2020年1月18日(土)14:30 開演 @京都コンサートホール・大ホール
指揮 : ジョン・アクセルロッド / 独奏 : アンドレアス・ブラウ(フルート)/ 管弦楽 : 京都市交響楽団
* * * * *
● ベートーヴェン : 「アテネの廃墟」op.113から序曲
序曲と言えば、同じくベートーヴェンの「レオノーレ第3番」が好き過ぎる私。 この曲は初めて聴くことになります。
作品番号からして、晩年の作品。 いかにもベートーヴェンと言ったフレーズや響きは、あまり感じられませんでした。
プログラム・ノートに「オーボエとファゴットの掛け合い」との記載がありますが、この部分は最大の聴きどころ。
演奏時間はわずか5分という小品でしたが、京響首席の高山郁子さんのオーボエの美しい音色は存分に楽しめました。
● バーンスタイン : 「ハリル」独奏フルートと弦楽オーケストラ、打楽器のためのノクターン
標題の「ハリル」とは、ヘブライ語で「フルート」の意。 第4次中東戦争で命を落とした若きフルート奏者に献呈。
バーンスタインさんから受ける陽気で親しみやすいイメージからは、かなり隔たりを感じる曲調。 少々難解な印象。
独奏フルートには、カラヤンの時代からベルリン・フィルの首席奏者を務めてこられたアンドレアス・ブラウさん。
彼らが残した数々の名盤の中で聴こえるフルートは、この方が演奏されていたと思うにつけ、感慨が胸に迫ります。
冒頭の数小節だけで、ホールの空気を一変させたブラウさんのフルートはまるでマジック。 いわば「魔笛」のよう。
アンコールで披露されたドビュッシーの小品では、楽器特有の硬質で透明感ある音色に包まれ、心が洗われる思い。
● ショスタコーヴィチ : 交響曲第7番ハ長調「レニングラード」op.60
ドイツ軍とのレニングラード攻防戦のさなか、この交響曲は作曲された。 愛するレニングラードの街と市民に献呈。
地球上からレニングラードの街を殲滅すると公言したヒトラー。 900日にも及ぶ封鎖、60万人にも及ぶ犠牲者。
存亡の危機に直面しながらも、市民のために音楽を提供し続けたレニングラード・ラジオ・シンフォニーの人たち。
空襲の恐怖と背中合わせの状況下、まさに命懸けで、レニングラード初演のコンサートに詰め掛けた市民の皆さん。
アクセルロッド=京響の演奏は、当たり前のような平和の中で、のん気に暮らしている私にとって、相当な衝撃度。
こうした極限の状況に在って、人間の(或いは音楽の)持っている力とその可能性について、思いを巡らせました。
指揮 : ジョン・アクセルロッド / 独奏 : アンドレアス・ブラウ(フルート)/ 管弦楽 : 京都市交響楽団
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● ベートーヴェン : 「アテネの廃墟」op.113から序曲
序曲と言えば、同じくベートーヴェンの「レオノーレ第3番」が好き過ぎる私。 この曲は初めて聴くことになります。
作品番号からして、晩年の作品。 いかにもベートーヴェンと言ったフレーズや響きは、あまり感じられませんでした。
プログラム・ノートに「オーボエとファゴットの掛け合い」との記載がありますが、この部分は最大の聴きどころ。
演奏時間はわずか5分という小品でしたが、京響首席の高山郁子さんのオーボエの美しい音色は存分に楽しめました。
● バーンスタイン : 「ハリル」独奏フルートと弦楽オーケストラ、打楽器のためのノクターン
標題の「ハリル」とは、ヘブライ語で「フルート」の意。 第4次中東戦争で命を落とした若きフルート奏者に献呈。
バーンスタインさんから受ける陽気で親しみやすいイメージからは、かなり隔たりを感じる曲調。 少々難解な印象。
独奏フルートには、カラヤンの時代からベルリン・フィルの首席奏者を務めてこられたアンドレアス・ブラウさん。
彼らが残した数々の名盤の中で聴こえるフルートは、この方が演奏されていたと思うにつけ、感慨が胸に迫ります。
冒頭の数小節だけで、ホールの空気を一変させたブラウさんのフルートはまるでマジック。 いわば「魔笛」のよう。
アンコールで披露されたドビュッシーの小品では、楽器特有の硬質で透明感ある音色に包まれ、心が洗われる思い。
● ショスタコーヴィチ : 交響曲第7番ハ長調「レニングラード」op.60
ドイツ軍とのレニングラード攻防戦のさなか、この交響曲は作曲された。 愛するレニングラードの街と市民に献呈。
地球上からレニングラードの街を殲滅すると公言したヒトラー。 900日にも及ぶ封鎖、60万人にも及ぶ犠牲者。
存亡の危機に直面しながらも、市民のために音楽を提供し続けたレニングラード・ラジオ・シンフォニーの人たち。
空襲の恐怖と背中合わせの状況下、まさに命懸けで、レニングラード初演のコンサートに詰め掛けた市民の皆さん。
アクセルロッド=京響の演奏は、当たり前のような平和の中で、のん気に暮らしている私にとって、相当な衝撃度。
こうした極限の状況に在って、人間の(或いは音楽の)持っている力とその可能性について、思いを巡らせました。