出ませんが、もう少し張りのある、突き抜けたような声量、美声が欲しいように思いました。(名盤、名演のそれと比較される宿命は、辛いところもありますか…)。
やはり、私にとっては、大規模な声楽の編成を伴った宗教曲は、敷居の高いジャンルの一つでした(そもそも、敬虔な信仰心が足りない…)。それでも、映画「アマデウス」の中の鬼気(死期?)迫る作曲シーンの記憶や、上手く簡潔にまとめられたプログラムノートの助けを借りて、何とか前回の演奏会よりは、しっかりと聴き通すことが出来たようで、感激、興奮の面持ちで家路につきました。
* * * * *
今日の演奏会に先立って、デ・フリーントさんの「首席客演指揮者」の任期が、2028年の3月末日まで延長されるという、ニュース・リリースがありました。常任指揮者の沖澤のどかさん共々、京都市並びに京響楽団員の皆様からの信頼、人望の厚さが窺えるようで、相互の「蜜月」関係の深化、発展が大いに期待されるところです。
古楽畑の指揮者として学究的であり、尚且つ革新的でもあるデ・フリーントさんの音楽作り(指揮)は、軽快なテンポ設定と、やや軽めに重心を置いた響きで、推進力と躍動感に満ちた音楽を展開され、飽かせる暇すら与えません。私が個人的に苦手としていたシューベルトの「グレート」(667回定期)や、シューマンの交響曲(2025年1月、第696回定期)の指揮でも、その個性は遺憾なく発揮され、今回のモーツァルトの「レクイエム」でも、期待に違わぬ充実した演奏を聴かせてくれました。また、オペラの分野でも活躍されているキャリアが示すとおり、オーケストラ、独唱陣、合唱団をバランスよくまとめ上げ統率する手腕は、名匠の熟達した技を見るようで、強い感銘を受けました。
京響コーラスの高い水準で安定したパフォーマンスについては、これまでの京響定期や第9コンサートで既に実証済みで、多くの言葉を要する必要もないでしょう。今回も、実に頼もしく安心して聴かせてもらいました。4人の独唱陣も「ユニット」としてのまとまりもよく、好感の持てるものした。ただ、テノールの方の歌唱が、やや埋没しているように感じました。あくまでも個人的な好みの域を出ませんが、もう少し張りのある、突き抜けたような声量、美声が欲しいように思いました。(名盤、名演のそれと比較される宿命は、辛いところもありますか…)。
やはり、私にとっては、大規模な声楽の編成を伴った宗教曲は、敷居の高いジャンルの一つでした(そもそも、敬虔な信仰心が足りない…)。それでも、映画「アマデウス」の中の鬼気(死期?)迫る作曲シーンの記憶や、上手く簡潔にまとめられたプログラムノートの助けを借りて、何とか前回の演奏会よりは、しっかりと聴き通すことが出来たようで、感激、興奮の面持ちで家路につきました。
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今日の演奏会に先立って、デ・フリーントさんの「首席客演指揮者」の任期が、2028年の3月末日まで延長されるという、ニュース・リリースがありました。常任指揮者の沖澤のどかさん共々、京都市並びに京響楽団員の皆様からの信頼、人望の厚さが窺えるようで、相互の「蜜月」関係の深化、発展が大いに期待されるところです。
