この作品は、幼い女児が母親の「ママ友」に殺害された事件がモチーフになっています。
この先入主に捉われてしまうと、「誰が犯人なの?」の読書になりかねないので、ご用心を!
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■ 東京都心の文教地区に住む、ほぼ同じ年頃の子どもを持つ主婦5人が主人公です。
友だち関係が出来上がっていく前半部分は、自分のことのようにうれしくなります。
■ それでも、生まれ育った環境が違うし、家庭間の経済状況・社会的地位にも違いがある…
誰々ちゃんママという「名札」をはずしても、お互いの友情は成り立つものなのでしょうか?
■ 彼女たちは急速に親密度を深め、本音を打ち明けるまでの間柄に発展していきます。
しかし、小学校受験を意識し始める頃から、だんだん「雲行き」がおかしくなってきます。
■ ちょっとした言動の行き違いが、やがては修復しがたい亀裂(憎悪)へと発展していく…
猜疑心・嫉妬心・依存心・自己嫌悪・被害妄想。 なんて厄介な人の心の動き。
■ 自分のことも冷静に見つめられ、相手の立場も思いやれる「いい人」ばかりだったのに、
どうして、こんなふうになってしまったの? 愛しくて、切なくて、胸が痛みます。
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○ ラスト近く、女性たちは個々の「名前」から、「彼女」という総称でまとめられます。
ここでも、「この彼女は誰なのか?」ということに、とらわれない方が賢明だと思います。
○ 角田さんは、どうして個々の女性たちを、「彼女」という呼び方に変えたのでしょうか?
「名前」を失ってしまった「彼女」たち。 「自分」を見失ってしまった「彼女」たち。
○ 深い霧のたち込める森の中をさまよう「彼女」たち。 それは、「私」たちのよう?
そして、「彼女」たちが迷いこんでしまった「森」の中で、殺人が起こってしまうのです。
○ それでも、最終章は、少し気持ちが安らぐような気配を漂わせ、小説の幕を閉じます。
自分なりの方法で「森」の出口を探しだそうする母親たちに、どうか幸あれ!と祈る思い。
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作品の素材となった「育児」という言葉は、「子(児)どもを育てる」と書きますが、
同時に、「母」としての自分を育て、成長させていくことなんだなぁと感じました。
指揮:広上 淳一 / ピアノ:山下 洋輔 / 管弦楽:京都市交響楽団
2009年4月12日(日) ザ・シンフォニーホール
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■ オープニングは、 ビゼーの「カルメン」組曲第1番。 華やかな幕開けです。
いいコンサートになりそう!という、わくわくした予感たっぷりの演奏でした。
■ オーケストラの配置の変更があって、ステージの中央にピアノが置かれました。
山下洋輔さんをソロに迎えた、ガーシュインのラプソディー・イン・ブルー。
■ 山下さんの圧倒的なエネルギーが爆発するカデンツァ。 まるで音の洪水のよう!
ドラムのようにドンドン踏みつけるペダル。 肘打ちもバシバシ決まってました。
■ 指揮者の広上淳一さんも、ジャズが大変お好きな方のようです。
応える京響の演奏も、とてもスイングしていました。 うーん、ジャズですねぇ。
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□ ラストのステージは、チャイコフスキー最後の交響曲、第6番「悲愴」。
これまで何度なく聴いてきた曲ですが、涙があふれてきたのは、これが初めて!
□ 圧巻は第三楽章。 オーケストラのフル強奏、凄まじいばかりの推進力!
思わず知らず、フィナーレの拍手が巻き起こるくらいの大熱演でした。
□ 広上さんも、まさに「跳んだり跳ねたり」の躍動感たっぷりの指揮ぶりでした。
才能あふれる情熱的なマエストロに率いられた京響。 本当に楽しみです。
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アンコール前の挨拶で、広上淳一さんが語っておられたように、
大阪の聴衆の方々も、これを機会にぜひぜひ京響を聴きにいらして下さいませ!